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当然のことながら"その日"は何処かへ逃げてはくれないし、俺の方から逃げ出せるわけでも無かった。
『俺  終  わ  っ  た  な』
『永遠に目覚めなくてもいいじゃない 人間だもの』
なんてロクでもないことを想い布団に潜り込んだのが、確か昨夜の11時頃。
それでも、現実と云う奴は残酷だ。ひとつ訊いておきたいのだが……これは俺に対してだけなのだろうか?
まぁ、とにかく。
"その日"の出だしは、安眠の極楽を目覚まし代わりの携帯が喧しいメロディで掻き乱すという、まさに最悪という名に相応しいものだった。
愛する携帯もが俺に理不尽な悪意を放つのを感じながら、眠い目を擦り、気だるい体に鞭を打ち体を起こす。
ぼんやりとした視界の中、その待ち受け画面にはカラフルな文字で"Friday"と表示されていた。

「……来ちゃったよ、オイ」

大きなため息を漏らした後、俺は続けて時間を確認する。
見ると、いつも目が覚める時間よりもかるく20分もオーバーしていた。
この朝日の光から薄々と予測はしていたが、どうやら"この日"は二度寝出来るような時間さえ俺に与えてくれないつもりらしい。
ぐちぐちぼやいていても仕方が無い。早急に朝飯を食べるため、食卓に向かうことにする。
着替えて階下に下りた後、お袋と妹に適当な朝の挨拶を交わし席に着くと、いつもながらぱっとしない庶民的朝食が配膳されていた。
適当におかずからパクつこうと箸を持ち上げたその時。
視線がオヤジの読む新聞を捕らえ、目を凝らすとご丁寧にそこにも"金曜日"と明記されていた。

「はぁ……」

改めて、認めたくない事実を脳に突き刺されたような心地。
なぁに、些細なことじゃん。たかが金曜なだけじゃねぇかと、もはや開き直りのように気を取り直して、俺は再び箸を持ち上げる。
あー。はいはいフライデイフライデイ。
はいはい俺のせい俺のせい。

すっかり自虐チックに染まった思考を回転させ、残る眠気を吹き飛ばしていた頃。
頭の後ろから、我が家ではもはやお馴染みとなったニュースキャスターの偽善ぶった笑い声が響き、

『さぁ、いよいよ"金曜日"です!週末に向けて今日も頑張っていきましょう!いってらっしゃい!』

なんて、ニュース番組の締めのような言葉を叫びやがった。
溜まりに溜まっていた物が限界と云う沸点を越えて、平静を保っていた脳内堤防が決壊する音を俺は確かに聞いた。
……ぁぁぁああああああ!オメデトウオメデトウ!そんなにお前らは金曜が大好きですか!?


とまぁ、ここまで"金曜"という言葉をありとあらゆる場所で連呼されると、まるで世界中が今日という日を賛美しているような気さえするね。
学校に到着するまでに俺が"金曜日"その類の言葉を、一体いくつ見かけたのか何処かの誰かさんに教えてやりたいくらいだ。
ああ。追記しておくが、その日の登校手段はもちろん徒歩だった。
昨日、両親には自転車でこけてしまい大破したとだけ告げ、惨殺死体と化した愛車をカミングアウトしたのだが意外にも怒る素振りは見せてこなかった。
ただ、もう今後自転車を購入することは無いとだけ淡々と仰せられたので、どうやら俺はこれから永久に徒歩通学ライフを送ることになりそうである。
人類が発明した自転車の偉大さを今になって痛感するなんて……。
怒りに身を任せ、今日からありとあらゆる場所に検問を張ってあの赤いスポーツカーを徹底的に洗い出そうとさえ画策したが、今のところは妄想どまりで留めておくことにするよ。
━━━何せ今日からは"やらなければならない"別事があり過ぎるからな。
もちろんその最初の別事とやらは、今日、あの蒼星石さんとふたりっきりで楽器屋に出向くことだろう。
さて、ここで俺の正直な本音を予め言っておきたい。
はじめに真紅さんからその予定を聞いた時は、俺は確かに驚きでしばらく頭を抱えていたが、内心嬉しくもあった。
なにせ、こちとら女の子との出逢いなんて物とは明らかに縁の無い帰宅部なのだ。
稀に見る美人、そして、おそらくあの中で最も清純そうである蒼星石さんとふたりっきり……イコール何が起こるのだろうかと期待にときめく俺を誰が責められるだろう。
けれど、今になってどうして俺がこんなにも今日という日を頑なに拒否しているのか。
訳は至って簡単な話だった。
昨日、病院から家に帰り着き、落ち着いてよくよく考えてみると、俺はある事実に凍りつくことになる。

なんだかんだ言って、俺達はまだほとんど"初対面"と言っていいほどの間柄だったのだ。

それに気づいた瞬間、連鎖的に悪いことばかりが鎌首をもたげる。
共通の話題が"バンド"以外ほぼ皆無。通う学校さえも異なり、彼女の事を俺は何一つとして知らない。そして、逆もまた然り。
間違いなくこのままでは、明日の場の雰囲気が持ちそうにない。そんなことくらい、期末テストで赤点ラインギリギリを滑空した俺でさえ解ることだった。
結局のところ、昨夜は眠りに落ちるまでその対策を考えていたのだが思い浮かばず、この日の授業時間を使ってあれやこれやと思案しているうちに昼休みを越えていた。
そして、無惨にもチャイムは放課後が訪れたことを告げた。

「あ゛ー……」

声にならない悲鳴が喉から零れ出る。
せめて彼女の前では、演技だとしても気さくで爽やかな理想派青年像でいたかったのに……。
これから露呈する俺の話題力の無さと気まずい空気を考えると、梅雨時のお天気のように憂鬱が胸に溜まり落ちてゆく。
3階に位置する我が教室の窓辺にもたれかかり、俺は約束の時間までに出来た僅かなひと時を過ごした。
窓の外に乗り出すと、眼下にはそんな鬱積する俺の気持ちなど意にも介さず、呑気に部活に励む級友が見える。
ああ……みんな楽しそうだなぁ。
ああ……なんだかいつもと違って、やけに地面が近く見えるなぁ。
━━━多分、今の俺なら、此処からパラシュート無しでも飛べるかもしれない……。


 *

「どうしたの?直人くん」

よほど青ざめた表情をしていたのだろう。
病院のエントランス。約束していた時間の10分前。
俺の姿を認め、手を振って駆け寄ってきた蒼星石さんは出会い頭にそんなことを言った。
まぁ、実際のところ、俺の精神は既に緊張しまくりでいっぱいいっぱいだったし、体中も妙に強張って弛緩している箇所など何処にも無い状態だった。
要は完全な棒立ち状態だったと思ってくれて構わない。
だというのに……。
そこまでの極限状態だというのに、初めて見る私服姿の彼女の姿は、俺の心臓だけを反比例したように動かす起爆剤となってしまった。
大人しめのショートカットの髪と優しそうな微笑みは、あの時のまま。
しかし、胸元に羽の形をした印象的なチャームが光り、落ち着いた色合いのタンクトップとデニムパンツをカジュアルに着こなしたこの見知らぬ女の子。
全く動くことの出来ない体と、痛いくらいに暴れまわる心臓。
くらっと遠のいて行きそうな意識を保ちながら、俺は思った。
………誰だよ、あんた?

「直人くん?本当に大丈夫?」

うむ。当然、大丈夫なわけが無い。
はっきり言って、今の自分の姿と彼女の風貌を誰かが見比べて失笑しようものなら、俺は躊躇無くこの世にさよならを告げると思うね。
何せこちらは学校帰りの夏服姿。彼女の隣に立ってみると、そのギャップにも程があると言っていい。
今から家に出直して、着替えてきていいですか!?なんて泣き出したい気持ちを胸に仕舞いながら、何でもないよと首を振ってみせるも、その無理して取り繕った笑顔をますます疑わしく思ったのだろう。
俺の顔をまじまじと覗き込んで、彼女はまるで自分のことのように心配する表情を浮かべる。
どっちみち、それでも俺の心が休まることは無かった。顔と顔の距離が明らかに俺の限界範囲を逸脱し過ぎていたからな。
まぁ、ただ1つだけ気休めになったことと言えば、彼女が俺の姿に何の違和感も感じてなさそうだったことだろう。
赤の他人ならまだしも彼女本人に笑われた暁には、俺は本気でハラキリを決意しなければいけない。

「それで、どんなベースにするか決めた?」

病院を出て暫く。
楽器屋に向かう道中を、他愛の無い話を交わし歩いていた頃、彼女は何故か嬉しそうに俺に尋ねてきた。

なめてもらっては困る。
こちとらその話題が来ることなど先刻承知済みだったし、これから長年使い続ける物になるかもしれない買い物なのだ。
昨夜のうちから早速、慎重で綿密なリサーチを開始していたのである。いやぁ、これはいいインターネッツですね。ええ。

「うん。とりあえずはね。Fenderのベースかな」
「え?あー……そ、そう。Fenderの……うん。そうなんだ。うーん」

昨夜のリサーチの集大成。
初心者である自分の中ではなかなかベストな返答だと思ったのだが、それを聞いた蒼星石さんの反応はとても良いとは言えないものだった。
彼女は曖昧に笑ってみせるが、歯切れの悪い言葉を繰り返すばかりで、しまいには考え込むように目を伏せた。
そうして、しばらく黙り込んだままの時間が過ぎてゆく。
……俺、何か悪いことでも言ってしまったのか?

「あの……蒼星石さん?」
「ねぇ、直人くん。どうしてFenderのベースにしようと思ったの?」
「え、えーっと……何か音が良いとか割と良い感じって、インターネットで」

そう俺が呟くと、彼女は苦笑を浮かべて首を少しだけ横に振った。

「うーん……。僕はね。そんなのじゃないと思うんだ」
「へ?」
「直人くんが何に影響されたのかは、僕にも解らないけど。そんな音がいいなんて評判、結局のところは自分が使ってみるまで解らないよね?」

……確かに、言われてみればそうだった。

「経験を積めば、そんな評判で選ぶようになる人もいるかもしれない。確かにね」
「……」
「でもね。伝聞とかメーカーとかで選ぶんじゃなくて、初めて買う直人くんには、もっと……何て言うのかな」

言葉を慎重選ぶように、蒼星石さんは視線を宙に彷徨わせる。

「色とか形だとか、そんなので見て、自分はこんなベースが欲しいとか思わない?」

━━━色や……形?

「うん。色。形。自分が演奏したい楽器のカタチ。スタイル。直人くんにはそんな観点で楽器を決めてもらいたいなぁって、僕は思うんだ」

そう歌うように言葉にした後、彼女は俺に、どう?と言いたげに笑いかけてくる。
そうして、俺は彼女の言葉を反芻させながら、ずっと彼女を見つめていた。
━━━俺のスタイル。俺のカタチ。

「そっかぁ……」

一体、いつまでそうしていたのだろう。
蒼星石さんは俺の視線に改めて気づいたのか、恥ずかしそうに顔を赤らめ目を逸らして言葉を付け加えた。

「……あ、で、でも、僕だってそんな偉そうなことを言える立場じゃないけど」

(以下執筆継続中)

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最終更新:2006年06月08日 19:55