Story ID:6hyWy0U+0 氏(25th take)
如何に天才といえども、十人並みの悩みはある。
人間関係、作業の遅滞、イメージの欠落、環境の変化。
それは時に深い深い根を降ろす事すらもあるが───
-Trouble~水銀燈の場合~-
「なんだか冴えねー表情ですね、水銀燈。あの日ですか」
「そんなんじゃないわよぉ。っていうかそれ、セクハラ?」
「同性でセクハラもクソもねーです」
「同性でもセクハラだと思えばそうなのよぉ。ま、別にいいけどぉ」
「で、どうしたですか」
「ん…ちょっと。大した事じゃないわぁ」
ライヴツアーを終え、地元に戻ってきたRozen Maiden一行。
ツアーの手応えはいつもの事ながら上々で、全員機嫌よく終えることが出来た。
マーチャンダイズも好調で、中には一人でシャツを七枚も──メンバー六人分の他、金糸雀のプリントシャツもしっかり売られていた──買って行った強者が居たほどだ。
テンションが上がりこそすれ、下がる事は無い。そんな中、一人水銀燈だけは僅かに沈んでいた。
メンバーの前ではつとめて表情に出さないようにしていたのだが、それを翠星石に看破され、冒頭の会話となったわけだ。
「ふーん…まあ、悩みがあるなら聞いてやらん事もないです。ここで言いにくかったら後で電話するですよ」
「本当に大した事じゃないのよぉ。どっちのリングがいいか悩んでいただけ」
そう言って水銀燈が差し出したカタログには、髑髏の意匠が施されたリングと蝶の意匠が施されたリングの写真にマークがつけられていた。
ロッカー御用達。そんな風情のシルバーリングを彼女は好んでいる。
勿論衣裳に合わせて変えているが、私服の時は専ら髑髏のようなごついものが多いのだ。
「はあ、そーんな事ですか。心配して損したです」
「だから大した事じゃないって言ったでしょぉ」
「本当に大した事ねーですね」
「そうそう。で、どっちがいいと思う?」
「うーん、翠星石的にはこっちの蝶の方がいいと思うです。髑髏よりも水銀燈のイメージに近いですし」
少し悩んだ素振りを見せて、翠星石はカタログを指差した。
そこには細いリングに蝶が止まっている、そんな形のリングが載っている。
ふーむと少し悩む素振りを見せて、しかしその意見に納得したように「ありがとぉ」と礼を言い、カタログを閉じた。
「みんなー、今回のツアーの収益計算が終わったかしらー!」
六人が集まっているのは小さな喫茶店の一角である。
客の入りはやや少ないものの、それが静かな午後を演出していて心地良い。
その雰囲気を壊しながら例によって騒がしくやってきたのはマネージャーの金糸雀。
Rozen Maidenの台所を切り盛りする売り出すしっかり者だ。
トラブルも多いのだが、それに対応する能力は折り紙付き。
尤も、そのトラブルの大半は彼女のうっかりによるものなのだが……。
「聞かなくても解ってるわよ。ツアーの経費くらいは簡単にペイしてるでしょぉ?」
静かな午後をぶち壊しにした張本人に非難の視線を向ける水銀燈。
それをまあまあと諌める蒼星石に、放っておくですと言う翠星石。
苺のパフェを前に幸せそうな表情を浮かべる雛苺と、騒ぎなどそっちのけで紅茶を嗜む真紅。
小さな
ノートPCを起動させ、なにやらタイピングしている薔薇水晶…いつもの光景だ。
水銀燈の言葉にちっちっち、と人差し指を振って否定し、金糸雀が言った。
「今回はツアーをニ周できるほどの収益が上がったかしら。これもRozen Maiden一の策士かつ敏腕マネージャーのカナのおか」
「皆が頑張ったお陰だね」
「……カナが泣いてるのよ?」
「ううっ、カナ泣いてないかしら。みっちゃん、カナはこんなに頑張ってるかしら。天国から見てて欲しいかしら」
「みっちゃんさんは生きてるじゃねーですかこのスカポンタン」
「そもそも生きてる人を殺しちゃダメよぉ。殺してイイのは異教徒だけぇ」
「……異教徒?」
「全く、騒がしいったらないわ。少し静かに出来ないの?」
金糸雀が発端で騒がしくなる一帯と、それに対して苦言を呈する真紅。
これもいつもの光景である。
この後、多少ボリュームが下がるもののやはり騒がしい事には変わりない時間が過ぎる。
当初の話題だった「ツアーにおける収益計算」はどこかへ飛んでいってしまい、次のライヴの話が延々と続くのであった。
数時間後。
あたりはすっかり夜の帳が降り、繁華街には酔ったサラリーマンがちらほらと見え隠れする頃。
メンバーは既に解散し、それぞれのプライベートへと戻っていった。
大抵は解散した後でも皆でカラオケに出たりするのだが、この日水銀燈だけはその輪に入らず、一人通りを歩いていた。
ふうと息をつき、空を見上げる。
雲に覆われた空は街の明りを僅かに照り返し、ぼんやりとその姿を見せていた。
翠星石の手前ではああ言ったものの、実は彼女はツアー中から一つの悩みを持っていた。
皆は気付いていない。自分にしか解らない僅かな違和感。
普段通りの演奏をしても、どこかが違う。
指先の感覚が鈍い訳ではない。かと言って体調が悪いだとか、筋力が落ちているだとかそういう事もない。
全く原因の解らない違和感と、水銀燈は一人戦っていた。
通りを歩いていると、淡い明りの灯った看板が水銀燈の目に入った。
そこは半地下になっているバーラウンジで、彼女自身気になってはいたもののなかなか立ち入る機会を得ることが出来なかった場所だ。
たまの気分転換にはいいかもしれない。
そう思い、店への階段を降りて行く。
木で作られた扉が、店の雰囲気を良く表していた。
扉を開く。
中はカウンターテーブルのみの質素な作りで、客はまだ誰もいない。
カウンターの中で初老のバーテンダーが暇を持て余していた。
一人物思いに耽るには丁度良い──そう思い、スツールに腰を下ろす。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか」
バーテンダーが問う声に、水割りを濃い目にと応えて息をつく。
この溜息は今日何度目だろうか。数えるなど余程の物好きでもなければしないだろう。
差し出された淡い琥珀色を少しづつ飲み下し、思考を徐々に鈍らせてゆく。
普段の水銀燈は、言動とは反対に様々な事に気を配っている。
それ故に、自らの悩みを解決するには非常に時間が掛かるのだった。
「隣、いい?」
思考に霧を掛けながら思考の海に沈んでいると、唐突に声を掛けられた。
振り向いた水銀燈の目に映った女性は、とても懐かしい人。
「─巴?久しぶりねぇ」
学生時代、まだバンドとして駆け出しだった頃。
コンクールで一緒になった事を切欠に、親交を重ねた隣町のライバルバンド。
それが巴の所属する「ラプラス」であった。
互いの未熟な技術を切磋琢磨し、時には共同でライヴを計画し──
Rozen Maidenの黎明期を語るには欠かせない者達である。
「何年ぶりかな」
「そうねぇ…もう十年以上経ってるような気がするわぁ」
「そんなに経ってないよ、流石に。お互いまだ若いし」
「言葉のアヤよぉ。濃い時間を過ごしてきたから、学生時代が遠く感じるの」
事実水銀燈達はデビューから間も無く多忙な日々を強いられる事になった。
それ故、デビューしてから今この時間までにこなして来た仕事量は常人をはるかに越えている。
自然、過ごした時間も濃厚なものになるのだ。
「凄いよね、水銀燈」
「何がぁ?」
「いまや押しも押されぬロックスターじゃない」
「まだまだよぉ。目指すは世界だし」
「…ふふっ、本当に変わってない」
「何がよぉ」
メジャーデビュー後、Rozen Maidenとラプラスのメンバーは時間が合わないこともあり疎遠になっていた。
その疎遠となっていた時間を埋めるように、二人は言葉を交わす。
「ところでぇ…巴達は今どうしてるの?」
「私達も、それほど有名じゃないけどデビューさせてもらってるよ」
「へぇ?でも名前見たことないわよぉ」
「うん、実はね───」
デビューに際し、ラプラスは「Laplace」と名前を変えていた事。
メンバーは変わらず四人である事。
デビューはしてもライヴ中心の活動なのは変わらない事。
少しづつ、ライヴハウスの規模が大きくなっている事。
巴はゆっくりと謡うように現状を語り、水銀燈はそれに微笑みを浮かべながら聞き入る。
また水銀燈はライヴツアーの最中に起こった事を語り、巴がそれにカクテルを飲みながら相槌を打つ。
それはとても穏やかで、そして音楽をやっている者同士で共有できる楽しい時間であった。
「ところで、水銀燈」
「なぁに?」
「ちょっと悩んでたみたいだけど、どうかしたの?」
巴の指摘に、水銀燈は僅かに眉を顰める。
自分一人だと思って油断していたようだ。
まさか、そんな場面を見られるとは。己の油断を悔いた。
「……別にぃ、悩んでなんかいないわよぉ」
いつもの強がり。しかし、その強がりも酒のせいか力がない。
巴はふうと息をつき、水銀燈に語りかけた。
「ごまかそうとしてもダメだよ。貴女が何度も溜息ついてるの、見ちゃったんだから」
「………」
食い下がる巴に、水銀燈は返答をしない。
いや、正確には出来ないのだ。
自ら悩みの正体さえ掴めないのに、どう説明するというのか。
「バンドの事なら、私が口を出す話じゃないと思う。だけど音楽の事なら力になれるかもしれないから」
「…でも」
「私じゃ頼りないかな」
「そうじゃないのよぉ。自分でも何に悩んでるか解らないの」
酒のせいだろうか。今日は随分と口が軽い。
水銀燈はそう思いながらも、言葉を紡いでいった。
僅かな違和感の事、それが随分長く続いている事、それをどうしたらいいか解らないという事。
巴はふーむと唸ってから、少しの沈黙を挟んで口を開いた。
「それはスランプ、かな」
「スランプぅ?」
「そう。今まで経験した事無い?」
「無いわぁ」
「…羨ましいな。私何度もあるよ」
くすくすと笑う巴に、笑い事じゃないと拗ねてみせる水銀燈。
事実、水銀燈は今まで経験した事の無い「スランプ」に対して焦りを覚えていた。
経験していればどうすれば抜けられるのか解るものだが、今の段階では全く抜け方が解らない。
焦るのも無理は無い話であった。
「どうすればいいか、全く解らないわぁ…」
「うーん、そうだね…その人によって抜け方が違うし」
その人その人に合ったやり方という物がある、と巴は付け足した。
それから完全に離れてしまう、ひたすらにそれを続けて忘れてしまう…
あるいは気分転換をするというのも手だと言い、水銀燈はそれに相槌を打つ。
「離れてしまうのは無理ねぇ…」
「今の状態で続けてもストレスにしかならないわぁ」
「気分転換と言ってもねぇ…気軽にデートも出来ないしぃ」
うーんと悩む水銀燈に、巴は思いついたかのように質問した。
「水銀燈。今週土曜の夜、時間あるかな」
水銀燈は巴の真意が解らないとばかりに首を傾げる。
そんな水銀燈の様子を見て、言葉を続けた。
「今週の土曜、私達のライヴがあるんだ」
「そぉなんだ」
「うん。それでね、良かったらゲストで出てみないかなって思って」
「…え??」
「たまに違う環境で演ってみるのもいいと思うよ」
「ギャラは出ないけれど」と申し訳無さそうに提案する巴の言葉に、水銀燈は少しだけ考え込んだ。
たまに違う環境で演ってみるというのは確かにいい提案だ。
しかし自分のバンドというものもある。自分の一存で決める事は出来ない。
翌日にメンバーの予定を聞き、承諾を取ると言う事でその日は解散する事になった。
数日後。
水銀燈は地元のライヴハウス「ショックリーダー」の控え室に居た。
メンバーに連絡を取った所、それは面白そうだという事で簡単に調整が取れたのだ。
六人もショックリーダーにやってくると言っていたのだが、どうやらチケットが取れなかったらしい。
それはそれで水銀燈にとって幸いであった。
自分がスランプ状態にあると自覚した今、メンバーに自分の演奏を聴かれたくは無かったからだ。
「…だからと言って、メグ達に聴かせられるかというと…少し不安なのよねぇ」
一人呟いて、お気に入りのレスポール・カスタムを手に取る。
チューニングは既に終わっているが、それでも手持ち無沙汰なので弦を爪弾いていると今回の発案者である巴が控え室にやって来た。
「水銀燈の出番は後半になるから、少し退屈かもしれないけど待ってて」
「了解よぉ。貴女達の音を久しぶりにじっくり聴かせてもらうわぁ」
互いに背を叩き、控え室を後にする。
舞台袖に辿り着くと、既にオーディエンスが入っているらしく歓声が聞こえてきた。
Laplaceのメンバーは既にセッティングを終え、時間待ちといった様子だ。
「水銀燈ちゃん、久しぶり。今日はよろしくね」
「ヨロシクお願いしマス、水銀燈」
「ツインリード用にあの日の曲を用意したわ。またジャムできるなんて思わなかった」
「私もよぉ、めぐ。腕、上がってるんでしょうねぇ?」
挨拶代わりの軽い雑談を交わしていると、照明が落ちた。
ライヴの開始はもう間も無くだ。
Laplaceのパフォーマンスは、メジャーデビューしているだけあって流石のものであった。
Rozen Maidenのような派手さこそ無いものの、技術に裏打ちされた、地に足のついたパフォーマンス。
始めは静かに、しかし徐々に熱を帯びて往く演奏と、それに追従するかのようなオーディエンスの歌声。
めぐがメロイック・サインをオーディエンスに向けると、オーディエンスの無数の手がサインを返す。
コーラスの部分でマイクをオーディエンスに向けると、そこからはオディールとオーディエンスのバトルの開始だ。
ライヴにおける醍醐味を、メンバー含め全員が全員楽しんでいるようであった。
「ミナサン。実は今日、このライヴにゲストが来ていマス」
セットリスト12曲のうち11曲を終え、最後の曲。
その曲の演奏前にオディールがオーディエンスにそう告げると、事前に知らされていなかったのか会場がざわめき始めた。
それに気を良くしたのか、今まで以上の笑みを浮かべてオディールが呼ぶ。
「──私達にとってとても大事な人デス……C'mon,水銀燈!」
お気に入りの黒の衣裳を身に纏い、肩からは濃蒼のレスポール。
長い銀髪は纏めずにそのまま流し、ヘッドドレスでアクセントをつけるという「いつもの」格好の水銀燈が舞台袖から現れると、会場は戸惑いと驚きの声に埋め尽くされた。
水銀燈はオディールからマイクを受け取り、オーディエンスへの第一声を放つ。
「はぁい。どういう訳かお呼ばれした水銀燈よぉ。乳酸菌摂ってるぅ?」
お決まりの台詞を言うと、オーディエンスからは好意的な反応が返ってきた。
浅いファンならいざ知らず、ある程度の期間Laplaceと付き合いのあるファンならばこのバンドとRozen Maidenの関係を知っているからだ。
「貴方達ぃ、今日は運がいいわぁ。Laplaceと私の最強のコラボレーションを体験できるのだから!」
そう言ってオディールにマイクを返すと、のりのドラムがリズムを刻み始めた。
最後の一曲。
それはここショックリーダーで過去に行った、「ラプラス」とのダブルヘッドライナーでフィナーレに持って来た曲だった。
数年前の懐かしい曲を演奏しながら、しかしその時とは明らかに違う互いの技術とオーディエンスの反応に酔いしれ、六分間の長い演奏は幕を下ろした。
その後アンコールの声は止まず、結局水銀燈はその曲の他に三曲も演奏するハメになってしまい、最後には記憶があやふやな曲さえも演奏する事になったのだ。
「すっごい反応じゃない。貴女達、すぐに私達に追いつけそうねぇ」
控え室に戻ってスポーツドリンクを呷った後、水銀燈は一言目にそう言った。
それはお世辞でもなんでもなく、超満員となったこのライヴハウスの手応えがそう感じさせたのだ。
「まだまだデスよ。でも、いつか追い越すデス」
熱気で紅潮した顔でオディールが応えると、他の三人もそれに続く。
事実、演奏技術ではひけを取るまい。曲調もRozen Maidenとは違う方向だが悪いものではないだろう。
ただ、自分たちは運が良かっただけなのだ。
近い将来強力なライバルになるであろうこのバンドに、しかし水銀燈は恐れを抱くよりも喜びの感情の方が強く感じられていた。
「で、どうだった?水銀燈。あれは」
巴が問う。
思い返せば、ずっとつきまとっていた違和感は最初の一曲のみで、それ以降はすっぱりと消えていた。
なるほど、これは強力な気分転換らしい。水銀燈は、笑って巴にサムズアップした。
その後、スランプを脱した水銀燈は、ライヴツアーの準備に追われる事となった。
皆が忙しく走り回る中、金糸雀に水銀燈が悪戯な笑みを浮かべて提案する。
「次のライヴツアーにLaplaceも連れていきましょう。きっと凄い事になるわよぉ」
最終更新:2006年07月25日 11:37