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** さよならの行方-trinity in the past-◆wqJoVoH16Y 手頃な岩に腰掛けながら、空を見上げる。 疎らな雲は数え始めたらすぐに終わってしまいそうなほどに少なく、 陽光は汗ばんだ額を照りつけていた。 光は誰の下にも等しく降り注ぐ。ただ2人の魔王を除いて。 俺<私>は、今此処に生きている誰よりもその2人をよく知っていた。 ストレイボウは、空を見上げながらぼうっとしていた。 先ほど遠間から遠雷のような戦音が聞こえたが、心にさざ波は立たない。 誰かが鍛錬でもしているのだろう、と断じていた。 読みかけのフォルブレイズの頁が風でパラパラとめくれる。 彼ら戦士の鍛錬と違い、魔術師の準備とはかくも地味なものだ。 奇跡か神の御業と錯覚するほどの絢爛豪華な術法を支えるのは、気が遠くなるほどの下準備。 故に、異界の魔術の最高峰『業火の理』を修める術もまた、その魔導書の読解以外にはない。 火属性魔術の強化触媒にするだけならばともかく、その書を行使するにはその理を解するしかないのだ。 水筒の水で唇を少し湿らせる。腹三分目に留めた空腹感は心地よく、脳漿は澄み渡っていた。 ピサロと分かれたストレイボウもまた、己ができることを模索し始めていた。 既に辿り着く場所を定めた彼は他者に比べその道程も明確で、為すべきこともより具体的となる。 己が立つべきその場所にたどり着くまで、彼らの為したいとする願いを、願えるようにすること――――彼らの力となることである。 己が目指す其処は全ての屍に立って到達するべき場所であってはならない。 その準備として、彼は既にアナスタシアの下に赴き、集められたアイテムの中から必要なものを見繕っていた。 神将器フォルブレイズを筆頭に、天罰の杖とクレストグラフを装備する。 生き残りの中で純正の魔術師はストレイボウしかいないので、 魔術師向けの装備を回収するのに他の者に気兼ねをする必要が無かったのはありがたかった。 攻撃用のクレストグラフが無いことは気づいたが、 ほぼ全ての属性に心得を持つストレイボウには不要であったため、さほど気にはしていない。 むしろ、補助魔法の手管が増えることが、彼にとっては好ましく思えた。 たった一人に勝つ為だけに磨き抜いたこの術理が、誰かの力になれるということが嬉しかった。 装備を改めるに当たり、ストレイボウはアナスタシアへの了解を取らなかった。 正確には、了解を得ることが出来なかった。 工具を手に首輪の向かい合いながら佇むアナスタシアを目の当たりにして、声をかけることなど出来なかったのだ。 ルシエドに背中を預け、邪魔にならぬよう髪をまとめ、顎の縁から”つう”と汗を滴らせる彼女に、常の道化めいた気配は微塵もなかった。 視線で首輪に穴をあけてしまいかねないほどの集中を以て、彼女は首輪に相対している。 アナスタシアは首輪に触れることもなくただ首輪を見つめていた。 その様だけを見れば、時間もないのに何を悠長にと思う者もいたかもしれないが、ことストレイボウに限っては違った。 彼<私>には理解できる。彼女は取り戻そうとしていたのだ。 遙か昔に置いてきた指の記憶を、技術者<アーティスト>としてのアナスタシアを。 寝そべったまま、ストレイボウはフォルブレイズの横に置いたもう一つの書をみる。 そこにあった手帳のような1冊の書。それこそはマリアベルの遺した土産に他ならない。 気づいていなかったのか、気づいて捨て置いたのか、なんにせよストレイボウはアナスタシアに咎められることなくそれを手にした。 その内容は絶句としかいいようもないものだった。 (無論、序文の傾いたケレン味あふれる文章に、ではない) 真の賢者というものがいるのならば、それあマリアベル=アーミティッジをおいて他にはいないだろう。 その真なる序文をざっと読むだけで、アナスタシアの放送後の行動は納得できる。 彼女の周りには、無数のメモの切れ端があった。 マリアベルが遺した首輪の解除方法の記されたメモだった。 イスラやアキラ、果てはニノやヘクトルのサックにも分散して入っていた様子。 アナスタシアがサックや支給品を一カ所に集めさせたのもこれが理由なのだろう。 そして、そのメモを横目に見た彼<私>は確信する。これでほぼ正解だ。 この通りに分解できれば、少なくとも首輪は無力化できると“今の”ストレイボウは理解できる。 故に、アナスタシアに求められているのはそれを寸分違わず実行できる精度。 だから彼女は取り戻そうとしている。未来に向かうために、記憶の遺跡に預けた過去を。 それはさながら、小さな鑿一つでただの石材から精細な石像を作り上げるようなものだ。 図面も手本もない。あるのは忘却にまみれ、錆びついた指の記憶のみ。 それを以て、錆を少しずつ払い、恐る恐る削りながら、 かつての、聖女になる前のアナスタシア=ルン=ヴァレリアを形成していく。 やり直しなど出来ない。作りだそうとしているのが自分自身の過去である以上、 誤謬があったとしてもその真贋を裁定することはできない。 脳は、平気で嘘をつく。記憶に曖昧なところがあれば、一時の納得のために簡単に適当な想像で欠落を埋めようとする。 だからアナスタシアは、慎重に慎重に、薄氷を踏むように遺跡に潜っている。 嘘などつかぬように、真実だけを求めて、記憶に向かい合っている。 だから、ストレイボウ<私>は何も言わずその場を去った。 理解できるから、何も言わない。これは彼女にしか出来ない戦なのだ。 指の精度は技術者にとって命運を分かつものなのだと知っているが故に。 ストレイボウは、空に翳した自分の指を見つめてため息をついた。 オルステッドや、ヘクトル達ほど太くはない指は、それでもアナスタシアに比べれば大きい。性別の差だった。 (悪いな。俺じゃ、首輪の解体はできない。歯痒いだろうが、許してくれ) 指を見つめながら、此処にはいない誰かに、記憶<ココ>にいる彼女に、謝罪した。 ストレイボウがいずれ来る時に向けて備えていたのは、3つの書物を読み明かすこと。 業火の理、マリアベルの遺言、そして――“彼女の記憶”を。 瞼を閉じて、己の内側へと深く深く沈んでいく。肺から空気が抜けきったあたりで、瞼の内側の色が変わる。 自分の知らない風景の光、自分の出会ったことのない人の音、自分が触れることのなかった命。 やがて、その色彩は収束し、自分の知る世界へとたどり着く。 ストレイボウが看取ったその残響を名を、ルッカ=アシュティアと言った。 戦いの中では生き延びることに無我夢中で、その事実の意味に気づく暇もなかったが、 この凪いだ空の下で一呼吸を置けば、改めて自分の中にルッカ=アシュティアの記憶があることを認識できる。 原理は理解できないが、その事実を認められないほどストレイボウは青くはない。 おそらくはあの石――考え得るルッカとの唯一の接点――が、もたらしたものなのだろう、と予測していた。 未経験の記憶が自身に混入するという異常事態を前にしても、ストレイボウは平然――とまではいかなくとも受け入れている。 “封印した記憶を統合する”ならばともかく“まったく新しい記憶を入れる”のならば、その負荷は尋常ではない。 二十年しか生きていない精神<コップ>には、二十年分の記憶<水>しか注げないのだ。 無理に注げば、本来入っていたはずの水が零れてしまう。 だが彼の魂魄は、死してなお心の迷宮で滅んだルクレチアを眺め続けてきた。 気が遠くなるほどに、永遠とすら錯覚するほどに。罪の意識に狂いかけながら。 彼の心は確かに弱かったが、逆に言えばその弱い心は永遠の時間に晒されながらも壊れなかった。 皮肉にも彼は常命の人間では得られない強靱な精神性を有していた。 その広がったココロ全てを飽和させていた罪の意識が僅かでも改まった今ならば、 二十年にも満たない少女の記憶は広大な図書館の書架に納められた一冊の新しい古書にすぎない。 ストレイボウは見るものから見れば異常とも言える自心の剛性を自覚することなく、ルッカという名の古い本を読んでいく。 虫食いもあり、水に濡れて頁が合わさってしまっている場所もある。下手な観測は対象を歪めてしまう。 それでもアナスタシアのように慎重に慎重を重ね、ストレイボウはこの島でのルッカ=アシュティアの記憶までは読み終わっていた。 ルッカ=アシュティアがどのような人物だったかは、カエルに聞いてその触りは掴んでいる。 その際、ストレイボウは彼女の記憶についてカエルに伝えなかった。 聞かれたカエルは多少訝しんでいたが、どうやらアナスタシアとのけじめをつける覚悟を決めたあとだったらしく、深く追求はされなかった。 もっとも、その事実を告げたとしても、ストレイボウはルッカ=アシュティアではない。 魂の欠片があるわけでもない、記憶に付随する生の感情があるわけでもない、 纏う骨と肉の大きさも違うから工具を扱う経験も再現できない。 本当にただの記録。ストレイボウが持っているのはそれだけでしかないのだ。 マリアベルを殺めた罪をアナスタシアが許すことができたとしても、 ルッカを殺めたカエルの罪を赦す資格は己にはないのだ。 (だからこそ、彼女の記憶を無駄にするわけにはいかない) ストレイボウは背を起こし、対面の岩に壁掛けた2つのアイテムをみる。 ゲートホルダーと、ドッペル君。この島に喚ばれる前の彼女の記憶を喚起する触媒として持ってきたものだった。 それを見つめれば、完璧にとは言わないまでも、朧気に彼女の歩んだ冒険の軌跡が浮かぶ。 このゲートホルダーは、きっと彼女の冒険の中心にあったのだろう。 そして、この人間そのものとしか思えない人形に、ストレイボウは思う。 クロノ。彼女の冒険の記憶には、常にこの少年がいた。どの時代にも彼がいた。 きっと、彼は、彼女の中心に限りなく近い場所にあったのだろう。 三人の誰が欠けても始まらなかった。彼と、もう一人の王女と、彼女がこそが……きっと時を越えて星を救う冒険の核だったのだ。 (まるで、俺たちと同じ…………いや、邪推か) 彼女の立ち位置に自分を観るなど、彼女に失礼だ。 不意に生じた妄想を振り払い、クロノとゲートホルダーを符丁として彼女の冒険を読み進める。 海底神殿、死の山、太陽石に虹色の貝殻、そして黒の夢。 冒険の終わり、その果てに――『大いなる火<ラヴォス>』はいた。 (ラヴォス……星を喰らうもの……そんな化け物までも、お前は敗者として喚んだというのか、オルステッド) 国一つを滅ぼしたストレイボウとは言え、星というスケールには流石に面を食らう。 だが、いつまでも惚けている暇はなかった。 マリアベルの警告に拠れば、ラヴォスがこの島の中枢に組み込まれている可能性が高いのだ。 カエルがあの雷の刹那に識った事実も、それを補強している。 (戦力として使う……違うな、そんなモノ使わなきゃいけないほど、お前は弱くない。やっぱり、省みさせる為か) オディオはーー否、オルステッドは完璧だ。力が足りないだとか、 力を欲するという発想から一番遠い場所にいる彼が戦力を喚ぶとは考えられない。 全ては、墓碑に銘を刻むために。 誰もが自分が立つ場所を省みるようにと、祈りを込めて地下墓地を創ったのだ。 (今、それを考えても仕方ない。全てはあいつの前に立ってからだ。だが――) オルステッドの行為の是非について巡り掛けた想いを、ストレイボウは頭を振って押さえ込む。 それ、に関して論じてはならない。その始まりを作ったのは、他ならぬ自分自身なのだから。 だからこそ、ストレイボウは考えるべきことを考える。 オルステッドにラヴォスの力を得ようとする思惑はないだろう。 だが、彼はどうだろうか。 「…………分かっているのか、ジョウイ。お前が何を手にしようとしているのか」 ジョウイ=ブライト。あの混戦の中で、カエルの持つ紅の暴君を奪い去った少年。 彼はカエルと魔王が潜伏していた遺跡にいるのだろう。 あの遺跡に巨大な力が眠っていることは、雨夜の時点でカエルが告げていた。 恐らくは、そこに行くまで含めて彼の絵図だったのだ。そう思わずには居られないほど、あの逃散は鮮やかすぎた。 10人近い戦力を前に敵対し生きて逃亡できるほどの魔剣の力では飽きたらず、遺跡に眠る力を手に入れようとしているのだろう。 だが、恐らくはジョウイはその力が何であるかを知らないはずだ。 ルッカがジョウイにラヴォスの情報を伝えていない以上、彼がラヴォスについて知る手段はほぼないのだから。 星に寄生し、根を張り、あらゆる生命・技術を吸収し、進化する鉱物生命体。 確かにその力は絶大だ。だが、赤い石に魅せられたものがどうなるかを、ストレイボウ<ルッカ>は古代で知っている。 アレは与えるものではない。奪うものだ。一度魅せられれば、何もかもを奪い尽くされ、下僕とされてしまうだろう。 「そんな力で、理想を形にするというのか」 対峙した時、魔剣で変貌したジョウイは己が目的を告げた。 ストレイボウの憎悪で揺るがない理想の国を、憎しみのない楽園を創るため、オディオを継承する。 そこに一切の虚言は無い。本当に、本気で、それを創るために、彼は力を求めている。 そしてその赤い石と紅い剣の力で、俺たちを討つ心算だ。 人の身に過ぎた力を得たジョウイには時間がない。 ピサロの見立てでは、日没まで。必ず、それまでに彼は動かざるを得ないのだ。 (ならば、俺たちがするべきは……) 1.首輪を外し、日没まで耐え切る。 2.首輪を外し、遺跡に向かいジョウイを倒す。 3.首輪を外し、ジョウイを無視してオディオを探す。 ストレイボウは持ち前の論理性で、自分達が取り得る行動を3つにまで絞り込む。 枝葉末節はさらに分派するだろうが、大凡この3つだ。 1は文字通りジョウイの自滅を待つというもの。 現在ストレイボウたちは禁止エリアによって包囲されているが、アナスタシアが首輪を解除出来ればその囲みはなくなる。 いくらジョウイが正体不明な力を持とうが、6人が連動的に動ければ逃げ切りは不可能でもないはずだ。 ジョウイが持て余した力に潰されてから、ゆっくりオディオの居場所を探せばいい。 それに、ジョウイも決して殺人快楽者ではない。殺しきれないと悟れば、無駄を避けて協力する目もあるはずだ。 懸念があるとすれば、ジョウイが復活させる力が自律型――たとえばモンスターのような――であった場合、 ジョウイが死しても動き続ける可能性くらいか。それでも、ジョウイがいなくなれば対処の仕様もあるだろう。 2は先手を取ってジョウイを討つというもの。 ジョウイの懐に飛び込む格好になるが、引き替えにラヴォスの復活を阻止できる可能性がある。 魔王をしてオディオ以上やもと警戒するほどの力、それを復活させることは愉快な状況ではない。 万に一つ――ラヴォスをオルステッドが“終わった後に使う”可能性を考えれば、 ジョウイが罠を張って迎え撃ってくる危険性を差し引いても釣りがくる。 3は、完全な電撃戦。ジョウイもラヴォスも無視してオディオに対面し、この催しそのものを終わらせてしまうこと。 最悪、ジョウイとオディオを二正面で相手にすることになりかねないが――決着は最も早いはずだ。 「尤も、肝心要のアイツの居場所が分からんことには、画餅に過ぎないか」 苦笑を浮かべながらストレイボウは仰向けになった。 詰まるところ、気が急いているのはイスラ達だけではなかったということだろう。 何を話せばいいのかも定まっていない癖に、向かい合いたいという気持ちだけが鞘走っている。 無理もない、と溜息を吐く。 友として、恋敵として、仲間として、宿敵として、罪人として、 生まれ、死に、そして今に至るまでの道の向こうには常にオルステッドがいた。 どれだけ近づいても届かないと思ったその背中。 その背中に、今までにないほど近づいているという確信がある。 俺は、どうすればいいのだろうか。 アイツと向かい合い、その先にあるものをどうしたいのだろうか。 近づく約束の時に向けて、俺は目を閉じ、話したいと思う相手を思い浮かべた。  ――――・――――・――――・――――・――――・――――                       [アナスタシア]     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆       『カエル』 《グレン》     話し相手を              △      選んでください     「???」     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆            ▽                    [アキラ]                                「ピサロ」                       [ストレイボウ]  ――――・――――・――――・――――・――――・―――― 「――――そうだな。まだ、お前の話を聞いちゃいない」 自分自身を省みるようにして、ストレイボウが思い浮かべたのは、一人の少年だった。 ジョウイ。 何が彼を其処まで駆り立てているのか、ストレイボウには見当がつかない。 ただ、皮肉にもルッカの記憶には、ジョウイを知るものが多くいた。 リオウ、ナナミ、ビッキー、そして最後に魔王との闘いに闖入してきたビクトール。 純粋に出会ったと言うだけならばルカ=ブライトも。 話をする時間などほとんどなく擦れ違いのようなものばかりだったが、ルッカはジョウイに所縁ある全ての人物に出会っていた。 誰一人として、ジョウイを警戒していたものはいなかった。 ルカ=ブライトを警戒こそすれ、ジョウイを敵だと思っていた者はいなかったはずだ。 一体、ジョウイ=ブライトというのは“何”なのか。 ビクトールという男がジョウイとルッカを逃がしたということは、少なくとも信ずるべき何かはあったということか。 (そういえば辛うじてルッカとまともに会話できたビッキーだけは、言葉を濁していたな) ふと、ルッカの記憶を眺めながらストレイボウは思った。 ルッカに自身の知る者を説明するとき、リオウとナナミとビクトールの情報量は多いのに、ルカとジョウイの情報量が極端に少なかった。 知らなかったのか、あるいは“語りたくなかった”のか。 何にせよ、はっきりしていることが1つ。 ルッカの記憶を継承したストレイボウは、この場の誰よりも残る2人の敵対者に縁深い者になっていた。 なにより、あのカエルとの決着の時、怯んだ自分の背中を押しとどめてくれたのは、他でもないジョウイだった。 たとえそれが紅の暴君を手に入れるための演技だったとしても、あの血塗れの叫びが嘘だとはストレイボウには想えない。 「一方的に吐かれた言葉で、何が分かる。一方的に聞いた言葉で、何が伝わる。  俺はまだ、オルステッドとも、お前とも会話しちゃいない」 ストレイボウの望みは、彼らにしたいようにあってほしいということ。 そしてそれは、ジョウイさえも例外ではない。 一方の視点にだけ立って全てを断じてはならない。 真の決断とはそんな安易なものではない。 ジョウイの願い。それを理解せずして、決断も何もない。 だから、願った。距離も、禁止エリアも、己を取り巻く状況全てを省みずただ純粋に想った。 ――――果たして、それは奇跡だったのか。 ヴン、と僅かなノイズが耳を穿ち、ストレイボウは背を起こして目を開く。 其処には、ほんの小さな、本当に小さな『穴』があった。 蒼くどこまでも蒼く渦巻く穴は、次元の底まで届くかと錯覚するほどに深い。 そして、その穴を、ストレイボウ<私>は知っていた。 「ゲート……?」 ゲート、時間と空間を越えて通じる世界の穴。ルッカ達の運命を大きく変えた扉が、そこにあった。 「なんで、いきなりここに……」 目の前の光景に、ストレイボウは驚きを隠せなかった。 ついさっきまで無かったものが、いきなり目の前に現れたのだ。 まるでストレイボウの話を聞いていたかのように。 だが、驚嘆の時間などないとばかりに、ゲートはその形を歪め始めた。 傷口をふさぐようにして、ゲートが収縮していく。 「くっ」 ストレイボウはとっさにゲートホルダーを起動させ、ゲートを励起状態へ引き戻す。 だが、イレギュラーなゲートであるが故か、保持力を越えて収縮をしようとしている。 「くそッ、出力限界解除! おい、皆――――うおぁああああ!!!」 ストレイボウは手慣れた所作でゲートホルダーの力を限界以上に引き出し、ゲートを固定させようとした。 だが、それが逆にゲートを過剰励起……暴走させ、ストレイボウを飲み込もうとする。 「なんで暴走――ん、首輪が3つ光って――4つ……?――ああッ!!」 参考までにと拝領した、アナスタシアが分解し終えた首輪の中の感応石を見て、ストレイボウは気づく。 ゲートを安定させるゲートホルダーではあるが、それには条件がある。 それはゲートに入れるのは『3人』までということ。4人以上で入ればゲートは安定を失いまったく別の場所へ飛ばされてしまう。 感応石、人の意志を伝える石を持っていたストレイボウは、図らずも1人であり4人だった。 「くそ、俺は、こんなところで死ぬわけには……ッ!!」 叫ぶこともままならず、がむしゃらに装備をかき集めながら、ストレイボウはゲートに吸い込まれていく。 行く先は時の最果てか。そうであろうがそうでなかろうが、今はまだ死ねないのだ。 今は、まだ。 長い長い時流に曝されて散り散りになった精神が浮上する。 一瞬とも永遠とも思える時の狭間を抜けたストレイボウの視覚に映ったのは、町だった。 「ここは…………」 整備された石造りの街路、整然と並んだ民家。 「こ、こは…………」 ストレイボウの両脇には、鳥の形をした噴水が水を湛えている。 「こ、こ、は…………ッ!?」 落ち着いたはずの呼吸を再び乱れさせながら、ストレイボウは目を泳がせて正面を向く。 そこに聳えるは、白亜の城。城と呼ぶにふさわしい荘厳な意匠をストレイボウは知っている。 忘れるわけがない。忘れていいはずがない。この手で終わらせた王国の名前を。 「―――――――ルクレチアだとォッ!!」 ルクレチア王国。魂の牢で永劫見続けたあの地獄が、寸分違わぬ姿でそこにあった。 ストレイボウは唾を飲み込み、目を見開く。 錯覚ではない。これは、紛う事なきルクレチアだ。 膝が笑い、歯の鳴る音が止まらない。立つことすらままならず、 ストレイボウは広場の中央で――あの武闘大会の会場だった――尻餅をついてしまう。 無理だった。頭がいくら否定しようとしても、全神経が屈服している。 「な、なんで、あそこに、戻ってきたって」 己の罪そのものを前に、正常な判断など叶うべくはずもなかった。 だが、ほんの僅か、あの島で経たほんの僅かの何かが、ストレイボウに気づかせる。 空がどこまでも黒く、噴水はどこまでも濁り、城壁は骨のように白い。 余韻すらない。ここは、どうしようもなく『死んでいる』のだと。 「いったい、此処は――」 そう言い掛けたストレイボウの口を止めたのは背中を引く妙な感触だった。 マントの裾を引かれたような感触に、ストレイボウが背中を向く。 手だった。小さな、小さな子供の手が、街路から生えていた。 生えた手が、無邪気に、母のスカートを引くようにしてストレイボウを引いている。 「あ、あ――あああああ”あ”ッ!!!」 それにあわてて多々良を踏みながら飛び退き、家の壁にぶつかる。 だが、そこには石の堅さは無かった。抱き留めた腕の柔らかさだけがあった。 「うあ、く、来るな、来るんじゃないッ!!」 理解も納得も超越して、ストレイボウは子供のように腕を振って飛び跳ねる。 鳴り叫ぶ心臓と呼吸にかき乱されながら、ストレイボウは広場の中央に立って周囲を見渡す。 何が家だ、何が町だ、何が城だ。これは肉だ、これは血だ、これは骨だ。 城壁が変化し、身を鎧った兵士になる。町が変生し、人間になる。 ストレイボウは知っていた。覚えてしまっていた。 オルステッドを勇者と讃えた兵士達、オルステッドの出陣を見送った国民達。 オルステッドを捕らえようとした兵士達、ストレイボウに扇動されてオルステッドを魔王と蔑んだ国民達。 彼の憎悪が生み出した全ての結果が此処にあった。 ストレイボウは確信する。 ここはルクレチアですらない。ルクレチアという形に鋳造された死そのものだ。 彼らはストレイボウをじっと見つめ、ゆっくりと歩いてくる。抱き留めるように手を広げながら、何の敵愾心もなく。 当然だ。彼らは真実を知らない。否、真実は死したときに決している。 彼らにとって、彼らを殺したのは魔王オルステッドで、 ストレイボウは魔王に殺された哀れな“同胞”――――共にこの宇宙を構成する細胞なのだ。 だから、何の敵意もなく、何の恨みもなく、ただ同じものであるが故に、ストレイボウを迎え入れる。 あるべき場所へ、我らと同じ場所へ、帰るべき場所へと。 「すまん……すまない……ごめんなさい……ッ!!」 もはや立つこともままならない有様で、ストレイボウは尻餅をついたまま後ずさる。 アレに抱かれたら、取り込まれる。そう分かっていても、ストレイボウは何も出来なかった。 彼らに何が出来る。何も出来はしない。何も出来はしまい。 心をどれだけ改めようが、自分を改めようが、彼らは変わらない。 今ここで全ての真実を暴露しても、彼らに何の意味も付加できない。 自分を変えることはできても、彼らを変えることは出来ない。 自分は今“生きていて”彼らは“死んでいる”からだ。自分は勝者で、彼らは敗者だからだ。 死せるものに、終わってしまったものに、生あるものの手は届かない。故に報いることはできない。 ――――強奪者どもよ。     ――――屍の頂点で命の尊さを謳う滑稽さを自覚せよ         ――――なれの果てとなった“想い”を足蹴にして、自身の“想い”を主張するがいい 震え砕けかけた頭で、ストレイボウはオディオの、オルステッドの言葉の真を理解した気がした。 勝者が敗者に出来ることはただ一つ。共に敗者として墓碑に名を刻むこと。 死して共にあることだけだ。 「でも、でも…………た、頼む……」 だが、ストレイボウは震える唇を動かし、辛うじてつぶやく。 「もう少し、待ってくれ…………俺は、俺は…………まだ、まだなんだ……」 死に包囲された中で、このまま墓碑に沈む訳には行かないと、哀願する。 自分はまだ何にも成れていないのだと。このまま其処に戻るわけには行かないのだと。 身の程を知り尽くしてなお、そう懇願した。 死都はその願いなど無視してストレイボウを取り込もうとする。 それはもう本能――否、ただの機構なのだ。生あるものの声で死は変化しない。 それでもストレイボウは叫びながら、死に沈みゆく中で手を伸ばす。 「俺は、まだ、オルステッドに何一つ応えていないんだ……ッ!!」 その時、その手を掴むものがいた。ストレイボウの片手を握る小さな両手の感触を、ストレイボウは感じていた。 「!?」 驚愕と共に、ぐい、と引っ張られ、ストレイボウはルクレチアへと浮上する。 「い、いったい、って、うああ!」 何事かと口にするよりも早く、再び腕を引かれ、ストレイボウの体は南に送られる。 よろよろと足をもつれさせながら、手を引かれたストレイボウは無数の住人が遠くなっていくのを見ていた。 彼らはストレイボウを追おうとはしていない。“してはならないと命令されたように”。 だが、そんなことよりもストレイボウは、手を握った誰かを確認しようと前を向こうとする。 「き、あなたは――」 【サルベージポイント1500mpz――――繋がったッ! 正門から出て下さいッ!!】 そう声をかけようとすると脳裏に直接声が響き、前方の正門が、オルステッドと共に旅立った始まりの門が眩い光を放った。 掴む誰かの姿は影すら映さず、ストレイボウの意識は門の向こう側へと送還される。 残ったのは、その手に伝わった冷たい柔らかさだけだった。 「ぶはぁ!!」 ストレイボウが泥の中から顔を出す。 息も絶え絶えに周囲を見渡せば、そこはルクレチアなどではなく、無限に広がる碧き泥の海だった。 「い、今のは幻か?」 夢でも見ていたのかと一瞬頭をよぎるが、すぐに首を振って否定する。 あの否応のない死の感覚と、手の感触が残っていた。 「K――QPpZQKKQuuuuqZiziGxuZoooppZqqqxuiii!!!!」 それ以上の思考を遮るように、鳴き声のような流動音と共に泥が戦慄く。 異物を検知した、あるいは同胞を捕捉したのか。 どちらにしてもやるべきことは同じと、本能に従って泥に飲み込もうとする。 「ラ、ラヴォス!?」 その形態の多様性に、ストレイボウは無意識にそう叫んでいた。 ラヴォスはその鈍重な外見に反し、あらゆる進化の方向性に適応できるようになっている。 ならば、この無形の泥は、ラヴォスの肉としてこれほどふさわしいものは他にない。 だが、そんな思考はストレイボウの命を長らえさせるのに少なくとも今は何の役に立たない。 触手と化した泥が、ストレイボウめがけて疾走する。 が、突如ストレイボウの眼前を横切った黒い何かが、その泥を阻害する。 「た、盾ッ!?」 「外套<マント>――輝きませんが」 ストレイボウと泥の間に立つはジョウイ=ブライト。 白貌と片目を覆う銀髪――抜剣の証を携えながら、かの男を守るようにして黒き外套を靡かせている。 「呼ばれて刃を押し取り来てみれば……何をしているんですか」 否、比喩ではない。武器も紋章も携えず困り顔をしてみせるジョウイの代わりとばかりに、 その身を鎧った魔王ジャキの外套が泥を弾いているのだ。 「その魔力――魔剣の力を、徹しているのかッ!?」 「抜剣覚醒の余録です。児戯のようなものですが、生まれてすらない子供にはこれで十分」 ただの布であるはずの外套を満たす異常の魔力を感じ取ったストレイボウに応えるように、 外套がストレイボウとジョウイを中心とした周囲を一気に薙払う。 血染めのような外套が、その白き内側へと踏み入らせぬとするように。 泥が形状を喪った瞬間を見抜き、彼の外套はその裾を泥に突き立てる。 そして、その接触を介してジョウイは泥と共界線を接続した。 「――――ッ! ……餓えているんだろう……僕、モ、同ジだ……ッ……  もう少し、もう少し待ってくれ……もうすぐ、“揃う”かラ……」 喉を裂いた穴から漏れるような声で、ジョウイは泥の想いを汲み取る。 脂汗を流し血管を浮き立たせながら、その飢えを、その渇きを、抱きしめるように共有する。 「必ず、あなたを、連れて行く、から……ッッ!!」 その宣誓と共に、泥は力を失ったように海へと形を変えていく。 泥の意志など、想いなど最初から無かったかのように。 想いの果てに凪いだ海で佇む外套の少年のその有様に、ストレイボウは、言いようもない悪寒を覚えた。   *時系列順で読む BACK△156:[[罪なる其の手に口づけを]]Next▼ *投下順で読む BACK△156:[[罪なる其の手に口づけを]]Next▼ |156:[[罪なる其の手に口づけを ]]|カエル|:[[]]| |152:[[天空の下で -変わりゆくもの- ]]|ストレイボウ|~| |151:[[世界最寂の開戦]]|ジョウイ|~| #right(){&link_up(▲)} ----
** さよならの行方-trinity in the past-◆wqJoVoH16Y 手頃な岩に腰掛けながら、空を見上げる。 疎らな雲は数え始めたらすぐに終わってしまいそうなほどに少なく、 陽光は汗ばんだ額を照りつけていた。 光は誰の下にも等しく降り注ぐ。ただ2人の魔王を除いて。 俺<私>は、今此処に生きている誰よりもその2人をよく知っていた。 [[ストレイボウ]]は、空を見上げながらぼうっとしていた。 先ほど遠間から遠雷のような戦音が聞こえたが、心にさざ波は立たない。 誰かが鍛錬でもしているのだろう、と断じていた。 読みかけのフォルブレイズの頁が風でパラパラとめくれる。 彼ら戦士の鍛錬と違い、魔術師の準備とはかくも地味なものだ。 奇跡か神の御業と錯覚するほどの絢爛豪華な術法を支えるのは、気が遠くなるほどの下準備。 故に、異界の魔術の最高峰『業火の理』を修める術もまた、その魔導書の読解以外にはない。 火属性魔術の強化触媒にするだけならばともかく、その書を行使するにはその理を解するしかないのだ。 水筒の水で唇を少し湿らせる。腹三分目に留めた空腹感は心地よく、脳漿は澄み渡っていた。 [[ピサロ]]と分かれたストレイボウもまた、己ができることを模索し始めていた。 既に辿り着く場所を定めた彼は他者に比べその道程も明確で、為すべきこともより具体的となる。 己が立つべきその場所にたどり着くまで、彼らの為したいとする願いを、願えるようにすること――――彼らの力となることである。 己が目指す其処は全ての屍に立って到達するべき場所であってはならない。 その準備として、彼は既にアナスタシアの下に赴き、集められたアイテムの中から必要なものを見繕っていた。 神将器フォルブレイズを筆頭に、天罰の杖とクレストグラフを装備する。 生き残りの中で純正の魔術師はストレイボウしかいないので、 魔術師向けの装備を回収するのに他の者に気兼ねをする必要が無かったのはありがたかった。 攻撃用のクレストグラフが無いことは気づいたが、 ほぼ全ての属性に心得を持つストレイボウには不要であったため、さほど気にはしていない。 むしろ、補助魔法の手管が増えることが、彼にとっては好ましく思えた。 たった一人に勝つ為だけに磨き抜いたこの術理が、誰かの力になれるということが嬉しかった。 装備を改めるに当たり、ストレイボウはアナスタシアへの了解を取らなかった。 正確には、了解を得ることが出来なかった。 工具を手に首輪の向かい合いながら佇むアナスタシアを目の当たりにして、声をかけることなど出来なかったのだ。 ルシエドに背中を預け、邪魔にならぬよう髪をまとめ、顎の縁から”つう”と汗を滴らせる彼女に、常の道化めいた気配は微塵もなかった。 視線で首輪に穴をあけてしまいかねないほどの集中を以て、彼女は首輪に相対している。 アナスタシアは首輪に触れることもなくただ首輪を見つめていた。 その様だけを見れば、時間もないのに何を悠長にと思う者もいたかもしれないが、ことストレイボウに限っては違った。 彼<私>には理解できる。彼女は取り戻そうとしていたのだ。 遙か昔に置いてきた指の記憶を、技術者<アーティスト>としてのアナスタシアを。 寝そべったまま、ストレイボウはフォルブレイズの横に置いたもう一つの書をみる。 そこにあった手帳のような1冊の書。それこそはマリアベルの遺した土産に他ならない。 気づいていなかったのか、気づいて捨て置いたのか、なんにせよストレイボウはアナスタシアに咎められることなくそれを手にした。 その内容は絶句としかいいようもないものだった。 (無論、序文の傾いたケレン味あふれる文章に、ではない) 真の賢者というものがいるのならば、それあマリアベル=アーミティッジをおいて他にはいないだろう。 その真なる序文をざっと読むだけで、アナスタシアの放送後の行動は納得できる。 彼女の周りには、無数のメモの切れ端があった。 マリアベルが遺した首輪の解除方法の記されたメモだった。 イスラやアキラ、果てはニノや[[ヘクトル]]のサックにも分散して入っていた様子。 アナスタシアがサックや支給品を一カ所に集めさせたのもこれが理由なのだろう。 そして、そのメモを横目に見た彼<私>は確信する。これでほぼ正解だ。 この通りに分解できれば、少なくとも首輪は無力化できると“今の”ストレイボウは理解できる。 故に、アナスタシアに求められているのはそれを寸分違わず実行できる精度。 だから彼女は取り戻そうとしている。未来に向かうために、記憶の遺跡に預けた過去を。 それはさながら、小さな鑿一つでただの石材から精細な石像を作り上げるようなものだ。 図面も手本もない。あるのは忘却にまみれ、錆びついた指の記憶のみ。 それを以て、錆を少しずつ払い、恐る恐る削りながら、 かつての、聖女になる前のアナスタシア=ルン=ヴァレリアを形成していく。 やり直しなど出来ない。作りだそうとしているのが自分自身の過去である以上、 誤謬があったとしてもその真贋を裁定することはできない。 脳は、平気で嘘をつく。記憶に曖昧なところがあれば、一時の納得のために簡単に適当な想像で欠落を埋めようとする。 だからアナスタシアは、慎重に慎重に、薄氷を踏むように遺跡に潜っている。 嘘などつかぬように、真実だけを求めて、記憶に向かい合っている。 だから、ストレイボウ<私>は何も言わずその場を去った。 理解できるから、何も言わない。これは彼女にしか出来ない戦なのだ。 指の精度は技術者にとって命運を分かつものなのだと知っているが故に。 ストレイボウは、空に翳した自分の指を見つめてため息をついた。 オルステッドや、ヘクトル達ほど太くはない指は、それでもアナスタシアに比べれば大きい。性別の差だった。 (悪いな。俺じゃ、首輪の解体はできない。歯痒いだろうが、許してくれ) 指を見つめながら、此処にはいない誰かに、記憶<ココ>にいる彼女に、謝罪した。 ストレイボウがいずれ来る時に向けて備えていたのは、3つの書物を読み明かすこと。 業火の理、マリアベルの遺言、そして――“彼女の記憶”を。 瞼を閉じて、己の内側へと深く深く沈んでいく。肺から空気が抜けきったあたりで、瞼の内側の色が変わる。 自分の知らない風景の光、自分の出会ったことのない人の音、自分が触れることのなかった命。 やがて、その色彩は収束し、自分の知る世界へとたどり着く。 ストレイボウが看取ったその残響を名を、[[ルッカ]]=アシュティアと言った。 戦いの中では生き延びることに無我夢中で、その事実の意味に気づく暇もなかったが、 この凪いだ空の下で一呼吸を置けば、改めて自分の中にルッカ=アシュティアの記憶があることを認識できる。 原理は理解できないが、その事実を認められないほどストレイボウは青くはない。 おそらくはあの石――考え得るルッカとの唯一の接点――が、もたらしたものなのだろう、と予測していた。 未経験の記憶が自身に混入するという異常事態を前にしても、ストレイボウは平然――とまではいかなくとも受け入れている。 “封印した記憶を統合する”ならばともかく“まったく新しい記憶を入れる”のならば、その負荷は尋常ではない。 二十年しか生きていない精神<コップ>には、二十年分の記憶<水>しか注げないのだ。 無理に注げば、本来入っていたはずの水が零れてしまう。 だが彼の魂魄は、死してなお心の迷宮で滅んだルクレチアを眺め続けてきた。 気が遠くなるほどに、永遠とすら錯覚するほどに。罪の意識に狂いかけながら。 彼の心は確かに弱かったが、逆に言えばその弱い心は永遠の時間に晒されながらも壊れなかった。 皮肉にも彼は常命の人間では得られない強靱な精神性を有していた。 その広がったココロ全てを飽和させていた罪の意識が僅かでも改まった今ならば、 二十年にも満たない少女の記憶は広大な図書館の書架に納められた一冊の新しい古書にすぎない。 ストレイボウは見るものから見れば異常とも言える自心の剛性を自覚することなく、ルッカという名の古い本を読んでいく。 虫食いもあり、水に濡れて頁が合わさってしまっている場所もある。下手な観測は対象を歪めてしまう。 それでもアナスタシアのように慎重に慎重を重ね、ストレイボウはこの島でのルッカ=アシュティアの記憶までは読み終わっていた。 ルッカ=アシュティアがどのような人物だったかは、[[カエル]]に聞いてその触りは掴んでいる。 その際、ストレイボウは彼女の記憶についてカエルに伝えなかった。 聞かれたカエルは多少訝しんでいたが、どうやらアナスタシアとのけじめをつける覚悟を決めたあとだったらしく、深く追求はされなかった。 もっとも、その事実を告げたとしても、ストレイボウはルッカ=アシュティアではない。 魂の欠片があるわけでもない、記憶に付随する生の感情があるわけでもない、 纏う骨と肉の大きさも違うから工具を扱う経験も再現できない。 本当にただの記録。ストレイボウが持っているのはそれだけでしかないのだ。 マリアベルを殺めた罪をアナスタシアが許すことができたとしても、 ルッカを殺めたカエルの罪を赦す資格は己にはないのだ。 (だからこそ、彼女の記憶を無駄にするわけにはいかない) ストレイボウは背を起こし、対面の岩に壁掛けた2つのアイテムをみる。 ゲートホルダーと、[[ドッペル]]君。この島に喚ばれる前の彼女の記憶を喚起する触媒として持ってきたものだった。 それを見つめれば、完璧にとは言わないまでも、朧気に彼女の歩んだ冒険の軌跡が浮かぶ。 このゲートホルダーは、きっと彼女の冒険の中心にあったのだろう。 そして、この人間そのものとしか思えない人形に、ストレイボウは思う。 [[クロノ]]。彼女の冒険の記憶には、常にこの少年がいた。どの時代にも彼がいた。 きっと、彼は、彼女の中心に限りなく近い場所にあったのだろう。 三人の誰が欠けても始まらなかった。彼と、もう一人の王女と、彼女がこそが……きっと時を越えて星を救う冒険の核だったのだ。 (まるで、俺たちと同じ…………いや、邪推か) 彼女の立ち位置に自分を観るなど、彼女に失礼だ。 不意に生じた妄想を振り払い、クロノとゲートホルダーを符丁として彼女の冒険を読み進める。 海底神殿、死の山、太陽石に虹色の貝殻、そして黒の夢。 冒険の終わり、その果てに――『大いなる火<ラヴォス>』はいた。 (ラヴォス……星を喰らうもの……そんな化け物までも、お前は敗者として喚んだというのか、オルステッド) 国一つを滅ぼしたストレイボウとは言え、星というスケールには流石に面を食らう。 だが、いつまでも惚けている暇はなかった。 マリアベルの警告に拠れば、ラヴォスがこの島の中枢に組み込まれている可能性が高いのだ。 カエルがあの雷の刹那に識った事実も、それを補強している。 (戦力として使う……違うな、そんなモノ使わなきゃいけないほど、お前は弱くない。やっぱり、省みさせる為か) オディオはーー否、オルステッドは完璧だ。力が足りないだとか、 力を欲するという発想から一番遠い場所にいる彼が戦力を喚ぶとは考えられない。 全ては、墓碑に銘を刻むために。 誰もが自分が立つ場所を省みるようにと、祈りを込めて地下墓地を創ったのだ。 (今、それを考えても仕方ない。全てはあいつの前に立ってからだ。だが――) オルステッドの行為の是非について巡り掛けた想いを、ストレイボウは頭を振って押さえ込む。 それ、に関して論じてはならない。その始まりを作ったのは、他ならぬ自分自身なのだから。 だからこそ、ストレイボウは考えるべきことを考える。 オルステッドにラヴォスの力を得ようとする思惑はないだろう。 だが、彼はどうだろうか。 「…………分かっているのか、ジョウイ。お前が何を手にしようとしているのか」 ジョウイ=ブライト。あの混戦の中で、カエルの持つ紅の暴君を奪い去った少年。 彼はカエルと魔王が潜伏していた遺跡にいるのだろう。 あの遺跡に巨大な力が眠っていることは、雨夜の時点でカエルが告げていた。 恐らくは、そこに行くまで含めて彼の絵図だったのだ。そう思わずには居られないほど、あの逃散は鮮やかすぎた。 10人近い戦力を前に敵対し生きて逃亡できるほどの魔剣の力では飽きたらず、遺跡に眠る力を手に入れようとしているのだろう。 だが、恐らくはジョウイはその力が何であるかを知らないはずだ。 ルッカがジョウイにラヴォスの情報を伝えていない以上、彼がラヴォスについて知る手段はほぼないのだから。 星に寄生し、根を張り、あらゆる生命・技術を吸収し、進化する鉱物生命体。 確かにその力は絶大だ。だが、赤い石に魅せられたものがどうなるかを、ストレイボウ<ルッカ>は古代で知っている。 アレは与えるものではない。奪うものだ。一度魅せられれば、何もかもを奪い尽くされ、下僕とされてしまうだろう。 「そんな力で、理想を形にするというのか」 対峙した時、魔剣で変貌したジョウイは己が目的を告げた。 ストレイボウの憎悪で揺るがない理想の国を、憎しみのない楽園を創るため、オディオを継承する。 そこに一切の虚言は無い。本当に、本気で、それを創るために、彼は力を求めている。 そしてその赤い石と紅い剣の力で、俺たちを討つ心算だ。 人の身に過ぎた力を得たジョウイには時間がない。 ピサロの見立てでは、日没まで。必ず、それまでに彼は動かざるを得ないのだ。 (ならば、俺たちがするべきは……) 1.首輪を外し、日没まで耐え切る。 2.首輪を外し、遺跡に向かいジョウイを倒す。 3.首輪を外し、ジョウイを無視してオディオを探す。 ストレイボウは持ち前の論理性で、自分達が取り得る行動を3つにまで絞り込む。 枝葉末節はさらに分派するだろうが、大凡この3つだ。 1は文字通りジョウイの自滅を待つというもの。 現在ストレイボウたちは禁止エリアによって包囲されているが、アナスタシアが首輪を解除出来ればその囲みはなくなる。 いくらジョウイが正体不明な力を持とうが、6人が連動的に動ければ逃げ切りは不可能でもないはずだ。 ジョウイが持て余した力に潰されてから、ゆっくりオディオの居場所を探せばいい。 それに、ジョウイも決して殺人快楽者ではない。殺しきれないと悟れば、無駄を避けて協力する目もあるはずだ。 懸念があるとすれば、ジョウイが復活させる力が自律型――たとえばモンスターのような――であった場合、 ジョウイが死しても動き続ける可能性くらいか。それでも、ジョウイがいなくなれば対処の仕様もあるだろう。 2は先手を取ってジョウイを討つというもの。 ジョウイの懐に飛び込む格好になるが、引き替えにラヴォスの復活を阻止できる可能性がある。 魔王をしてオディオ以上やもと警戒するほどの力、それを復活させることは愉快な状況ではない。 万に一つ――ラヴォスをオルステッドが“終わった後に使う”可能性を考えれば、 ジョウイが罠を張って迎え撃ってくる危険性を差し引いても釣りがくる。 3は、完全な電撃戦。ジョウイもラヴォスも無視してオディオに対面し、この催しそのものを終わらせてしまうこと。 最悪、ジョウイとオディオを二正面で相手にすることになりかねないが――決着は最も早いはずだ。 「尤も、肝心要のアイツの居場所が分からんことには、画餅に過ぎないか」 苦笑を浮かべながらストレイボウは仰向けになった。 詰まるところ、気が急いているのはイスラ達だけではなかったということだろう。 何を話せばいいのかも定まっていない癖に、向かい合いたいという気持ちだけが鞘走っている。 無理もない、と溜息を吐く。 友として、恋敵として、仲間として、宿敵として、罪人として、 生まれ、死に、そして今に至るまでの道の向こうには常にオルステッドがいた。 どれだけ近づいても届かないと思ったその背中。 その背中に、今までにないほど近づいているという確信がある。 俺は、どうすればいいのだろうか。 アイツと向かい合い、その先にあるものをどうしたいのだろうか。 近づく約束の時に向けて、俺は目を閉じ、話したいと思う相手を思い浮かべた。  ――――・――――・――――・――――・――――・――――                       [アナスタシア]     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆       『カエル』 《グレン》     話し相手を              △      選んでください     「???」     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆            ▽                    [アキラ]                                「ピサロ」                       [ストレイボウ]  ――――・――――・――――・――――・――――・―――― 「――――そうだな。まだ、お前の話を聞いちゃいない」 自分自身を省みるようにして、ストレイボウが思い浮かべたのは、一人の少年だった。 ジョウイ。 何が彼を其処まで駆り立てているのか、ストレイボウには見当がつかない。 ただ、皮肉にもルッカの記憶には、ジョウイを知るものが多くいた。 リオウ、[[ナナミ]]、[[ビッキー]]、そして最後に魔王との闘いに闖入してきた[[ビクトール]]。 純粋に出会ったと言うだけならばルカ=ブライトも。 話をする時間などほとんどなく擦れ違いのようなものばかりだったが、ルッカはジョウイに所縁ある全ての人物に出会っていた。 誰一人として、ジョウイを警戒していたものはいなかった。 ルカ=ブライトを警戒こそすれ、ジョウイを敵だと思っていた者はいなかったはずだ。 一体、ジョウイ=ブライトというのは“何”なのか。 ビクトールという男がジョウイとルッカを逃がしたということは、少なくとも信ずるべき何かはあったということか。 (そういえば辛うじてルッカとまともに会話できたビッキーだけは、言葉を濁していたな) ふと、ルッカの記憶を眺めながらストレイボウは思った。 ルッカに自身の知る者を説明するとき、リオウとナナミとビクトールの情報量は多いのに、ルカとジョウイの情報量が極端に少なかった。 知らなかったのか、あるいは“語りたくなかった”のか。 何にせよ、はっきりしていることが1つ。 ルッカの記憶を継承したストレイボウは、この場の誰よりも残る2人の敵対者に縁深い者になっていた。 なにより、あのカエルとの決着の時、怯んだ自分の背中を押しとどめてくれたのは、他でもないジョウイだった。 たとえそれが紅の暴君を手に入れるための演技だったとしても、あの血塗れの叫びが嘘だとはストレイボウには想えない。 「一方的に吐かれた言葉で、何が分かる。一方的に聞いた言葉で、何が伝わる。  俺はまだ、オルステッドとも、お前とも会話しちゃいない」 ストレイボウの望みは、彼らにしたいようにあってほしいということ。 そしてそれは、ジョウイさえも例外ではない。 一方の視点にだけ立って全てを断じてはならない。 真の決断とはそんな安易なものではない。 ジョウイの願い。それを理解せずして、決断も何もない。 だから、願った。距離も、禁止エリアも、己を取り巻く状況全てを省みずただ純粋に想った。 ――――果たして、それは奇跡だったのか。 ヴン、と僅かなノイズが耳を穿ち、ストレイボウは背を起こして目を開く。 其処には、ほんの小さな、本当に小さな『穴』があった。 蒼くどこまでも蒼く渦巻く穴は、次元の底まで届くかと錯覚するほどに深い。 そして、その穴を、ストレイボウ<私>は知っていた。 「ゲート……?」 ゲート、時間と空間を越えて通じる世界の穴。ルッカ達の運命を大きく変えた扉が、そこにあった。 「なんで、いきなりここに……」 目の前の光景に、ストレイボウは驚きを隠せなかった。 ついさっきまで無かったものが、いきなり目の前に現れたのだ。 まるでストレイボウの話を聞いていたかのように。 だが、驚嘆の時間などないとばかりに、ゲートはその形を歪め始めた。 傷口をふさぐようにして、ゲートが収縮していく。 「くっ」 ストレイボウはとっさにゲートホルダーを起動させ、ゲートを励起状態へ引き戻す。 だが、イレギュラーなゲートであるが故か、保持力を越えて収縮をしようとしている。 「くそッ、出力限界解除! おい、皆――――うおぁああああ!!!」 ストレイボウは手慣れた所作でゲートホルダーの力を限界以上に引き出し、ゲートを固定させようとした。 だが、それが逆にゲートを過剰励起……暴走させ、ストレイボウを飲み込もうとする。 「なんで暴走――ん、首輪が3つ光って――4つ……?――ああッ!!」 参考までにと拝領した、アナスタシアが分解し終えた首輪の中の感応石を見て、ストレイボウは気づく。 ゲートを安定させるゲートホルダーではあるが、それには条件がある。 それはゲートに入れるのは『3人』までということ。4人以上で入ればゲートは安定を失いまったく別の場所へ飛ばされてしまう。 感応石、人の意志を伝える石を持っていたストレイボウは、図らずも1人であり4人だった。 「くそ、俺は、こんなところで死ぬわけには……ッ!!」 叫ぶこともままならず、がむしゃらに装備をかき集めながら、ストレイボウはゲートに吸い込まれていく。 行く先は時の最果てか。そうであろうがそうでなかろうが、今はまだ死ねないのだ。 今は、まだ。 長い長い時流に曝されて散り散りになった精神が浮上する。 一瞬とも永遠とも思える時の狭間を抜けたストレイボウの視覚に映ったのは、町だった。 「ここは…………」 整備された石造りの街路、整然と並んだ民家。 「こ、こは…………」 ストレイボウの両脇には、鳥の形をした噴水が水を湛えている。 「こ、こ、は…………ッ!?」 落ち着いたはずの呼吸を再び乱れさせながら、ストレイボウは目を泳がせて正面を向く。 そこに聳えるは、白亜の城。城と呼ぶにふさわしい荘厳な意匠をストレイボウは知っている。 忘れるわけがない。忘れていいはずがない。この手で終わらせた王国の名前を。 「―――――――ルクレチアだとォッ!!」 ルクレチア王国。魂の牢で永劫見続けたあの地獄が、寸分違わぬ姿でそこにあった。 ストレイボウは唾を飲み込み、目を見開く。 錯覚ではない。これは、紛う事なきルクレチアだ。 膝が笑い、歯の鳴る音が止まらない。立つことすらままならず、 ストレイボウは広場の中央で――あの武闘大会の会場だった――尻餅をついてしまう。 無理だった。頭がいくら否定しようとしても、全神経が屈服している。 「な、なんで、あそこに、戻ってきたって」 己の罪そのものを前に、正常な判断など叶うべくはずもなかった。 だが、ほんの僅か、あの島で経たほんの僅かの何かが、ストレイボウに気づかせる。 空がどこまでも黒く、噴水はどこまでも濁り、城壁は骨のように白い。 余韻すらない。ここは、どうしようもなく『死んでいる』のだと。 「いったい、此処は――」 そう言い掛けたストレイボウの口を止めたのは背中を引く妙な感触だった。 マントの裾を引かれたような感触に、ストレイボウが背中を向く。 手だった。小さな、小さな子供の手が、街路から生えていた。 生えた手が、無邪気に、母のスカートを引くようにしてストレイボウを引いている。 「あ、あ――あああああ”あ”ッ!!!」 それにあわてて多々良を踏みながら飛び退き、家の壁にぶつかる。 だが、そこには石の堅さは無かった。抱き留めた腕の柔らかさだけがあった。 「うあ、く、来るな、来るんじゃないッ!!」 理解も納得も超越して、ストレイボウは子供のように腕を振って飛び跳ねる。 鳴り叫ぶ心臓と呼吸にかき乱されながら、ストレイボウは広場の中央に立って周囲を見渡す。 何が家だ、何が町だ、何が城だ。これは肉だ、これは血だ、これは骨だ。 城壁が変化し、身を鎧った兵士になる。町が変生し、人間になる。 ストレイボウは知っていた。覚えてしまっていた。 オルステッドを勇者と讃えた兵士達、オルステッドの出陣を見送った国民達。 オルステッドを捕らえようとした兵士達、ストレイボウに扇動されてオルステッドを魔王と蔑んだ国民達。 彼の憎悪が生み出した全ての結果が此処にあった。 ストレイボウは確信する。 ここはルクレチアですらない。ルクレチアという形に鋳造された死そのものだ。 彼らはストレイボウをじっと見つめ、ゆっくりと歩いてくる。抱き留めるように手を広げながら、何の敵愾心もなく。 当然だ。彼らは真実を知らない。否、真実は死したときに決している。 彼らにとって、彼らを殺したのは魔王オルステッドで、 ストレイボウは魔王に殺された哀れな“同胞”――――共にこの宇宙を構成する細胞なのだ。 だから、何の敵意もなく、何の恨みもなく、ただ同じものであるが故に、ストレイボウを迎え入れる。 あるべき場所へ、我らと同じ場所へ、帰るべき場所へと。 「すまん……すまない……ごめんなさい……ッ!!」 もはや立つこともままならない有様で、ストレイボウは尻餅をついたまま後ずさる。 アレに抱かれたら、取り込まれる。そう分かっていても、ストレイボウは何も出来なかった。 彼らに何が出来る。何も出来はしない。何も出来はしまい。 心をどれだけ改めようが、自分を改めようが、彼らは変わらない。 今ここで全ての真実を暴露しても、彼らに何の意味も付加できない。 自分を変えることはできても、彼らを変えることは出来ない。 自分は今“生きていて”彼らは“死んでいる”からだ。自分は勝者で、彼らは敗者だからだ。 死せるものに、終わってしまったものに、生あるものの手は届かない。故に報いることはできない。 ――――強奪者どもよ。     ――――屍の頂点で命の尊さを謳う滑稽さを自覚せよ         ――――なれの果てとなった“想い”を足蹴にして、自身の“想い”を主張するがいい 震え砕けかけた頭で、ストレイボウはオディオの、オルステッドの言葉の真を理解した気がした。 勝者が敗者に出来ることはただ一つ。共に敗者として墓碑に名を刻むこと。 死して共にあることだけだ。 「でも、でも…………た、頼む……」 だが、ストレイボウは震える唇を動かし、辛うじてつぶやく。 「もう少し、待ってくれ…………俺は、俺は…………まだ、まだなんだ……」 死に包囲された中で、このまま墓碑に沈む訳には行かないと、哀願する。 自分はまだ何にも成れていないのだと。このまま其処に戻るわけには行かないのだと。 身の程を知り尽くしてなお、そう懇願した。 死都はその願いなど無視してストレイボウを取り込もうとする。 それはもう本能――否、ただの機構なのだ。生あるものの声で死は変化しない。 それでもストレイボウは叫びながら、死に沈みゆく中で手を伸ばす。 「俺は、まだ、オルステッドに何一つ応えていないんだ……ッ!!」 その時、その手を掴むものがいた。ストレイボウの片手を握る小さな両手の感触を、ストレイボウは感じていた。 「!?」 驚愕と共に、ぐい、と引っ張られ、ストレイボウはルクレチアへと浮上する。 「い、いったい、って、うああ!」 何事かと口にするよりも早く、再び腕を引かれ、ストレイボウの体は南に送られる。 よろよろと足をもつれさせながら、手を引かれたストレイボウは無数の住人が遠くなっていくのを見ていた。 彼らはストレイボウを追おうとはしていない。“してはならないと命令されたように”。 だが、そんなことよりもストレイボウは、手を握った誰かを確認しようと前を向こうとする。 「き、あなたは――」 【サルベージポイント1500mpz――――繋がったッ! 正門から出て下さいッ!!】 そう声をかけようとすると脳裏に直接声が響き、前方の正門が、オルステッドと共に旅立った始まりの門が眩い光を放った。 掴む誰かの姿は影すら映さず、ストレイボウの意識は門の向こう側へと送還される。 残ったのは、その手に伝わった冷たい柔らかさだけだった。 「ぶはぁ!!」 ストレイボウが泥の中から顔を出す。 息も絶え絶えに周囲を見渡せば、そこはルクレチアなどではなく、無限に広がる碧き泥の海だった。 「い、今のは幻か?」 夢でも見ていたのかと一瞬頭をよぎるが、すぐに首を振って否定する。 あの否応のない死の感覚と、手の感触が残っていた。 「K――QPpZQKKQuuuuqZiziGxuZoooppZqqqxuiii!!!!」 それ以上の思考を遮るように、鳴き声のような流動音と共に泥が戦慄く。 異物を検知した、あるいは同胞を捕捉したのか。 どちらにしてもやるべきことは同じと、本能に従って泥に飲み込もうとする。 「ラ、ラヴォス!?」 その形態の多様性に、ストレイボウは無意識にそう叫んでいた。 ラヴォスはその鈍重な外見に反し、あらゆる進化の方向性に適応できるようになっている。 ならば、この無形の泥は、ラヴォスの肉としてこれほどふさわしいものは他にない。 だが、そんな思考はストレイボウの命を長らえさせるのに少なくとも今は何の役に立たない。 触手と化した泥が、ストレイボウめがけて疾走する。 が、突如ストレイボウの眼前を横切った黒い何かが、その泥を阻害する。 「た、盾ッ!?」 「外套<マント>――輝きませんが」 ストレイボウと泥の間に立つはジョウイ=ブライト。 白貌と片目を覆う銀髪――抜剣の証を携えながら、かの男を守るようにして黒き外套を靡かせている。 「呼ばれて刃を押し取り来てみれば……何をしているんですか」 否、比喩ではない。武器も紋章も携えず困り顔をしてみせるジョウイの代わりとばかりに、 その身を鎧った魔王ジャキの外套が泥を弾いているのだ。 「その魔力――魔剣の力を、徹しているのかッ!?」 「抜剣覚醒の余録です。児戯のようなものですが、生まれてすらない子供にはこれで十分」 ただの布であるはずの外套を満たす異常の魔力を感じ取ったストレイボウに応えるように、 外套がストレイボウとジョウイを中心とした周囲を一気に薙払う。 血染めのような外套が、その白き内側へと踏み入らせぬとするように。 泥が形状を喪った瞬間を見抜き、彼の外套はその裾を泥に突き立てる。 そして、その接触を介してジョウイは泥と共界線を接続した。 「――――ッ! ……餓えているんだろう……僕、モ、同ジだ……ッ……  もう少し、もう少し待ってくれ……もうすぐ、“揃う”かラ……」 喉を裂いた穴から漏れるような声で、ジョウイは泥の想いを汲み取る。 脂汗を流し血管を浮き立たせながら、その飢えを、その渇きを、抱きしめるように共有する。 「必ず、あなたを、連れて行く、から……ッッ!!」 その宣誓と共に、泥は力を失ったように海へと形を変えていく。 泥の意志など、想いなど最初から無かったかのように。 想いの果てに凪いだ海で佇む外套の少年のその有様に、ストレイボウは、言いようもない悪寒を覚えた。   *時系列順で読む BACK△156:[[罪なる其の手に口づけを]]Next▼ *投下順で読む BACK△156:[[罪なる其の手に口づけを]]Next▼ |156:[[罪なる其の手に口づけを ]]|カエル|:[[]]| |152:[[天空の下で -変わりゆくもの- ]]|ストレイボウ|~| |151:[[世界最寂の開戦]]|ジョウイ|~| #right(){&link_up(▲)} ----

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