天気の良い日だった。

 小さな小屋の縁側に、しわがれた男が座していた。畑の前ではしゃぐ子供たちを温かい目で見守っている。時折、思い出したように口付ける湯呑みに注がれているのは白湯であった。

 今日もいい日だ。

 肌を撫でる柔らかな風に心を靡かせるのは心地がいい。眠りたくなるほどで、事実その老人は隣にそっ、とかがみ込んだ妻が耳打ちするまで意識を手放す寸前だった。

「もう。気持ち良くなるとどこでもすぐうとうとするんですから」

 老人はにこりと微笑んだ。老婆はムッと膨れた。

「私はこれから子供達と、炭吉さんのとこに出かけてきますよ」

 お土産は期待しないでね、と言う老婆に、大丈夫。と返す。それは夫婦の暗黙の了解なのか、老婆は特に何も返さず、子供らを集めるとテキパキと出かけの準備をした。

「……!」

老婆は名前を呼ばれ、振り向いた。

 気をつけて。老人はそれだけ言った。呟くような声だったが、明確に老婆に、妻に向けてのものだった。老婆ははいはい、と言い、離れていく子供達はいつまでも手を振っていた。

いい日だ。

 いつのまにか、日が沈み始めていた。昼と夜の境界線。蒼く薄い空が世界に蓋をする。体が少し寒い。流石に風が冷たくなってきたか。そう思って、老人が目を擦ると、その目線を、揚羽蝶が横切った。鱗粉が星の砂のように軌跡を作る。

そして、老人は気づいた。

「……流石だ。老いてなお、平和にあってなお……お前の鋭さは増しているようだ……」

 顔を上げた老人の、視線の先に、黒い着物に白い羽織りを被せた、侍が立っていた。

「兄上……」
「久しいな、縁壱……」

 しわがれた声で、老人は名を呼ぶ。袂を分かったはずの来訪者に、しかし思った以上驚きはしなかった。今日はいい日だったからだ。ふと見上げれば、空には月が浮かんでいた。綺麗な三日月だ。

継国巌勝は、縁壱の隣に座った。

「……鬼舞辻無惨は……斬ったようだな……」
「……はい。夜通し斬り続け、朝日によって灰塵となりました」
「そうか……言葉足らずだったゆえ……心配していた」
「いえ。兄上はあの時『斬れ』ではなく『斬り続けろ』とおっしゃいました。だから、その通りにしたまでです」

 淡々と、縁壱は言った。

「兄上は……戦死なさいました」
「そうか……」

 それも、淡々と言った。しかし、その言葉にはあらゆる意味を内包している。その言葉を噛み砕き、巌勝は目を閉じた。

「その確認に来られた訳ではないのですよね」

 縁壱の声が、はっきりとした通るものになった。巌勝はああ、頷いた。

「約束を。お前と、凧揚げをしようと……思ってな。だが、お前がもし、人生を幸せに過ごせていないのなら……考えざるを得なかった。連れて行って良いものか、と……」

 巌勝は立ち上がった。闇に煌く白い羽織りが見せる。縁壱は追いかけた。その背中が、少しの悲しみを纏っていた。巌勝が振り返った。

「だが、お前は幸福だったのだな」

 縁壱も釣られた。そして見た。縁側で項垂れる老人に、老婆と、子供たちが抱きついている。その目に涙が溢れていた。老人は眠っていた。その表情は、笑っている。夢見心地にあるのだろう。老婆の顔は、しわくちゃの顔をさらにぐしゃぐしゃにして、一生懸命に泣いていた。悲しみが溢れ出していた。

「縁壱」

巌勝が呼んだ。はい、と応えた。


「お前が言ったことは、間違っていなかった。……我らは、いつでも安心して……身を引くことができたのだ。今ならわかる……遅すぎたがな」

『お労しや、兄上』

 かつて、同じ顔をした縁壱に言われた言葉。あの時は意味がわからなかった。憐憫だと、蔑む言葉とさえ思っていた。だが、違ったのだ。憐みは確かにあっただろう。だが、その本質は違うのだ。

「縁壱」

 巌勝は、縁壱に手を差し出した。

「大儀であった」
「────!!」

 縁壱は一も二もなく手を握った。張りのある肌に血が回り、重さのある肉を脈動して熱を持った。

「兄上──」


「お疲れ様でした」

 巌勝とほぼ同じ顔をした縁壱が、言った。



 二人を照らし、包んでいた三日月が山の向こうへ沈んでいく。その役目を果たしたように。朝日が登るからだ。新しい世界へと物語を紡ぐために。


 そらが青く暗くなった。
 暁の空はすぐそこまできている。
 地平線の先に、太陽が少しだけ顔をのぞかせている。
 どことなく一生懸命のようにみえた。
 世界から消えた、太陽と月の兄弟。

 偉大なる彼らの輝きに、負けぬようにと。



 ────鬼滅の刃 オールジャンル3

『エピローグ:日はまた昇る』
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最終更新:2025年05月13日 09:01