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「実はスティックを折っちまおうかと思うんですけど」

部屋へやってくるなり翠星石はそう言った。手には愛用のドラムスティックが握られている。
毎回こんな感じで翠星石の発言と行動は読めない。どうやらまたややこしい事態になりそうだった。
蒼星石は買ってきたばかりで読みさしのベースマガジン最新号を閉じた。しばらく続きはおあずけだろう。

「……どうしたの藪から棒に」
「お、スティックだけに棒とはなかなかやるですね」

藪からスティック! などと言いながらしゅばばばばば、と巧みにスティックをさばく翠星石を見ながら、彼女がドラムを始めたばかりの頃、まずまっさきにスティック回しから練習を始めていたことを思い出す。

あれからもう2年ほどになる。楽器を始めてからというもの実に色々なことがあった。
職人の数だけ色々なことがありすぎて正直記憶が定かで無い。
それはそれとして。
「スティックを折る」ということはつまり、「画家が筆を折る」のと同じ意味だろうから、

「もうドラム、やめるってこと?」

いつの間にかもの凄い高速スティック回し(両手)で強風を巻き起こしだした翠星石に確かめる。
その横顔はらしくなく、うつむき加減で暗く見える。
翠星石は視線を床からこちらへ向けて手を止め、吐く息とともに、

「……わかんねーです」

と言った。たいていのことなら即断即決の翠星石が悩んでいるということは、話は簡単には済まない。

「一体何があったの?」

その問いかけにも翠星石は黙りこんでいる。手に握ったスティックを見つめて、動かない。
こういうとき翠星石は必死に言葉を探しているのだと、蒼星石は知っていた。
自分の中で簡単に説明できること、わかることなら問題にならない。
だから他人に話し、話そうとすることで自分の中にあるものを形にしていく必要がある。
思えばこの2年間で翠星石や真紅たち仲間とともにつくってきた音楽というものも、同じかもしれない。
翠星石の言葉を待ちながら、蒼星石はそんなことを考える。
他人に語りかけ、自分にも知らせる、言葉にならない想いを、音という形にしていく。
どちらも、それは自分の中にあるものの「より近く」を目指す試みだ。
では言葉にできることと、音楽にしかならないものの違いは一体何だろうか……。


ここ数日空は晴れ間を見せず、窓の外はまだ昼過ぎだというのに薄暗い。
予報では今夜から明日にかけて雪が積もるかもしれないということだった。

「ねえ水銀燈、あなたなんだか変よ」

自分へ向けられた言葉に、めぐの方を振り返る。
ベッドの上で身体を起こしているめぐの顔色は白く、見るからに血の気が無い。
だというのに、やわらかく微笑んだ表情だけは崩さずにこちらを見つめていた。

「薔薇水晶が言ってたわ。最近ギター、触ってないって」

薔薇水晶。いつの間に来ていたのか、そういえば花瓶の花が入れ替わっている。何色かのガーベラの花。

(あの娘、余計なことを)

水銀燈は内心で舌打ちした。めぐが入院してからというもの、一度もギターに触れていないのは確かだった。
この病室に通いつめているせいもあるが、それ以外の時間があっても、ギターを手に取る気にはなれずにいる。
めぐには知られたくなかったことだが、薔薇水晶に特に口止めしていなかったのがいけなかった。その無口をあてにしていたのだけど。

「ねえ、どうして?」

めぐの問い。答えないわけにもいかない。
「あなたがこれから手術だって時に、ギターなんて弾いてられないわ」
また窓の外へと向き直り、水銀燈は言った。それが理由だった。が、それで全てを説明したわけでもない。

「じゃあ、手術が無事に終わったら……?」

またギターを弾くのか。
それこそ、今一番考えたくないことだった。

「……わからないわ」

口をついて出たのは、その本心を隠した言葉だった。

「そう」

それ以上、めぐからの追求はなかった。
めぐが、寂しそうにうつむいてしまったのが窓ガラスに映っている。

手術が終われば、めぐはもうこれまでのようには歌えなくなる。
今まで無理を通してステージに立ち、歌い続けてきたその反動だった。
きっと、めぐは生命力のようなものを削って、それでも歌ってきたのだと水銀燈は思う。
めぐの歌声には他の誰も持っていない何かがあった。
その響きが、音楽の価値など何一つ認めていなかった水銀燈の意識を、180度変えてしまった。
だからこそ、めぐと一緒にこれまでやってきた。めぐがくれたギターを、必死で練習して、覚えて、ステージに立った。
その日々が終わる。いや、もう終わったのだ。
それは、突然過ぎて、でも予感のようなものはあって、だから今でも実感が無かった。

目を閉じると、胸のうちには、ただ何の手がかりもない空白だけが広がっているように思われた。
そこにいては、自分が何を感じていて、何を思えばいいのかも判然としない。
目を開けると、外ではいつの間にか細い雨がふりはじめていた。
この雨が雪に変わるのだろう、と水銀燈は思った。


新曲の作曲作業は難航していた。
真紅はハミングバードのボディをこつこつとピックで叩きながら、自分のベッドの上で春巻き化している雛苺に声をかけた。

「雛苺、もう一度よ。出てきて布団を元に戻しなさい」

呼ばれて、丸まった布団の端から雛苺が顔だけを出した。
芋虫のようでかわいらしいのだが、表情を見るとそんな感想を告げている場合でもなさそうだ。

「う~、もう疲れたの。のどが渇いたの。イチゴソーダ飲みたいの」
「さっき20杯くらい飲んだでしょう。さ、もう一度よ」
「え~ぅ~、やなの~」

ぼいこっとなのー、と叫びながら雛苺はまた布団の中にもぐってしまった。こうなるとなかなか出てきそうにない。
新曲のアタマから未完成のメインパート直前までを30回ほど連続で歌わされて、さすがに雛苺も辟易しているようだ。

「もう、困った子ね」

しかし雛苺が抗議するのも仕方ないかもしれないと真紅は思った。
これまで一つの曲を作る時にここまで行き詰ったことがなかったために、むきになって何度も同じところでぐるぐると周っている状態になっている。
そのまま同じことを続けても進展は見られないかもしれない。
そういうことをどこまで考えているかはわからないが、雛苺の春巻き状態も現状への素直な感覚の表明かもしれない……。

「イ~チ~ゴ~ソ~ダ~」

などと考えていると布団の中から雛苺のうめき声が上がった。……やはり考えすぎだったようだ。
一気に力が抜けた真紅はギターをスタンドに置いて椅子から立ち上がると、ベッドに行って雛苺が丸まっている横にぼふっと腰を下ろした。
その気配に雛苺がまた顔を出した。

「ぷは……どしたの真紅」
「やっぱりしばらく休憩にするわ」
「イチゴソーダ!?」
「はもう品切れよ」
「ぇ……がっかりなの」
「あとで紅茶を淹れてあげるわ」

そんなやり取りでなんだかますます脱力して、真紅はそのまま仰向けに寝転んだ。

「うまくいかないものね」

そう呟いて天井を見つめていると、雛苺が布団から(ようやく)出てきて、何を思ったのかお腹の上に頭を乗せてくると、「えへへ」とこちらに笑いかけた。
真紅はつられて思わず笑ってしまった。髪を撫でると、雛苺は気持ちよさそうに眼を細めた。
それだけのことなのに、なんだか淀んでいた空気や頭の中で凝り固まっていたものがすっとどこかへ抜けていってしまったような気分だった。

「ごめんなさいね、雛苺」
「ほ?」

虚をつかれたのか変な声をあげた雛苺がおかしくて、また少し笑ってしまう。

「……少し八つ当たり気味だったかもしれないわ」
「そうなの?」
「最近皆で集まって音を出していなかったものね」

ここ2ヶ月というもの、バンドのメンバーである真紅、雛苺、翠星石、蒼星石、自称マネージャーの金糸雀……全員が学外で集まる機会は一度も無かった。
各自が薔薇学の内部進学試験、『RosE(Royalone's Examination)』に向けて勉強中だったからだ。
エスカレーター式の薔薇学ではあるが、進学のためには普段の成績に加えてこの『RosE』においてもある程度の得点が必要なのだ。
外部受験ほどではないが生半可な対策で乗り切れるレベルでもない……という絶妙な関門に阻まれて落第し、学園を去る生徒も毎年数名程度は出るらしい。
バンド活動を始めてからというもの見る間に成績の下がった翠星石は蒼星石のサポートで試験勉強の日々、真紅と雛苺もお互いの苦手分野を教えあったりと暇ではない。
作曲が行き詰ったときに他のメンバーの意見を聞きながら、または全員で音を出しながら進めることのできない今の状況は、考えてみればこれまでにない。

(全員で演奏したときに、どういう音になるのかがわからなければイメージも固まらないのね――)

曲に関してメインのアイディアを出してきたのは自分と蒼星石だが、やはり曲を「作って」きたのは全員の力だったのだ。
そんなことに改めて気づかされる。してみると今日のような日でも、収穫はあったわけだ。

「翠星石たちは、今ごろ何をしてるのかしら」

ふと気になってそんなことを口にすると、雛苺が起き上がって、今度は隣に寝転んできた。

「きっとがんばってるのね」

耳元で雛苺が言う。吐息が耳にかかって少しくすぐったい。

「きっと翠星石たちも音楽したいのよ。けど、がんばってるの」

なんとなく言い聞かせるような、翠星石たちが自分達と同じように少し退屈にしている気持ちが伝わってくるような言い方だった。
その感じは真紅の中にあった無意識の焦りを……曲を作らなければ、という気持ちを不思議とやわらげてくれた。

「無理することはないものね」

そう言って微笑むと、雛苺も眩しいほどの笑顔で、「うん!」とうなずいた。
そしてやおら起き上がると、

「あのね、こういう日はね、何かいつもと違うことをするのよ」
「……例えば……どんなことかしら?」

なんとも言えず不穏な予感がして聞いてみたところ。

「真紅も一緒に春巻きするのー!」

え、ちょ、やめ、と言う間もなく、雛苺は布団をムササビのように広げて飛び掛ってきた。

「やめなさい……雛苺!ちょ、あ、駄目……ッ」
「息抜きなのー!」

あまり乱暴に振り払うわけにもいかず、それでも必死に布団の中でもがいたが、抵抗むなしく雛苺に抱きつかれてついに身動きが取れなくなる。
このまま横に転がって無様な春巻き二人前の醜態を演じることになるのかと半ば諦めがついたその時。

コココン、と部屋のドアが素早くノックされ、間を置かず勢いよくドアが開いた。
反射的にそちらを見た真紅の目に映ったのは、

「おっじゃまー!作曲の方はうまくいっ……て」
「おい真紅、差し入れ買ってきてやった……ぞ」

目が合った。

「あ……」

部屋に踏み込んだそのままの格好で金糸雀と、買い物袋を抱えたジュンの二人が開け放たれたドアのフレームの中、かっちりと静止していた。
二人から見れば、薄暗い部屋の中、(外が暗くなってきていたことに気づかなかった)乱れたベッドの上で服も乱れた自分に雛苺が抱きついている様子は、

「あー……ほ、ほんとにお邪魔だったかしら?」
「ま、……まさか二人がそんな関係とは思わなくてだな」

そう見えたとしてもおかしくないのかもしれない。

「……すさまじい誤解なのだわ」
「真紅を春巻きしようとおもってたのよ」

雛苺が口を挟む。

「しようと思ってた、って、まさか雛苺が攻めかしら!?」
「は、『春巻き』って……一体どんな未知のプレ」
「い、いい加減にしなさいッ!!!」

その後、怒れる真紅によって雛苺はお茶汲み及び給仕係の刑、金糸雀はベッドメイク係の刑、ジュンは真紅専用マッサージ係の刑と、各自たいそう重い罰を与えられたのだった。




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最終更新:2008年06月09日 01:44