Story 酔いman 氏
時間は午後に差しかかる頃だろうか、私は空を見上げてみた。
今にも雨が降ってきそうな色合いをしている。真っ白だ。
こうして目前に広がる海も山も真っ白に覆われている。ただ大きな橋を渡っていく車の
テールランプが乳白色に覆われた海の向こうに人が住む陸地があることだけを教えてくれる。
風も無い白い霧に覆われた海から汽笛が1つ2つと聞こえてくる。
私の足元をほんの1時間ほど前まで激しく降っていた雨水が音を立てて側溝を流れ、色が消えた海へと
注がれていく。小さな泡が海面で生まれ、そして音も無く弾けて雨水は母なる海へと同化していく。
私はその一連の流れをこの色の消えた街でただぼんやりと見ていた。
きっと足元を流れていく雨水はあの街から悲しみや虚しさなどを海へと流しているんだと思うと
自分らしくないセンチメンタルな考えに少し笑いがこみ上げてきた。
「ふふっ、らしく無いわねぇ…」」
出した声は海へと注がれていく雨水より小さく、そして弱く、この白い霧の中へと消えていく。
私は止めていた足を退屈が蔓延しているだけの学校へと向けてなんら意味を持たないような虚ろな
足取りで歩き始めた。
ちょっと前に小降りになった雨はよく見ないと雨なのか霧なのか分からないね。
たぶんこの静かな教室でそんな外の変化に気付いたのは私だけだよ。
先生が黒板に書いた文字を真面目に
ノートに写しても、数学の公式なんて分からないもん。
いちおう教科書とノートは広げてるけど、教科書のページは30分前から進んでないよ。えへへ。
薔薇水晶は静かな教室の中でチョークが黒板に当たる音から逃れるように意識を学校の外に向けていた。
そこは白く曇った細い霧雨が音も無くしたたり落ちている。それはまるで音の消えた無音の世界にも見えた。
校門の前をワイパーを動かしながら通過していく白い車、電線から飛び立つ小鳥さん。
あの小鳥さんはきっと雨の向こうに飛んでいったのかなぁ?
白く曇った空が私の大好きな海を隠しているね。きっと小鳥さんはその海の向こうの島に
行っちゃったんだね………あれぇ、あの人は?
白い霧状の雨の中を傘もささずに1人の少女がフラリと校門から入ってくる。
長い髪の毛を濡らしている。その銀色の頭髪がまた周囲の色と同化しているのか、それとも力なく
歩く彼女がそう見せているのか、とにかくその少女は美しさと言うよりも、幽玄に近い雰囲気が感じられた。
ふんっ……まだお昼休みじゃないみたいだわぁ
静まり返った校舎に入った水銀燈は濡れたと言うよりも、霧雨で湿った髪をかき上げると、次に制服に
付着している雨粒をパッパッとはらう。
まぁ、この暑さならすぐに乾くわねぇ
スカートの表面についた水滴を両手で払いのけながら、今は誰も使っていない文芸部のドアを開けて
中に入る。そこは美術室の隣にあるため、石膏で出来た胸像や、卒業生が残していった油絵などが
壁際に置かれている。ただ元文芸部だったという名残はスチール製の安っぽい本棚が3つだけ。
その本棚に隠れるように床に座ると、ポケットから携帯音楽プレーヤーを取り出す。
イヤホンをねじ込むように耳に入れ、ボタンを押す。
~~~♪♪ ~~~☆♪♪
~~~♪ ~~☆~~♪
朝起きたら酷い頭痛がした。このまま学校を休んでやろうかと思ったけれど何となく足は学校へと
向かっていた。途中で自分らしくない思いに少し笑ったけど、こうして学校に来ても誰も居ない
文芸部の部屋の隅で世間から隠れるよう身を小さくしてる。
これだと自宅の部屋でいるのと変わらない。外を見ても今日は色が消えた白い世界だ。
空気すら重さを感じるくらいジメッとしている。だけど私はこの曲を聴いている時だけは一人じゃない
みたい。私なんかとは住む世界が違う憧れのミュージシャン、お気に入りのロックバンド、ローゼン
メイデンの真紅の唄を聴いている時だけ心が弾みだす。そうだ、もっと大きく、もっと深く感じたい。
ーーーー♪ーーーー♪♪ ーーーーー!?ーーーー♪♪
ーーーー♪ーーーー♪♪ -----!?----♪♪
ボリュームを上げる毎に水銀燈の意識は退屈から離れていく。立てた膝の上で指が踊りだす。
先ほどの憂鬱さもどこかに消え、水銀燈の中で街に色彩が戻ってきた。
ふむむむっ…あと3分……2分…もうすぐチャイムだぁ
午前の授業が昼休みのチャイムと共に過去になると、教室の中は一気に騒がしくなった。
「ねぇ、私のお弁当と交換しない?」
「いいよ~。でも私のお弁当、コンビニ弁当だよ」
「えぇ、マジぃ?」
「マジマジ、今朝ちょっと寝坊しちゃって~~」
そんな声を背中に薔薇水晶は鞄から小さなランチボックスを出すと、飛び交う声を避けるように
教室から出て行こうとする。
「寝坊って、どうせ彼氏と一緒にいたんじゃないの~?」
「あれ? 分かった? アハハハ~~。あっ、ちょっとぉ~、お茶をこぼすところだった
じゃない。気をつけてよね~?」
「…あっ…う……ゴ、ゴメンなさい……」
机を寄せあって座るグループの後ろを通りかかった薔薇水晶は女生徒の背中に軽く接触してしまった。
その女生徒は振り向きながら、やや眉を吊り上げた表情で注意を促す。それに対して薔薇水晶は視線
を落としながら小さな声で謝り、足早に教室を出て行った。
…むぅ……お腹ペコペコだぁ……
薔薇水晶は人を避けながら廊下の窓際を歩き、そのまま階段を下りていく。美術室の前を通り抜け、
となりの誰も使用していない文芸部の部室へと入っていった。
今日のお昼は…お、おにぎりと、から揚げだぁ、タコさんウインナーも入ってるもん…えへへへ
埃で薄汚れた白いカーテンに閉ざされた文芸部の部室は今日みたいな雨空ではより暗く、陰湿な雰囲気
すら感じられる。しかし、他の人とうまく接することが苦手な薔薇水晶にとってこの部屋にいるほうが
気が楽なのだろう。床にペタンと座った薔薇水晶は両手を合わせて小さくペコリと頭を下げた。
「いただきます……」
おにぎりとウインナーを交互に口へ運ぶと、とたんに小さな頬はハムスターのように膨れた。
…むぐっ、ん…ん…もぐもぐ………ごっくん………むむぅ、お茶、買ってくるの忘れちゃった……あれ?
口いっぱいに頬張っていたものを飲み込んだ薔薇水晶の耳に聞き覚えのあるメロディーが微かに聞こえた。
始めはキョトンとしていた薔薇水晶だったが、そのメロディーがどこから聞こえてくるのか探しだす。
床に座ったままキョロキョロと首を動かしてみると、どうやら本棚のほうから聞こえてくるようだ。
ん~~?……えぇ~っと………
ここからでは音源は本棚で見えない。薔薇水晶は食べかけのお弁当をそのままにして、近づいてみた。
ーーーー♪ーーーー♪♪ ーーーーー!?ーーーー♪♪
ーーーー♪ーーーー♪♪ -----!?----♪♪
あっ、この曲、知ってるよ…ロ、ローゼンメイデンだ…映画の主題歌になってる曲だー。
だ、誰が聴いているのかなぁ……?
本棚の陰から微かに聞こえてくるローゼンメイデンの曲に薔薇水晶はニコリと笑いながら、誰が聴いている
のか確かめずにはいられなかった。そっとすり足で近づいた薔薇水晶は身をかがめて本棚の奥を見てみる。
あ、あれ? あの人は……う、うわぁぁ、す、水銀燈だぁー………
本棚の奥には壁に背中をひっつけて座っている水銀燈の姿があった。長い銀髪を霧雨で濡らした水銀燈は
抱えた膝に顔を埋めている。一瞬泣いているように見えたが、長い髪の切れ間から覗く水銀燈の口元は
小さな笑みを作っている。立てた膝の上で細い指がトントンとリズムを刻んでいる。
…あれぇ? 泣いてないやぁ……
本棚の陰から覗く薔薇水晶は普段では見ない水銀燈の笑顔を珍しさの眼で見ている。
それもそのはず、水銀燈という女性は意識してなのか、それとも普段からそのような雰囲気を持っている
のか、とにかくクラスだけでなく学年を通して他の生徒との関わりを拒絶しているようなところがあった。
艶やかな銀色のロングヘアーに、どこか冷めた突き刺すような瞳。
口数は少なく、たまに話すと人を小バカにしたような口調も飛び出す。そんな水銀燈は見た目には
ハッと息を呑む美しさをもっているが、それは10代の少女がもつ可愛らしさとは違ったものである。
よって何時からなのか、それとも始めからなのか、とにかく水銀燈は一人でいることが多かった。
当然、薔薇水晶も水銀燈と関わりをもったことはないし、持とうとは思っていなかった。
とにかく薔薇水晶にとって水銀燈とは怖い人というイメージしかもっていないのである。
…す、水銀燈も笑うんだ……でも…
イヤホンから洩れるローゼンメイデンの曲と、抱えた膝に隠れた水銀燈の笑みは薔薇水晶には
どこか寂しく映り、いつもの怖いイメージしかない水銀燈が少しだけ身近に感じた。
ton ton ~♪ ton ton ton ~~♪
水銀燈の指はローゼンメイデンの軽快なメロディーを体現するかのように軽やかにリズムを取っている。
薔薇水晶は本棚から顔をチラッと覗かせていたのが、いつの間にか体が半分ほど本棚の陰から出ていた。
ガタンッ パタパタッ バサッ!!
無意識に伸ばした薔薇水晶の手が本棚に触れると、申し訳程度でしか立てかけられていない数冊の本が
ドミノのように倒れ、A4サイズほどの本が床に落ちた。
…あぁぁ!?
ん? 何、なんなのぉ?
本が落ちたことで床に積もっていた埃が四方の宙を漂う。
そんな中、水銀燈は耳にはめたイヤホンを抜くと、膝にうずめていた顔をゆっくり持ち上げる。
「誰ぇ?」
先ほどまで笑みを浮かべていた顔は消え、今はジロリと薔薇水晶を見据えている。
水銀燈の冷たい視線をうけた薔薇水晶の顔は驚きを通り越し、いまにも泣きそうになった。
「あなた誰よ? 私になにか用なのぉ?」
「…あっ……あぅ…むぅ………」
「はぁ? なに言ってるか解かんないわぁ、はっきり喋りなさい」
「…うぅ……わ、私は……ば……ば、ばら……すいしょう……」
「ふぅ~ん、で、その薔薇水晶が私になにか用でもあるの?」
「…えっ……い、いや……うぅ……べ、別にない…です」
「何もないのにどうしてここに居るのよぉ?」
「…うぅ、お、お昼………」
「はぁ? お昼がどうしたのよぉ~?」
どもりがちな薔薇水晶の口調が気に障ったのか水銀燈は顔にかかる湿った前髪を指で
すくう様にかき分け、薔薇水晶の目を見つめたままフラリと立ち上がる。
それを見た薔薇水晶はなおもどもりながら2歩3歩と後ろに下がった。
「だからお昼がどうしたのよぉ? はっきり言いなさいよぉ」
「……た、食べる……た、タコさん…………ウインナー……」
「はぁ? マジ意味がわかんないんだけどぉ~? もしかして私をバカにしてるのぉ?」
「……あぅ………ち、ちが……」
水銀燈の足が1歩前へ出るごとに薔薇水晶は2歩3歩と下がる。ほんの数秒ほどで、さほど
広くない文芸部の部室のほぼ真ん中あたりまで下がった薔薇水晶は目に涙を浮かべながら小さく
つぶやいた。
「……ご、ごめんなさい……」
「はぁ、なに謝ってん」
「…ごめんなさい、ごめんなさい…ごめんなさい」
「ちょ、ちょっとぉ、なに泣いて」
水銀燈が言い終わるまえに薔薇水晶は部室入り口まで下がると、最後に消え入りそうな声で
「ごめんなさい」とだけ言うと駆け足で出て行った。
「ったく、いったい何んなのよぉ。いきなり泣き出して…」
かきあげた前髪がまた音もなく顔にかかる。一人でドアが閉まった部室の入り口をじっと見る。
ほんの少し前まで水銀燈の中で蘇っていた色彩が急速に色合いが薄らいでゆく。
また乳白色に覆われた今日の空模様のように無機質で透明な虚無感にも似た感情が広がっていく。
そんな水銀燈の視界に何やら広げた食べかけのランチボックスが映った。
おにぎりが2つ、から揚げが3つ、そしてタコの形をしたウインナーだけが不思議と色合いを残している。
「ちッ……」
小さく舌打ちした水銀燈は、かろうじて色彩が残ったランチボックスをただ無性に沸き起こる苛立ちを
感じたまま無言で見つめていた。
ど、どうしよう? 水銀燈を怒らせちゃった……叩かれるかな? どこかに呼び出されるかな?
ト、トイレ? それとも…た、体育館の裏とか? こ、怖いよぉ………
その日の午後はそのような悩みばかりが薔薇水晶をより臆病にさせた。とりわけ休み時間中などは
いつ水銀燈が呼びに来るのかと内心ビクビクしていた。
だが、そんな懸念もその日の授業が終わり、何事もなかったかのように家につくと、
自分の部屋のベッドの上で腰をかけ、ほっとしたのか、ゴロリと横になった薔薇水晶は
子猫のように丸くなって眠った。
……ふぅむむぅ………私、寝ちゃってたみたい…
一時間ほど眠っていただろうか、薔薇水晶はベッドにちょこんと座り、足をブラブラさせながら
大きなアクビをする。
「ふあぁぁ~~あ………お腹すいたな………あッ!」
空腹感を覚えたと同時に何かを思い出した薔薇水晶はブラブラさせていた足を止めると、すぐに
部屋に放り出したままの鞄の中身を覗き込んだ。
「あぁ…お、お弁当箱……忘れてきちゃったみたい………」
床にペタンとお尻をつけた薔薇水晶は小さく「むむっ」っと唸りながら、文芸部の部室で起こった
ことを思い出し、小さな声は悲観にくれた声に変わった。
「んん~……あ、あの時、忘れたんだ……」
水銀燈の冷たい眼を思い出した薔薇水晶は諦めにも取れるため息をハァ~と弁当箱の入っていない
鞄に向けてなげかけた。
ピピッ ピピッ ピピピピッ ピピピピピピピ~~~
安っぽい電子音がじょじょに大きくなっていき、やがて焦りすら感じられるような
断続的に続く音に変わりだすと、薔薇水晶は「んん~」と小さく声に出し、半分ベッド
からずり落ちている布団と一緒にゴロリと床に転げ落ちた。
「ふぅむむぅ……痛い………また落ちちゃった…」
冷たいフローリングの感触で夢から目を覚ますのは何度目だろう?
ぶつけた頭を触りながら目覚まし時計のスイッチを切った薔薇水晶はそんなことを考えながら
大きく背伸びをし、カーテンを開ける。
む~ぅ……今日も天気が悪い…
昨日と同じ空がガラス窓の向こうに見える。ここ数日間は毎日こんな殺風景な空が広がっている。
梅雨でも無いのに大気の中にジメッとした湿度を感じる。きっとまた雨が降るんだ。
そう思った薔薇水晶は薄紫色の傘と、昨日よりいくぶん軽い鞄を持ち、学校へと向かった。
不思議と今朝の目覚めはさほど不快感もなくベッドから離れることができた。
だが、体はまだ寝足りないのか、おおきなアクビを1回、2回と続けて要求してくる。
そこで私は蛇口をひねり、冷たい水でそんな要求を打開することにした。
「ったく……らしくないわねぇ」
寝起きの顔をみるのは好きじゃない。どこか魂が不在のような表情だから。
でも濡れた顔が映る鏡の中の私は今日に限って何か変だ。
どう変なのか説明などできなが、少しだけ目が澄んで見えた。
その訳を考えると「らしくない」の言葉がポツリと漏れる。確か昨日も同じような
言葉を言った覚えがあるけれど、同じ言葉でも昨日と今日では少し違っている。
「フッ…本当にらしくないわぁ……」
制服に着替えた水銀燈は靴をはきながら声に出して言うと、ほんの数グラムほど
重くなった鞄をもって学校へと向かった。
「おはよう」
「おはようございます」
ありきたりの声が校門に近づくにつれて多く耳に入ってくる。
どうせ自分にはかかるはずのない挨拶を薔薇水晶は足早に通り過ぎ、
まだ賑わい始めるまえの校舎に入ると、教室がある上の階には行かず、人の気配が
しない文芸部の前で中の音を探るようにドアに顔を近づけていた。
…だ、だれもいないみたい……よ、よし
なるだけ音が出ないようにドアを開け、恐る恐る部室の中をみてみる。
ガランとした薄暗い室内、昨日と変わらない空間が広がっている。
…あぁ、私のお弁当箱がないよ………
間違いなく昨日この部室に置き忘れてきた弁当箱がないのだ。
食べかけのオカズが入っている弁当箱がひとりでに消えるはずがない。
…き、きっとあの後に水銀燈が捨てちゃったんだ………ハッ!……もしか
したら水銀燈、た、食べちゃったのかな? から揚げも、タコさんウインナーも
入ってたし………ど、どうしよう?
力なく部室のドアをしめた薔薇水晶はブツブツと独り言をいいながら教室に向かい、
席に着く頃には賑やかな会話が隣から、前から、後ろから聞こえてくる。
でも、そんな会話の中に薔薇水晶の声は入っていない。ただ好きでもない教科書を広げ、黙ってうつむいている。
だが、そんな薔薇水晶の表情はいたって楽しそうだ。
…んん…桑田さんはミから始まった……斉藤さんはソからだぁ…えへへ
いつからだろう、薔薇水晶はヒマなときはいつも人の言葉、物の音などを音階で
聴きながら時間を潰していたのだ。
ピアノなど習ったことがない、楽器と呼べるものは幼い頃に授業で習った縦笛が部屋の
隅にあるだけ。物心がついた時には人の話し声が、風が窓をたたく音が、薔薇水晶の頭
の中で音階となって整理されていた。
ただ、薔薇水晶本人はこれが特別なこととは考えたことがない。
彼女にとって音階を感じ、聞くことはいたって普通の行いにすぎない。退屈な授業などは
いつも何かの音をメロディーに変えて遊んでいる。
…あっ、チャイムが鳴った……もうすぐボサノバの時間だぁ
ボサノバの時間とは歴史を教える教師の喋り方が薔薇水晶にはボサノバに聞こえるようで、
たしかに性格が明るめな歴史の教師はよく授業の話で脱線するときがある。しかし、その
教師と授業をボサノバと表現しているのは薔薇水晶だけであった。
コッコッ カッカッ
黒板をすべるチョークの音も薔薇水晶には軽やかなメロディーに聞こえる。
勉強という意味ではなく、音として歴史の授業は好きな分類にはいる。
数学などはただ眠いだけのバッハのゴールドベルク変奏曲にすぎない。
黒板から出る音階に合わせて薔薇水晶のペンもノートの上でボサノバを奏でて
いるとき、廊下側にいる生徒が首を動かし、何かを追っていく。
…あっ、す、水銀燈だぁ……
そこには遅刻してきたであろう隣のクラスの水銀燈が何食わぬ顔でさっそうと
廊下を歩いている姿があった。
それを見た教師はチョークによるボサノバ演奏を止めると、廊下側の窓を開ける。
「おい、水銀燈。また遅刻か?」
そんな教師の言葉に水銀燈の足は止まり、ゆるりと肩から振り返った銀髪の顔は
面倒くさそうな表情で教師を見ている。
「だったらどうなのよぉ?」
それだけ言うと、振り向いた顔を元に戻しながらサラリと教室な中を流し見る。
怪訝な顔付き、水銀燈と目を合わせようとしない人、そんな幾人の中から窓際で
こちらを見ている薔薇水晶の顔を発見した。
「クスッ」
口元だけで小さく笑う。
そしてまた面倒くさそうな足取りで廊下を歩いていった。
……あ、あぁぁ、今、わ、私のほうを見てた……やっぱり昨日のこと怒ってるんだぁ…
こ、怖いよぉ……
薔薇水晶の中で軽やかなボサノバのメロディーがすっかり消えた時、となりの教室のドアが
ガラリと音を立てて開く。
水銀燈が入っていったのだ。その水銀燈の表情はどこか楽しそうであった。
(以下執筆継続中)
最終更新:2008年10月11日 23:33