447 名前: i 投稿日: 2005/08/03(水) 03:10:09 [ 4D0aj44E ]
優しい剣士
1
途切れなく雨音が続いている。
自分を呼ぶ母の声に、少年は、大通りを眺めていた視線を、暖かい部屋の中へ移した。
「こんな雨じゃ、出歩くお客さんもいないだろ。今日はもう、終わりにしちゃおうか。通りの様子を確認して、戸締りをしておくれ」
「はあーい」
少年は、窓のつっかえ棒を落として、窓を閉めると、膝立ちになっていた椅子から飛び降り、
吹き込んだ雨でしっとりと濡れた土間へ降りた。
雨の向こうには、重い夕暮れと、明かりを灯してもまだ暗い町並みが、ぼんやりと見えた。
両開きの扉を閉めかけて、少年は、ふと気づいて手を止めた。
水滴を避けるために、うつむいた旅姿の男がひとり、ゆっくりとぬかるみを踏みしめて歩いてくる。
子どもの鋭い観察眼で、少年は男の顎がきれいに剃られていること、
マントを押し上げる固い形から鎧を着込んでいること、
そして、背に大荷物を背負っているから、長旅の途中であることを、見て取った。
身なりをこぎれいにしているなら文無しではないし、長旅の冒険者は、暖かい食べ物と寝床を望むものだ。
少年は、声を張り上げて、冒険者に話しかけた。
「ねえねえ、おじさあん」
食台を片付けだしていた母にも、その声は届いた。
彼女はやれやれ、と吹き消したろうそくにふたたび火を灯し、元の場所へ戻した。
「おじさあん、どこまでいくの? ここいらでは宿はうちだけだよ。次のは、アウグスタを半分も横切らなきゃいけないよ。
うちに泊まったら?」
冒険者は、片手をあげて張り付く雨をさえぎりながら、少年の方を見た。
少年の推察したとおり、生真面目そうな青年であった。浅黒い肌に、珍しい真紅の瞳をしている。
少年は、気をよくして、差し招くように大きく扉を開けた。あたたかい光が、通りへ漏れる。
「それじゃあ、そうさせてもらおうかな」
青年は顔をほころばせて、扉へ近づいた。
「いらっしゃあい!」
少年は弾むように、青年の後に続いて、宿の中に入り、今度こそ扉を閉じた。
青年が長いマントのフードを下ろすと、じっとりと濡れた銀色の前髪から、雫が土間に滴った。
「つったってないで、お客様に、タオルをお出しして!」
「はーい」
「どうも。有難い」
少年が手渡したタオルで、青年は長い銀髪を拭い、そして、水滴を含んで重くなったマントを脱いだ。
その様子を見た少年と母親は、あんぐりと目と口を開けたまま、立ちすくんでしまった。
少年が大きな荷物を背負っているのだと思っていた、青年の背のふくらみは、一対の大きな翼であったのだ。
それが作り物ではないことは、青年が翼を片方づつ広げて水滴を拭う様子で分かった。
それに、天使を詐称するような罰当たりが、このアウグスタにいるとも思われない。
青年が体を拭い終えるまで、親子は口をあけたまま硬直していた。
天使の青年は、ふと親子の様子に気づいて、困ったようなばつの悪そうな表情を浮かべた。
2
「やあ。ここは
追放天使は禁制だったかな?」
「いえいえ、そんなことはないですけれども」
はっと我に帰って、赤面しながら母親は続けた。
「あら、まあ、どうしましょう。天使様に召し上がっていただけるようなものが、うちにあったかしら」
「いいえ、どうぞお構いなく。パンとスープがあれば充分ですから」
「とにかく、お冷えになったでしょう。暖炉のそばへどうぞ。
こら、坊、いつまで呆けてるんだいっ。下へ行って白パンを取っておいで」
母親にうながされ、少年は飛び上がった。
転がるように階段を駆け下りる。胸がどきどきするのは、走ったせいだけではないはずだ。
ここ、アウグスタで天使の姿を見たことが無いものはいないだろう。
流星のように飛び去るところであったり、上空で難しそうに話し込んでいるところであったり、
程度は違えども、そのような目撃談は後を絶たない。
けれども、彼らはいつも忙しそうに飛び回っているものだ。
いつだって、人間には目もくれないし、地上を歩き回ったりもしない。
地上の秩序を守ることや、神様の急用をこなすこと。天使には仕事が多すぎるのだ。
少年は、保存庫の中で、いっとう上等の白パンを取ると、急いで階段を駆け上がった。
食堂に飛び込むと、天使は暖炉の前の特等席で、湯飲みを両手で包んでいた。たぶん、こないだ仕入れたバリアード産のお茶だろう。
厨房からはシチューのいい匂いが漂ってきていた。
「母さん、持ってきたっ」
「かまどへ入れておくれ。熱いから注意するんだよっ」
残り物のシチューを、なんとかごちそうに変えられないかと苦戦しながら、母親が言った。
少年は手馴れた様子で、白パンをかまどの中へ、押し込んだ。
後は少年に出来る仕事はない。
少年は、厨房からのびあがって、食堂の方をうかがった。
「ねえ、母さん。あの天使様は、どうして地べたを歩いていたのかな」
「シィッ。おまえ、そんなことを聞くんじゃないよ。承知しないからね」
鍋から目を離さず、母親は言った。
少年は理由の分からない叱責に、頬を膨らませたが、その答えは天使に聞くまでもなく、すぐに分かった。
乾かすために炎にかざした青年の右の翼が、翼角のところで無残に折られていたのである。
息をつめて、少年は折れた翼をしげしげと見つめた。
不ぞろいになった傷口では、何枚かの羽は血に汚れたままになっていて、ひどく痛々しかった。
「さあ、できたよ。持っていっておくれ」
話しかけられて、やっと少年は我に帰った。
「はあい」
湯気の立つシチュー皿と、柔らかい白パンの乗った盆を持って、少年は天使の元へ向かった。
「やあ、これはおいしそうだ。いただきます」
天使は嬉しそうに微笑んで、さっそくスープをすくった。
少年は、勝手に天使の向かい側に座って、興味津々で、その様子を見物した。
「ねえね、天使さま。どうしてお羽が半分しかないの?」
3
出すべき飲み物は、エールか、ワインか、お茶かと悩んでいた母親は、これを聞きつけて、血相を変えて飛び出してきた。
しかし、天使は、穏やかに微笑んで、それを制し、スプーンを置いて少年に向き直った。
「これはね、罰なんだよ」
「罰? お仕置き? どうして天使さまがお仕置きを受けなくちゃいけないの?」
「私は・・・私たちは、その昔、私の命などよりもずっとずっと大事なものを、守っていたんだ。
しかし、我らの力がたりなかったばかりに、それを悪い悪魔に盗み出されてしまったのだ。
けれども、神様は、地上でそれを探すことを条件に、片方の翼の、それも半分を折るだけで、
私たちをお許しくだされたんだ。
…私たちの命を摘み取ってしまっても充分なほどの罪だったのに」
少年は息をつめてそれを聞いていたが、ふいに身を乗り出した。
「それはアウグスタにあるの? それを取り返したら、天使さまは、お空へ戻れるの?」
「アウグスタかどうかは、まだ分からない。けれども、このフランテル大陸の極東地方のどこかではないかというところまでは、絞り込めた。
だからね・・・」
天使は手をのばして、少年の髪をくしゃりと撫でた。
「これからもっと多くの追放天使が、ここを訪れることになるかもしれない。
そうしたら、坊や、彼らにも親切にしてやってくれないかい?」
「うんっ! ボク約束するよ。きっと天使さまたちを助けてあげる。
ボク、探し物のお手伝いだってしてもいいよ!」
「これは頼もしい」
天使は大きく笑うと、少年の肩を親愛をこめて叩いた。
「坊、いつまでお客様のお食事の邪魔をしてるんだい。そろそろ寝る時間だよ。上へあがりな」
「・・・・はあい」
少年は不服そうに母親と天使を見比べたが、母親があんまりに怖い表情をしているので、仕方なくうなづいた。
少年は天使に手を振ると、階段を一気に駆け上がり、自分の部屋の扉を閉めると、ベッドに飛び込んだ。
明日は早起きしなければ。天使さまをお見送りするんだ・・・。
胸が高鳴って眠れそうになかったけれども、目を閉じて開けたら、朝だった。
※
そして10年後。
青年天使の言葉どおり、あれからアウグスタに何人もの追放天使が訪れるようになった。
少年は、あの時の約束どおり、天使の探し物の手伝いをしている。
彼は、いまや無力な少年ではなく、立派な剣士となり、今日も彼らを助け、彼らとともに、冒険を続けているのだ。
盗まれた火の神獣の石、「RED STONE」を探して。
最終更新:2007年12月20日 06:40