一筋の光。
夜の帳が落ちようとしている中で、一際輝くものがひとつ。
邪気に歪んだそれは、巨大な眼球であった。ぬめり、と、通常の生物ではありえないほど巨大なそれは、今まさに瞼が開かれようとしている。
酷く歪んで不気味に蠢く瞼。邪眼を封じる役目を持つそれの表皮の色は、凝固した血液にも似て。

―――怪物。
―――正真正銘の。これは人間ではない。

ギー以外に見る者がいれば。
およそ確実に、精神が硬直しているだろう。
名状しがたい恐怖が体を支配していただろう。

ギーは理解する。
四肢が動かなかったのはこのためだと。
見る者に恐怖をもたらす。
この異形は根源的なそれを従えているから。四肢も、視線さえ動かすことを許されない。

破壊、死、恐怖、叫び。
それらの全てがこれの根源を構成する。人の世に生きる者を、残らず、畏怖させる。
それはクリッターにも近しいもので―――

「……邪眼の怪物、それがお前の縋る力だと……?」

ギーは問いかける、およそ言葉が通じない眼前の女に。

「Giiii……」

返ってくるのは判別不能なうめき声だけ。もはや意志の疎通は不可能。
ギーは目を細めて見上げている。倒れるメアリと同様に肉体を石化に蝕まれながら、それでもこの脅威に屈さない。
邪眼の怪物、バロール。既にその眼は三割ほどが開かれており、いつその暴威を露わにしてもおかしくはない。
怪物。正真正銘の化け物。
そしてそれは、眼前の女も同様である。

―――化け物と人間とを分けるものはなにか。
―――それは、自覚の有無。

最初、ギーは眼前の女―――メドゥーサを人間だと認識していた。変異病に罹ったただの人間。インガノックでは珍しいものではない。
だがその見立ては間違っていた。事実、メドゥーサは変異病患者ではない、よりおぞましいナニカである。
そして彼女は既に自覚している。蛇の髪と石化の邪眼を持つ異形こそが己であり、人ではないと。
彼女の眼は爛々と輝いて。表情は恍惚として。
異形と成り果てて、こんな顔ができる。それは全てを諦めた人の形か。

ギーは知らない。
メドゥーサがかつて人間であったことを。
女神の怒りを買い、理不尽にもその身を異形とされた哀れな人間であったことを。
だが、ああ。だが、ギーはそれでも右手を伸ばすだろう。
石化の視線をばら撒くその姿からは、憎悪と殺意以外を感じ取れはしない。

―――右手を伸ばす。
バロールへ。
メドゥーサへ。
あるいは半身を石化して倒れる少女へと。

やめろ、と叫ぶ。声は出ているかどうか。
わからない。だが叫ぶ。ギーは、叫んだ。
右手を差し伸べて。

いいや、手は、動かない。
ギーもまた、メドゥーサの放つ石化の縛鎖に囚われているのだから。
伸ばした手は、動かない。
代わりに。

―――代わりに―――
―――別の右手が伸びて―――




―――右手を、伸ばす。
―――前へ。

ギーの右手は動かない。邪眼に繋がれて。
けれど右手は伸ばされた。

―――鋼で出来た手。
―――それは、ギーの想いに応えるように。

蠢くように伸ばされていく。
自由に。その手は、死病漂う空間を裂いて。
暗闇の中へ伸びていく。
鋼色が、五本の指を蠢かして現出する。
指関節が、擦れて、音を、鳴らしている。
それはリュートの弦を掻き鳴らすように、金属音を生み出す。
これは―――なんだ―――

何かがいる、誰かがいる。
それはギーの手ではなく、その背後から。

誰かが―――
ギーの背後から、鋼の手を―――!

得体のしれない畏怖にかられる。
狂えるバロールと違い未だ理性の働くメドゥーサは無意識に後ろへと下がっていた。
視界にギーを捉えたまま。

―――鋼の軋む音が聞こえる。
―――何かが、ギーの背後に、いた。

誰だ。何だ。
鋼を纏った何かが、ギーの背後に在る。
メドゥーサには、それが影にも見えた。
背後から右手を伸ばす、鋼の何かがいると。
正体はわからない。何者か。
人間。いいや、これは違う。

わからない。誰が。何が、そこにいるのか。
鋼の体躯を持つ者、まさか、そんなことはあり得ない。

鋼の影が”かたち”を得ていく。
鋼の手が動く。言葉に応えるように!
鋼の”手”を、ただ、ただ前へと―――伸ばす―――!








「喝采せよ!喝采せよ!」

混沌の溢れる天の下、勝利の凱歌を歌うが如く、楽園の夢を求めた男が賛歌の声をあげる。
予想通り、順当に、何の捻りもない結末を予期しながら、ここに地獄の釜が開いている。

「おお、おお、素晴らしきかな。
 盲目の生贄は死せず未だ混沌の渦中にある。
 現在時刻を記録せよ。
 クロック・クラック・クローム!
 俺が望んだその時だ!
 ■■■■よ、震えるがよい!
 遍く者は見るがいい。
 これこそ、我が愛の終焉である!
 夢界八層の果てに!
 我が夢、我が愛のかたちあり!」

笑う、笑う、笑う。
遥か高みにて遍く愛を礼賛する者がひとり。
それは支配者。それは愚者。盧生と呼ばれる夢の体現者。
“ぱらいぞ”はすぐそこに。
たった一人の男が夢見、実現の時を待っている。








―――鋼の右手が―――
―――暗闇を裂く―――
―――鋼の兜に包まれて―――
―――鋭く輝く、光がひとつ―――

「……お前たちに、その子を殺させはしない。
 僕は、誰も死なせなどしない。二度とだ」

既に、立ち上がっていた。
繋ぎとめる邪眼の縛鎖は”彼”が砕いている。
静かに右手を前に伸ばす。
なぞるように、鋼の右手も前へと伸びた。
数式を起動せずともギーには視えている。
脳神経を蝕む”力”を振りほどき、ギーと”彼”は魔眼の怪物を睨む。

―――右手を向ける。
―――己の手であるかのような、鋼の右手を。
―――現象数式ではない。
―――けれど、ある種の実感があるのだ。

背後の”彼”にできることは、なにか。
ギーと”彼”がすべきことは、なにか。

―――この手でなにを為すべきか。
―――わかる。これまでと同じように。

「Giiiiiii……!?」

なんだ、これは一体なんなのだ。
何を出した、その背後にいるものはなんだ?

蛇髪の女怪が唸りをあげる。
まるでなにか恐ろしいものでも見てしまったかのように。
背後に現れた”彼”が、自分たちに破滅を齎すとでも言うかのように。

「GRRRRRRR……!!」

恐慌の叫びに応じて、唸り声をあげたのは単眼の魔神。
理性なき殺意の塊が動く。巨大な瞼が持ち上がり、死病をまき散らす現象が発生する。
その根源が確かに視える。
ギーの”右目”は既に捉えている。
魔神バロールの全てを。

激痛に絶叫する空間を裂いて現れたのは、狂乱の色を湛えた神の瞳。
存在の圧だけで心身を凍り付かせ、脳を引きちぎる猛悪の眼光たるや凄まじく、破滅と殺戮に反転した黒の太陽を思わせる。
あれこそが死だ。死の集合体。
直視した者を例外なく殺す、必滅の現象。
解放された死の邪眼。
向けられる殺意の先は、ギーと”彼”!

―――不可視の衝撃が空間を揺らし、視界に入る全てを破壊する。
―――早い、目では追えない。
生身の体では避けきれまい。根源にたどり着いた到達者や、太極に至った流出者以外には。
仮に衝撃波を避けられたとしても、まとわりついた死塊の念に殺される。
しかし、生きている。
ギーはまだ。
傷ひとつなく、立っている。
バロールの邪眼が貫いたのは虚空のみ。

「GRRRR……!?」

「……遅い」

在り得ない、理屈が通らない。
死そのものとも言えるその眼光は、もはや物理的な質量すら有する。
そのバロールの魔眼を以ってしても、未だギーは健在。
その光景にメドゥーサが振り絞るような声をあげる。

「Giiiiii……!」

「喚くな」

唸り声をあげた女怪を”右目”で睨む。
バロールと同じく、あれもまた邪眼の持ち主。
その証拠に今現在もギーの体は末端から石化が進行している。
しかし生きている。
ギーはまだ死んでいない。

確かにギーだけなら死んでいただろうと思う。
しかし、今なら、鋼の”彼”がギーを守る。
死にはしない。まだ。

睨む”右目”へ意識を傾ける。
バロールの全てを”右目”が視る!

―――バロールは不滅―――
―――物理破壊は不可能―――
―――バロールの場合―――
―――唯一の破壊方法は―――
―――ブリューナクによる刺突、あるいは―――
―――眼球の完全破壊―――

「……なるほど、確かに。
 人は君に何もできないだろう」

邪眼の死、バロール。
すべてを弾く表皮と加護された肉体。
故に、確かに人間はこれを殺せない。

唯一の破壊方法はブリューナク。もしくは”邪眼”が開かれている時にブリューナクと同等の一撃を眼球に叩き込むこと。
故に、確かに人間はこれを殺せない。

ブリューナクに殺された逸話を持つが故の弱点だが、この場にそれは存在しないから。
邪眼が開かれたが最後、立っていられる人間などいないから。
けれど、けれど。
―――けれど。

「けれど、どうやら。
 鋼の”彼”は人ではない」

―――右目が視ている!
―――右手と連動するかのように!

「鋼のきみ。我が《奇戒》ポルシオン。僕は、君にこう言おう」

―――鋼の右手が持ち上がる。
―――眼前の敵を滅ぼすために。

「”王の巨腕よ、打ち砕け”」

――――――――!

―――打ち砕き、粉々に消し飛ばす。
―――鋼鉄を纏う王の右手
―――それは、怪物を破壊する巨大な塊。
―――おとぎ話の、鉄の王の腕。

押し開いた鋼の胸から導き出された巨腕の右手は、高密度の質量を伴ってバロールに激突した。瞬時に粉砕する。
叫び声を上げる暇なく、超質量に圧されたバロールは崩壊した。
眼球はおろか、全身のあらゆる部位を。
ばらばらに、粉々に、打ち砕かれて。

凄まじい衝撃を、爆砕するように残して。
木々で囲まれた辺り一帯を揺らして。

叫ぶ、悲劇の果てに怪物へと成り果てた哀れな女が泣き叫ぶ。
だが届かない。その声が到達するより先に、ギーの言葉が鳴り響く。

「”太陽の如く、溶かせ”」

――――――――!

―――切り裂き、融かして消し飛ばす。
―――炎を纏う刃の右手。
―――それは、怪物を焼き尽くす炎の右手。

返す刃でそのままに。
刃の右手は超々高熱の火炎を伴って、石化の邪眼を持つ女を包みこんだ。瞬時に溶かす。
悲嘆の声をあげる暇もなく、高熱刃に包まれたメドゥーサは崩壊した。
それまでに消滅したバロールと同じく、なんの痕跡も残さずに。

凄まじい炎の滓を、爆砕するように残して。
空間の軋む音と共に、辺り一帯を揺らして―――

―――揺らめく炎は。
―――あたりの木々に触れて激しく燃え盛る。

それはギーの予想を遥かに上回っていた。
炎は、焚き木となった木々に対し反応して、ありえないほどの燃焼を見せる。
炎が回る。
一瞬で、森が高熱に包まれる。

鋼の腕で僅かに残った石化の縛鎖を引きちぎり、意識を失ったメアリの体を抱えて走る。
退路は存在した。未だ火の回りが遅い一角を見つけ、そこから森の外に脱出する。

これにて一つ、悪夢は終結する。
己の腕にある小さな命の感触を確かめつつ、ギーは森から遠ざかるように走り続けるのだった。


【バロール@ケルト神話 死亡確認】
【メドゥーサ@ギリシャ神話 死亡確認】


【一日目・夜:エリアX-X 森へと続く道】

『ギー@赫炎のインガノック』
【状態】体の末端が石化(治癒中)、疲労(中)。
【装備】なし
【所持品】基本支給品一式、医療道具一式。
【思考・行動】
0:森から遠ざかる。
1:もう二度と人を殺さないし、この手にある命を取りこぼしもしない。
2:クリッターや怪物の類は見つけ次第破壊する。
3:ペガサスの意志を引き継ぎ、この殺し合いを破壊する。
4:メアリと自分の治療。

『メアリ・クラリッサ・クリスティ@漆黒のシャルノス』
【状態】気絶、体の4割近くが石化(治癒中)、疲労(大)、精神疲労(小)。
【装備】なし
【所持品】基本支給品一式、本マグロ@現実
【思考・行動】
0:気絶中。
1:誰かを殺すなど考えられない。
2:ペガサスの意志を引き継ぎ、殺し合いを破壊する。
3:ギーと同行。

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最終更新:2014年07月08日 12:20