江洲衛府島は本来は美しい自然と海を前面に押し出したリゾート地として栄えた島だった。
その時点でも豊かではあったが人気がハワイに届かない程度のありきたりの観光地であり、知る人ぞ知る程度のレベルだった。
江洲衛府島を含めた世界の状況が一変するのはおよそ10数年前である。
およそこの頃、『サイコの大暴虐事件』という血迷った異能者集団が間引きとして称して戦争から避難してきた難民たち、それも武器も異能も持たない無抵抗の人間を虐殺した歴史に残る最悪の事件が発生した。
この事件は多くの異能者と無能力者の間に確執を作り、10年以上経った今でも根強く残っている。
無能力者サイドは同じ悲劇を繰り返さないために、あらゆる異能を無効化するバリアを発生させられる装置を組み込んだ人型兵器「ロボディ」を開発。
異能者に対する抑止力として世に登場した。
しかし黎明期はバリアを発生させる媒介となる特殊クリスタルが希少であり、コストも高かったのでそれほどの数はなく、全体的に見ると期待されていた成果は得られないと思われていた。
ロボディが一般に認知されることのない兵器として忘れ去られようとした時、転機は訪れる。
江洲衛府島の地下資源の中からロボディのバリア発生装置に必要な特殊クリスタルが大量に出土したのだ。
これにより日陰者になりかけたロボディの生産が容易になり、生産コストが大幅低減。
大量に生産されて各地で異能の力で人々を恐怖させていたテロやマフィアを鎮圧し、ロボディは異能者に対する抑止力という開発目的を達成しアイデンティティを確立した。
今では兵器のみならず競技用も開発され、ロボディ産業は日に日に大きくなっている。
石油を超える価値のある特殊クリスタルを見つけ出した江洲衛府島はそれを売り出すことで、ありきたりのリゾート地からドバイ級の豊かさを手に入れた。
島には多くの入植者が集まって人口が増え、絢爛な高層ビルが立ち並び、島を守るための軍隊も世界最高水準レベルまで引き上げられた。
その様はまさにゴールドラッシュ。
全ての発展はロボディ産業と地下に眠っていた宝のおかげである。
ところが鮮やかなバーミリオンに少しでも黒を足すと血の色になるように、世界も江洲衛府島も手に入れた技術進歩と豊かさによって後に首を締められるようになる、
先に解説したサイコの大暴虐事件。
これをきっかけに生まれた組織があった。
その名は『浄化杜(ジョーカーズ)』……過激派反異能者テロ組織である。
奴らは異能者テロへの抑止力として開発されたロボディを使い、恨みと宗教じみた理念の下に異能者狩りを各地で始めたのだ。
建前上でも抑止力だけを目的に作られたロボディが暴力に使われるのはなんたる皮肉であろうか。
おまけに浄化杜の過激な思想は異能者と馴れ合う無能力者すら粛清対象であり、異能者と友達であるというだけで暴行の限りを尽くされ、挙句の果てには殺される。
その癖、勢力は有史上のどのテロ組織をも上まわっており、特にロボディの開発能力は抜きん出ている。
国連軍が浄化杜のアジトへ攻め入ったこともあったが、遥かに高性能なロボディ部隊の前に敗北して撤退せざるおえなかったそうだ。
浄化杜側の言い分だと国連軍は戦果を誤報しており、世界に一日は戦線が持ったかのように知らせているが、本当は8分も持たなかったらしい。
なんにせよ、国連軍すら退けるだけの力を持っていることを浄化杜は証明してしまい、これによって浄化杜の思想に傾倒していた者が構成員や支援者として力を貸し、勢力をさらに拡大させていった。
そして、そんな危険集団が江洲衛府島の地下資源を求めて艦隊を率いて襲いかかってきたのだ。
江洲衛府島は優れた軍隊を持っていたが、戦力を異能者に頼っていたがために防衛軍は敵の高性能ロボディによって初戦でほとんど壊滅。
島は艦隊で包囲され、避難しようとした船や飛行機は容赦なく撃ち落とされた。
街や一般市民にも当然被害が出て、悠々と立ち並んでいた建物は瓦礫に変わり、街のあちこちには死体が散乱していた。
戦いにもなっていない大虐殺であった。
だが、生き残った市民や防衛軍はただ殺されるのを良しとしなかった。
元国連軍のスナイパーである
羅天丹吾は、生き残った兵士や少しでも戦闘経験のある者・異能者、部活動レベルでもロボディの操縦経験のあるパイロットをかき集め、島に取り残された者を守るための義勇兵団「ブレーメンズ」を組織。
日夜襲い来る、浄化杜へ力の限り抵抗していた。
また地下資源が狙いである浄化杜は島へ大規模な爆撃ができないため、ブレーメンズの抵抗は奴らにとっても痛手であった。
世界もまた、江洲衛府島の特殊クリスタルを独占されると世界が浄化杜の天下になりかねない上に、島には民間人が数多く取り残されているので弾道ミサイルによる攻撃もできないので壊滅した正規軍に代わってゲリラ戦で抵抗する義勇兵の存在は期待されていた……少なくとも国連軍が浄化杜艦隊を殲滅する目処が立つまでの時間稼ぎ程度には。
申した遅れたが私の名前は
ディスメラ・スイート。
江洲衛府島に住んでいた江洲衛府島高校ロボディ部のOG。
高校卒業後は業界にスカウトされてモデル業を営んでいたが、紛争により今は休職中。
現在は義勇兵部隊ブレーメンズの一員として戦っている……人には言えない厄介な性癖を抱えた女だ。
そんな私にも数ヶ月前、恋人ができた。
◆
紛争開戦から半年以上過ぎた頃のある日の夜。
私と恋人の
回縞ラップスは休憩時間を貰えたので野営地から近い浜辺でデートをしていた。
浜辺は本来なら高級リゾート地のものであり、昼は青々としたクリアブルーの海が、夜はイルミネーションがわりに豪華な夜景が見える。
前者は自然のものなのでともかく、後者は明かりをつけると敵に居場所がバレて攻撃されてしまうので今は見れないが。
敵が攻めてくればすぐにでも切り上げられる休憩時間であるが、だからこそ貴重な二人っきりでいられる幸せな時間であった。
「月が綺麗ですね、ディスメラさん」
「ああ……本当に綺麗な満月だ」
夜空に浮かんでいた月と星はが真珠のように輝いていたのをよく覚えている。
その美しさは戦争で荒んでいた私とラップスの心を癒し、ただ浜辺を静かに歩いているだけで幸せを感じさせていた。
ただ不運なことに、血みどろの喧騒とは無縁の綺麗な色にも黒が滲みこむ。
それは浜辺をしばらく歩いていた時の事だった。
フッと潮風に混じって鼻を突く臭いがした。
「うッ、あれは……」
「死体!」
浜辺には一つの水死体が流れついていた。
時間が経っているのか腐臭が酷く、近づけば近づくほど鼻が曲がる悪臭がする。
死体の肉がドロドロに腐っているのでもはや顔での判別は不可能だったが、服とドックタグが残っていたのでそれで身元がわかった。
「この人……確か壊滅した防衛軍のエースだった人だ…一人で戦ってたのか俺たちに合流しようする前に殺されたのか……?」
水死体となった彼は防衛軍の要と言える存在だったが、異能殺しのバリアを持つロボディを主戦力とする浄化杜が相手だったのが悪かった。
例え戦略核クラスの異能を持っていても完全に無効化されてしまうので意味はない。
彼のように本来なら英雄になれたであろう異能者のエースたちもほとんどが、このような虫の集る無残な骸と成り果てている。
彼が最期にどのようなことを思ったのか私たちにはわからないが、さぞ無念であっただろうと思える。
「可哀想に……隊長や軍曹に報告した後で埋葬しよう、アーメン」
開戦前なら今頃ラップスは吐き気で立っていられないだろうが、紛争で死体に見慣れてきたためか、今はアメリカからの支援で来た自律行動型AIロボディから教わったやり方で胸で十字を切って冥福を祈れる程度には冷静である。
とはいえ、死体から出す腐臭に対して我慢ならないのか鼻はつまんでいたが。
なにわともあれ水死体という乱入者のせいでムードはぶち壊しになった。
最高クラスの美術品に無粋な落書きが入ったように、綺麗な月も静かな浜辺ももうなくなったも同然である。
普通ならいくら時間が会ってもデートの続行は不可能だろう。
……「普通」、なら。
「……ディスメラさん?」
「すまない、ラップス……また……」
私はある意味で新鮮な死体を見つけた時から、心臓が高鳴り、息遣いは荒くなり、白い肌は紅潮し、尖るものが尖って、注意しないと手が股に伸びて蜜が吹き出そうになる。
要するに私は死体を見て発情したのだ。
それを見たラップスは怒るでも引くでもなく、私の肩を抱いて優しく声をかけた。
「あそこに誰も居なさそうな海の家がある……ちょっと借りよう」
「本当に、本当にすまない……」
私はラップスに手を引かれる形で主人のいなくなった海の家へ向かった。
幸いにもこの夜は、この家に私たち以外の「客」が来ることはなかった。
海の家に入った私とラップスは生まれたままの姿になり、多少の前戯を交わした後に行為に及んだ。
肌を重ねあう二つの嬌声が海の家に木霊する。
その中で私は多幸感を覚えていた。
「ラップス、上手くなったな。最初の時より全然痛みがない……んあッ!」
「あなたを十回以上は抱いてるからね。そろそろディスメラさんの弱い所がどこかわかってきたよ」
他の恋人たちも抱き合う時はこんなに幸せなのだろうか?
◆
私はネクロフィリアという深刻な性癖を抱えている。
死体を自慰のためのオカズをするような、人類にとっては禁断と言われる十の性癖の1つだ。
本来のネクロフィリアは死姦することで満たすらしいのだが、私の場合は死体画像だけでも発情し、絶頂してしまう。
ある意味、普通のネクロフィリアより質が悪い。
高校時代にたまたまネットサーフィンで裏サイトに入ってスナッフビデオを見てしまったことがきっかけで、覚醒した私は学校や仕事から帰ってきてはネットで死体画像を探す毎日であり、スマホの中のフォルダは死体ばかりである。
漏洩すれば社会的に死ねるこの性癖を、私自身は無くそうと頑張ったが、死体は麻薬のような依存性を持っていたので耐えることはできなかった。
それどころか、気がつけば死体以外でほとんど発情しなくなった。
世の女性たちが振り向くような美男子に声をかけられなくても私には興味が持てないのだ。
学校を卒業してモデルを始めてからはネットで死体を探し、自慰に耽る毎日。
こんな人として危ない趣味を持った自分を恥じながらも、死体を性の玩具にすることをやめられない。
それでもまだ、死体探しはパソコンの中に留めて、人殺しや墓荒らしにならないように、他の人間に迷惑をかけない程度に努力はした。
変態性をバレたら怖い、というのもあるが人間としてのモラルは守ろうとは思っていた。
そんな私に至高のチャンスにしてモラルの危機が訪れる。
紛争である。
自分や周囲の人間がテロリストに殺されるかもしれない窮地にして、画像からではない生の死体が見放題である至福のショーであった。
辛うじて浄化杜の最初の襲撃を生き残った私は、民間人を浄化杜から守るために組織された浄化杜に参加した。
浄化杜に対抗するためにロボディの操縦経験があるパイロットが不足であったとのことで、正規軍だけでなく雅のような部活レベルでもロボディを動かせるなら志願制で入隊が認められていた。
そしてロボディ部ではミサイルや火炎放射の扱いに長けていた私は義勇兵部隊に志願した。
志願した時に私は島や島に生きる人々を守りたい、という気持ちがあったのは嘘ではない。
だが同時に、合法的に敵を殺して死体を作り出して見ることができるという後暗い期待もあった。
実際に戦場にでれば敵味方が死体に変わっていき、他の味方が生死をかけた戦いを繰り広げる中で私はヘルメット越しに「嗤っていた」。
欠損死体、焼死体、臓物が飛び出しているものなどの甘美な美術品が転がる戦場は楽園を歩いてような気分だった。
味方が死ぬのは悲しいし、敵に殺されかけるのはゾっとするのだが、それ以上に脳内麻薬が止まらなかった。
戦場での辛くも至福な日々を過ごしていた私だが、とうとう衝動的に耐えられなくなり、仲間が誰も見ていない内にこっそりと野営地を抜け出して死体が散らかっている最寄りの戦場跡地に向かい、スマホで死体画像を取る始末。
その時の私は調子に乗っており、他人に悟らせなければそれでいいと思っていた。
ところが調子に乗ったツケによって、一人の少年に死体を撮っているところを気づかれてしまう。
それが同じロボディ部隊の隊員にして後輩の雅と同じ部活に通っていた回縞兄弟の弟の方、ラップスであった。
とうとう気づかれてしまった私はなんとか取り繕うとするが、彼の眼差しから中途半端な嘘は通じないと思い、本当の自分について語ることにした。
「島を守りたい気持ちに嘘はない。
だが、私は死体が好きなネクロフィリア。
死体が見たいから義勇兵になった最低の女だ」
その告白にラップスはショックを受けていたのか沈黙したまま立ち去り、私はポーカーフェイスを装っていたが内心ドギマギしてその夜は寝ることができなかった。
そして明日からは自分がネクロフィリアと仲間に知られて汚物を見るような冷たい目を向けられるだろうと人生を諦めていた。
ところが、ラップスは仲間の誰にも私の秘密を知らせることなく、翌日以降も私が冷たい目を仲間から向けられることはなかった。
それどころかラップスはこちらに笑顔を向けてくる。
あいつに何か良からぬ要求されるのではと疑ったが、彼はそんなことは一切しなかった。
さすがに死体趣味の件は触れなかったが、いつもどおりに私に接し、秘密を守ることと引き換えに体や金銭を要求してくることはなかった。
後で私の秘密の件は伏せる形で、回縞兄弟の兄の方であるロックスにラップスのことを聞くと、どうやらラップスは以前から私に一目惚れしていたらしい。
元々女好きであるらしいラップスだったが、OGとして部活をたまに見に来ている時から理想の女性としてお付き合いしたかったとのこと。
すなわち惚れていたからこそ、約束したわけでもないのに私の秘密を守っているのか。
だとしたらすまないことをした気持ちになる。
理想の女性が最低の変態性を持っていたのだから。
こんな女など構わず忘れてしまえばいいのに……
またある日、私を含めたロボディの一小隊が浄化杜の部隊を前に窮地に陥る。
どの機体もボロボロで、このままでは小隊全滅の危機であった。
そこで私は小隊のために囮になることを決めた。
脚部をやられているので機動力の殺された私の機体では絶対に逃げられないので確実に敵に殺されるが、他の機体は脚が無事なので誰か一機を犠牲にすれば生き延びられる状況だった。
戦力的にもパイロットとロボディ全機を失うよりは一人と一機だけが犠牲になった方が損害は軽い。
だから腹をくくり、命を仲間のために捧げることにした。
こんな汚れた私でも仲間を救えるなら本望だった。
全弾撃ち尽くし、装甲の大半を持って行かれたところで私は死を覚悟する。
惜しむらくは死んでしまえば死体が見れないことだったが、これ以上恥を重ねる必要もないと思えば気が楽になった。
死体見たさに浄化杜に泣き寝入りするのもごめん被りたかった。
そして敵の弾丸が私のいるコクピットに向かって放たれようとしていた。
そんな時にロボディに乗ったラップスが私を助けにきたのだ。
敵の攻撃にさらされて自分もボロボロになりながらも敵を蹴散らしていく勇姿に、私は久しぶりに死体を目にした時以外での感動で濡れた。
むしろ勇者のように颯爽と助けに来た男に濡れない女などいるのか?
その後にもラップスに続くようにロックス機や雅機、義勇兵に志願した江洲衛府島の学生たちも救援に現れ、私はギリギリのところで窮地を脱出し、その日の戦いは運良く誰ひとりも犠牲は出なかった。
一方でラップスとロックス以下学生たちは羅天隊長や夕露軍曹の命令を無視した行動を取ったらしく、今回は幸運があったから犠牲が出ずに済んだだけだと二人は言い、必要以上の犠牲を出しかねない危険行為を働いたとして命令違反者は夕露から顔面にパンチ一発を食らわされ、走りとなったラップスはさらに尻に蹴りを食らった。
一方で小隊を窮地に陥らせたのはこちらの指揮が至らない点もあったと隊長も軍曹も謝罪し、それ以上隊員に罰を与えることなくその日は解散した。
隊員をあえて殴ったのは部隊の規律を守るためであり、部隊の誰かを助けたいことを言い訳に(助けることが本意であったとしても)命令違反を繰り返されて部隊が一つにまとまらないようになると困るからこそであると、私はこの時に解釈している。
その日の夜、私はお礼を言いたくて恩人であるラップスを探し、ロボディのコクピットの中で見つけた。
ラップスの方は軍曹に蹴られた尻が痛くて眠れなかったらしい。
昼に助けてもらったお礼を言い、同時になぜ私を助けたのか問いた。
死体が大好きでいつ裏切って浄化杜に願えるかもしれない危険な女などほっとけば良かったのに……そうすれば今日は自分まで死にかけたり、軍曹に殴られることもなかったハズだちと。
ラップスは答えた。
隊長や軍曹の危険な賭けはするなという考えは最もだが、誰かが棺桶に入って自分やみんなが泣くハメになるなら、危険な賭けに勝って自分もみんなも笑った方がいい。
それにディスメラさんが死体が見たいだけなら義勇兵に入る意味はないし、戦争がしたいなら無能力者である以上上手く取り入れば戦況的に有利な浄化杜につくこともできたハズだ。
あなたはそれをやらずに島のために戦況的に不利な義勇兵に入隊し、今日だって仲間のために献身的に命を戦火に晒そうとしていた。
ディスメラさんは変態かもしれないが、それ以上に善人であるからこそ仲間として守るに値すると俺は思った、と。
この時、私はラップスに惹かれていることに気づいた。
彼は私がネクロフィリアであることを知ってもなお、私のことを人間として認めてくれたのだ。
それどころか下心を持たずに自分の命を懸けて守ってくれたのだ。
年下のくせに器がでかい少年に愛おしさに耐えられなかった私は、彼の唇を不意打ちで奪っていた。
戦争をしている以上、自分や彼は明日にはいなくなっているかもしれない。
一度でも好意を手放せば二度と帰ってこない気がして、今ここで彼に純潔を捧げることを決めた。
そして狭いコクピットの中で私とラップスは抱き合うのだった。
それから私とラップスは休憩時間が重なった時は必ず二人っきりで合い、軽いデートや食事をし、交わる。
性交への導入はどうしても死体が必要になるが、それでもラップスは引くことなく、私には愛しあうこの時間がたまらなく素敵であった。
◆
一頻り、抱き合った後に潮風が香る海の家の中で、私たちは一枚の毛布を共有して裸で寝そべっていた。
腹の中がいっぱいになり、幸せな気だるさが体を包む。
「ディスメラさん、ここのところゴム使ってないけど大丈夫?
子供とかできちゃったらモデル業を続けられないんじゃない?」
「別に。手に職だと思ってスカウトされてから流されるままに続けていただけさ。
どうせ戦争が終わってすぐには仕事は来ないだろうし、おまえがいるなら廃業でも産休でもなんでも良い」
私たちは避妊具を使っていない。というよりは江洲衛府島は戦地なので欲しくても手に入らないのだ。
現状では避妊具より食料や水、弾薬や医療品を探す方が優先だろう。
彼は妊娠リスクで私が失職するんじゃないかと思って心配していたが、私は職にそこまでの執着はなかったのでそれは杞憂だった。
「私としてはおまえとの子供を産めたら産みたいが、ラップスは子供の顔を見たくないのか?」
「み、見たいさ。両親は早くに死んじゃって家族は兄貴だけ。家族が増えるのは嬉しいに決まってるよ。
……まあ、20越える前に父親になることはおろか、憧れの人と抱き合えるとは夢にも思ってなかったけど」
「仮に子供ができたら学生結婚になるけど、学校はどうする?」
「普通に考えたら辞めさせられるけど、あの岩学園長なら百冊くらいエロ本を賄賂で送ればなんとかなりそうな気がするなあ……」
「フフ、あのスケベ岩なら言えてるな」
微笑みながらピロートークを交わす私たち。
火照った体がゆっくり冷えていく余韻もまた、気持ちが良かった。
「……ディスメラさん、戦争が終わったらどこにいきたい?」
「ん?」
「今は戦争だからできることは限られているけど、もし終われば散歩以外のデートもできる。
俺はディスメラさんと水着でビーチの砂浜を走ってみたいなあ」
「…………」
私たちは付き合ってからまだ、軽い散歩と性交ぐらいしかしていない。
戦時下なのだから当たり前だが、普通の恋人たちはもっと多くのデートができるハズだろう。
「そうだな、私はまずレーションはいい加減食べ飽きたから、ちょっと高めのレストランで腹いっぱい食べてみたい。
紫蘇もずっと食べてなかったから、白米にかけてたらふく食べたい」
「うん、その時は俺が奢るよ」
「最新のホラー映画とか見てみたい、血みどろ系のな」
「モツとか飛び出しちゃうヤツ?」
「ああ、その手の映画の面白さはピンキリだがたまに大当たりもあるんだ。それから遊園地」
「二人で乗るジェットコースターとか観覧車は最高だろうなあ、ぜひ行こう」
戦後に行きたいところを考えてみれば、以外とポンポン出てくるものだった。
いや、ラップスがいなければ戦後にやりたいことはネットでの死体探しに留まっていただろう。
愛しい彼がいるからこそ、私は真っ当な人間でいられるのだ。
彼と引き合わせてくれた運命には感謝しないといけない。
「……そろそろ、休憩時間も終わりか」
「そうだね、次は兄貴とディスメラさんと小隊を組んで哨戒しないといけないな」
東の地平線から太陽が顔を出しており、夜が明けようとしていた。
私たちは野営地に戻る前に二人でシャワーを浴びて帰ろうとする。
「……なあ、ラップス」
「なに?」
呼びかけに振り向いたラップスに軽く不意打ちのキスをし、その後に微笑みかける。
「戦争が終わったらしばらく毎日デートしよう。さっき言ったところを二人で全部巡るんだ」
「うん、約束する」
「だから死なないでくれ」
「ディスメラさんこそ」
◆
『弾幕薄いぞ! 何やってんの!?』
『はいだらー!』
『死ねよやあああああ!』
『南無三!』
『じょ、冗談じゃ……』
『お、降りられるのかよお!?』
『ヒャア、我慢できねえ!』
『その顔を剥いでやる!』
『逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ……』
『ああ…母さーーーん!』
『休む暇もあったもんじゃねえな』
『奴らは速い。この大型タイプロボディじゃ駄目だ!』
その日、私たちブレーメンズの野営地に浄化杜の部隊が大挙として攻めてきた。
奇襲を受けたブレーメンズはパイロットも歩兵も総動員で戦わねばならないほどの大軍勢だ。
昨晩ラップスと共に歩き水死体を見つけた浜辺にはたくさんの死体が転がり、ホテル代はりにしていた海の家は砲弾を喰らって木っ端微塵になった。
通信機からは敵味方の怒号が混線した回線を通じて響き渡り、モニターからは血と硝煙で彩られた生と死をかけた世界が広がっていた。
今回攻めてきた浄化杜の部隊は、何度か交戦している浄化杜幹部クライヴの部隊とミルドレッドの部隊。
どちらもエリート中のエリート部隊であり、それが手を組んで襲いかかってきたのだ。
私と回縞兄弟は哨戒任務をしていたが、それによって野営地から孤立した形で敵に包囲されるハメになってしまった。
敵と撃ちあいながらロックスが通信兵である夕露に通信を飛ばす。
『クソッ……雅機! 3時の方向にいるロボディを蹴散らせ!
ロボロン、なにモタモタしている!』
「こちらロックス! 敵に囲まれている! 誰でもいいから早く応援を送ってくれ!」
『なんとか持たせろ。今はどこの機体もそちらに送れない!』
「もう弾がなくなりかけてんだ! 早くしねえと三人とも死んじまう!」
『わかっている、なるべく早く……ちょっと待て、あれは何 バチッ』
「クソッ! あのアマ、通信を切りやがった!」
ロックスは事情を知るよしもないのだが、実は夕露は通信を切ったわけではなく、この時に敵ロボディの攻撃によって装甲車が被弾して大破していたことを私は後で知る事になる。
乗員は運良く被害を受けなかった夕露以外は全滅。
これによって通信して羅天や夕露の指揮を伝えられる大元の手段がなくなり、ブレーメンズは多大な被害を被ることになるのだが、それは後の話である。
これまでにないほどの窮地に立たされた私たちはどのロボディ小隊よりも敵の火線が集中することになる。
ロボディの残り弾薬は一割を切っており、装甲はボロボロで煙を吹き始めている。
ここまで追い詰められると流石に死体を見てエクスタシーを感じるどころではない。
ただただ三人は生き残ることに必死だった。
「今回ばかりはやばいかもしれないね……仮に俺が死んだら兄貴を頼みます。
脳筋で助平だけど、繊細で傷つきやすい良い人でただの一人の家族だから……」
「縁起でもないこというなラップス、この戦争を生き残ってデートに行く約束をしたばかりじゃないか!」
「……ごめん。俺だってディスメラさんや兄貴と生きたい」
「死ぬことを考える暇があるなら生き延びることを考えてくれ!」
「ああ!」
弱音を吐き始めたラップスを鼓舞する。
気遅れれば死ぬ……私の伴侶になる男を失いたくないから恐怖を押し殺して戦った。
だけど神様は私の願いを聞いてはくれなかったようだ。
突如、私の目の前で、ラップス機のコクピット部分の大半がゴッソリと弾けとんだ。
敵ロボディの狙撃を受けたのだ。
そして私のロボディのメインカメラに、剥き出しで滅茶苦茶になったコクピットのシートの上で肩から下が粉々の肉塊になったラップスが映った。
即死である。
ラップスの喪失に私は絶句して声を失いそうになり、逆にロックスは声の限り叫んだ。
「嘘……」
「うわああああああああああああああラップスゥーーーーーーッ!!!」
◆
その日の戦いはブレーメンズに大きすぎる被害をもたらし、これまでにないほどの多数の死者を出した。
野営地も結局捨てることになり、事実上の敗走。
皆、心身共に消えない傷を負うことになりながら、新しい野営地を探すしかなかった。
私とロックスは、救援が間に合って辛うじて生き残ったが、この戦いでロックスはたった一人の家族だった弟を失いPTSDを患った。
砲弾を聞くと騒ぎたてて何もできなくなり、まるで弟がまだ生きているような妄言を吐く様からこれ以上最前線で戦い続けるのは無理だと誰もが言っていた。
そして、私はコクピットの中で暇さえあれば……ラップスの死体を思い返しては自慰に耽っていた。
ラップスの遺体は激戦だったために回収できなかった。
今頃、蠅が集り野良犬の餌になっているのかと思うと怖気と同時に想像力を掻き立てられた。
愛した人の死に様をオカズにするなんて最低の女と思われるかもしれない。
だがどうしても手が止まらないのだ……ラップスが甘美な芸術品になってしまったことと同時に、もう本当の私を知っていても抱いてくれる愛してくれる人間がいなくなった喪失感から手を止めたくないのである。
だがいくら自慰をしても彼の温もりは帰ってくることはなかった。
自慰が終わればただすすり泣くだけである。
いや、自慰の時も泣いていた気はする。
拳銃を携帯していたので、いっそここで拳銃自殺してしまおうとすら考えた。
ネクロフィリアである自分のことが誰より嫌いであったし、愛した人はどうやっても戻らない。
恋人を奪った浄化杜への復讐も、クライヴのようなエースパイロットに勝てるだけの技量を持たない私ではやり遂げられないだろう。
今回の敗走でブレーメンズが戦争に勝利できる可能性は大きく遠のいたのだから。
だったら未練はないから死んでしまおうと思い、額に拳銃を押し当てる。
脳漿を撒き散らした自分の遺体を想像しただけでまた股が濡れてくる当たり、本当に自分自身に嫌気が差してくる。
――仮に俺が死んだら兄貴を頼みます
しかし、引き金を引こうとしたところで私は思いとどまった。
フラッシュバックしたのはラップスの遺言である。
「そうだ。私はまだ生きている。生きている限り彼の最後の家族を守らなくちゃ」
ラップスは双子の兄であるロックスを私とは違う愛情を持っていた。
ロックスは今、自分で自分の身を守れない状態にあり、あんな状態で浄化杜に襲われればひとたまりもない。
守ってあげられる人間が必要だ。
それこそ私も助力する必要があるのだろう。
「まだ生きてロックスを守らなきゃ……私が彼の愛に報いる方法は他にない」
ラップスは死んで永遠に失われた。
だが願いは叶えようとする者がいる限り生き続けていく。
私が生きている限り、兄を守りたかったラップスの願いを引き継ぐべきなのだから。
そして私は決意した。
何が何でもロックスを生かす、と。
生かすために生き続けることが、ラップスを守れなかった償いになると思えたから。
鮮やかなバーミリオンに少しの黒を足すと血の色になる。
血の色は私の好きな死体を思わせる色だ。
でも愛したあなたの思い出や願いを血の色に変えたくないから、黒はまだ入れない。
他を血の色に染めても、あなたと過ごした時間は鮮やかなバーミリオン色で保ちたい。
最終更新:2017年10月02日 10:36