ギャルゲロワ国編3

(BR230/05/phase:02) ギャルゲロワ国
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ギャマン大河。
漫画国とギャルゲロワ国の間を流れる河を、誰がいつその名で呼ぶようになったのかは定かではない。
はるか昔よりこの美しい大河は周辺の人々に、あるときは五穀豊穣をもたらし、ある時は自然の猛威を見せ付けるために水かさが氾濫して、周辺の全てを流しつくした。
全てを流しつくした後は土地をより豊かな土壌に変えて、大地に恵みを与えた。
透き通った水、生き生きと泳ぐ川魚の群れ、水辺のほとりで一休みする蝶々、人間という存在がちっぽけに思えるほどの広大な川幅。
ギャマン大河の美しさを表した詩の数は、枚挙に暇がない。
安らぎと恵みと平和と自然の脅威を人々に教えてくれる場所、それがギャマン大河。

しかし、それはギャマン大河の持つ性質の一つに過ぎない。
過去にこの地では、この恵みある大河と周辺の肥沃な土地を巡って、幾度も戦いが繰り返された。
自国を富ませるためにこの地を抑えるのは当然のこと。
故に、我が、いや我こそがと野望に満ちた者たちがこの大河に兵を送り込み、この豊かな土壌を確保しようと躍起になった。
文明というものは大抵大きな河の近くで発達するものだ。
そして、ギャマン大河の清く美しい水は何度も赤く染まった。
それはまるでギャマン大河が自ら流した血のようでもあった。
血で血を洗う日々の毎日。
人が死なない日などなかった。
大乱立時代とはまさに大暗黒時代にして大混乱時代。

そうやって、数えきれぬ程の死者を出した後にようやく世は平和を取り戻した。
ギャマン大河は最後まで残った国家、ギャルゲロワ国と漫画国で等しく領土を分かち合うことになる。
大河を国境線として南をギャルゲロワ国、東を漫画国と定めることで、この赤く染められた大河も平和を取り戻し、あるべき姿を取り戻した。
ちなみに両国の西にかの大国アニロワ国がある。
戦争などという血なまぐさいこれで終わった、誰もがそう思った。
しかし、期待は裏切られる。
嫁探しというなんとも漫画国らしい理由で、酋長の一人ボイドが独断で隣国のギャルゲロワ国に侵攻してきたのだ。
この理不尽極まりない開戦理由に激怒したギャルゲロワ国は、直ちに三将軍を国境のギャマン大河に派遣し、睨みを利かせる事にした。
またここで幾つもの悲劇と惨劇が行われる。
ギャマン大河、それは平和の象徴であり、戦争の象徴でもある。


(BR230/05/phase:02) ギャルゲロワ国
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時はBR暦230年5月半ば。
そろそろ気温も水温も上がり始め、ギャマン大河で泳ぐこともできるようになる季節。
大河の近くに陣を張った戦姫の軍隊を構成するのは、すべてうら若きと呼ぶのも憚られるほどの幼き女子。
国民の7割が女性で占められたこの国は女尊男卑の思想が根強く残っている。
国の要職のほとんどは女性で占められ、男達は肩身の狭い思いを強いられている。
古代、この地方は代々男が統治していたが、いつまで経っても戦乱が収まることがなかった。
そこで、神託に従って女を国のトップに据えるとあら不思議、たちどころに国が治まったのだ。
以来、この国では女性主権国家として空前の発展を遂げる。
女性こそが権力の象徴。
女性だけがこの国を治める資格がある。
女性の社会的地位はあっという間に向上し、男性の社会的地位は逆にどんどん下がっていった。
そんな中残った、数少ないギャルゲ国の要職につく男が鬼畜将軍と最速王の二人だ。

鬼畜将軍。
まだこの国の治安が乱れに乱れている時、憂国の志を持って大戦末期まで戦い続けた若き将。
元々は遊び人であったが、戦闘の適性があると知るや戦場を駆け回り数々の武功をあげた。
真正面からの戦いを好んでいたが、時折討ち取った敵兵の首を刈り取り敵陣に放り込むことで、敵軍の士気を下げるようなことすら平気で行う。
また、第六次雛見沢闘争においても華々しい戦果をあげ、チート戦士の異名すらとったこともある。
大戦終結後はその功績を認められ、男の身でありながらギャルゲ国の将軍の職を戴いた。

最速王。
鬼畜将軍より少し遅れた時期、ギャルゲ国がまだ荒れていた時期に彗星のように現れた武将。
元は流浪の武将で各国で見聞を広めつつ放浪していたが、この国で骨を埋める覚悟をしてからは、その名の通り脅威の進軍速度と破竹の勢いで各地を転戦し連戦連勝。
しかし、その働きを快く思わない敵国の武将たちの策略により、崖から突き落とされる。
最速は両手を骨折することになり、彼は一線を退き大戦の終結を座して拝むことになってしまった。
怪我が治って復帰した後は彼の功績もまた認められ、将軍職につくことになった。

二人はギャルゲ国の男たちの希望の星となった。
例えギャルゲロワ国でも、男だって仕官はできるのだと。
しかし――。


「うむ、平和だ……」

戦時中なのに平和とはこれいかに。
彼は――最速王は自分の陣地に引きこもって、最新のgtmt動画を見ていた。
大河を流れる戦死者、逃げるのに夢中で捨てられた逃亡兵の武器、ぶつかり合うギャルゲロワ国と漫画国の兵の怒号。
一歩外に出れば平和などとは言いがたい光景の数々が見られるのだが、そんなことお構いなし。
彼が平和と言ったら平和なのだ。

「ホイホイ☆チャーハン!」
「新日暮里!」
「最近だらしねぇな」
「あぁん? 入ったやろ!?」
「おっぱい見えるZE☆」
「すけべぇ」
「ゲイバァァァアアアァアァァァ!!!」
「最強☆トンガリコーン」
「あぁん? 餡かけチャーハン?」
「ナウい息子」
「仕方ないね」

彼が見ているgtmt動画には漢と漢の肉のぶつかり合いがあった。
鍛えられた筋肉をぶつけ合い、飛び散る汗。
技と技の応酬。
穿いてるパンツが脱げても、赤さんが絶妙のタイミングでカバーしてくれる。
神代にまで起源を遡ることのできる神聖な儀式、それがgtmt。
これはもはや哲学の領域に入る、いっそ義務教育にすべきだ、gtmt動画は日進月歩の早さで世界中に浸透しつつある。
森の妖精、または陸のクリオネとも呼ばれる漢が繰り広げる、漢の漢による漢のための儀式なのだ。
最速王は毎日この動画を見ることを日課にしている。
日々新しい動画が増えていくので、定期的にチェックしないとgtmtの最先端にはいられないのだ。

最速王と鬼畜将軍、この二人はギャルゲロワ国の将軍であると同時に、gtmt世界における権威でもある。
その昔、最速王を筆頭に鬼畜将軍、影丸、ウッカリデス、地味子の五人で交わされた、
「我ら五人、生まれた日、所属する国は違えど、gtmtのために生き、gtmtのために死ぬ」という菊園の誓いはあまりにも有名だ。
五人は力を合わせ、ノンケによるgtmtや百合、薔薇に対する弾圧と戦い(gtmtと薔薇は別物です)五股将軍と呼ばれるようになった過去がある。
以来、この五人は国の枠組みを越えた付き合いをするようになった。
「gtmt王に、俺ア○ル!」を合言葉に、五人は切磋琢磨しながらそれぞれ国の要職についてからも親交を厚くしている。
特にギャルゲ国はその内三人が集まり、今ではgtmtの生誕地ニコ連も一目置くほどgtmtが盛んになっているのだ。
最速王は語る、「いつの世もgtmtこそが至高の宝なり」と。


と、最速王のテントに入ってくる影があった。
最速王が振り返ると、おそらく戦姫隊の伝令と思われるょぅι゛ょの姿。
何の用か尋ねるよりも先に、伝令の方が尋ねる。

「あの、最速王?」
「ん? 何か用かね?」
「戦姫から出陣要請が出ています」
「パスです」
「パ、パス?」
「今いいとこだから出陣できないと伝えてください」
「し、しかしそれでは……」
「というより出陣する理由がないです」
「は、はぁ……?」
「こちらに出された命令は漫画軍を中央に集めるだけです。 それはもうやりました。
 こちらができるのは、ギャマン大河を渡ろうとする漫画兵に弓を放つことだけ。
 中央に集められた部隊は戦姫の部隊だけで対応できますよ。 と言うより、こちらの部隊が向かっても弓を放つスペースがないから無駄なのです。
 むしろ私たちの部隊がやるべきことは、正面を避けてギャマン大河を迂回してくる敵兵がいないかのチェックです」
「戦姫様は大層ご立腹しております!」
「それだけ戦姫に伝えて下さい。 なんなら私自身が文をしたためますよ」

伝令は首を振って拒絶の意思を表示。
それを確認すると、最速王は再びgtmt動画に夢中になり始める。
なにか言おうとするも、伝令役は諦めて戦姫の陣に戻るべく踵を返した。
その顔に諦観の念を浮かべて。
やはりギャルゲロワ国の恥部の名は伊達ではない、と。





「こっちもそういうことで出陣する気はないと、戦姫にはそう伝えてくれ」



鬼畜将軍の答えもまた同じものであった。



二人の将軍は前大戦の功労者に間違いはなく、戦姫も当時は二人の活躍を男なのに中々やるやつだと認めていた。
しかし、戦乱が治まるや否や、この二人は別人のようにグウタラになったのだ。
紅蟹公や狗武者姫の尻を追い掛け回しては返り討ちにあい、gtmt動画を広めようとお姉様に勧めては牢獄に繋がれる毎日。
毎日が遊んでばかりの日々で、仕事は部下に丸投げ、かつての面影は見る影もない。
彼らを慕っていた者も次第に離れていき、今では他国にまで聞こえる無能将軍の名をいただいていた。
平和になって昼行灯と呼ばれるようになってからも、戦姫は度々この二人を庇ってきた。
いつか在りし日の姿を取り戻すと信じて。結果は見てのとおりなのだが。
かつて鬼畜将軍は騎乗士の国の軍師、ギャグ将軍に認められ『すてきち』の名を拝命するほどであったのに今は見る影もない。
今の二人の異名はギャルゲロワ国の恥部、昼行灯、給料泥棒その他etc、etc……。
不名誉な異名を、数えるのも億劫なほど抱えていた。

「いったいどういうこと?」

そう口を開いたのはこの国の最強の武将、バトルマスターこと戦姫である。
彼女はまるで戦闘の真っ最中のような鋭い目つきで二人の男を睨み付けた。
戦姫の陣地の中央に位置する、戦姫専用の前線指揮用のテントに呼ばれた鬼畜将軍と最速王。
執務用に急遽設置された簡素な机の椅子に座り、戦姫は頬杖を突いて二人の将軍への叱責を始めた。
おそらくはいつもの小言なのだろうと判断した最速は、戦姫の刺すような視線を受け流しながら答える。

「どういうこととは?」
「ここは戦時中で、しかも最速と鬼畜は一軍を任された将軍なのでしょう? それなのに、貴方達の働きぶりがあまりにも杜撰と聞いてこうして呼んだの」
「いえいえ、滅相もない。 仕事はキッチリやってますよ、ええ」
「ど・こ・が・よ!」
「おお、怒ると顔に皺が増えますよ。 美しい顔がもったいない」
「そうさせてるのは誰だ!」
「ほぐぁッ! 幸せです!」


椅子から立ち上がり、最速の下まで近寄り鉄拳制裁。
殴られたのに、幸せですといい笑顔で鼻血を出しながら喋る最速。 
親指もこう、いい感じにグッと立てている。
戦姫はダメだこいつ、早くなんとかしないと、と頭を抱えざるを得ない。
殴られた貴方も痛いでしょうけど殴った私はもっと痛いの、とか言おうものなら確実に爆笑される雰囲気だ。
最速も鬼畜も、怒られているという自覚がまったくない。

つい先日、漫画国のボイドの働きにより国境を破られ、ギャルゲ国の領地内まで侵攻された戦姫ではあったがこれを撃退。
ギャルゲ国の領地から追い出し、ギャマン大河の向こう側まで後退させるのに成功した。
その際、撤退する漫画軍の取った方法は通常ではありえないものだった。
十人ほど選抜して戦姫軍の進路上で足止めし、本体はその間に退却。
もちろん足止めになった十人は討ち死にが決定したも同然。
戦姫はそんな味方を捨て駒に使うやり方が大嫌いだ。
また、ボイドだけならともかく、そういった方法を躊躇いもなく行える兵の士気の高さにも驚いた。
なので、ここに改めて蛮族討つべしという意思を固めた――のだが。

「ハハハ、平和ですね」
「どこが平和だ! 大体gtmt動画なんてものに現を抜かしている暇があったら一人でも多く敵を倒してきなさい!」

朗らかに笑う鬼畜にも怒りの言葉を飛ばすが、鬼畜もまったく意に介さない。
むしろ戦姫の怒る顔を楽しんでいる様子も見受けられる。
憤慨した表情で椅子に座りなおす戦姫。

漫画軍を領地外に押し出したことはいいのだが、その間最速と鬼畜は何をしていたかというと、何もしていなかった。
それはいい。 ドットーレとエースという他国にその名を轟かす名将がボイドの援軍に向かっているというのだから。
国境近くに軍を駐屯させ、漫画国に睨みを利かせておく必要がある。
問題は、最速と鬼畜が陣地に引き篭もったまま、放蕩三昧に興じているという点だ。

「だって~、そもそも敵がこないわけで~、gtmt動画を見るしかないんですよ。 最速殿、本日のgtmt動画は見ましたか?」
「ええ、見ましたとも。 本日は不作でした」
「やはり最速殿もそう思いますか。 基本は固めてあるのに、そこから発展しきれてないのが惜しいですよね」
「いえいえ、基礎はできてるのだから長い目で見ることにしましょう。 それよりも今発展にハッテンをかけましたね?」
「おお、やはり最速殿は気づきますか!」


鬼畜と最速は戦姫の怒りもなんのその、二人でヒソヒソと言葉を交わしている。
ちなみに、顔を寄せ合って誰にも聞こえないように形だけは取り繕っているが、声の大きさで会話の内容も戦姫にバレバレだった。
むしろ鬼畜も最速も戦姫をからかう気満々だ。 時折ニヤニヤしながら戦姫を見ている
戦姫もその二人の態度にとうとう堪忍袋の緒が切れた。

「そんなことはどうでもいい。 我々は護国をまっとうするだけだ。 貴様らが言う事を聞かぬのなら、斬る!」
「わぁ、戦姫が怒った~!」
「逃げろ逃げろ~!」

戦姫が腰に差していた刀を抜き白刃を煌かせると同時に、鬼畜と最速はテントの入り口を飛び出し、逃げ出した。
遅れて戦姫もテントから飛び出すが、最速の異名をとる最速王にはやはり追いつくことはできない。
鬼畜も最速につかまって、すでにはるか遠くまで逃げ出していた。
残念だったねぇ!と、最速王の声だけが山彦のように響く。今日も二人の怠け者将軍を更生させることはできなかった。

「クソッ、あいつらこの戦いが終わったら説教だ」

戦姫ができたのは小さくなっていく鬼畜と最速の姿を見ながら吐き捨てることだけだった。
敵国が攻めてきてるのに、まだやる気を出さずにやりたい放題の二人にイライラさせられる。
とりあえずこの苛立ちを紛れさせるために、夜のパヤパヤの相手を務めてもらう女の子の選別を始めた。
戦場においても炉利力の補給は欠かさない、それが戦姫。彼女にとって炉利力は人間が摂取する栄養分と同義だ。
――ちなみに、その日の夜は戦姫の寝るテントからいつもより大きな声が響いてきたそうだが、それはまた別のお話。



少し時間を戻して。
戦姫の憤懣やるかたない表情を見届けてから、鬼畜は最速にポツリと漏らした。

「また時代が動き始めましたね、最速殿……」

最速王も戦姫に怒られていた時とは打って変わって真剣そのものの顔で答える。

「ですな。 我々もまた働き始めないといけないようです」


今でこそギャルゲロワ
国のお荷物と呼ばれる将軍二人。
では何故彼らはこの地で平和を得るべく戦い続けてきたか? 彼らにとってこの国などどうでもいいものなのか?
答えは否。
やはりこの二人もこの国とお姉様が大好きだなのだ。
彼らもまたこの国を、この国の人々を、この国の大地を、この国の平和を愛する心を持つ勇士。
故に、平和が壊されそうになれば彼らはまた目覚める。
歩く頭脳戦と汚れなき愛というギャルゲ国を代表する政治家は、大戦の末期に行方不明となっていた。
政治面で有能だった二人を欠いたギャルゲ国の内情は、他国が想像しているよりもはるかに危うい。
武官と文官の衝突が激しいこの国では、最速と鬼畜は数少ない中立派だった。
ただし、この二人は派閥に取り込む必要がないと無言の戦力外通告を受けていただけなのだが。
この国を守護するために、この国の内部対立の緩衝材となるべく、眠れる獅子が再び目覚めようとしていた。

ふと、一陣の風が吹いて二人の体を激しく吹きつける
最速が視線を転じると、ギャマン大河を流れる無数の木の葉があった。
水の流れに従って、木の葉は下流へ下流へと忙しく動いていく。
時が動く――速く、激しく。 ついて来れない者はドンドン脱落する群雄割拠の戦国時代。
今度生き残れるのは誰か、どの国か。 変化を求め流される血に是非はないのか。
今はまだ始まり。 序章に過ぎないこの戦い。 戦乱の火は灯されたばかり。


(BR230/05/phase:03) ギャルゲロワ国
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「待ってください! 鬼畜将軍!」

アカイシロの会議室に繋がる広い通路に、凛とした声が心地よく響く。
声を掛けられた男は会議室から出てきて、これから命じられた場所に赴くところだ。
男――鬼畜将軍は声をかけたのが紅蟹公だと気づくと、柔和な笑みを返して軽く挨拶をした。

「これはこれは紅蟹公殿。 本日もご機嫌麗しゅう……どうかなされましたか?」
「どうなされたもこうなされたも、何故前線から戻ってきたんです!? 何故私を呼ぶようししょーから文をもらったのに行かせてもらえないのです!?」
「ま、まぁまぁ……いっぺんに質問されても困りますよ紅蟹公殿」

紅蟹公は鬼畜の落ち着いた態度とは対照的に怒りの表情を見せる。
立て続けになされた質問責めに答えるべく、鬼畜も紅蟹公に落ち着くようにひとまず深呼吸を勧めた。
紅蟹公が深く息を吸って、深く息を吐く。 それを何回か繰り返させたのだが、やはり紅蟹公が落ち着くことはなく、依然その顔には不満の表情。
とりあえず鬼畜も質問に答えるように説明を始めた。

「まずは何故私が戻ってきたかは、宰相の孤高様よりそう仰せつかったからです。 次に、紅蟹公殿を前線に送らなかったのも孤高様の意向です」

さて、前線で漫画国の侵攻を食い止めるべく配置されていた鬼畜だが、宰相である孤高からとある密名を帯びて帰還していた。
先ほど会議室から出てきたのは、その密名とやらに関する詳しい内容を聞かされていたからだ。
この密名にはさしもの鬼畜も身命を賭して承ることにして、これから任務に出るところだった。

「あ、あの頭でっかちの文官ヤロー……戦場の事をなに一つ知らないくせに!」

わなわなと震えて孤高への怒りを全身で表現する紅蟹公。
身分的な関係でいえば宰相である孤高の方が上にあたるのだが、紅蟹公は公然と孤高への批判をする。
幸い、この場に鬼畜以外いなかったため、この暴言を耳にする者は他にいなかった。
そのまま紅蟹公はブツクサと孤高への批判を続ける。 鬼畜は紅蟹公の愚痴が一休みしたところで、タイミングよく話の続きをした。



「そういきりたたないで。 紅蟹公を前線へ送らなかったのも、君主であるお姉様のためですよ」

えっ、といった表情で鬼畜を見る紅蟹公。
鬼畜もその視線を受け止めて説明を続ける。

「今回、前線へ将を送り込みすぎです」
「蛮族は全戦力で即刻討つべきですよ!」
「それでも限度があります。 戦姫や最速殿や自分だけでなく、カレー殿やグッピー殿まで駆り出してどうするんです?
 もしものために、このアカイシロにも最低限の戦力は残しておかないとお姉様を守れませんよ?」
「むむ、そうですね……」

もっとも、今はボイドだけでなくドットーレとエースという二人の将も向かってきているようなので、これくらい将を送っても問題ない。
そのために、戦姫の援軍求むという文に応える形でお姉様、というかお姉様の許可をとった孤高が狗武者姫を送り込んだのだ。
代わりに、鬼畜がこうして戻ってきているので、武将の数自体はプラスマイナスゼロなのだが、
狗武者姫の部隊は鬼畜将軍よりも勇猛なので、最終的な戦力はアップしている計算になる。
行程が順調なら、そろそろ狗武者姫も戦姫の陣にたどり着く頃だ。

「それは分かりました。 ところで将軍は宰相より何か命令でもされたんですか?」
「おや、どうしてそう思います?」
「だって会議室から出てきたし」
「ハハハ、なるほど。 まぁ以前から思っていたのですが、どうも私には武官としての才能はないようで、もっと適当な部署に配置換えしてもらったのですよ」
「そ、そんなことないです! 私は鬼畜将軍の実力を高く買ってますし、尊敬もしています!」
「いえいえ、尊敬してもらえるのは嬉しいのですが、私の実力はギャルゲロワ国の武将の中でも一番弱いですし、とりたてて部隊を指揮するのが上手いというわけでもないのが事実です」

彼が勇猛で鳴らしたのも戦乱の中盤までで、末期は完全にお荷物だった。
弱肉強食の戦国の世で淘汰を繰り返された結果、弱い武将や無能な人物は消えていき、生き残ったのは綺羅星のような有能な武将のみ。
一応鬼畜も有能ではあるのだが、より優秀な武将が多すぎるため相対的に能力は低めになっているのだ。
この国最強の武将である戦姫にはもちろん、紅蟹公、狗武者姫、最速王その他諸々の武将にも勝てる点は何一つない。
ということで、孤高より兵糧の管理、新兵器の開発など、戦における後方支援の役割につくように命ぜられたのだ。
今までそういった仕事も孤高の手一つで行われていたが、適任となる武将がいなかったので孤高が宰相の役割と一緒にこなしていただけ。
丁度よいので、鬼畜に白羽の矢が立ったというわけだ。 もちろん、命じられたのはそれだけではないが。



「そんな……。 私は将軍やししょーに憧れたからこそこの国に仕官したんですよ」

かつて、紅蟹公はこの国のために戦う武将たちの姿に憧れて、この国に仕官したという経緯を持つ。
尊敬の対象となった武将は多く、中には明らかに紅蟹公より能力が低い武将さえもいた。
すかし、例え実力が自分より下でも、何か一つでも自分が認めるべきものがあれば例外なく尊敬する紅蟹公。
そんな尊敬の対象が戦場より離れ、かつての勇姿が見られなくなるのが悲しかった。
そしてそれを当たり前のように受け入れ、笑う鬼畜の姿が許せなかった。

「将軍は悔しくないのですか!? 戦場から遠ざけられ後方へ配置されるなど、武官にとって用済みだと言われたことも同然! 
 プライドはないのですか!? もっと強くなって見返してやろうとは思わないのですか!?」
「後方支援も戦場における重要な役割ですよ。 そもそもプライドでは空腹は満たされませんし、戦争に勝つこともできません」
「それでも……それでも、私は将軍やししょーと轡を並べてもっと戦場を駆け回りたいです」

今まで強気な口調と態度だった紅蟹公が途端にシュンとした様子になる。 健気な様子もまた非常に可愛らしい。
元々背も高くない紅蟹公の体がより小さく見える。 そんな紅蟹公の様子に鬼畜のイタズラ心が疼いた。

「ほらほら泣いてはいけませんよ紅蟹公殿」
「な、泣いてない……泣いてないもんね!」
「そんなに泣いていると、いつものようにセクハラしたくなりますよ」

その声を聞くと、紅蟹公は顔を真っ赤にして慌てて鬼畜と距離をとった。
鬼畜は気にすることなく手をわきわきさせて紅蟹公に近づく。 
紅蟹公が鉈型の永遠神剣第五位『惨劇』を抜いて威嚇する。

「ええい! またですか! またそれですか!」
「紅蟹公が可愛い姿を見せるからいけないのです。 さあ、今日こそ私にその魅力的な尻をさわらせるのです」

そこにはもうさっきまでの重苦しい雰囲気は消えてなくなっていた。
いつもの昼行灯こと鬼畜の姿と、その鬼畜のセクハラから逃れるべく怒る紅蟹公の姿しかなかった。

「こんの、昼行灯がーーーー!」
「うぎゃーーーーーーーーー!」

そして鬼畜が吹き飛ばされるのも半ば予定調和と化した光景だった。
紅蟹公に吹き飛ばされ、空を舞う鬼畜の顔に一瞬笑みが浮かんだのに気づいたのは誰もいない。
そう、鬼畜が孤高より命ぜられたのはそれだけではないのだ。 これで孤高より命じられたことが何なのか追及される心配もない。
その内容は、例え紅蟹公とはいえ知られるのは不味いのだから。


(BR230/05/phase:04) ギャルゲロワ国
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さて、前線に出ることも叶わず悶々とした日々を送る紅蟹公に、お姉様より直々に命令が下された。
曰く、「領内を視察してきてくれない?」とのこと。 お姉様に政治を行う能力はないが、他人への気配りはできる。
戦争が始まったことで不安を感じている国民も多いだろう。 平和な時と違って、物資の調達も困難になるに違いない。
親を失った子供、兵として出て行き帰ってこなかった子供、そんな悲劇がありふれていた時代。
この国の民衆はみなお姉様を信奉しているが、それでも前大戦からまだ一年。
戦火の中でできた傷も、ようやく癒えようとしているところだったのだ。
送られてくる書面からだけでは、各都市の正確な情勢は知り得ない。 
よって暇を持て余していた紅蟹公に、各都市と民衆の様子をつぶさに見てこいと命令が下ったわけである。

一年、その言葉のなんと軽く、また重いことか。
あれから一年経った。 日数で言えば長い長い、遠い昔のことのように思える。
だが、逆に一年という年月はかつての惨劇を忘れてしまうには十分すぎる年月でもあった。
漫画国の血に飢えたものたちは、今も地響きを轟かせて国境を脅かしているのである。
それを考えると、紅蟹公は気が気でいられない。

(はぁ……大切なことなのは分かってるんだけど)

成敗してやりたい。 不届き者に天誅を、ギャルゲロワ国に紅蟹公ありと思い知らせてやりたい。
この国の人たちの笑顔を踏み潰す、無粋な輩どもをこの手で叩き潰してやりたい
今すぐ戦場へ駆けつけて、ボイドとかいう無礼者をこの自慢の鉈の錆にしてやりたい。
視察の道中も紅蟹公が思うのはそのことばかり。
もちろん視察中にはそんなことはおくびにも出さずにしているが。

「わぁー、べにかにこうだー!」
「べにかにこうさまーがんばってー!」
「うん、皆ありがとう! 私たちも頑張るからね!」




子供たちからも人気のある紅蟹公は気さくな笑みで子供たちの声援に手を振る。


「ええ、ここはまだそれほど戦争が起こった影響もありません。 けど物価は少し上昇しましたし、これからも上がっていくでしょうね」
「その点はお姉様に相談して、なんとかしてもらうようこちらも善処します」


平和な地にも少しずつ戦争の影が忍び寄る。
紅蟹公はその現実を噛みしめ、改めてこの平和を守り抜く事を誓う。


「いい加減にしてくれんかのう……ついこの前やったばかりなのにまた戦争かい……。
 ワシは静かにベットの上で死にたいんじゃがのう……」
「お爺さんはまだ若いですよ。 そんな不謹慎なことは言っちゃダメです」


ギャルゲロワ国と漫画国は国土が隣接した隣国。
住む場所が少し離れただけで、こうも戦争を望むか望まないかという国民性が違う。


「おいおい勘弁してくれよ、こっちはようやく家屋の修復の目処が立ってきたところなんだぜ」


前大戦でギャルゲロワ国最大の激戦地とされた都市は、いまだに戦火の爪あとが消えていなかった。
簡易住宅を使っての集団生活も終わり、やっと自分の家に戻れるといった家庭が多い。



そして各都市の視察もこの地で最後となる。 後はここの視察を終えてアカイシロに戻るだけだ。
粗方の地域を巡って紅蟹公が抱いた感想は、思っていた以上に酷いというもの。
書面や耳に入ってくる情報だけでは決して得られない現状の数々があった。
今でこそ世にギャルゲロワ国という大国ありと言われているが、その実は周りの国ともほとんど変わらない。
前大戦の傷跡はようやくかさぶたができている状態と同じ。 
一見治っている様に見えても、かさぶたというフィルターをはがせば傷ついた部分が見える。
お姉様の視察に行ってくれないかという言葉に間違いはなかった。
城内や領地に篭っているだけでは決して見られない現実があった。
やはりお姉様はすごいお方だ、と紅蟹公はさらに忠誠を深める。
同時に、戦争につぎ込む軍事費も大事だが、こういった民衆の復興支援のための資金ももう少し割いてあげたほうがいいかなと考えていた。

森の中の平和な村を訪れ、
海沿いの小さな集落でしばし波の音に耳を傾け、
荒れ果てた街で前大戦の復興作業に手を貸し、
不正の蔓延る悪徳の街にて悪行三昧を働く輩どもを成敗して、
ギャルゲロワ国でも有数の大都市では歓迎されて、

「で、最後に残ったのがここですか……?」

最後に残ったのは鬼畜将軍の住まう館を周辺とした地域であった。 げんなりした様子で紅蟹公の肩が落ちる。
とりあえず、このあたりで一番偉い人物が誰かというと鬼畜将軍なので、嫌でも訪れざるを得ない。
視察に来たのでその挨拶と、このあたりで一番民衆の様子が見やすいのはどこか聞かないといけないからだ。

時刻は夕方。
そろそろ太陽が西へ沈む。 赤みがかった日の光が紅蟹公の艶やかな金と赤の髪の毛の赤の部分を強調する。
夏に差し掛かった季節とはいえ、夜はまだ少し厚着をしないと寒い。
今日はもう鬼畜への挨拶だけに留めて、視察自体は明日にすることにしよう。
紅蟹公はそう決めて馬から下りて、街からは少し離れた森の奥にある鬼畜将軍の住む館の入り口に立った。
とりあえずgtmt動画は絶対見ない、と心に決めて。


(BR230/05/phase:04) ギャルゲロワ国
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夕方から時刻はさらに進んで、深夜になった。
深夜の森の中を危険にも一人で通る女性の姿。 馬に乗って松明を灯しているが、やはり危険なことに変わりはないだろう。
虫の奏でる合唱をBGMに、紅蟹公はプンスカ怒りながらあらかじめ決めていた今日の寝床へと向かっていた。 
プクーと膨れた頬の愛らしさは、ロボロワ国のアニジャ大統領が惚れこむのも無理はないほどの魅力を持っている。
紅蟹公が怒っているのは鬼畜に対する怒りによるものだ。

鬼畜の館で寝ようとしたら断られたからではない。
寝る場所はあらかじめ街の方で確保していた。 鬼畜の館に寝るとなると、性的な意味で色々と危険そうだったから。

夜も更けた時間なのに、森を抜けて街へ帰る紅蟹公に護衛をつけてくれなかったからでもない。
供回りが一人もいないのは自分の強さに自信があるから。 夜盗ごときに遅れをとる紅蟹公ではない。 
何よりここは危険な他国ではなく、安全な自国の領内。 むしろ、護衛をつけてくれるという鬼畜の申し出は紅蟹公自身が丁重にお断りした。

怒っているのは別のことだ。
鬼畜はつい先日、孤高から命じられて兵糧管理などの後方支援の役割へつかせられた。
仕事に滞りはないようで、今のところ特に不満が出た様子はない。
問題は、鬼畜はまた仕事を部下に投げっぱなしで、自身は遊びまくっているという点。
国民が戦争で大変なのに、鬼畜だけは仕事を部下に丸投げで遊んでいると聞いていい顔をする人はいないだろう。
挨拶がてらそのことについて問い詰めて、仕事に専念してもらおうと忠告してみれば、なんとも鬼畜らしい答えが帰ってきたというわけだ。
紅蟹公の脳裏にその時の会話の光景が浮かんできた。

「ところで鬼畜将軍、新しい仕事の方はどうですか?」
「ん? 順調ですよ」
「ええ、順調みたいですね。 むしろ部下に丸投げして自分は暇を持て余しているほど順調とか」
「有能な部下がいると私も安心できます」
「ではお暇な鬼畜将軍は何をしていらっしゃるのでしょうか?」
「gtmtに対する知識を深めていますが、それに何か問題でも?」
「大ありです! ししょーや狗武者姫たちが前線で戦っているのに何をしているんですか!?」
「最速王にも頼まれているんですよ。 来月の第五回定例gtmt会議のためにも、最先端の知識を身につけないといけないのです」
「謝れ! 前線で命かけて戦ってるみんなに謝れ!」
「いやいや、私もちゃんと仕事があるわけですし……」
「その仕事は部下が全部やっているんでしょう!? なら、暇な鬼畜将軍は前線に行けとは言わないですが、この国のために何かしようと思わないのですか!」
「いやいや、だって私弱いですし、他に取り柄もないですし」
「……一体将軍も最速王もどうしたんですか? どうしてそんなやる気がないんですか?」


暖簾に腕押しの状態が続いていた。
紅蟹公が鬼畜に真面目にやるよう言えば、鬼畜はあの手この手でのらりくらりと回避する。
それどころか時にはセクハラ発言をしては紅蟹公を困らせる。 鬼畜の答えはいつまでたっても変わらない。
ああ言えばこう言う。
こう言えばああ言う。
紅蟹公の真剣な思いは一つも真面目に受け取られることなくかわされていく。

「どうして、どうして……私の言葉をちゃんと聞いてくれないんですか……」

最後は消えてしまいそうなほど小さい声だった。
自分の思いが伝わらないのが悲しかった。 紅蟹公は本当に鬼畜のことを心配しているのだ。
昼行灯――鬼畜や最速王がそう呼ばれているのは知っている。
でもそんなの関係ない。 紅蟹公はあの日の鬼畜や最速に戻ってきて欲しいのだ。
戦場で自らが先陣をきることで兵を鼓舞し、向かってくる敵は全て撃退。
例え絶望的な状況でも、最後まで諦めなければきっと勝てると兵を励まし、実際に勝利。
雄々しい表情、体中に漲る覇気、国のために献身的に尽くすその姿、彼らの戦績を語る数々の武勇伝。
鬼畜と最速の名前を聞けば、誰もが竦みあがった時代さえもあった。

まだギャルゲロワ国が小国で領内の治安も悪かった時、紅蟹公はまだ一市井の身だった。
どこかしこも荒れ果てて、秩序を乱すならず者がのさばっていた時代のこと。
当時は紅蟹公ではなく単なる蟹座だった少女は、荒れ果てたこの国の状況を憂い、いつかこの国のを平和にしたいと思っていた。
しかし、気持ちこそは誰にも負けないつもりだが、果たして自分にそれに見合う力があるかどうか。
そう思うと、不安で立ち上がりたくとも立ち上がれなかった。
どうせ自分など特別な存在になれない。 口先だけで真っ先に死んでしまうのではないか、そんな不安に勝てなくていつまでも蹲ったままだった。
その蟹座の背中を後押ししたのが鬼畜と最速の二人や、戦姫などの歴戦の武将たちだ。
特に鬼畜と最速は男なのに女尊男卑の思想が強いこの国で勇猛に戦い、将軍の座までもらっている。
男が仕官するなら他の国がいくらでもあるのに、彼らはこの国が好きだと言う理由のみで戦ってくれた。
彼らの背中を見て教えられた。 悩むくらいならとりあえず立ち上がって戦ってみろと。 死ぬのなら所詮そこまでだということを。
以降、蟹座は右の紅蟹公の名をもらうようになってからも、彼らに尊敬の念を欠かさず抱いている。


そんな過去を持つ紅蟹公だからこそ、鬼畜や最速に在りし日の、かつての勇姿を取り戻して欲しかった。
なのに鬼畜は真面目に答えてくれることすらしてくれない。 紅蟹公の気持ちなど、真面目に取り扱う必要はないと言われているようであった。
今の鬼畜と最速は、はっきり言って腑抜け以下だ。

「何か訳でもあるんですか? なら私が聞きますよ」

紅蟹公の言葉に、鬼畜は紅蟹公も驚くほど真面目に考え込んだ後、口を開いた。

「そうですか……ならここだけの秘密にしてくれるなら話しましょう。 誓ってくれますか?」
「は、はい! 誓います! 話して下さい!」

紅蟹公の顔に明るい色が灯る。
その答えを聞いて、鬼畜もまた満足そうに話し始めた。

「あれはもういつになるんでしょうか……多分、前大戦が終わってすぐの頃だと思います」
「その頃に一体何が……」
「私がこの屋敷に帰ろうとしていた道中のことでした」
「ふむふむ」
「その日は雨でしてね。 時刻も夜更けでしたし、森の中はとても暗くて寒くかったのを覚えています」
「ここは街からも離れてますから、雨の降る夜の森は怖いでしょうね」
「で、その森の中でですね、一人の女の子がいたんですよ」
「なんで夜の森に女の子が?」
「さて、どうしてでしょうね。 ともかくその女の子は何故か泣いていました」
「……もしかして幽霊だったとかそういうオチですか? 怖い話は苦手なんですけど」
「ちゃんと足はついていましたし、怪談話でもないですよ。 私もやっぱりこんな時間にこんな場所に女の子が一人なんて怪しいから、見てみぬフリしようとしたんですよ」
「私だってスルーしますよそれは」
「でもね、やっぱり気になったわけです。 なんかいたたまれなくなったわけで」 
「意外と優しいんですね」
「で、声をかけたんです。『どうして泣いてるんですか?』って。 女の子は泣きじゃくるだけで答えてくれないんです」
「……もしかして昔その女の子となにかあったから、今将軍は怠けているんですか?」
「話は最後まで聞いてください。 そのまま、女の子は10分くらい泣いていたんですよ」
「……」
「その子の顔も特別綺麗じゃなくてごく普通でした。 でも私は思ったんですよ、この子の涙を止めてあげたいって」
「……うんうん、分かりますよ。 泣いてるより笑っていた方がいいですもんね」
「そう、それですよ。 私はその子をなんとかして笑わせたかったんです。 私はこの時、人生で一番勇気を出したかもしれないです」
「鬼畜将軍……やっぱり貴方は優しいですね」
「そして、私は――」
「……ゴクリ」

「スカートめくって逃げました」
「死にさらせこのド外道がーーーーー!!!」
「Noooooooo!」

で、いつものパターンに戻ったと言うわけである。
ちなみにその女の子が何故泣いていたか、その後どうなったかは分からずに終わった。

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最終更新:2009年04月24日 21:53
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