私は微笑む彼女達に一礼をし、少しだけ和らいだ空気の中、大事な話を進める。
「それで、ローゼンメイデンに入る話なのですが……」
真剣な顔つきで水銀燈に向かう私に対し、彼女はクスリと笑いながら私を遮った。
「それも変な表現よねぇ、だってアナタはローゼンメイデンなんだからぁ」
「それともパート転向? 記憶の方はどうしたのかしらぁ?」
水銀燈は空になったコーヒーの余韻を優しく口づけするかのように味わう。
その反対側、私の握った手のひらには汗が滲み、体全体が不思議な緊張を知らせていた。
「私は……羨ましかったのです」
「扉の向こうで……同じ世界、同じ感動、同じ喜びから苦しみまでを」
「同じ時間に感じている……アナタ達が」
ぽつり、ぽつりと本音が口から雫のように落ちていく。
何を隠すことも無いだろう。
いま、私は同じ世界で同じ時間にいるのだから。
「その想いが形になって私は今、楽器と一緒にここにいるのです」
「それに、記憶は代行者がいますので御迷惑はおかけしません」
「ふぅん……」
あまり興味が無さそうに、まるでどうでもいいニュースを見たかのように、水銀燈は鼻を鳴らし足を組む。
彼女にとって大事な事はこの話ではなく他にあるのだろうか、そう思わせるくらい彼女の反応は淡白なものだった。
「で? アナタはなぁにい?」
「私は……」
水銀燈の口から離れるコーヒーカップと入れ違うように、私はケースをテーブルに置く。
優しく、静かに。
「……フルートです」
「ローゼンメイデンにはフルートがいないから……きっと役にたてるはずですわ」
――瞬間、水銀燈の目が変わる。
歓迎とはとれない目つき、完全に怒っているかは分からないが……確実に怒りに近い感情が前面に押し出されている。
「え……」
今にも胸倉を掴まれそうな。
今にも頬を張られそうな。
そんな冷たくも熱い眼差しに、私は思わず視線を彼女から外した――いや、逃げた。
「アナタは何か勘違いをしているようねぇ……」
ひしひしと空気を走り伝わる緊張。
彼女の口調は変わらない、それでも……雰囲気だけは確かに変わっている。
「ローゼンメイデンにはフルートがいないから……役に立てるぅ? とんだお馬鹿さんねぇ」
水銀燈は吐き捨てるようにそこまで言い、グシャリ、とコーヒーの入っていた紙コップを握りつぶし席から立ち上がった。
その時、チラリと見てしまった彼女の目は――
「悪いけど……ローゼンメイデンにはフルートも、トランペットも、ヴァイオリンもいらなぃからぁ」
怒りの形となった紙コップはテーブルの上で倒れ、寂しい影を残している。
「それでも入りたいなら……そうね、一日だけあげるわぁ せいぜい納得のいく答えでも用意しなさぁい」
「私達は明日もレコーディングでここに来るから……それまでにどうするか決めといてねぇ」
銀髪をなびかせ後ろ姿。
――いらないから
一つの言葉が耳鳴りのように、遠吠えのように頭の中をを走る。
それは凄くうるさくて、聞きたくなくて、心が――痛くて
再び訪れた重い空気の中、天井の蛍光灯が映し出す悲しく、砕かれた紙コップの影が私にはさっきよりちょっとだけ大きく、映る世界の全てが霞んで見えた。
「…………」
ボーっとした頭、おぼつかない未来に霞んだ過去。
私はまた、朝ふらりと訪れた公園のベンチに座り、木を見ている。
「…………」
木の向こう側には暖かな夕焼けが映え、それを浴びた木は朝の猛々しい面影を隠し、ただただ寂しく、静かに座っていた。
近くの砂場には幼稚園くらいだろうか? 数人の子供が楽しく砂山を作ったり、追いかけっこをしたりして過ごしている。
「…………」
これからどうすればいいのか……
あの時、なぜ私は強がってしまったのか
――
―――
――――
「ぅ…………」
ポタポタとテーブルに、手の甲に痛みの形が零れ落ちる。
泣くまい、と思っていたが……駄目だ
なら声は出すまい、と思っていたが……
ギュッと拳を握り、唇をギュッと噛み、ギュッと目を瞑る。
喉が痛い、頭の先が熱い、嗚咽が止まらない。
「ズッ……グスッ……」
……ローゼンメイデンのみんなとこうして会うのは初めてだ、だからこそこんな姿は見せたくない
でも……だめだ
頭ではそう意識しても、どうしても涙が止まらない、痛い、苦しい
たすけて……ほしい
「……大丈夫かい? 雪華綺晶」
「ぅ……ぇぅ」
下を向いて動けない私の肩に優しく触れて、蒼星石は青薔薇の刺繍されたハンカチをポケットから取り出し、私の痛みの軌跡に優しくあてがった。
「……蒼星石」
それを追うのは冷たい声、真紅は後ろから蒼星石を呼ぶ……いや、違う。
その口調はまるで蒼星石の行動を止めるかのような……そう、まるで蒼星石が何か悪いことをしていたのを止めるかのような口調だった。
「でも真紅…………うん……分かったよ」
蒼星石は一瞬困ったような顔を見せ、去り際に私の頬を伝う涙を拭った。
どうして……
わからない……水銀燈も、真紅も、みんな、みんなが冷たく当たる。
私は……何をしてしまったのか
何が……私を追い詰めているのか
「……みなさん……ご迷惑をかけて……グスッ……申し訳……ありませ……んでした」
「私、は……大丈夫で……ズッ……す……」
絞り出すようにようやく出た言葉。
最後の抵抗、とでも言うのだろうか。
私に残された最後のプライド、私はそれだけを守るのに必死だった。
「では……」
逃げるように、すがるように、私は楽器のケースを掴みスタジオから去った。
歩が進めば進むほど、せっかく拭ってもらった頬に再び涙が走る。
どこかに行かなきゃ……
ただそれだけを考えて、走って、走って、走って……ここにいる。
――――
―――
――
「…………」
こうして座っていると、とこしえの時間さえ過ぎた気さえする。
寂しい木に見つめられるのは寂しくて、楽しそうにはしゃぐ子供達を見ているのは悲しい。
それを紛らわすためか、何でもいいから前に進みたいだけなのか、私は心のモヤモヤの奥からフルートに手を延ばした。
「……やっぱり……冷たい」
伝わるのは初めて触れた時と同じ温度。
孤高の冷たさの中に感じる確かな存在感、ソレはまるで意志さえ持つかのようにこちらを見つめている。
私はその視線に応えるように静かにフルートを組み、静かに――さえずる。
……楽しい
鳥の声のようなその音色、至高の美酒、究極の悦び。
私はまた、ソレに夢中になって……
「――ちょっと」
夢中に
「――雪華綺晶」
なって……
「雪華綺晶!」
――!
「……真…紅?」
「こんな時間まで、やっぱりアナタだったのね……ハァ」
……こんな時間?
真紅の言葉に視界が広がる、辺りを見回すと夜空では月は歌い、星は踊っていた。
子供達の声は欠片も無く、老木は闇に溶け、残されていたのは私と……
「いい音ね」
真紅はポツリとそうこぼし、ギターケースを肩から正面に回すと私の隣にそっと座った。
夜風になびく月色のツインテールは静かに優しい香りを纏い、ゆらゆらと踊る。
「不思議なフルートね、その音色にはどこか……惹かれるモノがあるのだわ」
白く繊細な指先を月に通しながら、真紅は私のフルートに向かう。
「ふふ……落ち込んでいたの? 雪華綺晶」
「アナタも……なんてことない、少女だったのね」
クスっと真紅は優しく私に微笑みかけ、膝の上で両手を絡ませた。
「私の事なら……大丈夫ですわ」
煩わしい訳ではない、嬉しくない訳でもない。
ただ、今は真紅でも水銀燈でも……誰とも話したく無い気持ちだった。
「大丈夫、ねぇ……」
「アナタ……お金も無ければ寝床も無いでしょう?」
「……」
確かに彼女の言うとおり、私にはお金も宿も無い。
こうして意識するまでは気付かなかった……確かにこちらの世界では必要なモノだ……お金も、寝床も。
「ほら、行くわよ」
「……え? ちょっと」
真紅はベンチから立ち上がると、ケースを肩に担ぎ私の手を強く握りしめ、私を立ち上がらせた。
つられて私の影も姿を伸ばし、形を変える。
「ちょっと、え? どこに行きますの?」
真紅は私をグイグイと引っ張り歩いていく。
硬い指先は少し痛くて――温かくて。
「私の家よ、どうせアナタ……アテ、無いのでしょう?」
「…………」
沈黙は肯定。
星のライトに月のステージ、私の影はなされるがままに公園から連れ出され、踊るように姿を消した。
最終更新:2007年04月18日 00:28