「ただいま~~」
「あっ、おかえり~ジュン君。遅かったわね」
「あぁ、ちょっとな…それよりお使い行ってきたぞ」
「今からカレーを作るからちょっと待っててね」
キッチンにいる姉に頼まれていた野菜を渡すと、ジュンは浮かれない顔のまま階段を上がって部屋に入った。
あの子も軽音楽部だったのか、これでようやく翠星石に近い人物が見つかったな……でも、あの子、たしかに泣いていたよな、どうやって翠星石の事を伝えたらいいんだ?それにあの子を見たら翠星石の記憶って戻るのかな?
「うわッ!!」
今しがた出合った蒼星石の事を考え、部屋に入ると、目の前に頬を膨らませ、唇をツンッと尖らせ、ふてくされた表情を浮かべた顔だけが壁から出ている。
ビックリした~ッ、翠星石だと解っていてもやっぱりビックリするなぁ~
まだ心臓がドキドキと大きな音を立てているジュンは後ろ手で、ドアを閉めながら壁から出ている翠星石を睨む。
「おい、頼むから壁とか天井から顔だけ出すなよッ、普通に出て来いよ」
「……ニンジン食べる気ですかぁ?」
ニンジン? あぁ、そうか、こいつはニンジンが嫌いって言ってたな、
つーか、そんなことでまだ怒っているのかよ~、人がせっかく翠星石のことを考えてたって言うのに~、クッソ~、腹がたってきたぞッ
「あぁ、もちろん食べるよ、ついでにミキサーでニンジンジュースも作って飲んでやる」
「ひ、酷いですぅ~~、そんなことしたら本気で呪うですよッ」
「呪ってみろよ、この低級霊のくせに、ってカレーができたみたいだな」
「あっ、待ちやがれですぅ~ッ」
姉の声にジュンはキッチンに下りると、テーブルにつき、カレーを口に入れる。
その一連の動作を翠星石は睨みながら監視している。
くそ~、のりには見えないんだよな、それにしてもなんて食べにくいんだよ
テーブルの上で仁王立ちになっている翠星石をなるだけ見ないように食事を進めながら八百屋で出会った蒼星石、そして真紅、雛苺、水銀燈、ドラム、バンド、このキーワードを一つにしようと考えていた。
きっと八百屋で会った子と翠星石は姉妹だろうな、あんなに似ている人ってそう簡単にいる訳ないし…そしてあの子がベースを持っていて、水銀燈だっけ?軽音楽部の部室で会った子、あの子がギター、そして紅茶の詞を書いていた真紅と雛苺も同じ部活でローゼン、ローゼンなんとかって言うバンドを組んでるみたいだし…翠星石は…きっと同じバンド仲間で、ドラムを叩いていたのか…?死因は何だ?病気か?事故か?まさか自殺か?
そんな推測が頭の中で目まぐるしく展開する。
ジュンは食べかけのスプーンを皿に置く。
「あら、ジュン君、もう食べたの?おかわりもあるけど?」
「いや、いいよ、お腹一杯だから…」
ジュンはそういい残し、キッチンを後にする。
あれぇ~?ジュン君いつの間にニンジン嫌いになったのかしら?
皿の端に避けられたニンジン。
それを不思議そうに見ながらも、鼻歌交じりで後片付けをするのり。
その楽しそうな鼻歌を同じように口ずさむ翠星石は、階段を登っていくジュンの後をフワフワと飛びながら部屋に入った。
「まぁ、お前にしてはなかなか気が利いたですねぇ~、特別に今回は許してやるですぅ~だから感謝しやがれですぅ!!」
「あぁ…」
まるで翠星石の声が聞こえていないジュンは空返事をすると、パソコンのモニターに向かってカタカタとキーボードを打ち始めた。
僕の予想が当たっているなら翠星石はこの1~2年の間に死んだはずだ。
もし事故とか自殺なら何かの記事に乗っている可能性は高いよな、まずは翠星石の名前から検索をかけてみようか……
「ほぉ~~ッ、生身の人間のクセに霊体の声を無視するとはいい度胸してるですねぇ~~、おい、お前、翠星石の声を聞いているですかぁ?」
「もう~、ウルサイな~、ちょっと黙っててくれよ」
「な、なんですぅ~、その言い方ッ!!今夜も暴れてやるですぅ、ポルターガイスト現象で寝させねェですぅ!!」
両手を振り回しながら大声で怒鳴る翠星石だが、モニターに映し出された文字を読んだジュンはそれ以上の驚きの声を発した。
「これだッ、見つけたぞッ!!」
モニターを指差しながら後ろを振り返る。
キョトンとした顔の翠星石はそのモニターに顔を近づけて読み始める。
「な、何が書いてあるのですぅ~? なになにぃ~有栖市、有栖川南町の交差点で中学を卒業したばかりの女子生徒…翠星石15歳が…信号無視のトラックに撥ねられ……こ、これは翠星石のことですかぁ……?」
「あぁ、きっと翠星石のことだよ、僕もこの記事を読んで思い出したけど、確かにあの交差点には花が飾ってあったよ、きっとあの花は翠星石に手向けた花だよ、翠星石はあの場所で死んだんだ……」
ジュンの肩越しにモニターを見ていた翠星石は記事を読み終わると、その場に座り込む。
そ、そんな…解っていたですけどぉ、解っていたですけどぉ、やっぱり翠星石は死んでいたのですね……
霊体となり、生前の記憶も定かでない翠星石はどこか自分の死という概念が曖昧であった。
そのため改めてこのように自分は生きてはいない現実と確証を突きつけられた翠星石は突如として虚しさ、寂しさ、そんな孤独感を感じた。
うぅ…辛いですぅ…どうして翠星石は死んだのですぅ?
もっと生きたかったですぅ…もっともっと生きていたかったですぅ…
夜になり実体化した翠星石の涙はポツリポツリと床に落ちていく。
声も上げず、ただ溢れてくる涙は頬を伝っていくだけ。
「ほ、ほら、これ…」
ジュンはポケットからハンカチを差し出す。
翠星石はそのハンカチで顔を隠すように涙を拭ったその時、突如として甘く、暖かい感覚が翠星石の胸の中に生まれた。
この香りは……どこかで嗅いだことがあるですぅ………懐かしいですぅ、
暖かいですぅ………この香りは……蒼星石?
ジュンが翠星石に渡したハンカチは買い物で出会った蒼星石のものだった。
そのハンカチには蒼星石が気に入っている香水、ロリータレンピカの香りが付着している。
そして、その香りの断片から翠星石の記憶が微かに甦ろうとしていた。
蒼星石……名前は出てくるですけどぉ、誰なのか思い出せないですぅ…
でもこの香りは、とても懐かしくて、翠星石にとって大切な…人ですぅ…
ハンカチに付いたロリータレンピカの残り香から生前の記憶がじょじょに姿を見せ始めた。
「……だから…で、……コピー……はヒステ……ないわぁ~」
「……歌より……練習が……だよ」
「…ほぉえ~……なの~」
「……かく……なのだわッ!」
不意に脳裏に甦ってくるどこかの場面と、その会話。
それはラジオのチューナーが合っていない番組を聴いているような雑音混じりの会話。
その記憶の深遠から甦ろうとする会話と場面を翠星石は必死で手繰り寄せる。
誰が何を言ってるか解らないですぅ~、でもぉ~みんな懐かしいですぅ。
お願いですぅ、思い出を…記憶を取り戻したいですぅ~~!!
目を閉じた翠星石は奥歯を噛み締めながらチラリと見える記憶の断片に意識を集中させる。
ここは何処ですぅ…?
そこはありふれた、どこの街にも見られるような通り。
ただ、決定的に違うのは色彩のないモノクロームの街角。
そんな中でセーラー服を着た5人の少女の笑顔が春風の中で揺れているのが見える。
楽しそうに喋っているのは解るのだが、声は聞こえない。
しかし、口の動きと表情から彼女達は何かを歌っているようにも感じる。
笑みを浮かべた一人の少女はギターを弾く真似をし、もう一人は忙しなく両手で何かを叩く真似をしている。
あっ、あの子はもしかして…翠星石本人ですかぁ?
しばらく楽しそうに歩いた彼女達は四つ角に差し掛かると手を振り、それぞれ別れていく。
翠星石が本人だと感じた少女はショートカットの少女と並んで先ほどと同じ笑顔を見せながら歩いている。
相変わらず彼女達が何を話しているのか翠星石には聞こえない。
だが、目を細めて無邪気な笑顔を見せている彼女達の表情から明日が待ち遠しい、きっと今日より明日のほうがもっと楽しい事がある。そう言っているのは容易に想像できた。
楽しそうですぅ、あの2人を見ていたら翠星石まで楽しい感じがするですぅ。
しばらく歩いていると、髪が長い少女が両手を広げて走り出す。
その姿は早く明日、楽しい未来に向かって1歩でも先に行きたい、そう思うほど軽やかな笑みを作っていた。
そんな少女の後ろをショートカットの少女が追いかける。
2人を見ている翠星石には「早くおいで」 「待ってよ」そんな会話が聞こえてきそう。
いつの間にか2人を見ている翠星石の顔にも同じ笑みが見えている。
そんなに走ったら転ぶですよぉ~~
先を行く少女が交差点を渡りはじめる。その後に続くショートカットの少女。
そして交差点に差し掛かるカーブを曲がってくるトラック。
あっ、危ないですぅ!! 何してるですかぁ、トラックが来てるですぅ!!
トラックに気付かない少女は交差点を渡り終わる手前でクルリと振り向き、後ろにいる少女に手を振り出した、その時、翠星石の耳に始めて音が聞こえた。
それは急ブレーキの後に続いて起こった鈍い衝撃音だった。
思わず耳を塞ぎ、目を閉じた翠星石の胸を切り裂く悲鳴がこだまする。
「す、翠星石ぃぃぃぃぃ!!」
黒いアスファルトを赤に染めながら横たわる少女の脇で両膝を着き、今や命の鼓動が消えた亡骸にすがりつく少女の痛々しい悲痛の声が聞こえる。
「翠星石、お願いだよ、目を開けてよぉぉぉッ、誰か、誰か救急車を呼んで下さいッ、お願いします、誰か、翠星石を助けてよぉぉぉ!!」
「キャァァ~~ッ!!」
ジュンの部屋でハンカチを握ったまま悲鳴を上げた翠星石はハッと我に返ると、しばらく苦しそうに肩で大きく何度も息を吐く。
「どうしたんだよ?大丈夫か、翠星石」
「…はぁ~、はぁ~……解ったですぅ……見てきたですぅ」
「な、何を見てきたんだ?」
ジュンがハンカチを渡してから時間にして1分足らずの間に甦った記憶の断片が見せた死の瞬間に、翠星石は涙を流しながら体を強張らせ、ガタガタと震えていた。
「す、翠星石は…事故で死んだのですぅ……」
「思い出したのか? 記憶が戻ったのか?」
自分が死ぬ場面を目の当たりにした翠星石は、ジュンの声に首をコクッと動かし、唇をギュッと噛み締めて答えた。
「す、翠星石は…1年間にトラックに撥ねられて死んだすぅ……」
搾り出すように自身の身に起きた予期せぬ死を説明し終えると涙混じりでやり残した想いをジュンに告げた。
それは、中学の冬に練習した曲を高校に入学したら桜が見える教室で演奏して歌う、そんな仲間達と取り交わしていた約束を守りたい。
「翠星石はもう演奏することができないですね…みんなと歌うことも、ドラムを叩くこともできないですぅ……うっ、うぅ……」
戻った記憶から流れ出す切実な想いに、のどの奥から嗚咽が漏れた。
両手で顔を隠し、背中を震わす。
その手に握り締められている蒼星石のハンカチに涙の染みがうっすらと広がっていく。
「翠星石……」
ポツリと呟くジュンはそれ以上の言葉は出てこなかった。
ただ、か細く泣き濡れる翠星石の肩に手を置き、そっと抱きしめる。
力なく引き寄せられるように胸に顔を埋めた翠星石は、ジュンの背中に手を回すと、ギュッと力いっぱいシャツを握り締め、悲しみを声に出した。
くそっ、僕はどうすればいいんだよ?どうすれば翠星石の魂は助かるんだ?
このままじゃ、翠星石がかわいそうじゃないかッ!
それに幽霊になった翠星石がみんなと一緒に演奏なんかできるはずがないじゃないか、このままだと翠星石はずっと成仏できないのかよッ!
泣き崩れた背中に回した手に力が入る。
その腕にヒヤリとした冷たい感触が伝わる。それは生きた人間のもつ体温と言うべきなのか、暖かさのようなものは一切感じられない。
だが、それ以外はただ泣き咽ぶ一人の弱い少女でしかない。
自分にすがり付き、声を出して泣いている翠星石にジュンは一人の男として何も助けてあげることができない。
それどころか慰めの言葉すら見つけられない。
そんな自分に腹立たしさすら感じた。
何かないのかよ? なにか方法はないのかよッ? 翠星石を助けるいい方法はないのかよッ??
泣きつかれたのか、ジュンの腕から床の中にスーッと掻き消えた翠星石。
姿を消した床の上には涙が数滴ほどこぼれている。
それを見つめながらジュンは眠れない夜を過ごした。
最終更新:2007年03月28日 00:22