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龍の棲家に酒臭い日記 - (2011/09/02 (金) 22:01:41) の1つ前との変更点

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**龍の棲家に酒臭い日記 ◆wqJoVoH16Y 既に太陽は御身の半分以上を海面から顕わにしていた。 空は僅かな星々が夜の名残をのこすだけで、紺色の空は青に転じようとしている。 雲はいち早く陽光を浴びて白く輝き、流れる風を受けて空を泳いでいた。 今日も暑く、長い日になるだろう。木々と葉に斑と隠れた森から見上げただけでもそう思うに十分な空だ。 そんな風戦ぐ森の中で、セッツァー=ギャッビアーニは寝ていた。 地面に茂った草を床に敷き、朝日の程良い熱を薄衣と自らに掛けて、手頃な厚さの書物を枕にして横になっている。 「随分と余裕だな。この殺し合いの中で他者の前で寝入るとは」 手頃な木々に腰かけたピサロは寝入ったセッツアーを嘲る。 その手に武器を備えている無粋を差し引いても、新緑の光の下で銀の髪を輝かせる男は、それだけで絵画のように世界に調和していた。 「こう見えても健康には気を使う方でね。幾夜を越えてギャンブルに興ずることもあるが、無駄な不養生を自慢する気もないのさ」 くく、と軽い嘲笑が森に木霊する。如何なギャンブラーといえど、自らの意識まで種銭にして眠り入るはずもない。 度胸と無謀の境を知る男は、眠ることなく、しかし限りなく眠りに近い形で休んでいた。 良く見ればその周囲にはパン屑と煮干の欠片が散っている。蟻や猫が見れば、これ天恵と巣穴に運ぶだろう。 「私の眼前で眠るのは養生と言えるか?」 「ああ、言えるね。旦那が目を光らせている、これほど安心できる“今”なんてそうそう得られるもんじゃあない」 セッツァーは横になったまま、ガサゴソとデイバックの中を漁り、水と食料をピサロに向かって投げた。 信用の証のつもりだろうか。ピサロは何も言わず、水だけを手にして口に含んだ。 賭けの場では全神経を張り巡らせるが、一度張ればそこに疑いも迷いも見せない。 いつの間にか『旦那』とピサロを称する、この妙な愛嬌もまたセッツァーの処世である。 「腹が減ってはなんとやら。一度戻ったのは正解だったな」 「どうだかな。腹が膨れたところで、人が死ぬわけでもなかろう」 寝返りを打ったセッツァーの眼の先に、天罰の杖の触り心地を確かめていたピサロがいた。 ブリキ大王の上で幼い少女を撃破した彼らが一拍を置いて先ず向かったのは対主催がいるであろう南ではなく西だった。 その目的は、彼らの最大の障害と成り得るアシュレー=ウィンチェスターの必死だ。 ブリキ大王一台を使い潰してまで得たものが『“これならきっと”アシュレーは死んだ“だろう”』では割に合わない。 『アシュレーは死んだ』でなくてはならないのだ。事実は短い方が善い。 故に彼らは西へ赴き、偉大なる死体を探した。 当然、死体でなければ死体にするつもりで。死体であればどれほどの奇跡を以ても蘇らない死体にするつもりで。 結果から言えば、彼らは然程労苦することなく目的を達した。死体を辱める必要もなかった。 そこには、何の抑揚もなく“崩された”人間の部品があっただけだったのだから。 (ハロゲンレーザーを破った金色の光、人間の業とは思えない死体……まさか、な) セッツァーが与えたダメージと死体に残った痕の帳尻が合わない事実は、容易に理解できた。 それはつまり、アシュレーを“殺し直した”バケモノがいたということだ。 そしてそのバケモノの名前は、簡単な消去法によって自ずと浮かびあがる。 ゴゴ、下の下の物真似野郎。セッツァーの知らない誰か。 セッツァーは瞼を閉じてその時をトレースしていた思考を遮断した。 感情は選択の精度を鈍らせる。直観は信ずるべきだが、思い込みはギャンブラーにとって最大の毒だ。 アシュレーを殺したのがゴゴであると決め打つことに何のメリットもない。とびきり染みた化物の参加者が1人いる。それだけで十分なのだ。 そう考えればアシュレーの武器と、デイバックを3つを入手できたのは“半分”僥倖と言えた。 武装の拡充、使い捨てできる糧抹の充達は確かに僥倖だ。 「余計なものさえなけりゃ、大満足だったんだがな。クソ」 栞を一枚指でヒラヒラさせるピサロの姿が面白くないのか、セッツァーは再び寝返りを打ってピサロから背を向けた。 確かに、あの花の栞が何枚もあったことは面白くない。 何故面白くないのかが理解できないことが、また面白くない。 面白くないのに捨てる気になれないのが、輪をかけて面白くない。 だが、何より面白くないのは振り向いた先にぽつねんと置かれた捩じれた首輪だった。 死体から回収されたものではない、明らかに首から引き千切られ、尚爆破していない首輪――――――“外された首輪”だ。 (もう外した奴が居やがる。オディオが大掛かりなアクションを起こしてないってことはまだ逃げた奴はいないだろうが……急ぐしかねえ) 1個出てきてしまえば、2個目を疑わぬ莫迦はいない。だが、勝者を目指す彼らは敗者の逃亡を許容できない。 首輪を外せる何某かの術が存在するという確かな光は、断固として摘まねばならないのだ。 「あまり焦りを表に出すな。お前が選んだ休息だろう。唯でさえ矮小な人間が、より小さく映るぞ」 「アンタがそれを言うのかい? あの光を見て、あれほどまでに取り乱した旦那が?」 そう言ってセッツァーがせせり笑おうとしたその瞬間、轟とピサロの手にあった栞が魔炎に包まれ、僅かに残った灰も手で握りつぶされた。 セッツァーは常と変らぬ素振りで鼻を鳴らしたが、その背中でつうと汗が垂れるのを感じた。 僅かなりともこの魔王と行動を共にしたセッツァーは、ピサロの理性と感情の境目を感覚的に理解し始めていた。 その上で、今のは踏み込み過ぎたと反省する。あと半歩踏み込んでいれば、この薄氷の如き盟約も一瞬で瓦解していただろう。 そう、本来ならばここで休息する暇は無かった。 アシュレーを倒し、少女を見逃した彼らは“先んじて遺跡に向かう心算だったのだ”。 それこそが、少女や物真似師を無理して追撃せず、敢えて見逃した理由だった。 ブリキ大王を用いるとはいえ3人を全員を倒そうとすれば何処かしらに無理が生じ、手傷を負う可能性があった。 故に彼らはその束ねた力をアシュレーの必滅に向け、残りには別の役割を与えたのだ。 それが、敢えて残党をヘクトル達の懐に潜り込ませること。 残党を意図的にもう一方のチームに送ることで、セッツァー達3人の存在を示し、ジョウイの計画をズラすことだ。 自分達の存在を知れば、容易にジョウイが目論む南征へと動けまい。後顧の憂いを絶つべくこちらを狙うことも考えるだろう。 ジョウイが獅子身中の虫である疑惑を含め、暫くは喧々諤々の云い合いが続くはずだ。 その隙に右脇を縫って遺跡へと先に入り魔王と同盟交渉を結ぶなり、いっそ遺跡を縦に潰す工作をするなり、優位を確保する。 そのハズだった。あの雷光を見るまでは。 『何故……何の故にだ、勇者よ! お前がそれだけの光を持っていたというなら、何故この光はロザリーに届かない……ッ!!』 あの時のピサロの慟哭をセッツァーの鼓膜が思いだす。 移動を進めようと先ず東に戻ってきた矢先、黎明に輝く空に見たのは、莫大な雷の塊だった。 セッツァーにとっては賭け先を変え得るに足る脅威として、ジャファルにとっては疎ましき光の極点としてしか映らなかったもの。 だがこの魔王にとっては、その痩躯を怒りに漲らせて尚足りぬ光だったのだろう。 あの眩き光が真の光だとしても、否、真の光だから故に“世界が光に充たされぬことを知ってしまう”。 当り前だ。全てが光に照らされることなど無い。 ここにジャファルという闇がいるように。太陽と空の全てを求めるセッツァーがいるように。光を失ったからこそピサロがここにいるように。 全ての夢が叶うことなど、無い。星の全てを照らすことができぬように、全てが救われることなど無いのだ。 「それを言われちゃあ仕様が無い。とりあえず、ジャファルの調査を待とうぜ。  あれほどの現象が起きたのなら、場は大荒れのはずだ。出目の張り直しをするしかないさ」 なんしか気を静めたらしいピサロを見ながら、セッツァーは再び寝転がって空を仰ぐ。 あの雷光を見てから表向きは平生を保っているが、それが逆にピサロの中で何かを渦巻かせていると教えていた。 ここで動くのは不味い。そうしてセッツァーは冷静に冷酷に、休息と調査に目を張ったのだ。 この中で一番斥候に長けたジャファルに雷光の着弾点周囲の状況調査を願い、放送まで休息することを選んだのだ。 こうして、彼らは緩やかな夜明けの陽光の中で休息を取っている。これが最後の休息になると思っているかのように。 「そこまで気にするかい、旦那」 「……瑣末だ。勇者という名前にも、魔王という名前にも。この想いの前にはな」 燃え散った花の栞の灰の一抹が風に浚われ切るまでを見届けたピサロは、誰に語るでもなくそう言った。 例え勇者が全てを救うのであっても、対を成す魔王が誰かを救っては成らぬ道理は無い。 否、救いたいと言う願いの前には、勇者と魔王の違いなど瑣末だ。 『ピサロ』が『ロザリー』を願う。その想いの前には、たとえ勇者の光であっても邪魔は許されない。 「――――――――――名前、ねえ。“まさかあの女に感化されたか”旦那?」 強さを増す陽光に僅かに目を細め、セッツァーは不快を顕わに言った。 それを見たピサロが、最早値無しと鼻を鳴らして会話を打ち切る。 木漏れ日と木々のざわめく音だけが残り、セッツァーは再び瞼を閉じた。 その裏に浮かぶ、あの船で最後に起きた出来事を追い払いながら。 ―――――・―――――・――――― 今は昔。セッツァーとジャファルがピサロと仮初の盟約を結び、アシュレー達を討たんとする前の話。 そう、同盟を組んだ彼らが未だアシュレー達かヘクトル達か、どちらを攻めるか決めかねていた時のことだ。 いずれにしても座礁船に居座ることに意味は無く、船を出ることにした彼ら。 発つ前の餞別とばかりに、彼らは何かめぼしいものが無いかと船内を物色していた。 ジャファルが言うにはこの船の造りは彼らの世界の海賊船のそれであり、その船内には武器屋や道具屋もあったという。 流石に死者の落とし物が見つかるとまでは期待できずとも、せめてもう一度調査をせずに出るは惜しい船だった。 「やはり、めぼしいものは無いか」 「流石にそこまでアンフェアでもないか。いや、あのオディオなら当然か」 金銀財宝はあれど、経済の意味が異なるこの場所ではそれは宝とは言えない。 あらかたの調査を終えたジャファルに、セッツァーは首をすくめて手をひらひらと泳がせた。 今までの放送からもあからさまに伝わるオディオの人間に対する憎悪。余りに強い憎悪は、逆に言えばどの人間にも等しい憎悪だった。 聖人であろうが、道化であろうが、英雄であろうが、魔王であろうが、 幼女であろうが、勇者であろうが、人間である限り皆オディオの憎悪すべき対象なのだから。 故に、オディオが特定の誰かに過度に肩入れをするとは思えない。ある意味、オディオは黒一色のルーレットともいえる。 ならば、これ以上を思索と探索に費やしても仕様が無い。早々に調査を終えて、ヘクトル達の動向を抑えるべきか。 上から順に降りてゆき最後に辿り着いた酒蔵で、彼らはそのルーレットに僅かにあった『傷』を見つけた。 無法松があれほどに呑んでいた以上、酒蔵があることは承知だった。重要なのは、無法松が動かしに動かした樽の向こう、その紋章だった。 「紋章、魔力を備えると言うことは、唯の落書きではないな」 「これは……真逆、転移の紋章か?」 眇めるように紋章に流れる魔力を見定めたピサロと、その紋章に驚きを示すジャファル。 魔力と知識によって、唯の落書きは意味ある紋様となった。そして、ギャンブラーが手に取ったカードが、紋を門に変える。 「何か意味のあるサインだと思ったが、秘密の部屋への招待状ってか…?」 「まさか、ここにもあると言うのか。ブラックマーケットが」 紋章の周りの空間が歪み、秘密の店への扉が開く。 ブラックマーケット。選ばれた者だけが持つカードを持った者にのみ、戦場の何処かにある扉を開いて招く闇の市。 場所にもよるが、そこに並ぶ品はこの海賊船の品揃えとは比べ物にならないだろう。 「入るつもりか?」 歩を前に進めたセッツァーに、ピサロは大した感情もなく言い棄てた。危険を案じる要素は微塵もない。 「こんなものを用意してるってことは、何もありませんでしたってオチはないだろう。  鬼が出るか蛇が出るか、俺達の新たな門出に運試しと行こうじゃないか」 そう言って、彼らは虚空の暖簾を潜る。 そこにいるのがある意味鬼であり、ある意味爬虫類であることも知らぬまま。 ブラックマーケットと言えば、どんなものを想像するだろうか。 銃火器、薬物、お花、内臓etcetc。それは莫大な金額を積んで買い取るものか、自分のLvを売って得るものか。 いずれにしても、その名の通りブラック―――――闇の黒を想像するだろう。 光射さぬ闇の世界の商い、その最前線。薄暗い路地に、微かな灯りだけを導に商いを行う。そんなところではないのだろうか。 「……俺の知っているブラックマーケットと違う」 ジャファルはニノの関わらぬ状況では珍しく露骨そうに厭な顔を浮かべ、ぼそりとそう洩らした。 そういう意味では、この光溢れる真っ赤な部屋構えは明らかに闇市とは程遠かった。 朱で染め上げられた壁と柱。掛け軸には人体の構造図や巨大な手相を記したものが並んでいる。 四角をグルグルと重ねたような仕切りがあるだけで、部屋はそれほど広くは無く、奥にもう一つ暖簾があるだけだ。 狭い、店というには余りにこじんまりとした店だった。 目ぼしそうなものは、壁に寄せられた木製の薬棚と本棚、店の中心に置かれた四本足の机。そして空いた椅子と――――― 「……あんなところに乳があるな」 「ああ、乳があるな」 机の奥に見えるどんもりと乗ったおっぱいに、セッツァーはチンチロリンで六面全部ピンのサマ賽を振られたような面をしながら吐き捨てた。 一方ピサロは、本気で有象無象の脂肪の塊としか見ていない目で、事実だけを反芻した。 見なかったことにして帰ろうか。決して相容れぬ3人は奇しくもこの時意見を同じくした。 酒蔵の酒精に当てられたのだろう。潮風を浴びて目を覚ませば、元通りになるはずだ。 そう思いたかったが、部屋全体から漂う酒の匂いと、小刻みに震える双丘を見てはここを現と認めるしかなかった。 「あ゛~~~~~ひゅへもにょ~~~~~? だぁんみゃじにゃひ~~~ にゃは、にゃはははははは」 グイ、と反りかえった背中が弓なりにしなり、漸く乳から上の形が繋がる。 紅い蓮のような、誰が見ても異文化体系の衣装<チャイナドレス>。端正の整った顔にズリ下がった縁なし眼鏡。 ピサロのように細長く尖った異形種の耳。酒に蕩けても蠱惑的な瞳。 「ん~~~、え゛……もひかひてぇ……ぉたおぎゃくざんんん~~~?」 海賊船の酒蔵の中には、酒臭い店。酒臭い店の中には、酔っぱらった女店主。 「――――――えー、コホン。はぁーい。メイメイさんのお店へようこそぉ♪」 今更に取り繕ったような営業スマイルを現わしながら、店主はその屋号を掲げた。 この頭痛を忘れる為に酒を呑むべきか、酒にやられてこの頭痛を生んでいるのか、セッツァーは賭ける気にもならなかった。 「だーってさぁ、こうもお客が来ないと、これくらいしかすることないじゃない?」 店の主はケラケラと笑い、呑んでたらあぶり肉も欲しくなっちゃうわねぇなどと言いながら盃に充たした酒を呑む。 状況に追従し切れない客達は黙ってその盃が空になるのを待つしかなかった。 少なくとも、会員専用の秘密の店がが万人繁盛だったらそれはもう秘密でも何でもないだろう。 『いつでもどこでも気軽に利用出来ちゃう、それがメイメイさんのお店なのッ!』 とへべれけになって言われても、説得力が無い。どんな看板を掲げても偽り有りと云われるだろう。 「OK。アンタがアルコール中毒なのもここがどんな店なのかもとりあえず後回しだ。アンタ、誰だ?」 「私ぃ~~? メイメイさんはぁ、見ての通り、どこにでもいるぅ、普通の、敏腕せ・く・し・ぃ店主Aよぉ?」 やけにその4文字を強調して、店主は腕を上げて脇を見せつつ妙に腰をくねらす。 エドガーほどまでとは言わないが、マリアに扮したセリスを拐したセッツァーも女性の扱いは心得ている方である。 そのセッツァーが思った。いつ以来だろうか、女を本気で殴ってもいいかと思ったのは。 「あ、疑ってるでしょ~~~。いいわ、ここで引いたら女もとい店主が廃るッ!」 その不満MaxHeartな表情を察したのか、店主は足元から何かを取りだそうとする。 3人は戦う気か、と僅かにそれぞれの武器に手を伸ばしたが殺意の無い店主の様子に、それ以上の動きは見せない。 「こうみえても私、占い師なのよ。貴方達が何者かは、店に入ってきたなりマルっとお見通しってなワケ」 「……入ってきたなり、仰向けで爆睡してたと思ったのは気のせいか。で、その証に俺達が誰だか当ててみせようってかい?」 眉間を揉みながら、セッツァーは辛うじて店主の云わんことを掴み取る。 まだ彼らは自分達が何者であるかを口にしていない。その中で賭士、暗殺者、魔王であることを一目見ぬいたということか。 「ふふーん。そういうこと。ここに来たのも何かの縁。お近づきの印にぃ、貴方達に必要なものをあげちゃう。はい、どーぞ!」 そう言って店主は机の上に ド ン 、と何かを置いた。セッツァー達の視線が机に集まる。 それぞれの職種を見抜いたというのならば、出てくるのは武器か、はたまた彼らにしか扱えない道具か。 もし、それ以上のことまでも見抜いた証拠を出してくるならば、始末も厭わないという決意で彼ら3人は机の上の品を見た。 「地図にコンパス。筆記用具に水と食料。名簿でしょ、時計でしょ? 夜の為にランタンも入ってる―――――貴方達には必要なはずよ?」 そう言って、店主は3人分の新しいデイバックを出して酒で焼けた小さな腕を組んだ。 セッツァーが3人分のバックをぐい、と掴みあげる。 「貴方達も参加者……でしょ?」 天地開闢、森羅万象を眇めたような満面の微笑で店主は彼らを見た。 「合ってるが意味がねえじゃねえか!」 その言葉と共に、店主の頭上を3つのデイバックが覆い、落下する。 「…え? う、うひゃあ~~~!!!!」 抗弁する暇もなく、椅子から転げ落ちた店主はデイバックの下敷きになってしまう。 この島にいるのであれば、54人中54人が参加者だろう。適当に言っても殆ど当たるに決まっている。 ルーレットで赤と黒に同額を賭けるようなもの、下手をすればカジノから追い出される賭け方だ。つまり、賭けにも占いにもなっていない。 「……もしや、特別なアイテムを得られると期待してたのか?」 「……してないな。ああ、してないとも」 ジャファルの問いに、セッツァーは広大な空の果てを見るようにして目を逸らした。 舌打ちをしながら、セッツァーは転げ落ちて「お、想ひ出がりょーくーしんぱんしゅにゅぅぅぅ……」とノびかけた女店主を見下した。 常のセッツァーならば相手が誰であれ、まず相手の価値を見極めているだろう。 あるいは、自分の夢にとって利になるか障害になるか、はたまた“それすらもできないか”を判断しているはずだ。 だが、眼の前の女の価値を彼は未だ見極められずにいる。価値がない訳ではない。ないかどうかさえ分からないのだ。 まるでオペラをブチ壊しにしかけたタコ野郎を思い出すほどに、掴みどころがない。 この店の中に充満する酒のせいか、ギャンブラーを常に救う直観、そのキレが僅かに鈍っているとさえ思う。 (スラムの女衒じゃあるまいに、何でこんな酔い潰れた女1人にここまで……?) その時、セッツァーの鈍りかけた感覚が遅れて警報を発する。そうだ、この女は何故ここにいる? セッツァーはピサロに名簿を渡す前にその名前を全て記憶している。そして“その中にメイメイという名前は無い”。 ならば55人目の来訪者? 否。この女はこの場所を自分の店といった。彼女が招かれざる客であるならば、 様々な世界の建造物を寄せ集めた何処の世界にも存在しないオディオの箱庭に、自分の店があるはずが無いのだ。 セッツァーが、床に突っ伏した女の首元をみて―――“そこに首輪が無かった”事実に、今更確信した。 (つまり、こいつは“招かれている”) 「戯れはそこまでにしておけ、女。私の眼は誤魔化せんぞ」 その確信に呼応するようにピサロは口を開き、残る二人がピサロと店主の間で交互に視線を動かす。 「モシャス? 否、貴様の纏う魔力―――――――もしや」 ピサロが感じたのは、酒精に紛れた微かな人ならざるモノの魔力である。 尤も、この様な場所にいるのが唯の人間と考えるのも無理がある話だが。 いずれにせよ、これほどの実力を持つ女を首輪も無しにオディオが野放しにしておく道理が無い。 「いやん、熱い視線だこと♪ まぁ、そこのあたりはぁ……乙女のヒ・ミ・ツ、ってことで♪」 にゃはは、と笑いながら立ち上がりグイと盃の酒を飲み干す女店主。 その振る舞いを見ても三人は気を抜くことなどできなかった。 「そう! メイメイさんは一見どこにでもいる、普通の、敏腕せ・く・し・ぃ店主A。  ――――しかしてその実態は……『オルステッドさま』の忠実なるしもべで――――っすッ!」 後光でも発しそうなほどのポーズを決めながら店主は高らかにその正体を語るが、 3人は3人とも「誰だ、オルステッドって」という率直な疑問に気を取られた。 (オディオのことか? いや、オディオの配下にオルステッドって奴がいて、その手下って線もあるか) 「ほう、そりゃあ凄い。で、そんなアンタは何をするためにここにいるんだ?」 そこを問い詰めたところで優勝を目指す彼らにはさして意味が無い。 店主の調子に乗せられかけたが、あまり浪費できる時間もない。それよりもこの場所の役割をこそ聞くべきだろう。 漸くこの女の価値をテーブルに載せ始めたセッツァーは当然聞くべきことを聞いた。 特異な場所に配されており、ここに入るための符牒が支給されている以上、 ここを訪れた者に対してするべきことが言い渡されているはずだ。 「ふふふ、よくぞ聞いてくれましたぁ!  このメイメイさんの使命、それは――――――それは?――――――にゃは、にゃはははは……」 堂々と胸を張ってそれを高らかに言おうとした店主が、途端に語気が弱まり、みるみる内に萎れていく。 「……忘れたのか?」「いや、この欠落の仕方だと最初から何も言われてないのかもな」 「にゃ、にゃにおう! そんなことあるわけにゃいじゃにゃい!」 毛並みを突然触られた猫のように店主はジャファルとピサロを威嚇するが、それは逆効果にしかならない。 「じゃあ、アンタここで今まで何してやがった。何でもいい、言ってみろ」 「何って……お酒飲んでー、お休みして―、お酒飲んで―、ツマミ食べて―、お酒飲んで―、お昼寝して―、それからぁ」 「もういい。呑んで寝るだけの簡単な仕事だってことはよっっく分かった」 自分の問いに指を折って答える店主を、セッツァーは制した。重ねて言うが、セッツァーも女性の扱い方は弁えている。 だから今、手持ちの水をありったけ顔面にブッかけてやろうと思っても、そこをぐっと堪えるのである。 幾らなんでもオディオ達がそのような自宅警備の真似事の為に配下を置く訳が無い。 だが、幾つもの真贋を見極めてきたセッツァーでも彼女の言動に嘘を感じることが出来なかった。ならば一体、この女の意味は…? 「ん、何やら莫迦にされた雰囲気。店主的に。それじゃあ、お店らしいことしちゃおっかしら?」 そう言った店主が店の奥から取りだしたのは、巨大なルーレットだった。 外周から半径の直線が引かれ、色の違う扇状のマスが作られている。 「運命の輪って言ってね。ま、軽い運試しのようなものよ。  これからも外で頑張る貴方達の験担ぎにいかがかしら? 当たり所が良かったらステキな景品もつけちゃう!」 ダーツを1本差し出し、店主は蟲惑的な瞳を浮かべる。 このスチャラカなペースに着いていけずとも――あるいは、着いて行きたくなくとも――店主の云わんとすることは3人にも理解できた。 円の中の配色がそれぞれ異なり、そしてそれぞれの面積も異なる。恐らく面積の小さいものから順に1等から3等。 ダーツを投げて当たった場所に応じた賞品が手に入るのだろう。 「何を付けるつもりだ、女よ。勿体ぶるからには、相応のものを配するのだろうな?」 およそこの手合いのイベントから最も縁遠かろうピサロが、試す様に店主に問いかけた。 当然、魔族の王たるピサロが賞品が気になって尋ねているなどということは無い。 本気で欲しいのであれば、名簿のように力づくで奪い取るのがピサロだ。 だが、未だ酒精の奥にその実力の底を見せぬこの化生を相手取るほど愚かではない。 この殺し合いの参加者でも、憎むべきヒトでもなく、ましてやオディオに通ずる存在であるというのならば手をかける理由もない。 ピサロ、そして残る二人も、優勝してオディオの報奨を得ようとしている以上、ともすれば参加者よりも厄介な存在に労力を割く訳にはいかないのだ。 「そうねぇ。そしたらぁ、上から順にぃ“貴方達にとって役に立つもの”をあげちゃうわ」 そういって店主は蕩けた目付きで指を幾度と振って、セッツァー・ジャファル・ピサロの順に指を射止める。 だからこそピサロはむしろこの女が何を見て、何を考えているのかにこそ興味を持った。 「――だそうだが。どうする?」 ピサロはセッツァーの方を向き、その応手を伺う。1本しかないダーツ、そして景品はそれぞれにとって役立つ物。 誰が投げても、ダーツが何処に当たっても不和の要因になるだろう。 利害関係でしか成立していないこの即席チームに於いて、偏った利は害にしかならない。 このチームを呼び掛けたセッツァーの手腕こそが、図らずともこの女店主の手によって試されている。 「……外した場合は?」 「安心なさいな。ハズレでもタワシ位はあげちゃうから」 セッツァーが店主に問いかけ、その答えを聞いた後、指を顎に当てて考え込む。 既に「なんでタワシ?」などと口出しする気配もない。その眼は、魚が海に還ったように常の鋭い眼光を取り戻していた。 「外れて元々の話だ。ジャファル、お前に任せる」 「……待て、俺は……」 「俺もシャドウほど投躑が上手い訳じゃないしな。なら、一番得手そうな奴が投げるべきだろ。  好きに狙いな。花束の一つくらい、当たるかもしれんぜ―――――、―――――――、―――。構わんな、ピサロの“旦那”?」 そう言ってセッツァーはジャファルに近付き、密着するような近さでダーツを手渡し、 ピサロに確認を求める。ピサロはそれが妥当な所か、とその選択を了と認めた。 誰の賞品が当たるにせよ、先ず的に当てられなければ話にならない。 であるならば剣を扱うピサロとギャンブラーであるセッツァーよりも、暗殺者であるジャファルが消極的適任ということか。 「誰が投げるかは決まったかしら? それじゃ、ルーレット・スタート!」 店主が扇子を広げると、ルーレットが独りでに動き出す。 如何な妖術を使ったのか、店主は扇を口元で戦がせるだけだ。 運命の輪が高速で回転する中、ジャファルはダーツを構えることなくだらりと腰に垂らしている。 しかしその眼光は鷹のように獲物を見定め、今にも喰いつかんと鬼気を発していた。 廻す、廻る。運命の輪が回る。弄ぶように輪廻が回向する。 翻弄されるその運命の渦から、たった一つの光を釣り上げる時を待つかのように、輪を見続ける。 「ちょっとぉ~~~、慎重になるのは分かるけど、もう1分経っちゃうわよぉ……ってぇ!」 あまりの動の遅さに痺れを切らした店主が声をかけようとしたその時だった。 音もなく放たれたジャファルの一撃が運命の輪を穿つ。ジャファルの手から矢が離れた後、次第に輪はその回転数を落としていった。 暗殺者が貫いた運命、その色彩は―――――― 「外した……だと……?」 ピサロがその結果に驚きを示す。自分のエリア<3等>が当たるとまで望むつもりはないが、真逆ルーレットにあたりもしないとは。 だが、どれだけ目を眇めようが凝らそうが突き刺さった場所は変わること無し。運命の一投は無情にも、光を掴むことはできなかった。 「あちゃー……ま、ま、こう言うこともあるわよ! 運勢なんてコロコロ変わるものだしねッ!  っていうか、え、ちょ、タワシってウチの店にあったかしら……にゃ、にゃはははは……」 予想外過ぎる展開に、さしもの店主も動揺を隠せないらしい。 確かに、同じ暗殺者とはいえ、シャドウと異なりジャファルの本分は接近からの瞬殺である。 ましてや今は殺しとは程遠い遊興。実力を十全に発揮できるはずもない。 「ゴメンナサイ……探したけどタワシが無くって……その、ニボシで良かったら……」 店主はそう言って申し訳なそうにジャファルに魚臭い袋を渡す。善い出汁が取れそうな、猫も魚もまっしぐらの良質煮干である。 無言でそれを受け取るジャファルに、店主は乾いた笑いを浮かべながら手を振った。お帰りくださいという意味だろう。 「ちょっと待ちな。もうひと勝負、申し込むぜ」 だが、その意を分かった上で敢えてセッツァーが店主に話を斬り込んだ。 そのタイミングの良さに店主は面食らったが、直ぐに目を細めて否定を解答する。 「……気持ちは分かるけど、それはちょっと不味いわねえ。試したのはあくまで貴方達の運気。  もう一回やれば当たるとか、それは純然たる天運とは言えないわ。残念だけど、貴方達の運試しはこの一回―――――!?」 「なら、これでどうだい?」 勝負を切り上げようとする店主の言葉を断ち切ったのは、セッツァーが取りだしたもう一つのカードだった。 シルバーカード。メンバーズカードと同様ジャファルの世界の符牒。その意味は商品価格の半額である。 「スプリット。俺達に一回分の権利しかないと言うのなら―――――こいつで、そいつを“半額”にさせてもらおうッ!」 セッツァーが二本の指で投げ飛ばしたカードを店主は中空で掴み取り、マジマジと見つめる。 そして暫く考え込んでから、軽く溜息を付いてもう一本のダーツを取りだした。 「もしかしてぇ……最初から、こうするつもりだったぁ?」 「偶々さ。偶々、ポケットの中にあったもんでね」 そう言って、誰が投げるとかとのやり取りもなく、ダーツを手にしたセッツァーが運命のルーレットの前に立つ。 そう、運命を賭けると言うのならば、ダーツに意思を託すと言うのならば――――――この男以外に有り得ない。 「おっけぇ。ギャンブラーさんの力、何処まで届くか試してあげる。ルーレット、スタートッ!」 誰もそうだと言っていないのにセッツァーをギャンブラーと嘯く店主が扇を開く、運命の輪が軋みを上げて太極を廻す。 本気で廻る世界に、人の意思など徹らぬと謳いあげるように。人はその回転に、ただただ翻弄されるしかないと笑うように。 「でも、それなら最初から貴方がやるべきだったわねえ。唯でさえ回転しているのに、  ダーツが手元から離れて的に当たるまでの時間が分からないと何処で投げればいいか分からないわよ?」 店主が扇を煽いでギャンブラーの失策を笑う。最初から2回投げるつもりであったのならば2つとも自分で行うべきだった。 そうすれば、ひょっとすれば2人分の景品を得られたかもしれないのに。 「それとも、純粋に運を試すつもりかしら。さてま結果は―――――」 「1ツだけ教えてやる。メチルフォビア<アルコール恐怖症>」 軽口を吐きながら扇を再び戦がせる店主に、氷のように冷たい言の刃が突き刺さる。 まるで自分の喉元にそのダーツが穿たれかと錯覚するほどのギャンブラーの視線が、店主に突き刺さっていた。 「運命<こんなもの>は、ギャンブルとは言わねえんだよ。  そいつを力でねじ伏せてからが、本当のギャンブルだ。分かったら――――」 セッツァーは運命の輪に見向きもしていない。その眼光は唯店主のその一点を見定めている。 当然だ。最初から何もかもを投げ出して運命などという“まやかし”にその身を委ねる者を女神は愛さない。 頭脳を、力を、己が持つありとあらゆる手管を用いてありとあらゆる運命を撥ね退け、 “その先に立ちはだかるもの”に、己が魂を賭してこそ、女神は漸く微笑む。 「“その特賞に当たったら、3つの景品を全部寄越しな”ッ!」 店主の扇が“三度戦いだ”刹那、セッツァーの腕が疾った。 美しいフォームだった。ジャファルも、ピサロさえも微かにそう思った。 力みも逸りも気後れもない、自然体の一投。何度投げようとも決して崩れることのないだろうフォーム。 そこに種族も職能の違いもない。どのような目的であれ、研鑽の果てにある結晶は美しい。 一体何百回、否、何万回投げればこれほどのスローが可能になるのか。 「真逆“本当に”最初から――――」 「ああ、ジャファルに言ったとも。外せと、伸ばせるだけルーレットを回させろと」 驚愕に眼を見開く店主を前に、セッツァーは不敵に笑う。回転数を下げていく的を、最早見てもいなかった。 一投目は完全なる“見”。そして万一賞品を手にして、有耶無耶に終了させられないように敢えて外した。 そして、セッツァーはたっぷり1分を用いて、魔力で回転するルーレットと扇子の同期に気付いたのだ。 「そっちじゃなくて、特賞の方なんだけどぉ?」 「言わなきゃ気付かねえと思ったか? それこそ、舐めるな」 これこそが、セッツァーの感性が成せた唯一の幸運だった。とっかかりは店主の試すような目つき。 シルバーカードで普通に二回賞品を得ても、誰かの不満を招くこの状況。 もし、それを以て彼らの動きを見極めようとするのであれば抜け道が有ってもおかしくは無い。 抜け道があるという前提でルーレットに目を凝らせば……3等の中に微かに紛れた、4色目。 回転数さえ目算が立てば、廻っていないも同然だ。自分のダーツの技量など、自分が一番信じている。 「生憎と、これでメシを喰ってきた。  賽の目も、ルーレットも―――運命をねじ伏せられない程度の力で生きていける世界じゃないんでね」 「―――――――――お見事。特賞、大当たり!」 最早言うこと無し、と店主は扇子を閉じて勝者を宣言する。 ピサロが魔族を傅かせ、ジャファルが闇を統べると言うのならば。 セッツァーは、運命を跪かせる者―――――ギャンブラーなのだ。
**龍の棲家に酒臭い日記 ◆wqJoVoH16Y 既に太陽は御身の半分以上を海面から顕わにしていた。 空は僅かな星々が夜の名残をのこすだけで、紺色の空は青に転じようとしている。 雲はいち早く陽光を浴びて白く輝き、流れる風を受けて空を泳いでいた。 今日も暑く、長い日になるだろう。木々と葉に斑と隠れた森から見上げただけでもそう思うに十分な空だ。 そんな風戦ぐ森の中で、セッツァー=ギャッビアーニは寝ていた。 地面に茂った草を床に敷き、朝日の程良い熱を薄衣と自らに掛けて、手頃な厚さの書物を枕にして横になっている。 「随分と余裕だな。この殺し合いの中で他者の前で寝入るとは」 手頃な木々に腰かけた[[ピサロ]]は寝入ったセッツアーを嘲る。 その手に武器を備えている無粋を差し引いても、新緑の光の下で銀の髪を輝かせる男は、それだけで絵画のように世界に調和していた。 「こう見えても健康には気を使う方でね。幾夜を越えてギャンブルに興ずることもあるが、無駄な不養生を自慢する気もないのさ」 くく、と軽い嘲笑が森に木霊する。如何なギャンブラーといえど、自らの意識まで種銭にして眠り入るはずもない。 度胸と無謀の境を知る男は、眠ることなく、しかし限りなく眠りに近い形で休んでいた。 良く見ればその周囲にはパン屑と煮干の欠片が散っている。蟻や猫が見れば、これ天恵と巣穴に運ぶだろう。 「私の眼前で眠るのは養生と言えるか?」 「ああ、言えるね。旦那が目を光らせている、これほど安心できる“今”なんてそうそう得られるもんじゃあない」 セッツァーは横になったまま、ガサゴソとデイバックの中を漁り、水と食料をピサロに向かって投げた。 信用の証のつもりだろうか。ピサロは何も言わず、水だけを手にして口に含んだ。 賭けの場では全神経を張り巡らせるが、一度張ればそこに疑いも迷いも見せない。 いつの間にか『旦那』とピサロを称する、この妙な愛嬌もまたセッツァーの処世である。 「腹が減ってはなんとやら。一度戻ったのは正解だったな」 「どうだかな。腹が膨れたところで、人が死ぬわけでもなかろう」 寝返りを打ったセッツァーの眼の先に、天罰の杖の触り心地を確かめていたピサロがいた。 ブリキ大王の上で幼い少女を撃破した彼らが一拍を置いて先ず向かったのは対主催がいるであろう南ではなく西だった。 その目的は、彼らの最大の障害と成り得るアシュレー=ウィンチェスターの必死だ。 ブリキ大王一台を使い潰してまで得たものが『“これならきっと”アシュレーは死んだ“だろう”』では割に合わない。 『アシュレーは死んだ』でなくてはならないのだ。事実は短い方が善い。 故に彼らは西へ赴き、偉大なる死体を探した。 当然、死体でなければ死体にするつもりで。死体であればどれほどの奇跡を以ても蘇らない死体にするつもりで。 結果から言えば、彼らは然程労苦することなく目的を達した。死体を辱める必要もなかった。 そこには、何の抑揚もなく“崩された”人間の部品があっただけだったのだから。 (ハロゲンレーザーを破った金色の光、人間の業とは思えない死体……まさか、な) セッツァーが与えたダメージと死体に残った痕の帳尻が合わない事実は、容易に理解できた。 それはつまり、アシュレーを“殺し直した”バケモノがいたということだ。 そしてそのバケモノの名前は、簡単な消去法によって自ずと浮かびあがる。 ゴゴ、下の下の物真似野郎。セッツァーの知らない誰か。 セッツァーは瞼を閉じてその時をトレースしていた思考を遮断した。 感情は選択の精度を鈍らせる。直観は信ずるべきだが、思い込みはギャンブラーにとって最大の毒だ。 アシュレーを殺したのがゴゴであると決め打つことに何のメリットもない。とびきり染みた化物の参加者が1人いる。それだけで十分なのだ。 そう考えればアシュレーの武器と、デイバックを3つを入手できたのは“半分”僥倖と言えた。 武装の拡充、使い捨てできる糧抹の充達は確かに僥倖だ。 「余計なものさえなけりゃ、大満足だったんだがな。クソ」 栞を一枚指でヒラヒラさせるピサロの姿が面白くないのか、セッツァーは再び寝返りを打ってピサロから背を向けた。 確かに、あの花の栞が何枚もあったことは面白くない。 何故面白くないのかが理解できないことが、また面白くない。 面白くないのに捨てる気になれないのが、輪をかけて面白くない。 だが、何より面白くないのは振り向いた先にぽつねんと置かれた捩じれた首輪だった。 死体から回収されたものではない、明らかに首から引き千切られ、尚爆破していない首輪――――――“外された首輪”だ。 (もう外した奴が居やがる。オディオが大掛かりなアクションを起こしてないってことはまだ逃げた奴はいないだろうが……急ぐしかねえ) 1個出てきてしまえば、2個目を疑わぬ莫迦はいない。だが、勝者を目指す彼らは敗者の逃亡を許容できない。 首輪を外せる何某かの術が存在するという確かな光は、断固として摘まねばならないのだ。 「あまり焦りを表に出すな。お前が選んだ休息だろう。唯でさえ矮小な人間が、より小さく映るぞ」 「アンタがそれを言うのかい? あの光を見て、あれほどまでに取り乱した旦那が?」 そう言ってセッツァーがせせり笑おうとしたその瞬間、轟とピサロの手にあった栞が魔炎に包まれ、僅かに残った灰も手で握りつぶされた。 セッツァーは常と変らぬ素振りで鼻を鳴らしたが、その背中でつうと汗が垂れるのを感じた。 僅かなりともこの魔王と行動を共にしたセッツァーは、ピサロの理性と感情の境目を感覚的に理解し始めていた。 その上で、今のは踏み込み過ぎたと反省する。あと半歩踏み込んでいれば、この薄氷の如き盟約も一瞬で瓦解していただろう。 そう、本来ならばここで休息する暇は無かった。 アシュレーを倒し、少女を見逃した彼らは“先んじて遺跡に向かう心算だったのだ”。 それこそが、少女や物真似師を無理して追撃せず、敢えて見逃した理由だった。 ブリキ大王を用いるとはいえ3人を全員を倒そうとすれば何処かしらに無理が生じ、手傷を負う可能性があった。 故に彼らはその束ねた力をアシュレーの必滅に向け、残りには別の役割を与えたのだ。 それが、敢えて残党を[[ヘクトル]]達の懐に潜り込ませること。 残党を意図的にもう一方のチームに送ることで、セッツァー達3人の存在を示し、ジョウイの計画をズラすことだ。 自分達の存在を知れば、容易にジョウイが目論む南征へと動けまい。後顧の憂いを絶つべくこちらを狙うことも考えるだろう。 ジョウイが獅子身中の虫である疑惑を含め、暫くは喧々諤々の云い合いが続くはずだ。 その隙に右脇を縫って遺跡へと先に入り魔王と同盟交渉を結ぶなり、いっそ遺跡を縦に潰す工作をするなり、優位を確保する。 そのハズだった。あの雷光を見るまでは。 『何故……何の故にだ、勇者よ! お前がそれだけの光を持っていたというなら、何故この光は[[ロザリー]]に届かない……ッ!!』 あの時のピサロの慟哭をセッツァーの鼓膜が思いだす。 移動を進めようと先ず東に戻ってきた矢先、黎明に輝く空に見たのは、莫大な雷の塊だった。 セッツァーにとっては賭け先を変え得るに足る脅威として、[[ジャファル]]にとっては疎ましき光の極点としてしか映らなかったもの。 だがこの魔王にとっては、その痩躯を怒りに漲らせて尚足りぬ光だったのだろう。 あの眩き光が真の光だとしても、否、真の光だから故に“世界が光に充たされぬことを知ってしまう”。 当り前だ。全てが光に照らされることなど無い。 ここにジャファルという闇がいるように。太陽と空の全てを求めるセッツァーがいるように。光を失ったからこそピサロがここにいるように。 全ての夢が叶うことなど、無い。星の全てを照らすことができぬように、全てが救われることなど無いのだ。 「それを言われちゃあ仕様が無い。とりあえず、ジャファルの調査を待とうぜ。  あれほどの現象が起きたのなら、場は大荒れのはずだ。出目の張り直しをするしかないさ」 なんしか気を静めたらしいピサロを見ながら、セッツァーは再び寝転がって空を仰ぐ。 あの雷光を見てから表向きは平生を保っているが、それが逆にピサロの中で何かを渦巻かせていると教えていた。 ここで動くのは不味い。そうしてセッツァーは冷静に冷酷に、休息と調査に目を張ったのだ。 この中で一番斥候に長けたジャファルに雷光の着弾点周囲の状況調査を願い、放送まで休息することを選んだのだ。 こうして、彼らは緩やかな夜明けの陽光の中で休息を取っている。これが最後の休息になると思っているかのように。 「そこまで気にするかい、旦那」 「……瑣末だ。勇者という名前にも、魔王という名前にも。この想いの前にはな」 燃え散った花の栞の灰の一抹が風に浚われ切るまでを見届けたピサロは、誰に語るでもなくそう言った。 例え勇者が全てを救うのであっても、対を成す魔王が誰かを救っては成らぬ道理は無い。 否、救いたいと言う願いの前には、勇者と魔王の違いなど瑣末だ。 『ピサロ』が『ロザリー』を願う。その想いの前には、たとえ勇者の光であっても邪魔は許されない。 「――――――――――名前、ねえ。“まさかあの女に感化されたか”旦那?」 強さを増す陽光に僅かに目を細め、セッツァーは不快を顕わに言った。 それを見たピサロが、最早値無しと鼻を鳴らして会話を打ち切る。 木漏れ日と木々のざわめく音だけが残り、セッツァーは再び瞼を閉じた。 その裏に浮かぶ、あの船で最後に起きた出来事を追い払いながら。 ―――――・―――――・――――― 今は昔。セッツァーとジャファルがピサロと仮初の盟約を結び、アシュレー達を討たんとする前の話。 そう、同盟を組んだ彼らが未だアシュレー達かヘクトル達か、どちらを攻めるか決めかねていた時のことだ。 いずれにしても座礁船に居座ることに意味は無く、船を出ることにした彼ら。 発つ前の餞別とばかりに、彼らは何かめぼしいものが無いかと船内を物色していた。 ジャファルが言うにはこの船の造りは彼らの世界の海賊船のそれであり、その船内には武器屋や道具屋もあったという。 流石に死者の落とし物が見つかるとまでは期待できずとも、せめてもう一度調査をせずに出るは惜しい船だった。 「やはり、めぼしいものは無いか」 「流石にそこまでアンフェアでもないか。いや、あのオディオなら当然か」 金銀財宝はあれど、経済の意味が異なるこの場所ではそれは宝とは言えない。 あらかたの調査を終えたジャファルに、セッツァーは首をすくめて手をひらひらと泳がせた。 今までの放送からもあからさまに伝わるオディオの人間に対する憎悪。余りに強い憎悪は、逆に言えばどの人間にも等しい憎悪だった。 聖人であろうが、道化であろうが、英雄であろうが、魔王であろうが、 幼女であろうが、勇者であろうが、人間である限り皆オディオの憎悪すべき対象なのだから。 故に、オディオが特定の誰かに過度に肩入れをするとは思えない。ある意味、オディオは黒一色のルーレットともいえる。 ならば、これ以上を思索と探索に費やしても仕様が無い。早々に調査を終えて、ヘクトル達の動向を抑えるべきか。 上から順に降りてゆき最後に辿り着いた酒蔵で、彼らはそのルーレットに僅かにあった『傷』を見つけた。 [[無法松]]があれほどに呑んでいた以上、酒蔵があることは承知だった。重要なのは、無法松が動かしに動かした樽の向こう、その紋章だった。 「紋章、魔力を備えると言うことは、唯の落書きではないな」 「これは……真逆、転移の紋章か?」 眇めるように紋章に流れる魔力を見定めたピサロと、その紋章に驚きを示すジャファル。 魔力と知識によって、唯の落書きは意味ある紋様となった。そして、ギャンブラーが手に取ったカードが、紋を門に変える。 「何か意味のあるサインだと思ったが、秘密の部屋への招待状ってか…?」 「まさか、ここにもあると言うのか。ブラックマーケットが」 紋章の周りの空間が歪み、秘密の店への扉が開く。 ブラックマーケット。選ばれた者だけが持つカードを持った者にのみ、戦場の何処かにある扉を開いて招く闇の市。 場所にもよるが、そこに並ぶ品はこの海賊船の品揃えとは比べ物にならないだろう。 「入るつもりか?」 歩を前に進めたセッツァーに、ピサロは大した感情もなく言い棄てた。危険を案じる要素は微塵もない。 「こんなものを用意してるってことは、何もありませんでしたってオチはないだろう。  鬼が出るか蛇が出るか、俺達の新たな門出に運試しと行こうじゃないか」 そう言って、彼らは虚空の暖簾を潜る。 そこにいるのがある意味鬼であり、ある意味爬虫類であることも知らぬまま。 ブラックマーケットと言えば、どんなものを想像するだろうか。 銃火器、薬物、お花、内臓etcetc。それは莫大な金額を積んで買い取るものか、自分のLvを売って得るものか。 いずれにしても、その名の通りブラック―――――闇の黒を想像するだろう。 光射さぬ闇の世界の商い、その最前線。薄暗い路地に、微かな灯りだけを導に商いを行う。そんなところではないのだろうか。 「……俺の知っているブラックマーケットと違う」 ジャファルはニノの関わらぬ状況では珍しく露骨そうに厭な顔を浮かべ、ぼそりとそう洩らした。 そういう意味では、この光溢れる真っ赤な部屋構えは明らかに闇市とは程遠かった。 朱で染め上げられた壁と柱。掛け軸には人体の構造図や巨大な手相を記したものが並んでいる。 四角をグルグルと重ねたような仕切りがあるだけで、部屋はそれほど広くは無く、奥にもう一つ暖簾があるだけだ。 狭い、店というには余りにこじんまりとした店だった。 目ぼしそうなものは、壁に寄せられた木製の薬棚と本棚、店の中心に置かれた四本足の机。そして空いた椅子と――――― 「……あんなところに乳があるな」 「ああ、乳があるな」 机の奥に見えるどんもりと乗ったおっぱいに、セッツァーはチンチロリンで六面全部ピンのサマ賽を振られたような面をしながら吐き捨てた。 一方ピサロは、本気で有象無象の脂肪の塊としか見ていない目で、事実だけを反芻した。 見なかったことにして帰ろうか。決して相容れぬ3人は奇しくもこの時意見を同じくした。 酒蔵の酒精に当てられたのだろう。潮風を浴びて目を覚ませば、元通りになるはずだ。 そう思いたかったが、部屋全体から漂う酒の匂いと、小刻みに震える双丘を見てはここを現と認めるしかなかった。 「あ゛~~~~~ひゅへもにょ~~~~~? だぁんみゃじにゃひ~~~ にゃは、にゃはははははは」 グイ、と反りかえった背中が弓なりにしなり、漸く乳から上の形が繋がる。 紅い蓮のような、誰が見ても異文化体系の衣装<チャイナドレス>。端正の整った顔にズリ下がった縁なし眼鏡。 ピサロのように細長く尖った異形種の耳。酒に蕩けても蠱惑的な瞳。 「ん~~~、え゛……もひかひてぇ……ぉたおぎゃくざんんん~~~?」 海賊船の酒蔵の中には、酒臭い店。酒臭い店の中には、酔っぱらった女店主。 「――――――えー、コホン。はぁーい。メイメイさんのお店へようこそぉ♪」 今更に取り繕ったような営業スマイルを現わしながら、店主はその屋号を掲げた。 この頭痛を忘れる為に酒を呑むべきか、酒にやられてこの頭痛を生んでいるのか、セッツァーは賭ける気にもならなかった。 「だーってさぁ、こうもお客が来ないと、これくらいしかすることないじゃない?」 店の主はケラケラと笑い、呑んでたらあぶり肉も欲しくなっちゃうわねぇなどと言いながら盃に充たした酒を呑む。 状況に追従し切れない客達は黙ってその盃が空になるのを待つしかなかった。 少なくとも、会員専用の秘密の店がが万人繁盛だったらそれはもう秘密でも何でもないだろう。 『いつでもどこでも気軽に利用出来ちゃう、それがメイメイさんのお店なのッ!』 とへべれけになって言われても、説得力が無い。どんな看板を掲げても偽り有りと云われるだろう。 「OK。アンタがアルコール中毒なのもここがどんな店なのかもとりあえず後回しだ。アンタ、誰だ?」 「私ぃ~~? メイメイさんはぁ、見ての通り、どこにでもいるぅ、普通の、敏腕せ・く・し・ぃ店主Aよぉ?」 やけにその4文字を強調して、店主は腕を上げて脇を見せつつ妙に腰をくねらす。 エドガーほどまでとは言わないが、マリアに扮したセリスを拐したセッツァーも女性の扱いは心得ている方である。 そのセッツァーが思った。いつ以来だろうか、女を本気で殴ってもいいかと思ったのは。 「あ、疑ってるでしょ~~~。いいわ、ここで引いたら女もとい店主が廃るッ!」 その不満MaxHeartな表情を察したのか、店主は足元から何かを取りだそうとする。 3人は戦う気か、と僅かにそれぞれの武器に手を伸ばしたが殺意の無い店主の様子に、それ以上の動きは見せない。 「こうみえても私、占い師なのよ。貴方達が何者かは、店に入ってきたなりマルっとお見通しってなワケ」 「……入ってきたなり、仰向けで爆睡してたと思ったのは気のせいか。で、その証に俺達が誰だか当ててみせようってかい?」 眉間を揉みながら、セッツァーは辛うじて店主の云わんことを掴み取る。 まだ彼らは自分達が何者であるかを口にしていない。その中で賭士、暗殺者、魔王であることを一目見ぬいたということか。 「ふふーん。そういうこと。ここに来たのも何かの縁。お近づきの印にぃ、貴方達に必要なものをあげちゃう。はい、どーぞ!」 そう言って店主は机の上に ド ン 、と何かを置いた。セッツァー達の視線が机に集まる。 それぞれの職種を見抜いたというのならば、出てくるのは武器か、はたまた彼らにしか扱えない道具か。 もし、それ以上のことまでも見抜いた証拠を出してくるならば、始末も厭わないという決意で彼ら3人は机の上の品を見た。 「地図にコンパス。筆記用具に水と食料。名簿でしょ、時計でしょ? 夜の為にランタンも入ってる―――――貴方達には必要なはずよ?」 そう言って、店主は3人分の新しいデイバックを出して酒で焼けた小さな腕を組んだ。 セッツァーが3人分のバックをぐい、と掴みあげる。 「貴方達も参加者……でしょ?」 天地開闢、森羅万象を眇めたような満面の微笑で店主は彼らを見た。 「合ってるが意味がねえじゃねえか!」 その言葉と共に、店主の頭上を3つのデイバックが覆い、落下する。 「…え? う、うひゃあ~~~!!!!」 抗弁する暇もなく、椅子から転げ落ちた店主はデイバックの下敷きになってしまう。 この島にいるのであれば、54人中54人が参加者だろう。適当に言っても殆ど当たるに決まっている。 ルーレットで赤と黒に同額を賭けるようなもの、下手をすればカジノから追い出される賭け方だ。つまり、賭けにも占いにもなっていない。 「……もしや、特別なアイテムを得られると期待してたのか?」 「……してないな。ああ、してないとも」 ジャファルの問いに、セッツァーは広大な空の果てを見るようにして目を逸らした。 舌打ちをしながら、セッツァーは転げ落ちて「お、想ひ出がりょーくーしんぱんしゅにゅぅぅぅ……」とノびかけた女店主を見下した。 常のセッツァーならば相手が誰であれ、まず相手の価値を見極めているだろう。 あるいは、自分の夢にとって利になるか障害になるか、はたまた“それすらもできないか”を判断しているはずだ。 だが、眼の前の女の価値を彼は未だ見極められずにいる。価値がない訳ではない。ないかどうかさえ分からないのだ。 まるでオペラをブチ壊しにしかけたタコ野郎を思い出すほどに、掴みどころがない。 この店の中に充満する酒のせいか、ギャンブラーを常に救う直観、そのキレが僅かに鈍っているとさえ思う。 (スラムの女衒じゃあるまいに、何でこんな酔い潰れた女1人にここまで……?) その時、セッツァーの鈍りかけた感覚が遅れて警報を発する。そうだ、この女は何故ここにいる? セッツァーはピサロに名簿を渡す前にその名前を全て記憶している。そして“その中にメイメイという名前は無い”。 ならば55人目の来訪者? 否。この女はこの場所を自分の店といった。彼女が招かれざる客であるならば、 様々な世界の建造物を寄せ集めた何処の世界にも存在しないオディオの箱庭に、自分の店があるはずが無いのだ。 セッツァーが、床に突っ伏した女の首元をみて―――“そこに首輪が無かった”事実に、今更確信した。 (つまり、こいつは“招かれている”) 「戯れはそこまでにしておけ、女。私の眼は誤魔化せんぞ」 その確信に呼応するようにピサロは口を開き、残る二人がピサロと店主の間で交互に視線を動かす。 「モシャス? 否、貴様の纏う魔力―――――――もしや」 ピサロが感じたのは、酒精に紛れた微かな人ならざるモノの魔力である。 尤も、この様な場所にいるのが唯の人間と考えるのも無理がある話だが。 いずれにせよ、これほどの実力を持つ女を首輪も無しにオディオが野放しにしておく道理が無い。 「いやん、熱い視線だこと♪ まぁ、そこのあたりはぁ……乙女のヒ・ミ・ツ、ってことで♪」 にゃはは、と笑いながら立ち上がりグイと盃の酒を飲み干す女店主。 その振る舞いを見ても三人は気を抜くことなどできなかった。 「そう! メイメイさんは一見どこにでもいる、普通の、敏腕せ・く・し・ぃ店主A。  ――――しかしてその実態は……『オルステッドさま』の忠実なるしもべで――――っすッ!」 後光でも発しそうなほどのポーズを決めながら店主は高らかにその正体を語るが、 3人は3人とも「誰だ、オルステッドって」という率直な疑問に気を取られた。 (オディオのことか? いや、オディオの配下にオルステッドって奴がいて、その手下って線もあるか) 「ほう、そりゃあ凄い。で、そんなアンタは何をするためにここにいるんだ?」 そこを問い詰めたところで優勝を目指す彼らにはさして意味が無い。 店主の調子に乗せられかけたが、あまり浪費できる時間もない。それよりもこの場所の役割をこそ聞くべきだろう。 漸くこの女の価値をテーブルに載せ始めたセッツァーは当然聞くべきことを聞いた。 特異な場所に配されており、ここに入るための符牒が支給されている以上、 ここを訪れた者に対してするべきことが言い渡されているはずだ。 「ふふふ、よくぞ聞いてくれましたぁ!  このメイメイさんの使命、それは――――――それは?――――――にゃは、にゃはははは……」 堂々と胸を張ってそれを高らかに言おうとした店主が、途端に語気が弱まり、みるみる内に萎れていく。 「……忘れたのか?」「いや、この欠落の仕方だと最初から何も言われてないのかもな」 「にゃ、にゃにおう! そんなことあるわけにゃいじゃにゃい!」 毛並みを突然触られた猫のように店主はジャファルとピサロを威嚇するが、それは逆効果にしかならない。 「じゃあ、アンタここで今まで何してやがった。何でもいい、言ってみろ」 「何って……お酒飲んでー、お休みして―、お酒飲んで―、ツマミ食べて―、お酒飲んで―、お昼寝して―、それからぁ」 「もういい。呑んで寝るだけの簡単な仕事だってことはよっっく分かった」 自分の問いに指を折って答える店主を、セッツァーは制した。重ねて言うが、セッツァーも女性の扱い方は弁えている。 だから今、手持ちの水をありったけ顔面にブッかけてやろうと思っても、そこをぐっと堪えるのである。 幾らなんでもオディオ達がそのような自宅警備の真似事の為に配下を置く訳が無い。 だが、幾つもの真贋を見極めてきたセッツァーでも彼女の言動に嘘を感じることが出来なかった。ならば一体、この女の意味は…? 「ん、何やら莫迦にされた雰囲気。店主的に。それじゃあ、お店らしいことしちゃおっかしら?」 そう言った店主が店の奥から取りだしたのは、巨大なルーレットだった。 外周から半径の直線が引かれ、色の違う扇状のマスが作られている。 「運命の輪って言ってね。ま、軽い運試しのようなものよ。  これからも外で頑張る貴方達の験担ぎにいかがかしら? 当たり所が良かったらステキな景品もつけちゃう!」 ダーツを1本差し出し、店主は蟲惑的な瞳を浮かべる。 このスチャラカなペースに着いていけずとも――あるいは、着いて行きたくなくとも――店主の云わんとすることは3人にも理解できた。 円の中の配色がそれぞれ異なり、そしてそれぞれの面積も異なる。恐らく面積の小さいものから順に1等から3等。 ダーツを投げて当たった場所に応じた賞品が手に入るのだろう。 「何を付けるつもりだ、女よ。勿体ぶるからには、相応のものを配するのだろうな?」 およそこの手合いのイベントから最も縁遠かろうピサロが、試す様に店主に問いかけた。 当然、魔族の王たるピサロが賞品が気になって尋ねているなどということは無い。 本気で欲しいのであれば、名簿のように力づくで奪い取るのがピサロだ。 だが、未だ酒精の奥にその実力の底を見せぬこの化生を相手取るほど愚かではない。 この殺し合いの参加者でも、憎むべきヒトでもなく、ましてやオディオに通ずる存在であるというのならば手をかける理由もない。 ピサロ、そして残る二人も、優勝してオディオの報奨を得ようとしている以上、ともすれば参加者よりも厄介な存在に労力を割く訳にはいかないのだ。 「そうねぇ。そしたらぁ、上から順にぃ“貴方達にとって役に立つもの”をあげちゃうわ」 そういって店主は蕩けた目付きで指を幾度と振って、セッツァー・ジャファル・ピサロの順に指を射止める。 だからこそピサロはむしろこの女が何を見て、何を考えているのかにこそ興味を持った。 「――だそうだが。どうする?」 ピサロはセッツァーの方を向き、その応手を伺う。1本しかないダーツ、そして景品はそれぞれにとって役立つ物。 誰が投げても、ダーツが何処に当たっても不和の要因になるだろう。 利害関係でしか成立していないこの即席チームに於いて、偏った利は害にしかならない。 このチームを呼び掛けたセッツァーの手腕こそが、図らずともこの女店主の手によって試されている。 「……外した場合は?」 「安心なさいな。ハズレでもタワシ位はあげちゃうから」 セッツァーが店主に問いかけ、その答えを聞いた後、指を顎に当てて考え込む。 既に「なんでタワシ?」などと口出しする気配もない。その眼は、魚が海に還ったように常の鋭い眼光を取り戻していた。 「外れて元々の話だ。ジャファル、お前に任せる」 「……待て、俺は……」 「俺も[[シャドウ]]ほど投躑が上手い訳じゃないしな。なら、一番得手そうな奴が投げるべきだろ。  好きに狙いな。花束の一つくらい、当たるかもしれんぜ―――――、―――――――、―――。構わんな、ピサロの“旦那”?」 そう言ってセッツァーはジャファルに近付き、密着するような近さでダーツを手渡し、 ピサロに確認を求める。ピサロはそれが妥当な所か、とその選択を了と認めた。 誰の賞品が当たるにせよ、先ず的に当てられなければ話にならない。 であるならば剣を扱うピサロとギャンブラーであるセッツァーよりも、暗殺者であるジャファルが消極的適任ということか。 「誰が投げるかは決まったかしら? それじゃ、ルーレット・スタート!」 店主が扇子を広げると、ルーレットが独りでに動き出す。 如何な妖術を使ったのか、店主は扇を口元で戦がせるだけだ。 運命の輪が高速で回転する中、ジャファルはダーツを構えることなくだらりと腰に垂らしている。 しかしその眼光は鷹のように獲物を見定め、今にも喰いつかんと鬼気を発していた。 廻す、廻る。運命の輪が回る。弄ぶように輪廻が回向する。 翻弄されるその運命の渦から、たった一つの光を釣り上げる時を待つかのように、輪を見続ける。 「ちょっとぉ~~~、慎重になるのは分かるけど、もう1分経っちゃうわよぉ……ってぇ!」 あまりの動の遅さに痺れを切らした店主が声をかけようとしたその時だった。 音もなく放たれたジャファルの一撃が運命の輪を穿つ。ジャファルの手から矢が離れた後、次第に輪はその回転数を落としていった。 暗殺者が貫いた運命、その色彩は―――――― 「外した……だと……?」 ピサロがその結果に驚きを示す。自分のエリア<3等>が当たるとまで望むつもりはないが、真逆ルーレットにあたりもしないとは。 だが、どれだけ目を眇めようが凝らそうが突き刺さった場所は変わること無し。運命の一投は無情にも、光を掴むことはできなかった。 「あちゃー……ま、ま、こう言うこともあるわよ! 運勢なんてコロコロ変わるものだしねッ!  っていうか、え、ちょ、タワシってウチの店にあったかしら……にゃ、にゃはははは……」 予想外過ぎる展開に、さしもの店主も動揺を隠せないらしい。 確かに、同じ暗殺者とはいえ、シャドウと異なりジャファルの本分は接近からの瞬殺である。 ましてや今は殺しとは程遠い遊興。実力を十全に発揮できるはずもない。 「ゴメンナサイ……探したけどタワシが無くって……その、ニボシで良かったら……」 店主はそう言って申し訳なそうにジャファルに魚臭い袋を渡す。善い出汁が取れそうな、猫も魚もまっしぐらの良質煮干である。 無言でそれを受け取るジャファルに、店主は乾いた笑いを浮かべながら手を振った。お帰りくださいという意味だろう。 「ちょっと待ちな。もうひと勝負、申し込むぜ」 だが、その意を分かった上で敢えてセッツァーが店主に話を斬り込んだ。 そのタイミングの良さに店主は面食らったが、直ぐに目を細めて否定を解答する。 「……気持ちは分かるけど、それはちょっと不味いわねえ。試したのはあくまで貴方達の運気。  もう一回やれば当たるとか、それは純然たる天運とは言えないわ。残念だけど、貴方達の運試しはこの一回―――――!?」 「なら、これでどうだい?」 勝負を切り上げようとする店主の言葉を断ち切ったのは、セッツァーが取りだしたもう一つのカードだった。 シルバーカード。メンバーズカードと同様ジャファルの世界の符牒。その意味は商品価格の半額である。 「スプリット。俺達に一回分の権利しかないと言うのなら―――――こいつで、そいつを“半額”にさせてもらおうッ!」 セッツァーが二本の指で投げ飛ばしたカードを店主は中空で掴み取り、マジマジと見つめる。 そして暫く考え込んでから、軽く溜息を付いてもう一本のダーツを取りだした。 「もしかしてぇ……最初から、こうするつもりだったぁ?」 「偶々さ。偶々、ポケットの中にあったもんでね」 そう言って、誰が投げるとかとのやり取りもなく、ダーツを手にしたセッツァーが運命のルーレットの前に立つ。 そう、運命を賭けると言うのならば、ダーツに意思を託すと言うのならば――――――この男以外に有り得ない。 「おっけぇ。ギャンブラーさんの力、何処まで届くか試してあげる。ルーレット、スタートッ!」 誰もそうだと言っていないのにセッツァーをギャンブラーと嘯く店主が扇を開く、運命の輪が軋みを上げて太極を廻す。 本気で廻る世界に、人の意思など徹らぬと謳いあげるように。人はその回転に、ただただ翻弄されるしかないと笑うように。 「でも、それなら最初から貴方がやるべきだったわねえ。唯でさえ回転しているのに、  ダーツが手元から離れて的に当たるまでの時間が分からないと何処で投げればいいか分からないわよ?」 店主が扇を煽いでギャンブラーの失策を笑う。最初から2回投げるつもりであったのならば2つとも自分で行うべきだった。 そうすれば、ひょっとすれば2人分の景品を得られたかもしれないのに。 「それとも、純粋に運を試すつもりかしら。さてま結果は―――――」 「1ツだけ教えてやる。メチルフォビア<アルコール恐怖症>」 軽口を吐きながら扇を再び戦がせる店主に、氷のように冷たい言の刃が突き刺さる。 まるで自分の喉元にそのダーツが穿たれかと錯覚するほどのギャンブラーの視線が、店主に突き刺さっていた。 「運命<こんなもの>は、ギャンブルとは言わねえんだよ。  そいつを力でねじ伏せてからが、本当のギャンブルだ。分かったら――――」 セッツァーは運命の輪に見向きもしていない。その眼光は唯店主のその一点を見定めている。 当然だ。最初から何もかもを投げ出して運命などという“まやかし”にその身を委ねる者を女神は愛さない。 頭脳を、力を、己が持つありとあらゆる手管を用いてありとあらゆる運命を撥ね退け、 “その先に立ちはだかるもの”に、己が魂を賭してこそ、女神は漸く微笑む。 「“その特賞に当たったら、3つの景品を全部寄越しな”ッ!」 店主の扇が“三度戦いだ”刹那、セッツァーの腕が疾った。 美しいフォームだった。ジャファルも、ピサロさえも微かにそう思った。 力みも逸りも気後れもない、自然体の一投。何度投げようとも決して崩れることのないだろうフォーム。 そこに種族も職能の違いもない。どのような目的であれ、研鑽の果てにある結晶は美しい。 一体何百回、否、何万回投げればこれほどのスローが可能になるのか。 「真逆“本当に”最初から――――」 「ああ、ジャファルに言ったとも。外せと、伸ばせるだけルーレットを回させろと」 驚愕に眼を見開く店主を前に、セッツァーは不敵に笑う。回転数を下げていく的を、最早見てもいなかった。 一投目は完全なる“見”。そして万一賞品を手にして、有耶無耶に終了させられないように敢えて外した。 そして、セッツァーはたっぷり1分を用いて、魔力で回転するルーレットと扇子の同期に気付いたのだ。 「そっちじゃなくて、特賞の方なんだけどぉ?」 「言わなきゃ気付かねえと思ったか? それこそ、舐めるな」 これこそが、セッツァーの感性が成せた唯一の幸運だった。とっかかりは店主の試すような目つき。 シルバーカードで普通に二回賞品を得ても、誰かの不満を招くこの状況。 もし、それを以て彼らの動きを見極めようとするのであれば抜け道が有ってもおかしくは無い。 抜け道があるという前提でルーレットに目を凝らせば……3等の中に微かに紛れた、4色目。 回転数さえ目算が立てば、廻っていないも同然だ。自分のダーツの技量など、自分が一番信じている。 「生憎と、これでメシを喰ってきた。  賽の目も、ルーレットも―――運命をねじ伏せられない程度の力で生きていける世界じゃないんでね」 「―――――――――お見事。特賞、大当たり!」 最早言うこと無し、と店主は扇子を閉じて勝者を宣言する。 ピサロが魔族を傅かせ、ジャファルが闇を統べると言うのならば。 セッツァーは、運命を跪かせる者―――――ギャンブラーなのだ。

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