「……お、お母さん……?」

 震えるような声で、愛乃めぐみは最愛の母の名前を呼ぶ。
 しかし、それに応えてくれる母・愛乃かおりはここにいない。いつものように呼び掛けても、何も返ってこなかった。
 それでも彼女は呼び続ける。

「嘘だよね、お母さん……こんなの、嘘だよね……?」

 だが、結果は同じ。大好きな母が返事をしてくれることも、また目の前に来てくれる事もない。
 そもそも、どうしてこんなことになってしまったのか? それが何よりも気になったが、思考が働かない。
 元々めぐみは考えることが苦手な少女であり、それに加えて今の状況が彼女から思案する力を奪っていた。



 いつものようにぴかりが丘で平和な日常を過ごしながら、幻影帝国の操るサイアーク達と戦っていた。そして、幼馴染の相良誠司や地球の神・ブルーと絆を深めあい、お母さんの手伝いをする……そんなささやかな毎日が幸せだった。
 今日だって、みんなが待っている大使館に通って、友達みんなと楽しく過ごし……お母さんが待っている家に帰るはずだった。
 だけど、気が付いたら見覚えのない場所にいた。どこなのかわからない闇の中に放り込まれて、周りに広がる無数の人影に困惑してしまう。
 次の瞬間に突き付けられたのは、見知らぬ人物が開催する殺し合い。当然、めぐみはそれに従うつもりなど微塵もなかった。
 持ち前の明るさと正義感で立ち向かおうとする。しかし、同時に見つけてしまった。最愛の母・かおりの姿を。

『めぐみ!』
『お母さん!』

 その姿を見た瞬間、めぐみの中に生まれていたあらゆる決意が揺らいでいく。
 どうして、母がこんな所にいるのかわからない。しかし、母の存在はめぐみにとって絶対の希望だった。子どもの頃からずっと一緒にいて、そして帰る場所で待ってくれている大切な人。
 殺し合いという不条理な現実を忘れさせてくれるほど、かおりの姿は輝いて見えた。母の顔が、めぐみに生きる力を与えてくれる。

『あなた……めぐみなの!?』
『そうだよお母さん! わたし、めぐみだよ!』

 かおりの呼びかけに答える為、めぐみは叫んだ。
 そして、はっきりと見えない人ごみの中をかき分けるように駆ける。周りの人とぶつかってしまわないように進むが、そのせいで足元がおぼつかない。

『めぐみ! めぐみ!』
『お母さん! お母さん!』

 それでも、めぐみは前を進んだ。大好きなお母さんに会う為に。
 お母さんがこんな所にいる。どうしてお母さんがいるのかわからないけど、会いたかった。お母さんに会って話がしたかった。
 お母さんに向かって、手を真っ直ぐに伸ばしたが――


 ――ボガン。


「……ッ!」

 記憶を辿っていく最中、脳裏に響いた爆音によってめぐみの意識は覚醒した。
 そして、身体が一気にガクガクと震えていき、喉の奥から何かが湧き上がってくる違和感に襲われる。
 反射的に表情を顰めてしまい、手で口元を押さえながら蹲った。そのまま急激に気分が悪くなっていくのを感じるが、めぐみにはどうすることもできない。胃の奥から迫りくる衝撃に耐えられず、盛大に嘔吐した。
 口元に焼け付くような感覚が広がり、地面から酸気の強い異臭が漂う。自分の口から吐き出された嘔吐物による臭いだが、今のめぐみにとってはどうでもよかった。

「うそ、だよね」

 先程と同じ言葉を、めぐみは零す。
 だけど、それに対する返事は……やはり何もない。

「こんなの、嘘だよね」

 まるで壊れたテープレコーダーのように繰り返すしか、めぐみにはできない。
 否定の言葉を必死に紡ぐが、現実は何も変わらない。今が嘘で終わることはないし、否定される訳でもない。
 それでもめぐみは必死に考えた。今が、悪い夢である可能性を……

「お母さん……お母さん……お母さん……!」

 その為に母を呼ぶが、彼女は現れない。
 こんなの嘘だ。こんなのはただの悪い冗談だ。こんなのは待っていれば嘘で終わることだ。こんなのは、あり得ないことだ。
 お母さんが、目の前で急に死んでしまったことなんて……あってはいけないことだ。

「嫌だよ……こんなの嫌だよ……こんなの、こんなの、こんなのって……ないよ」

 じわりと、めぐみの視界が滲んでいく。
 頬に一筋の雫が流れるが、それを拭うことなど今のめぐみにはできない。現実を否定すること以外、何も考えられなかった。しかし、無情にも現実は変わらない。
 愛乃かおりが死んでしまった現実を変えることなど、彼女にはできなかった。

「お母さん……お母さん……お母さん……お母さん……お母さん……!」

 今の彼女は迷子の子どもと同じ。はぐれてしまった親を見つけようとして、あてもなく彷徨い続けることしかできない哀れな子ども。
 そしてかおりはもうどこにもいない。何故なら、殺し合いの主催者によって見せしめにされてしまったのだから。


 小さい頃から、身体の弱かったお母さんの為に一生懸命お手伝いをしてきた。
 海外で人助けの仕事をしているお父さんの変わりに、お母さんが喜んでくれるように頑張った。おつかいに行ったし、お掃除や料理も手伝ったし、言うこともたくさん聞いてきた。
 そうすれば、お母さんは幸せになってくれると信じたから。そうやって、お母さんを笑顔にしてきたから。
 大好きなお母さん。幸せにしてあげたかったお母さん。お母さんの為に頑張ることで、自分自身も幸せになれると信じていた。
 でも、お母さんの笑顔はもう見られない。お母さんの顔はまるで風船のように破裂してしまい、そこから大量の血が――


「嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だよ……お母さん、お母さん、お母さん!」

 めぐみの瞳から溢れ出てくる涙は止まらない。胸の中に溜まった悲しみや絶望と共に湧き上がるが、枯れる気配を見せない。
 脳裏に焼きついた最悪の光景が、めぐみの心に深い傷を刻んでいた。
 鏡の中に閉じ込められたけど、プリキュアとして戦えばまだ助けられる……そんな僅かな可能性も残っていない。取り返しのつかない、本当の死。
 あまりにも唐突で、そして凄惨な現実が彼女を責め続ける。
 お母さんの為に頑張ってきた。お母さんを含めた世界中に生きる全ての人を幸せにしたくて、プリキュアになった。みんなが幸せハピネスになれると信じてきた。
 だけど、お母さんはもうこの世界にいない。これじゃあ、今まで何のために頑張ってきたのかわからなかった。
 あんなに優しいお母さんがどうしてあんな目に遭わないといけないのか。お母さんは何も悪いことをしていないのに、どうして犠牲にならないといけないのか。
 どうして、お母さんが愛や幸せを感じられなくなるのか。
 どうしてわたしが生きて……一生懸命に生きているお母さんが死ななければならないのか。
 虚無感。疑問。悲哀。それらによって、めぐみの心がどんどん擦り切れていく。ギリギリと音を鳴らしながら、心が摩耗していく。
 どうにもならない苦痛を吐き出すように母の名前を呼び続けるが、それはめぐみに何の救いも齎さなかった。

「お母さん! お母さん! お母さん! お母さん! お母さん! お母さん!」
「おい!」

 しかし突然、負の感情をせき止めるかのような声が響く。
 ピクリと震えながら反射的に振り向くと、見知らぬ黒髪の少年が立っていた。歳と背丈は相良誠司と同じに見えて、頼り気な雰囲気を放っている。
 だが、声の主にすり寄る余裕など今のめぐみにはなく、ただ目を合わせることしかできなかった。

「えっと、その……大丈夫か?」
「……誰?」
「俺か? 俺は、えっと……」

 少年は困惑したような表情と共に頬を掻く。
 それに違和感を抱く暇もなく、少年はめぐみに手を伸ばしてきた。

「……とりあえず、俺は怪しい者じゃない。君をどうにかしようかなんて、全く考えていないから……落ち着いてくれないか?」

 諭してくれるような声からは嘘が感じられない。
 真偽はわからないが、それを考える力は微塵もなく、めぐみは差し出された手を掴むことしかできなかった。
 その手は逞しく、温かい。確かなぬくもりが存在していた。しかし、それで心が癒される訳ではなく、むしろ目尻から更なる涙が溢れてしまう。
 もう、お母さんの手を握れない。お母さんの温かみを感じることが、永遠にできない。そう考えた瞬間、言葉では表現できないほどの虚無感と悲しみに襲われてしまった。

「お、おい……!」
「ごめんなさい……泣いてちゃいけないのに、みんなを幸せハピネスにしないといけないのに……でも、でも、でも……!」

 感情を誤魔化す為に紡がれる言葉は続かない。ただ、鼻声になるだけ。
 目の前の少年が困惑しているにも関わらず、めぐみはひたすら涙を流すことしかできなかった。




 桐ヶ谷 和人。いや、VRMMORPGの世界で最強ランクの実力を誇るプレイヤー・キリト。
 謎のデスゲームに放り込まれた彼は今、愛乃めぐみという少女の隣にいることしかできなかった。
 殺し合い。あの茅場晶彦が首謀となったSAO事件とはまた違った意味で悪辣なゲームだと、キリトは思う。人間の尊厳を奪い、一ヶ所に閉じ込めて戦わせる……考えただけでも反吐が出る所業だ。
 無論、キリトはそんな戦いに乗るつもりなど微塵もなかった。優勝した暁にはどんな願いでも叶うらしいが、こんなことをさせる連中が本当のことを言う保証などない。むしろ、最後の最後で裏切られる可能性の方が、よっぽど高かった。
 戦闘を仕掛けてくるレッドプレイヤーが現れるなら別だが、それでも余程のことがない限り命を奪いたくない。人を殺す痛みを味わうなんて、御免だった。
 だけど、今はそれどころではない。生きる為の手段を考えることは勿論大切だが、めぐみをどうするかが先決だった。
 めぐみの肩を抱いて、備え付けられたベンチに何とか座らせたが一向に泣き止んでくれない。どうすれば彼女が立ち直ってくれるのかが思い浮かばなかった。

(お母さん……か)

 めぐみは泣き喚きながら必死に母の名前を呼んでいた。恐らく、見せしめにされてしまった女性は実の母親なのだろう。
 目の前で実の親が殺されるという、言葉で表せないほどの絶望に突き落とされたのだ。そんなめぐみを慰めることなどキリトにはできない。
 安易な励ましの言葉を与えても、逆に傷付けてしまうだけ。元々、人付き合いがそんなに得意ではないキリトに、そういった言葉が瞬時に思い浮かぶ力は持っていなかった。
 情けない。ゲームで生き残る為のスキルを身に付けて、数多の渾名を手に入れたとしても、たった一人の少女すら救えなかった。
 ただ、めぐみの隣にいることしかできない。悲しみに沈んだめぐみを守る……それが唯一、キリトにできる支えだった。
 今の彼女を一人ぼっちにさせたら何をするかわからない。半狂乱のまま暴走するかもしれないし、最悪の場合として自殺する恐れもある。かつて、SAOでそんなプレイヤーを何人も見てきた。
 全滅してしまった《月夜の黒猫団》の悲劇を、もう二度と繰り返してはいけない。キリトは自らにそう言い聞かせた。


 どれだけの時間が流れたのかはわからない。
 十分か、三十分か、あるいは一時間か。しかし、それも今は関係ない。
 気が付くと、めぐみは泣き止んでいたが、まだ声を詰まらせている。憔悴のあまりに泣く力すらも尽きてしまったのかもしれない。
 どうしたらいいかとキリトは考えたが、

「……キリトさん、ありがとうございます」

 俯きながらもめぐみは呟く。そのままゆっくりと顔を上げてくれた途端、キリトは言葉を無くした。
 めぐみは笑っている。しかし、その表情はくしゃくしゃに歪んでいて、何よりも目の周りが真っ赤に染まっていた。自分を心配させない為に、笑顔を浮かべているだけ。
 あまりにも痛々しくて、直視するだけでも辛くなってしまう。

「めぐみ……」
「キリトさん、わたしを守ってくれて……本当に、ありがとう」
「えっ?」
「本当は、わたしがキリトさんやみんなを守らないといけないのに……情けないよね。ごめんなさい」

 そう言いながらめぐみはベンチから立ち上がるが、膝がフラフラと揺れてしまい倒れそうになる。
 反射的にキリトはめぐみを抱き留めた。彼女の体はとても華奢で、それでいてアスナやシノンよりも儚く見えてしまう。このまま離してしまえば、粉々に砕け散ってしまいそうなほどに。
 見るだけでもいたたまれなくなるが、必死に堪える。ここで目を逸らしてしまったら、本当にめぐみが壊れてしまいそうな気がして。

「あっ……ご、ごめんなさい!」
「謝る必要なんてない。むしろ、めぐみの方こそ無理をするなよ」
「む、無理なんて……してないよ!」

 その叫びからは血を吐くような思いが感じられた。
 めぐみの瞳は滲んでいき、またしても涙が溢れていく。小さな雫は頬を伝って、そのまま地面に零れ落ちていった。無言で見つめてくる少女に対して、キリトは思い付く限りの励ましを告げる。

「すまない……俺には、めぐみの辛さや悲しみを全部理解することが出来ない。こんな俺に君を慰められるとは、思えない」
「……キリトさん?」
「でも、俺は君を助けてみせる。絶対に死なせたりなんかしない……これだけは本当だから、信じて欲しい」

 胸の中に宿る感情を解き放つように、キリトは必死に言葉を紡ぐ。
 会ったばかりの自分に、母親を殺されてしまっためぐみの痛みを癒すなんて出来る訳がない。それを認識した上でキリトは告げた。
 どうして、めぐみにここまで肩入れしたくなるのかは、キリト自身もわかっていない。最初に出会った相手だからか。それとも、幼い頃に事故で両親を失ってしまい、めぐみと同じ境遇になった過去があるからか。
 答えは見つからないが、めぐみを守りたいと思ったのは心からの本心だった。

「……それくらい、わかってる。だって、キリトさんは泣いていたわたしの隣にずっといてくれた……だから、キリトさんがいい人だってこと、最初から信じてた」
「そっか……めぐみ、ありがとう」
「キリトさんこそ、ありがとう」

 儚げな言葉と共に、めぐみは笑う。涙は未だに溢れ続けているが、それでも彼女は笑ってくれていた。
 それは先程と同じように無理をして作った笑顔だが、ほんの少しだけ自然な雰囲気が感じられる。僅かだが、痛みが和らいだのかもしれない。
 そんなめぐみを安心させる為に、キリトも出来る限りの笑顔を向けた。

「こんな時に言うことじゃないけど……よろしくな、めぐみ」
「うん……よろしく、キリトさん」

 戸惑いながらも、互いに握手をする。
 白くて小さな手から感じられる温かさは、決して虚構なんかじゃない。正真正銘、本物の人間が持つ体温だ。
 この手を絶対に離してはならない。例えこれからどんな困難が待ち構えていようとも、絶対に守ってみせる……愛乃めぐみを見つめながら、キリトは心からそう強く誓った。




【E-4 公園/一日目/深夜】


【愛乃めぐみ@ハピネスチャージプリキュア!】
【状態】とても強い悲しみ、精神的疲労(大)
【装備】プリチェンミラー&プリカード一式@ハピネスチャージプリキュア!
【所持品】基本支給品一式、不明支給品。
【思考・行動】
基本:みんなのハピネスを守りたい。
0:お母さん……
1:今はキリトさんと一緒にいる。


【キリト@ソードアート・オンライン】
【状態】健康
【装備】エリュシデータ@ソードアート・オンライン、カゲミツG4フォトンソード@ソードアート・オンライン
【所持品】基本支給品一式、不明支給品。
【思考・行動】
基本:殺し合いに乗るつもりはないが、生き残る。
0:今はめぐみを守りながらこれからのことを考える。
1:これからどうするか?

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最終更新:2014年12月05日 23:54