──決めたのよ、女優になるって。

──景ちゃんも、同じでしょう?
辛いことだって、挫けて、砕けそうになることだって、山ほどある。お芝居は、楽しいだけじゃない。
──演技をすることは、仮面をつけることだって、誰かが言ったわ。それって、千の役を演じるなら、千の仮面を、それだけの人生を背負うのと、おんなじかもしれない。
──でも、私たち、もうそんなこと、わかってるでしょう。それでも、舞台に立ってしまう。

だから、女優に、役者になるのってね──


◆◇◆◇◆

──貴女は……生き霊になど頼らなくても、この舞台に立ち、幕を下ろすことができる……フローレンス・ナイチンゲールが、信じています!

──それが『答え』だ…旅に『無駄なものなんてひとつもなかった』。歩んできた全てが、お前の――この舞台(FINAL STAGE)の『答え』となるッ!!

──オレたちは誰でも、なりたいものになれる。そう在りたいと、あがき続けることができる!そのための勇気は、もう持っているんだ!

──僕は、僕の信じるヒーローで在ろう。命をかけて舞台に立つ君たちと同じように。『彼』が僕にそう言ってくれたように。


──『ケイ。お前の観客でいられて、良かった』


◆◇◆◇◆


ああ、わかった。
だから、役者になるってことは。

カメラの向こうで。劇場の上で。あるいは何でもない道ばたでさえ。
物語の幕が上がるときを、そして幕が下りるときを。
その両方を、精一杯に見据える。

過去だけでも、現在(いま)だけでも、未来だけでもない。
紡がれ続ける、その全てを。
人は変われる、成長し続けるということを、その刹那を。
かけがえのない一瞬一瞬を、全身全霊で表現し続ける。

どうしても、どうしてもそうせずにはいられないほど。
無数の物語を、登場人物を、その顔を、その世界の一つ一つを。
この舞台の上を、愛してしまった、そんな。

そんな人たちが、なるんでしょう。役者(actor)に。

そんな人たちが、紡ぐんでしょう。この時(act-age)を。


◆◇◆◇◆

「この世は舞台なり」と、誰かが言った。
ならば、役者であろうとすることは、一つの覚悟なのかもしれない。


夜色の中に、無数の煌めきを内包した、星空か銀河のような姿のままに膨れ上がっていた、夜凪景の生き霊。

迷いが晴れると共に、それが消えていく──いや、景と一体になってゆく。
フローレンスから受け取った剣もまた、景の胸の中に溶け込んでゆく。

ある種の「怪物」であった景は、多くの舞台を踏み、多くのことを学んできた。成長してきた。
それは、この場においても同じ。

しかし、今、彼女は、再び「怪物」に──「最初」に立ち返っていた。

夜凪景の原点にして究極。あるいはそれは、演技の、とも言い換えられるかもしれない。

潜る。潜ってゆく自分自身に、もう一度。潜る。


その時、劇場を構成する無数の「眼」は、
夢に溺れ変化を止めた無数の「心」は、
悠久に縛られし虚ろの観客たちは、
──観た。


演じる女優の周りに、次々と、人々の姿が現れていくのを。

舞台の上にいるのは、一人だけのはずなのに。

『夜凪景』という舞台に、無数の人々の姿が、立ち現れていく。


──ルイ。レイ。観ててね。



その言葉を皮切りに。


ヒゲ…黒山さん。雪ちゃん。
武光くん。真咲くん。茜ちゃん。
……千世子ちゃん。
アキラくん。
手塚監督。高二郎さんや、スタッフの人たち。
竜吾くんや千ちゃん、スターズの役者の皆。
巌さん。阿良也くん、亀太郎くんや七生ちゃん、「天球」の皆。
吉岡君、ひな、花井君、「普通」の映研友達。……それから……それから…

彼女を構成する、かけがえのない人たちの姿が、彼女の世界が、その背中の向こうに。


そして、舞台のもう片側には。


狂った庭師の亡霊の、無数の怪しき蔓草が生え伸び。

血闘に取りつかれた美貌の騎士(シュヴァリエ)の剣が閃き。

滅びを願う呪いの徒の、忌まわしき繰り言が響き。

万象を繰らんとする芸術家の、操り糸が張り巡らされ。

たった一つの椅子しかないはずの舞台が、いつの間にか、そんなものに覆われていて。
その中で、立っている。

『戦うための剣』を授けてくれた、フローレンス・ナイチンゲール。
『旅路の意味』を教えてくれた、ジャイロ・ツェペリ。
『自分で在る勇気』を見せてくれた、ヒカルド。

彼らから、受け取って。

通信を呼びかけるウィンリィ・ロックベルの声が響く。
信じて、呼び掛け続ける声が。

その声を聞きながら。

最後に、この舞台における「夜凪景」を象徴する者たち──退場していったはずの共演者たちが。

確かに、その傍らに現れていた。

北島マヤが。

イケメン仮面アマイマスクが。

そして──〈灰色の服の男〉グレイが。


『役者は揃った』。


夜凪景の、帰るべき世界。
夜凪景の、出会った世界。


景の所作の一つ一つが、二つの世界の彼らの姿をありありと実感させ、そこに現出させる。

彼らの姿が、彼らの存在が、景のすべての所作を、演技のクライマックスを、輝きで包んでゆく。


そう、そこには。


マヤと阿良也が、舞台の上でしのぎを削って、それを巌と、月影千草が眺めていたり。

黒山と雪に、ジャイロとジョニィと一緒に、馬に乗せてもらう仕事を回してもらったり。

仮面のアーティスト・ヒカルドと、謎のサムライロボット超人・トダーの試合を、映研の皆やウィンリィと観に行って応援したり。

ウルトラ仮面とイケメン仮面が競演して、はしゃぐルイとレイがいたり。

弟妹二人にまとわりつかれて、客席でやれやれとぼやくグレイに、その隣でくすくすと笑うフローレンスに、千世子の手を引いて、紹介したり───。



そんな、あり得ないはずの、二つの世界の交錯すら。



──お芝居は……誰かと出会わないと演じられなくて。でも、いなくなった人との思い出も……お芝居に出来て。
私たちが、どこまで行っても一人きりではないこと。その幸福(しあわせ)に気づくことを、お芝居と言うんだって。


命を燃やして『舞台』を演出した巌と、銀河を走る鉄道の窓、生と死の狭間の景色を通じて、交わした言葉。


──私は私の好きな自分を、私の世界を演じる。

──全部が私。全部。もう離さない。

──流した涙も、この舞台の上でなら、きっと、明日の空にかかる虹になる。

──だから、言うべきことは、さよならじゃない。




『ありがとう』




そして、女優・夜凪景は。


舞台の真ん中で、スポットライトの下で、最後に──深々と、一礼した。




──かくて舞台は、深紅の幕を下ろし始める。

それはゆっくりと、別れを惜しむように。
しかし、そっと、観客たちの背中を押すように。

誰もいないはずの王立劇場の客席に、どこからともなく、潮騒のように、喝采が広がってゆく。


喝采は、やがて、一つのうねりとなって、劇場を覆い尽くした。



凍れる久遠の門は、壊された。


終わらぬ夢だけを見ようとしていた劇場の時は、今───動き始めた。



『精神の門』ドルリー・レーン
──"閉幕"(封印完了)

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最終更新:2020年05月19日 22:51