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医師により緊急処置を施されたメグは酸素マスクを曇らせながら
静かに眠っている。
窓を塞ぐカーテンの隙間から夜明けを告げる太陽の粒子が病室を淡く
照らすと壁に立てかけられたギターがシルエットとして浮かび上がっていた。
そのギターの影が時間の経過と共に少しづつ移動し、時計の針が午前から
午後になる頃、メグはようやく意識を取り戻した。
(私はどうしたの?ここは?何をしてるの?)
目覚めたばかりのメグは記憶と意識の混乱で今の状況が掴めない。
そこに面会謝絶のフダを無視し、水銀燈が入ってくる。
「メグぅ、メグぅ!!」
自分に声を掛けているのが昨日、会ったばかりの水銀燈だとメグは
かろうじて覚えている。
「す、水銀燈・・・」
酸素マスクをした声は聞き取りにくく、水銀燈はメグの口元に横顔を近づける。
「来てくれたの、水銀燈・・・私、覚えてるわ・・・貴女は大切な友達」
「そうよ、私は水銀燈よ。メグ、大丈夫なのォ?」
ほとんど力のない腕を動かし水銀燈の頬を触る。
「ありがとう、私は大丈夫・・・ねぇ、水銀燈。私・・・夢を見たわ」
意識を失いながらもギターを手放さなかったメグは深い記憶の奥底で多くの
場面を見た。
それはまるで壊れた映写機からスクリーンに映し出されるスライドのように
見える場面は、決まって数年前に交わされた水銀燈との約束であった。
無くしたはずの記憶の断片、しかしメグを支えてくれた人々の呼びかけに
答えようと必死で闇の奥底から這い上がってくる。
そんな葛藤の末に掴んだひとかけらの記憶と、思い出を失わぬように心と
強い精神力で繋ぎとめていた。
「約束は・・・きっと守るわ、水銀燈・・・」
頬にあてられたメグの冷たい手に自分の手を重ねる水銀燈。
「あたりまえじゃないィ~。勝つのはァ、私だけど、メグとのギター
勝負は楽しみにしてるわぁ」
水銀燈の言葉に酸素マスクの中でかすかに笑うメグ。
その時、水銀燈の携帯電話が着信を知らせる。
「ゴメンね、メグぅ。これから仕事なの。終わったらすぐに来るからぁ~」
そう言うと水銀燈は酸素マスクの中で微笑むメグの頬にそっと
口付けをして病室を出て行った。
ドアを閉めながら手を振る水銀燈にメグも力のなくなった腕をゆっくり
と上げて見送る。
静かに閉じられる病室のドア、それは開きかけていたメグの記憶のドアも
同じように静かに閉じられようとしていることに水銀燈とメグはまだ
気付いていなかった。

                    *

水銀燈は病院でタクシーを捕まえるとPVの撮影が行われるスタジオに
向けて走り出した。
「ねぇ、どうだったのメグの様子?」
水銀燈がスタジオに到着すると心配そうな顔つきの真紅達が集まってきた。
「どうにか大丈夫そうよ、それに発作の後でもォ、私の事を覚えていて
くれたわァ~」
水銀燈の言葉に真紅達も安堵の笑みが広がる。
「メグは病気なんかには負けないの~、きっとヒナ達のことも
思い出してくれるの~!」
「チビ苺にしてはいいこと言うですぅ~」
「私・・・メグさんのギターを・・・また聴きたいな」
「そうね、きっとすぐにメグはみんなの事を思い出すわ。そして
元気なメグのギターも聴けるはずよ」
真紅は祈るような気持ちで言った言葉に水銀燈達は力強くうなずいた。

                    *

その後、薔薇乙女はPV撮影を撮り終え、控え室でお茶を飲んでいた。
その控え室のドアをノックする一人の女性がいた。
「誰か来たかしら~」
金糸雀がドアを開けると、そこには白いドレスを身に着けた巴がいた。
「巴ぇ~、ひさしぶりなの~」
巴に飛びつく雛苺を優しく受け止め、雛苺の頭をなでる。
「雛苺はいつも元気ねぇ」
「こんにちは、巴さん。そのドレス姿は素敵だね」
蒼星石は巴にお茶を煎れながらニコリと笑った。
「あぁ、このドレスはCM撮影の衣装よ、さっきスタッフに薔薇乙女が
このスタジオに要るって聞いたから顔を出しにきたの」
「へぇ~、CM撮影なんだ。巴さん、順調そうだね」
偶然とは時として重なるもので巴と薔薇乙女が控え室で話していると、
4回ほどノックの音が聞こえたと同時にドアが開き目をキラキラと
輝かしながらノリとミチコが入ってきた。
「こんにちは~、あっ、巴もいたの。きゃ~、みんな久しぶりねぇ~」
「こんにちは金糸雀」
「ノリにミッちゃんかしら~、今日はどうしたのかしら?」
「私とミッちゃんね、声優さんでこのスタジオに来たのよ、そうしたら
薔薇乙女って書いた紙がドアに張っていたから顔を出してみたの」
「声優?何の声優かしら?」
「ホラ、今すごい人気がある、くんくん探偵って番組。あれの劇場版
の声優さんになったのよ~。ねぇ、ミッちゃん」
ノリの発言に飲みかけの紅茶を噴出すいきおいで真紅は大声を出す。
「貴女達、くんくんの声優に選ばれたの!?」
「あれ、真紅ちゃん、くんくん好きなの?じゃぁ、これ要る?」
ミチコはそう言うと紙袋から劇場版くんくん探偵の非売品ポスターや
マグカップなどのノベルティーグッズを出してきた。
「あぁ~、あぁ~、素晴らしいのだわ」
目をトロ~ンとした表情でミチコから手渡されたグッズを机に並べて
眺める真紅。
「こんな真紅を見るのは初めてですぅ~、目が完全にイッてるですぅ」
真紅の表情に控え室にいる薔薇乙女と巴、ノリ、ミチコは楽しく笑い出すと、
その笑みと笑い声は柔らかく控え室に充満していく。
それはまるで無くした時間が巻き戻り、あの頃の薔薇乙女とラプラスが
一緒の時間の中ですごした頃を思い起こさせていた。
ただ、今のこの場にメグとオディールがいないのを除いて。

                    *

容態が安定したメグは酸素マスクを外されるまでに回復したが脳を蝕む
病魔は脳の神経組織を破壊し下半身が麻痺しだしていた。
(足が動かせないのが何なの!腕さえ動いたらギターは触れるわ、
もう一度、あの感覚を・・・)
メグはベッドから落ちるように床に這いつくばり壁際に立てかけられている
ギターに近づく。
「うぅ~、もうすぐ手が届くわ」
衰弱した体で病室の床を腕の力だけで這っていくメグ、その無様とも取れる
姿の奥底には誰にも負けない強い気持ちが見えた。
それは無くした自分自身を取り戻そうと必死で戦うメグの姿であった。
震えるメグの指先がギターのボディーに触れると、立てかけてあるギターが
バランスを崩し床に倒れ、ネックにヒビが入る。
「この中に私がいるの、この音の中に忘れた私がいるの」
メグはそう言葉に出しながら倒れヒビが入ったギターを抱きしめる。
その細い腕は定期的に訪れるミオクロニー発作から脳の前頭葉から起こる
複雑部分発作にいたっていた。
激しく痙攣しだし、自分では制御できない体の動きは抱きしめるギターを
大きく揺さぶっていた。
「何よォ、もう少しで自分が掴めそうなのにィィィ!!」
メグは涙を瞳に貯めながら自分の体を呪うかのような声をだす。
その大声に看護婦が急いでメグの病室に駆け込んできた。
そこで見たのは痙攣しながらもヒビの入ったギターを抱きしめ、
涙を流し床で意識を失っているメグの姿であった。
その流した涙と共にメグの記憶と思い出の全ては無残にも
流れ出し、消えてしまっていた。

                    *

「ねぇ、メグ?メグ?」
「・・・」
「メグぅ、私よ、水銀燈よ」
「・・・?」
あの発作の後にも数回ほど小さな発作を起こし、メグの記憶障害と
下半身の麻痺は悪化の道を辿っていた。
ただ、医師による的確な投薬治療なのか、メグ自身の生きる力が勝ったのか
発作の回数は激減し車イスでの行動などは許されるまでになっていた。
しかし、その代償にメグには水銀燈の記憶も残ってなく、感情すら
失いつつあった。
そんなメグは1週間後、両親が迎えに来ることになっていた。
自宅で介護を受けながら地元の病院で治療を行う話になっていたのだ。
こうしてメグと会えるのは後1週間。
「わだじの おみまい ぎてくれてありがとう・・・?」
「水銀燈よ、私はメグの友達の水銀燈よ」
「ありゅ、がとう、水銀燈ざん・・・」
すでにはっきり言葉を発音できないメグを水銀燈は強く抱きしめた。
今や絶大な人気を誇る薔薇乙女の過密なまでのスケジュールのため、
こうしてメグと会えるのが最後になるかもしれない水銀燈は、そっと
メグの耳元に顔を近づけて囁く。
「ねぇ、メグぅ。私は、待ってるからァ~。約束の場所で待ってるからァ」
「約束の場所」
その言葉にメグの瞳に一瞬だけ輝きが見えた気がしたが、すぐに元の表情
に戻ってしまった。

「今、メグは帰っていったよ」
「そう・・・メグは元気そうだった?」
「うん、痙攣や発作は落ち着いてきたみたいだけど、記憶のほうは・・・」
「そう。えっ、解ったわァ、今いくわァ~。ゴメン巴、ラジオの公開収録が
始まりそうなのよ」
「うん、水銀燈も忙しいだろうけど体には気をつけてね」
水銀燈との電話を切る巴は故郷に向かうメグを見届けたノリ、ミチコは
言葉数少なく有栖川大学病院の前にいた。
いつしか秋から冬に変わりつつある東京の鉛色をした空から小雨が
降り出し、巴達の肩を濡らし始めていた。


最終更新:2006年06月20日 18:15