モニタの前のみんな、こんにちは。 Rozen Maidenの雛苺なの。
ミュージシャンとしてはまだまだだけど、メンバーのみんなの助けを借りて日々奮戦しているのよ。
一流アーティストになることはとても長くて急な険しい道のりなのだわって真紅が言っていたのよ。
ヒナは背が低いからベースもギターも手が届かないし、シン……セ? もひけないの。
だけどお歌を歌うのはとくいだから、こーらすとかはもりとかをしているわ。
あーとかおーとかばっかりだけどね、みんなに合わせて歌っていると、ヒナもメンバーの一員なんだって実感できるの。
真紅みたいなきれいな声を出せるようになるのが目標なのよ。
ライブでステージに立つと、ライトがまぶしくて、まわりが真っ白になっちゃってね、
会場にはメンバーもおーでんすも何万人もいるのにね、ヒナ一人でいるような気分になるの。たまにね。
その瞬間が怖くてさびしくて、でもなんだか熱くてふわふわして……
……っと、トモエの家にとーちゃくなの!
トモエはいつも遊んでくれるの。お菓子もくれるし大好きなのよ。
それとね、練習のお手伝いもしてくれるの。だからトモエもRozen Maidenの一員なの!
いくら雛苺の身長が低いとはいっても、インターホンを鳴らすことぐらいはできる。
「はい」
どこの家庭でもあまり代わり映えのしない音のあと、立派な門の向こうから声がした。
そして声の主は戸を開け、来客の姿を認めた。
「こんにちはーなのー!」
「あらヒナちゃん、こんにちは。今日も元気ねぇ」
出てきたのは巴の母親。優しく穏やかで物腰が柔らかく、とても40代後半には見えない。
ちなみに彼女の左目の下にはほくろがある。巴と同じ位置だ。
「ういー! ヒナはいつも元気いっぱいなのー! ……トモエはー?」
「ええ、いま呼んでくるわね。……巴さーん! ヒナちゃんが来てますよー!」
巴の母親は巴のことをさん付けで呼び、巴は母親のことを『お母様』と呼ぶ。
「はーい」
トッ、トッ、トッと足音が下りてくる。
「トモエ! ひさしぶりなのー!」
「こんにちは。ヒナちゃん、いい子にしてた?」
「うい! ……上がっていい?」
「くすっ……ヒナちゃんはいつも元気ね。どうぞ、いらっしゃいませ」
「おじゃましまーすなのー!」
*
――何かを食べることと話すことは、ふつう同時にはできない。
しようとすれば、両方おろそかになるのは目に見えている。
「もぐもぐ……ほんごがふひょくのえんひゅーひふぁいろよ……」
雛苺は苺大福を頬張りながら巴に話しかける。
そんな雛苺を見て、巴は思わず笑みをこぼす。
「くす……何言ってるのか分からないよ。おしゃべりは飲み込んでから。ね?」
雛苺は目をくりくりさせながら飲み込もうとするが、苺大福はなかなか喉を通らない。
「ふはぁ……うーとね、こんど出す曲の練習したいのよ。……トモエ、……手伝ってくれる?」
のどに詰まった苺大福をアイスミルクティーで流し込み、雛苺は再度問いかけた。
「うん、いいよ。えっと……私が真紅ちゃんのパートを歌えばいいのね。スコア見せてくれる?」
「はーいなのー」
「ありがとう」
巴はぱらぱらとページをめくる。
手書きの譜面をコピーしてあるだけのものではあったが、こと細かに注意書きが施されており、その注意書きさえも達筆だった。
丁寧でいてどこか温かみのある筆跡。
「あら、今回はあまり難しそうじゃないのね」
「うん……カラオケで歌うのに簡単な歌がいいってお父様が言ったの」
『お父様』とはローゼン、Rozen Recordsの社長のことである。
血縁がないのに、なぜ雛苺は彼をお父様と呼ぶのか。
ローゼンは10年ほど前、娘を病気で亡くしている。
そして雛苺もまた、交通事故で両親を亡くした。
カーブに差し掛かったとき、居眠り運転をしていた対向車線のトラックが車線を越えたことによる正面衝突。
無慈悲なまでの衝撃を真正面から受け、鉄の塊が一瞬のうちに縦方向に潰れる。
5時間後、惨劇の車内から救出された雛苺は孤児院に預けられた。
あるとき、ローゼンは孤児院を訪ねた。理由は彼自身にも分からない。
楽しそうに遊ぶほかの子供たちと距離を置いたところで、雛苺はただただ独りで絵を描いていた。
そこに一切の感情は無く、彼女はただ『絵』を描いていた。
──画用紙一面を真っ赤に塗りつぶすだけの行為を『絵を描く』というのなら。
ローゼンはそんな雛苺の行動に強い衝撃を受け、彼女を引き取り、我が子のように可愛がった。
雛苺もまたローゼンの愛情に応えるように徐々に感情を取り戻してゆき、今では誰よりも明るい少女になった。
現在18歳であるにもかかわらず彼女が精神的に幼いのは、彼女の心が何年もの間停まったままでいたからだ。
「そんなことまで考えてるんだ……すごいね」
「けど真紅はイヤな顔してたの。
『カラオケで歌うことを考えて曲を作るなんて愚かね。
こだわりも何もあったものではないわ』って」
雛苺が真紅の声まねをしてみせる。これがなかなか似ていて、とても滑稽だ。
「くすっ……真紅ちゃんらしいね」
雛苺は、このとき真紅が『これじゃあ私の見せ場が……』と小声で言っていたのを聞き逃しはしなかった。
「けどお父様は『ハッハッハ! それは違うなあ真紅ちゃん! 単純な歌だからこそワザが光るんじゃないか。
それに、わざわざ難しい歌を歌って歌唱力を誇示する必要はないだろ?』って言ったの。
そしたらね、ちょっと考えてから『……そう……ね。それこそ真紅の真価の見せ所なのだわ』ってナットクしていたのよ」
当の真紅様は、カラオケで歌うファンが『ローゼンの真紅はすごいよねー』とか言っている姿をご想像になっていらっしゃった。
「そんなことがあったの……社長も手ごわいね」
「うん」
「くすくす……じゃあ、始めよっか」
「うい!」
五本の平行線の並ぶ独特の
ノート。
書き手はもちろん真紅である。
「どこから?」
「……うーとね、1ページの3段め、イントロの次がもうサビだからここからヒナの番なのよ」
「うん、じゃあいくよ?」
人口密度の低い静かな町に、ふたりのよく通る声が響く。
*
「今日はここまでにしよっか」
雛苺は1時間も経たないうちに覚えた。
今まで脳に何も入れていなかったぶん、新しい情報がスムーズに頭に入ってゆくのだ。
「……ふいー……つかれたのー……」
「お疲れさま。今、お茶淹れてくるわね」
「うい! ありがとー!」
「おまたせ」
巴がドアを開けると──
「すぅ……すぅ……」
さきほどの練習で疲れたのだろう、雛苺は眠っていた。
巴は優しい気持ちになり、床に横たわる雛苺に布団をかけてやった。
窓を開けると、心地よい風が入ってきた。
巴は窓の桟に頬杖をつき、沈むのが日に日に早くなってゆく紅い夕陽をぼんやりと眺めていた。
「んぅー……まぶしいのー……」
見ると、強い西日がその顔に直接当たっていた。
「おはよう、雛苺」
「にゅー……トモエ?」
雛苺は寝ぼけていた。
「くすっ……」
ちゅっ。
巴は、雛苺の額にやさしくキスをした。
「うゅ? ……ヒナ、ねてたのー……」
雛苺のとろけそうな寝起き顔に、思わず頬が緩む。
「トモエ、いまなんじー?」
「3時だよ」
巴は雛苺の頭をなでながら言った。
「……さん、じ?」
「うん、3時」
「た……」
雛苺は掛け布団を払いのけて起き上がり、
「タイヘンなのー! 『くんくん』始まっちゃうのー!」
叫んだ。
柏葉家にはテレビは1つしかない。それは巴の部屋ではなく、一階の応接間だ。
雛苺が階段を元気いっぱいに駆け下りると、勢いあまって足を踏み外しかける。
「わわ……っと」
「慌てないで」
「へいきよー」
「もう……」
ヒヤヒヤものである。
*
『まて! ダーク・ラビットⅢ世!』
『ふはははは! また会おう、くんくん!』
人形劇『たんてい犬くんくん』は子供向けの番組であるにもかかわらず、さまざまな年齢層の視聴者から支持を得ている。
「ふいー……今日もくんくんはかっこよかったのー」
深いため息を付きながら、雛苺は目を輝かせる。
「脇役もなんだかみんないいキャラよね」
巴もこの番組のファンだったりする。
『くんくん』が終わった。時刻は3時半。
「雛苺、メンバーのみんなは仲良くしてくれる?」
「うぃ、みんな優しいの!」
「そっか。……よかったぁ」
「えう? なんでトモエがよかったの?」
「雛苺は寂しがり屋さんだからね、心配なの。仲間外れにされてないかなぁ……泣いてないかなぁ……って」
「だいじょーぶ! ヒナは強い子だから、しょーがいにもうんめーにも負けないの!」
「くすっ……それなら安心ね」
「うぃ!」
「ばいばい、トモエ!」
ハリのある元気な声が響く。
「ばいばい、雛苺」
家を後にする雛苺、見送る巴。
巴の手には、巴の似顔絵がしっかりと握られていた。
おわり
最終更新:2007年04月09日 16:52