ー空気さえ歪むほどの轟音
ー心を鷲掴みにする歌声
ー季節さえ錯覚させる熱気
ー自分さえ見失う程の高揚
まるで世界から隔離されたかのような体育館
全生徒とも言える人数が飛び跳ね、腕を振り、ローゼンメイデンの作る音楽の海に飲み込まれ狂喜している
それでもこの熱気が、高ぶりが、まだまだ足りないとでも言うのだろうか、水銀燈のギターが嵐のように、翠星石のドラムが暴風のように、蒼星石のスラップが雷のようにステージを揺らし、建物を打ちつけ、観客を更に狂わせる
ーただ一人、冷めた視線でステージを見る隻眼の美少女を除いて
「…………くだらない……」
少女は一言、呟くようにこぼし体育館を後にした
背中にかかる八分を煩わしそうに払い、いや、逃げるように静かに、静かに
*
体育館を後にしてもまだ耳がキーンとする
次第に慣れるだろう、と思い特に気にすることもなく、彼女はふらふらと歩を進めていく
彼女の名は薔薇水晶、髪型は両側をくくりあげたツーサイドアップ、暗闇に映えるような純白の肌に整った指先
そしてー薔薇模様の眼帯
先天的な物で彼女は隻眼だった
義眼にするか眼帯にするか、選択肢はあったのだが何分当時は幼かった
左側の世界にあまり感心が無かったとでもいうのか、気付けば言われるがまま彼女は眼帯を付けていた
その風貌のせいか辛い思いもしてきた、小学校では周りとの違いからいじめられ、中学校でもソレは続きそのまま高校生となった
夜が来るたび薔薇水晶は何度も何度も、何度も何度も何度も!自分の左目を呪った、存在しない左側の世界を切望し、当たり所の無い怒りはどこにも行き場が無く、目を瞑った先の夢に溶かすしか術は無かった
そんな真っ暗な毎日を過ごしていた中学校時代、黒と濁りから見る世界で一つの出会いを果たした
凄く大きくて些細な出会い、彼女は小さな楽器屋の中に光を見た気がした
そんなに立派なものじゃないのは素人目でもわかる、でも薔薇水晶が見たのはソレの外見ではない
ーソレを奏でる自分の姿
「………」
薔薇水晶は根拠もなく確信した
音楽なんか、鍵盤なんかピアニカ以来だというのに、コレは私の世界を照らしてくれる
そう感じたその日の夜
薔薇水晶は部屋に置かれたキーボードの前に座り、自分の指のように白い鍵盤にゆっくりと指を重ねていった
曲とか演奏とかそんな大それたモノではない、それでも、それでも
ー楽しい
それからというもの、薔薇水晶はキーボードに関する本を読み、毎日毎日練習を重ね、いつしか一つ一つのフレーズの中に笑顔を取り戻していった
そうーあの日まで
*
紅葉も進み茜の季節、薔薇水晶の通う中学でも例年の様に文化祭の色に染まっていった
楽しみにざわめく教室、静かに座る薔薇水晶の前、クラスの担任がチョークを片手に合唱祭の役割分担に勤しむ
「じゃあ合唱祭のパートを決めまーす!まずは…ピアノ!誰かいませんか―?」
誰もいないよ―、お前やれよ―ハハハ、そんな空気が教室全体を包む中、薔薇水晶は静かに右手を挙げた
静まり返る教室、まるで彼女の白い右手が教室から熱を奪ったかの様だ、先生も顔には出さないようにしているが驚いてるのは分かる
「じゃあ…薔薇水晶にお願いしようか!曲は《旅立ち》だ、後で職員室で楽譜を渡すから来てくれ」
薔薇水晶はゆっくり右手を下ろし、しっかりと頷く
薔薇水晶には一つの考えがあったのだ、これはいわゆるチャンス、音楽という魔法があれば、みんなと同じ魔法を共有すればクラスのみんなと仲良くなれる、笑える場所が増える
きっと、大事な友達もできる
そう信じていたのだ
*
「いや~しかし先生ビックリしたぞ!薔薇水晶が自ら手を挙げるとはな!」
放課後の学校、下校する他の生徒の喋り声が勉強の場の雰囲気を塗り替える中、薔薇水晶は楽譜を受け取るため一人職員室に来ていた
「っと…これが楽譜だ、あと合唱祭のピアノ奏者は特別にキーボードの貸し出しが許されてるから今日からでも教室で練習出来るぞ、どうする?」
先生の手から真新しい魔法の楽譜を受け取り薔薇水晶は静かに頷く
初めてみんなで歌を合わせるまでにどうしても完璧な演奏をしたい、そのためには早く練習を始めなくちゃ、早く、早く
薔薇水晶の静かな頷きの一枚裏には止まない興奮と確かなやる気が渦巻いていた
「そうか、じゃあソコにキーボードがあるから教室に持っていってくれ、薔薇水晶…先生は楽しみにしてるぞ!」
薔薇水晶の確かな変化に笑みをこぼす先生、つられて彼女の綺麗な口元も緩み優しい笑顔が咲く
薔薇水晶は先生に一礼し、キーボードを抱え、楽譜を抱え、希望を抱え、少しだけ駆け足気味になりながら教室に向かった
もう大半の生徒は学校を後にしたようだ、夕日と照明を浴び、静かに輝く廊下には薔薇水晶の足音のみが映し出されている
「……ふぅ……」
キーボードが重いせいか駆け足だったせいか、教室を前に薔薇水晶の息は少し切れていた
キーボードがドアにぶつからないよう慎重に教室に入る
―誰もいない
机と椅子でさえ眠ってるかのように静かな教室、薔薇水晶にとっては好都合だった、初めてみんなの前でする演奏は完璧にしたいという気持ちもあったから、真新しい楽譜は一人で汚したいと思っていたから
空の茜に地上の茜、静かな世界が同じ色に染まる中に佇む静かな教室の中で、彼女は白い鍵盤に白い指を重ねて一人、楽譜を追った
「~~♪」
慌ただしく太陽と月が入れ替わる茜の季節
秋の夜空に輝く黄色い満月、鍵盤の上に踊る白い指
薔薇水晶は体を少し揺らしながら、笑みをこぼしながら、順調に楽譜を消化していく
今の彼女には左目のように暗い外は見えていないのだろう、見えてるのは右目のように輝く鍵盤
―もしかしたら彼女の左目にもこの輝きは映っているのかもしれない
それ程まで今の彼女の顔は満月の様に、鍵盤の様に輝いていた
「……もう…七時…」
演奏の最中、ふと時計に移した目が時間の経過を告げる、私は三時間ものめり込んでいたのか、流石に帰る時間であるのは彼女にも分かっていた、でも
「…あと…一回だけ…」
止められない、止めなくない、時間は迫っていても時間は無い、薔薇水晶はもう一度今日やった所を復習するかのように演奏を始めた
素敵な魔法、時間さえ止めてしまうかのよう
素敵な魔法、満月さえ踊り出すかのよう
白い指は舞うように、踊るように、練習を続けた
次の日も、その次の日も
*
数日後の放課後、遂にその時はやって来た
―初めてクラスで、みんなで歌を合わせる時
何度も何度も練習した
努力が楽譜を汚している
薔薇水晶は努力を信じ、魔法を信じ、キーボードの前に座り鍵盤に指を添える
短い深呼吸、高まる鼓動、薔薇水晶の指は練習の成果と願いを乗せ、鍵盤の上を元気よく走り出した
夕日に照らされた教室を磨き上げられたメロディーが満たしていく
大丈夫、大丈夫!
しっかり練習の成果が出てる!
薔薇水晶の顔からは思わず笑みがこぼれる
もうすぐ、もうすぐみんなの声が入る
一緒に笑えるんだ!
舞う指はみんなが歌う所まで一気に走り抜ける、その時
「……?」
―どうして?
入るはずの歌声が入ってこない
クラスメートは互いに顔を突き合わせ苦い顔をしている
音楽の時間にはみんなしっかり歌っていた、歌えないということは有り得ない
なら――どうして?
薔薇水晶の演奏はクラスメートの沈黙に殺される
丁度その時だった、列の後ろからクスクスと笑い声が上がる
いつからだろう
外は、暗くなりかけていた
「アンタ、本気だったの―? キャハハハ!」
「マジウケル~ キャハハハ!」
列の後ろから出てきたのは、いわゆる真面目に勉強してる子とは正反対にいる子達
小バカにしたような笑い声の後ろ、他のみんなは静まり返り目線をそらす
薔薇水晶は未だに何が起きたか分からない、ただただ呆然と立ち尽くすしか出来なかった
「私達~初めっからアンタなんかの演奏で歌う気なんて無かったし」
「そうそう、でも毎日放課後まで練習してたから言えなかったの~ごめんね~キャハハハ」
なにを、いってるのだろう
「大体調子に乗って手とか挙げてんじゃねーよ!そんなに目立ちたかったの?薔薇水晶ちゃん?」
ちがう
「変な眼帯しやがって、気持ち悪いんだよ…このバカ水晶!」
やめて
「目が無い代わりに音楽ですか~キャハハハ」
やめて、やめて
「とにかくお前に合わせる気はさらさら無いから、とっとと消えなバカ眼帯」
やめて、やめてやめて
「そもそもお前みたいな奴が人前で音楽することが間違ってるんだよ!」
やめて、やめてやめてやめて
あまりに突然の出来事、それでも何をされてるかくらいは何とか分かる
―今、私は全てを否定されようとしている
「ほら、だからもういらないでしょ?この汚いが・く・ふ」
そう言うと彼女はキーボードの上にある楽譜を取り
両端を掴み、笑いながら
破り、千切り、ゴミ箱に
―沈めた
私は何も言えない、足も震える、世界が滲む、喉が熱い
「もう学校来なくてイイよ、バカ眼帯」
あれから何時間経ったのだろうか
気付いた時、私は自分の部屋のベッドに横たわっていた
外は月もなく、ただ暗黒
もしかしたら雨も降っていたかもしれない、よくわからないけど
震える右手は枕の端をギュッと握っている
濁った右目にはまるで左目の夜が映り込んだかのよう
冷たい右頬にはまだ傷跡が生々しく残る、心の痛みの軌跡
それから彼女は文化祭を迎える前に今の中学を転校し、空っぽのまま高校生となった
ただ一つだけ、もう二度と人前で音楽はしない、それだけを深く深く心に刻んで
最終更新:2007年02月18日 22:50