折りしも1967年、初めて彼女達のアルバム "The Maidens" が発表された。
アルバムは11曲を収録し、リストはこのような順番にならんだ。
1. Break on through
2. Soul kitchen
3. The crystal ship
4. 20 century fox
5. Alabama song
6. Light my fire
7. Back Door man
8. I looked at you
9. End of the night
10. Take it as it comes
11. The End
ファーストアルバムで "The End"というのも凄いものがある。例えリストの最後の位置だとしても。
アルバムは、まずそのジャケットが市井の人々の目を惹いた。
アンティーク・ドールな格好の少女たち。
真紅、水銀燈、雪華綺晶、翠星石が四人並んで映っている。
人形のようにキュートな容姿の彼女達が、町で話題となったのだ。
このとき一部の人々は、"姿だけが売りの、ただの美少女をかき集めた安っぽいバンドだ"と予想したが、アルバムの収録されたその一曲目を聞き、「ナニ!?」と彼らの脳髄を衝撃が打った。
記念すべきアルバムの一曲目は Break on though(突き抜けろ)。
現実世界を脱退したい全ての若者に呼びかける、向こう側の世界に突き抜けるんだ、とボーカルが叫び続けるアグレッシブな曲で、バンドの音楽の方向性を示した曲ともいえる。
You know The day Destroy The Night
(あなたは知っているのでしょう?)
Night divides the day
(昼は夜を壊し、夜は昼を裂くってことを)
Tried to run
(逃げても、)
Tried to hide
(隠れても、)
Break on through to the other side
(nのフィールドに突き抜けなさい)
Break on through to the other side
(nのフィールドに突き抜けなさい)
Break on through to the other side , yeah
(nのフィールドに突き抜けなさい、さあ)
雪華綺晶は"その向こう側の世界"を"nのフィールド"と呼んだ。
一曲目からこんな用語が解説もなしに出てくるのだから、イカレている。
「"nのフィールド"の入り口はたくさんある。いつだってどこだって出入りできるところです。何かを映し出す鏡、誰かが万物の根源とした水の面、人の夢のなかにまである。」本人は語る。「私たちはその世界をあなたがたに紡ぐ糸車のような存在といえるのかもしれない。そこは文明の新しい辺境地帯ともいえましょう。」
Chased our plea here
(言い訳だけ追い求めて)
Dug our trea there
(そこで宝物を見つけて)
But can you still recall
(けれど思い出せましょう?)
Time we cried
(私たちが泣いたあの時を)
Break on through to the other side
(nのフィールドに突き抜けなさい)
Break on through to the other side
(nのフィールドに突き抜けなさい)
そう誘いかけてくるボーカルの、なんとエロティックに悪魔的に響くことか。
彼女の声は、まさに"the other side"へのいざないである。
Everybody loves my baby
(すべてがわたしの娘を愛している)
Everybody loves my baby
(すべてがわたしの娘を愛している)
She get
(あの子は)
She get
(あの子は)
She get
(あの子は)
She get
(あの子は)
High!
(ハイになる)
I found an island in your arms
(あなたの腕に島国を見つけ)
Country in your eyes
(瞳に世界を見つめる)
Arms that chain
(腕は鎖のように紡ぎ)
Eyes that lie
(目は嘘をついている)
Break on through to the other side
(nのフィールドに突き抜けなさい)
Break on through to the other side
(nのフィールドに突き抜けなさい)
Break on through, ぁあオッ!
ぁぉっ。, yeah!
アルバムを購入した者はジャケットから伺われた彼女達の美しく気丈な姿から、清純な曲が聴けると期待するのがほとんどだった。
しかし一曲目からボーカルがあえぎまくるや、堕落した酒場のような雰囲気を持つ Alabama Song など、はやくも彼女達のバンドに "狂気" のイメージが付き始める。
とくにアルバムのエンディングを飾る The End は、"父を殺し、母と交わる"という内容から物議をかもし出した。デビュー当時、この歌詞の意味はそのままの意味で捉われ、「母子相姦とホモセクシャルを歌う過激なバンドだ」などと評された。
しかし、このアルバムにはファーストにして本当にさまざまなタイプの曲があり、実に内容が濃い。
例えば彼女達のイメージにより立ち帰っている曲といえる、美しいバラードの"The Crystal ship(水晶の舟)"。
透き通った詩を持つこの曲は、ケルト神話を元に作られていることでも難解だが、真紅の奏でるピアノの美しい間奏や、囁くように歌う綺麗なボーカルの声など、清純な魅力満載の曲といえる。
だがなんといっても、このアルバムで聴く者を夢中にさせたのは6番目のトラック"Light my fire(ハートに火をつけて)"だった。
雪華綺晶が嫌ったノリのいいポップなラブソング。
万人向け、という要素も含んでいるが、他とは決定的に違うものがこの曲にはある。
それがこの曲の持つ、"私たちの愛は火葬と燃え上がるでしょう" という、普通のラブソングにはまずありえない口説き文句の毒である。
要するに一緒に焼死しよう、と溺れるようなメロディーで誘ってくる、危険で心中のような歌。
それが市井の人々に熱狂的に受け入れられた。
なぜこんな内容を持つ曲が人気を得てしまったのか。
実はこの毒がむしろ、当時の人々のツボを刺激してしまっていたのだ。
というのもこの時代のアメリカ、将来ベトナム戦争への兵役を兼ねて苦悩する、いわゆるヒッピー層と呼ばれる若者たちが数多くいる。
そういった若者のフラストレーションに、The Maidens の退廃的な音楽は返って甘味な毒となって応えていたのである。
元々万人向けのノリを持つ曲に、雪華綺晶が蒼い緊張感を織り交ぜ、それを真紅が積極的にオルガンでドラッギーに表現したことなどが重なって、結局成功作になったのかもしれない。
こうした人々の声に答えて、バンドは Light my fire をシングル・カットすることになる。
ところが、このときある条件がついた。
「中盤のソロ・タイムをカットしたラジオ・エディットにすること」。
そう、Light my fire は7分もある長い曲で、シングルにするには時間的に問題があったのだ。
なぜそこまで長いかというと、曲が始まってから1分から5分の間、ボーカルなしのインストゥルメンタル・ソロが長々と流れ続けるからである。
真紅達は Light my fire はそこにこそ売りがあると自負していたので、そこをカットして短いものを作れといわれた時には、
「三分版の Light my fire なんて何のための曲なのか分からなくなってしまう!」
と反対したが、そうしなければラジオ曲にもオンエアしてくれないときたもので、結局苦渋の選択の末、Light my fire は七分から三分版の短いものに編集された。
ところが思いもよらなかったことに、この三分版がまた人々に爆発的に人気がでてしまう。
あれよあれよといってるうちに、Light My fire は1967年7月29日のビルボード誌のシングル・チャートにて、全米1位を獲得するという、新人としては異例の快挙を成し遂げた。
この勢いに後押しされて、バンドは急激に人気を高める。
エレクトラ・レコード社のロス・チャイルドは調子に乗って、The Maidens のアルバムの宣伝を大々的にサンセット大通りに飾った。レコードの宣伝が大通りを飾るという事態はアーティスト界でも史上初である。
そういった宣伝も功を成してか、アルバムは100万枚売れ、ミリオン・セラーを達成してしまう。
そして、ついにバンドはTV番組に招待されるまでに至った。
"エド・サリヴァン・ショウ"である。
アメリカCBSで放送されるこれはバラエティー番組であるが、番組はそのゲストとして様々な著名人を出演させてきた。
最も有名どころなのが、1964年2月9日に番組に出演したビートルズだ。ビートルズは三週間連続にも至ってエド・サリヴァン・ショウにゲスト出演をしてきた。他にもローリング・ストーンズなど、当時のロック界のトップともいえるようなメンバーがこの番組に出演している。
その番組にアーティストとしての真紅達が招かれたということは、紛れもなくそういったバンドに彼女達が並びつつあるという、にわかには信じがたい現実を示していた。
大喜びした真紅達は、当然その演奏する曲として今もっともブレークな"Light my fire"を選ぶ。そんな仲間たちを尻目にしながら、雪華綺晶は心のなかで泣いた。
自分はあくまで詩人を目指している者であり、ポップスターな歌手というような自象は望まなかったのである。
最終更新:2008年06月06日 16:45