――――そして二時間後、練習が終った。
「えと……じゃあみんな気をつけて帰ってね……解散」
蒼星石の声でみんなその場を離れていく。
わたしは一人でそこに残っていた。
今、心も身体もボロボロだった。
だってわたしの初練習の結果は―――。
「何へコんでんのあなた……?え、上手く出来なかったことを恥じてるの……まぁあれじゃねぇ」
わたしのコーラスは――――ボロボロだった。
全体の音がよく聞こえないから入り所がわからない、水銀燈につられてユニゾンしてしまう、あげくの果てに途中で息が切れて練習を中断させてしまった。
「ヒナ……もうダメかも」
「諦めるの早すぎ。まだ始めたばっかのヒヨコちゃんが何ナマ言ってるんだかぁ」
「水銀燈……そこは嘘でもなぐさめるところだと思うの」
「私、人を甘やかさない主義だから」
「それは……ひどいよぉ~」
「ハイハイ。そんなとこへたり込んでないで行くわよぉ」
水銀燈はそう言ってわたしの手を取り、歩き始めた。
「ど、どこに行くの?」
「ん?私の家」
「なんで?」
「あなたに渡したいものがあるからに決まってるでしょぉ?」
そうなのか、決まっているのか?
「だけど……もう……遅いし」
「そうねぇ。家に連絡しときなさい。今日は友達の家に泊まるからって」
どんどん私のスケジュールが埋められていく。
歩みも止まらない。わたしより脚の長い水銀燈についていくのは大変なのにぃ!
「もう大丈夫だから……一人で歩けるから……」
荒れた息づかいで言うと、あっさりと放してくれた。
「そう?でももう着いたわよぉ、ココが今の私の家」
立てた親指の先には無骨な打ちっぱなしの外壁で覆われたマンションだった。
「ここなの…?」
心配になって尋ねるが
「ここよ」と即答だった。
そしてわたしたちはマンションの中に入り、エレベーターに乗る。
目的の階までの沈黙が重い。
水銀燈はただじっとしている。わたしは少しづつ上がっていく数字を見つめていた。
―――チンッ
電子レンジみたいな音と同時にエレベーターは止まった。
扉が開く。水銀燈はそのまま自然に出て行った。わたしも後に続く。
ここはマンションの最上階らしい。すごく見晴らしがよくなった。
ここから見える灯りが街の息吹のように思えた。大勢の人があそこで生きている。
それはわたしも同じ。でもまだ―――
「なぁにしてるの。こっちよ」
遠くから聞こえた水銀燈の声で瞬間的な夢想は砕かれた。
声の方に顔を向けると、角の部屋で水銀燈が立っていた。
「ご、ごめんなの。ちょっとぼーっとしてて」
「大丈夫?今熱とか出されても困るんだからぁ」
「うん、大丈夫」
「そ。じゃどうぞ」
部屋のドアを開けてくれた。
わたしは勧められるままに部屋に入った。
中は暗くて、よく分からない。
―――カチ
スイッチ音に少し遅れて部屋が明るくなった。
照らし出された部屋の中はなんというか、物で溢れかえっていた。
床はコードが縦横無尽に、壁に設置されたラックにはスタジオにあるような機材で埋め尽くされている。
沢山のつまみとボタンにクラクラしていると
「どうしたの?入んないの」
水銀燈はそんな私の横を通り抜け部屋の奥に向かった。
わたしも急いで靴を脱ぎ、コードを踏まないように安全な所まで慎重に歩いた。
ようやく一人が座れるぐらいのスペースがあったのでそこに座ることにした。
水銀燈はいつの間にかパソコンの前にいて、なにやらカタカタとしている。
何もすることがなかったので、とりあえず言われたとおり親に連絡を入れることにした。
報告は一分程度で終った。
「今日お友達の家に泊まるけど、いい?」
「いいわよーご迷惑だけはかけないようにね」
「うん、それじゃあね」
「はい。おやすみなさい」
プチ。
あっけなく宿泊の了解は取れた。
携帯の画面から目を離すと、水銀燈がこっちを見ていた。
「な……何?」
「べぇつぅにぃ~。ちゃんと言うこと聞くんだぁって思って」
「連絡入れろって言ったの水銀燈だよ」
「そうだったわねぇ。はいコレ」
手渡してきたのは一枚のCD-R。
「これは…?」
「あんたが蒼星石からもらったCDって私と真紅の歌が入ってるやつでしょ。それじゃメロディーにつられるって思ったから、メインをカットしてコーラスだけのにしといたから。
真紅の曲はそのままにしたけどね。」
さっきまでしていた作業はこれのためだったのか。
「で……さぁ始めましょうか」
水銀燈は、横に置いてあったアコースティック・ギターを持ちながら言った。
「何を始めるの?」
「決まってるじゃなぁい。あなたのボーカル矯正よぉ」
うう、やっぱりそれか。
「今日の練習で分かってると思うけど、問題は山積みよぉ。正しいコーラスのピッチ、構成の把握とか……まぁ他にも色々あるけどぉそれはいいわぁ。とりあえずコーラスと全体の構成 は何とかしなさい!」
「……ウィー」
「“ウィー”じゃないでしょ!ちゃんと聞いてるなら返事は“ハイ”」
「ハイ!」
「素直で大変よろしい。じゃ始めましょうねー♪」
「で、でももう遅いし…隣の人とかに迷惑なんじゃないかな…」
「大丈夫、大丈夫。向こう三軒くらい人いないのよ、ここの最上階」
「えっ」
「んーなんか事故があったらしくてぇ、それで借り手が見つからないところを私が入ったのよぉ」
「何も―――起こってないの」
「うん、別に何も。ああ…でも夏が近づくと周りがちょっと騒がしくなるわぁ。夏だから浮かれる気持ちも分かるんだけどぉ。
もう少し大人になってもらえると嬉しいのにねぇ。さ、始めましょ」
今すごいことをサラっと言われたような気がする。
気にしたら負けかなと思った。
それから外が白くなり始める頃まで、矯正という名の特訓が行われた。
水銀燈は甘くなかった。
まずギターでメロディラインを弾きながら、わたしにコーラスを歌わせた。
隣がいないということで思いっきり歌った。
しかし音がズレたり跳ねたりするとギターは音を潜め―――水銀燈の冷たくも鋭い視線が突き刺さる。
そして小さく「もう一回ね」の一言で再開される。
始めたばかりの頃はすぐに止まっていた(その分視線が本当に凶器のように思え、いつ殺されるのか……ヒヤヒヤした)。
この特訓が終る頃、わたしはコーラスをマスターすることができた。
―――恐怖政治による統治。
この言葉がよく頭をよぎった。
最後に通しでコーラスの確認をした。
水銀燈は満足そうに肯いている。
「やっぱり私は教育の才能あるわねぇ……自分が怖いわぁ」
きっとあなたなら立派な女王の教室を築けると思った―――思っただけで口には出さない。
まだ死にたくないから。
「じゃあ次はやっぱり“アレ”よね」
“アレ”と言われるのは―――アレだろうなぁ……。
「真紅の曲なんだけど私ね、こうしたらいいんじゃないかって思ったのよぉ。ちょっと耳かして」
わたしは素直に耳を差し出す。
水銀燈は口を耳に近づけ、その考えを口にした。
――――……ッ!そ、それは……
驚きを隠せない。
彼女の口元には奇麗な三日月が浮かんでいた。
「どう?悪い考えじゃないでしょぉ」
「でも真紅……そういうの嫌がりそうだよ……?」
「当日参加しない人の心配より当事者の私たちの心配をしなさいよぉ~」
グニュ~
ほっぺたを両手でつままれた。
「あにするのー(なにするのー)」
「笑いなさい。笑っていれば何かイイコト起こるかもしれないでしょ」
「あらえないのよー(わらえないのよー)」
「……飽きたわぁ」
急にパッと手を放す。
「いたいのぉ~」
思わずほっぺたを両手でさする。
「とりあえずその方向でいくわぁ。さぁて忙しくなるわよぉ、雛苺」
再びパソコンの電源を入れてソフトが早く立ち上がらないかと待っている水銀燈を見て、わたしは急に眠たくなって―――
ぼやける頭に目をこすって、起きていようとしたけど―――ダメだった。
―――バタン
世界が横になった。
すごいなぁ。水銀燈垂直に座ってる。
ああ、もうダメかも―――
重くなったまぶたに耐え切れず、瞳を閉じた。
唯一生きている耳は水銀燈が打つキーボードの音を拾っていた。
カタカタカタカタ……カタカタカ……タッ……カタカタカカカ……
一定のリズムや面白いリズムが頭の中でコダマする。
いつしかわたしは―――
「あらぁ……寝ちゃったのぉ?」
雛苺の方を振り返ると彼女は幸せそうな顔をして眠っていた。
「全く……えっと、毛布はどこに置いたっけ―――」
椅子から立ってベット下から替えの毛布を取り出し、雛苺に掛けてやった。
「まだまだねぇ……この小さなボーカリストさんは。でも……でっかい原石よねぇ」
雛苺の柔らかい髪を撫でながら口から零れた言葉に自分でもビックリした。
「やだぁ私ったら……ウフフ」
さらに愛しげに髪を優しく撫でる。
「今は眠ってなさぁい。でも起きたら……ウフフフフ」
慈愛に満ちたセリフとは裏腹に怪しげな笑い声を上げる。
雛苺の特訓はまだまだ終っていない。
本番まであと―――6日。
第四話 怪しき雲行き END
最終更新:2006年06月29日 09:24