ふたりの堕天使
1
518 名前: i 投稿日: 2005/08/16(火) 01:22:27 [ 4D0aj44E ]
「ふたりの堕天使」
クロイツは膝を着き、頭を垂れて祈った。
誰のための祈りか。
そんなことを考えることは、とっくにやめてしまった。
定められたとおりに祈りを捧げ、癒しと加護を、その場限りの仲間達に与える。
そして、加護が切れるまでの時間を、冷静に計る。魔物どもと、仲間達の距離を測る。
クロイツは忙しい。
だから、仲間達が、お互いをつつきあい、好奇の視線をクロイツの背後に投げかけても、
彼は振り向かなかった。
あと10秒で、仲間のひとりであるウルフマンにかけた補助魔法の全てが、同時に切れる。
彼がそうなるようにした。
偶然に見せかけて殺すためだ。そのためには、冷静な計算が必要だった。
加護の切れる一瞬、手傷を負った状態のウルフマンに、魔物が攻撃を仕掛ける。
どのタイミングがずれても、MPKは成立しない。
だから、クロイツは忙しい。
「クロイツさま?」
か細い声が、背中からかけられたが、クロイツは無視した。
仲間達が、攻撃の手を休め、好奇心をむき出しにした目で、クロイツを見る。
「クロイツさまッ!」
重鎧に覆われた腕が、強く引かれた。
振り返る寸前に、ウルフマンの救援に駆け寄る剣士、そして治癒魔法を唱えるウィザードの姿が見えた。
クロイツは口の中だけで、小さな悪態をついた。
腕を振り払いざま、クロイツの仕事を邪魔した無礼者を探す。
頬まですっかり覆い隠す重厚な兜の隙間から、クロイツを見上げる小柄な
追放天使が見えた。
クロイツは驚いた。
それが、追放天使だったことに、ではない。その追放天使が、女性であったことにだ。
追放天使はみな、あの、500余年前のRED STONE強奪事件に、大なり小なりのかかわりを持っている。
RED STONEは、一歩踏み違えれば暴力や破壊に変わりかねない、強烈な生命の力、熱情を司る石。
その性質上、男性天使が関係者のほぼ全てを占め、女性天使は皆無ではないが、ひどく珍しかった。
そのうえ、さらにクロイツを戸惑わせたことは……。
彼女の姿に、強い既視感を覚えたことだ。
(この女には、見覚えがある)
クロイツはいぶかしげに、切れ長の目を細めた。
天使にしては、華奢な姿。小作りな顔立ちに、大きな真紅の瞳、細いたおやかな翼。
身にまとうのは、光り輝くエンジェルプレート。
いつか、どこかで、こんなふうに、彼女はクロイツを見上げていた、いつも。……いつも??
「やっぱり! クロイツさま! お探ししました!」
少女天使は、満面の笑顔を浮かべて、クロイツの胸に飛び込んだ。
その瞬間、クロイツは電撃に打たれたように思い出していた。
見覚えがあるはずだ。
あの、RED STONE強奪事件の前、クロイツがまだ天使だったころ、彼女は彼の後輩だった。
退屈な守護任務、男性ばかりの仕事場に、自ら志願してきた彼女の名は……ジヴ。
若かったクロイツは、さらに若いジヴを、妹のようにかわいがり、なにかと世話を焼いていた。
ジヴもまた、クロイツを兄のように慕い、いつもその後をついてまわっていた……。
あの平和で退屈だった時間、500年前に戻ったような錯覚が、クロイツを襲った。
500年前そのままの姿のジヴがそこにいる。夏の花のような明るい瞳と笑顔の少女だ。
だが、その背の、無残に折れた右翼が目に入った瞬間、郷愁は夢のように覚め、
冷たく暗い現実がクロイツの表情を凍りつかせた。
彼女は変わっていない。
けれど、彼は変わった。
2
519 名前: i 投稿日: 2005/08/16(火) 01:24:40 [ 4D0aj44E ]
クロイツは無言で、ジヴの両肩を押し返した。
「クロイツ……さま? 私です、ジヴです! お忘れになってしまわれたのですか……?」
「人違いだ。おれはそんな者ではない」
「……嘘です、そんなの信じません!!」
少女天使は目を見張り、羽毛を逆立てて叫んだ。
「どんなお姿をされていても、私には分かります! 貴方はクロイツさまです!
どうしてそんな意地悪を、おっしゃるんですか?」
まっすぐな瞳で、クロイツを見上げる。クロイツは、その目に自分自身を晒せない。
クロイツは、表情と心を固く閉ざした。
「それとも、本当にお忘れになってしまったのですか? そんなの酷い、酷いです!
私は、クロイツさまのことを考えない日など、一日もありませんでした!」
ピュゥ、と口笛が鳴った。
クロイツは、眉をひそめて、音の出所を睨んだ。
彼とともにダンジョンにもぐり、探索をしていた仲間達は、いつの間にかふたりを取り囲み、
その修羅場をにやにやと眺めていたのだった。
怒鳴りつけたい気持ちを押さえ込み、クロイツはジヴの腕をとった。
「おれはここで抜ける。お疲れ様だ」
その言葉に、仲間達は驚き慌てた。
「お、おい待てよ。そんな無責任な……」
「ビショップなしでどうやって狩りを続けろっていうんだよ?」
「空きはあるんだ。その天使のお嬢さんも一緒に狩ればいいじゃないか」
だが、その全てを無視して背を向け、クロイツはジヴをひっぱって、
彼らの声と視線の届かない所へ移動した。
「帰れ」
開口一番に、クロイツは鋭い言葉を投げつけた。
「嫌です」
ジヴも負けずに、きっぱりと言い返した。
強情な女天使にいらだち、クロイツは首を振った。
「おれがさっき何をしていたか、分かるか」
「ビショップとしての責務を、立派に果たしておられました」
「いいや、ちがう」
クロイツは冷笑した。
「おれは、仲間のひとりを、ウルフマンを殺そうとしていた」
「……! そんな、嘘です……」
「嘘じゃない。お前が邪魔をしなければ、彼は今ごろ、冷たくなって転がっていたはずだ」
「なぜ……どんな理由が……」
「ヤツがゴミだからだ」
その声の冷たさに、ジヴは息を呑んだ。
「たいした火力もなく、まともな防具もない。レベルも、頭もたりない。
そのくせ、前線に落ちたアイテムを取りに行っては、簡単に気絶し、おれの手を煩わせる。
虫けら以下のゴミだ。……だから、殺そうと思った。
回復を遅らせ、支援を切る。それだけでいい。……簡単なことだ」
ジヴは真っ青な顔で、細かく震えていた。
慈悲深くて真面目で、誰よりも天使らしいジヴ。かつて、そのとなりにいたクロイツ。
けれど、彼は変わってしまっていた。
穏やかでお人よしの天使クロイツはもういない。
今の彼は、仲間すら見殺しにする、卑怯で冷酷な人間のビショップ。
クロイツ自身にも、正体の分からないどす黒い感情が、彼の胸の中でうずまいた。
ジヴを傷つけたくて、クロイツは彼女の肩をつかみ、その顔を覗き込んだ。
「人間はおれを『冷血ビショップ』と呼ぶ。誰よりも早く、誰よりも強くなるために、
おれはなんでもしてきた。ゴミを切り捨て、お人よしどもを利用して」
「クロイツさまは……そんな方では、ありません!」
「まだ言うのか!」
クロイツがジヴを突き飛ばすと、彼女は背中から壁にぶつかって、苦鳴をあげた。
折られた右の翼、ちょうどそこをしたたかにぶつけたのだ。
「きっと理由が、……理由があったんです!」
涙を浮かべながらも、ジヴはそれでもクロイツを、その透明な目で見上げることをやめようとはしない。
3
520 名前: i 投稿日: 2005/08/16(火) 01:26:09 [ 4D0aj44E ]
胸の内の黒い炎に突き動かされるように、クロイツはジヴの両腕を、右手だけでまとめて掴み、
その後ろの壁に押し付けた。
冷たい壁と、更に冷たいクロイツのフルプレートアーマーにはさまれ、ジヴは苦しげな息を吐いた。
「お前には分からない!」
気がつくと、クロイツはそんな言葉を口走っていた。
「人間の醜さ、汚さが。そんな人間に変身している間に、その醜い汚れに染まっていく苦しみが!」
「貴方は、醜くも汚くもありませ……ッ、ああああーーーっっ!」
今度はクロイツは、意識してジヴの右翼の傷口を掴んだ。
治らない傷跡から、クロイツの小手を伝って、ひとしずく、鮮烈な赤が流れ落ちた。
はじめて、ジヴの表情に、恐怖が浮かんだ。美しい真紅の瞳から、幾筋もの涙がこぼれた。
クロイツは低く、自虐的に笑った。
いない天使を慕い続けるジヴが憎くて、天使に戻れない自分が憐れだった。
「それでいい……。お前も味わうがいい、裏切られる苦痛を。己の弱さを思い知れ。
……クロイツは死んだ。どこにもいない」
ジヴは言葉もなく震えている。いや、翼の傷口をえぐられる苦痛に、声さえ出せない。
もっと泣かせてやりたい。むちゃくちゃにしてやりたい。
クロイツは衝動的に、兜の面覆の留め金をはずし、口元をあらわにすると、
血まみれの左手でジヴの顎を掴み、その唇を奪った。
「ん……っ!」
やわらかい頬に、兜のふちが食い込むほど、深く、深く口づけた。
ざり。ジヴの歯が、クロイツの唇を噛み切った。
「チッ、」
クロイツは、顔をのけぞらせると、右手でジヴの腕を固定したまま、左手でその頬を殴った。
鈍い音がして、ジヴは衝撃のままにうなだれた。輝く天使の鎧に、ジヴの唇から流れた血がしたたった。
一瞬の激情の爆発が乱れさせた息を整えると、クロイツはジヴの腕を掴んだ手を引き上げ、
きゃしゃな体に、自分の体を押し付けた。
ジヴの腕を捕らえる手を、左手に持ち変えると、右手をジヴの腰に這わせた。
「……! やっ……何をなさいます?!」
人形のようにされるがままになっていたジヴだったが、小手に覆われた冷たい手が、内腿にすべりこむと、、
激しく抵抗しはじめた。
カッとクロイツの頭に血が上った。
『何をする』かと、ジヴは言った。『それは何の行為か?』ではなくて。
それは、ジヴが、今から為されようとしている行為を知っているということだ。
すでに、他の男を知っているということだ。
その認識は今までの何よりも、クロイツを激昂させた。……彼自身、その理由には気づいていなかったが。
クロイツは、ジヴの腰を撫でていた指を、ジヴの歯の間に押し込むと、その唇をむさぼった。
舌を絡め、かきまわした。
ふいに、ジヴの体から力が抜けた。
ふたりぶんの唾液で濡れそぼった指で、ジヴの太ももを覆う下衣をかき分けながら、
クロイツはジヴの表情をのぞきこんだ。
「どうした。抵抗は諦めたか」
愛のない口づけの間、ぎゅっと閉じていた目を、ゆるゆると開いて、ジヴは顔をあげた。
そして、ぎこちなく、微笑を浮かべようと努力した。
「貴方の、したいようにしてください」
クロイツは喉の奥で笑った。
「お得意の自己犠牲か。それとも、慈悲とやらのつもりか?
……待っていても、神は助けてなどくれないぞ。奇跡などは起こらない」
「そんなんじゃありません……」
はら、はらり、とジヴの両目から涙の雫が流れ落ちた。泣きながら、彼女はそれでも微笑もうとしていた。
「あなたにならば、何をされても構いません……」
泣き笑いの表情で、しかし、まっすぐにクロイツの目を見つめて、ジヴは続けた。
「あなたを愛しています。……天上にいたときから、ずっと。誰よりも。……神よりも。
あなただけを」
驚愕に目を見開いたまま、息さえ止めて、クロイツは年下の天使を見つめた。
ジヴの言う「愛」が、天使やビショップの唱える「無償の愛」とは別物である、ということは、
クロイツにもはっきりと分かった。
天上にいたころから……、500年以上も、ジヴはクロイツを愛し続けていた??
その告白の衝撃は、クロイツの閉ざされた心をまっすぐに射抜き、封じ込めていた記憶を呼び覚ました。
クロイツが、『冷血ビショップ』と後ろ指をさされてまで急いで急いで、誰よりも急いで、
強くなろうとしていた理由……。
ひとときの休息も、一瞬の停滞も許せないほどに、焦り続けてきた理由……。
それはジヴだった。
4
521 名前: i 投稿日: 2005/08/16(火) 01:27:08 [ 4D0aj44E ]
地上に追放されたごたごたの間に、ふたりは生き別れになった。
ただ、同じこの広大な地上界のどこかにいる、というあまりに曖昧すぎる希望だけを抱え、
クロイツは、ただがむしゃらに走り続けることしかできなかった。
そして、やがて手段が目的に変わっていった。
天上での、天使としての500年は、まばたきの間にすぎてしまうのに。
地上の、人間の500年はあまりにも長すぎた。
こんなにも大事なことを、忘れてしまうくらいに……。
羞恥に打たれ、ジヴの目を見続けられなくなって、クロイツは彼女の体を抱き寄せ、
その頭を自分の胸に押し付けた。
それから気づいた。
彼女もまた、クロイツを探していたのだ。そして、ひとりでここまでたどりついた。
クロイツが、感情も苦痛も捨て、冷血な鬼となることでしか、達することができなかった、この場所に。
ジヴは、その優しさも、あたたかさも、失わないままで。
(かなわない、な)
素直にそう思えた。
おずおずと、じヴは乱暴な拘束から開放された両腕を、クロイツの背に回した。
そして、慰めるように優しく、広い背中を叩いた。
……本当は、心のどこかで、とっくに気づいていたのだ。
クロイツの胸の中で荒れ狂っていたあの黒い感情……。
それは嫉妬だった。
変わらないジヴ。美しくて透明で、まっすぐな心を持つジヴ。折れた翼を隠さずに、素直に広げられるジヴ。
暴力で押さえつけようとする相手を包み込み、心を開かせてしまうジヴ……。
彼女があまりにも、まぶしすぎて、クロイツは彼女を妬んだのだ。
クロイツは震える声で、祈りの言葉をささやいた。今までの長い生の中で、もっとも熱心に祈った。
白い光が、ジヴを包み、折れた翼をのぞいた全ての傷を癒していった。
……けれど、祈りで体の傷は治せても、心の傷は癒せない。、
クロイツは自らの行為を恥じた。自らがつけた、ジヴの心の傷を思って、おののいた。
ジヴの翼の上で、ぽつりと、透明な雫がはじけた。
……それで初めて、クロイツは自分が泣いていることを知った。500年ぶりの涙は、とても、辛かった。
「すまなかった……。こんなことで、許されるはずもないが……。
ジヴ……。おれも……。おれも、お前を愛している……」
ジヴは何も言わず、ただ、クロイツの胸の中で、何度もうなづいた。
冷たく、硬く凍っていたクロイツの心が、ゆっくりと震え、溶け出していった。
少しずつ、周りの音が戻ってきた。
それでようやく、ふたりの耳に、救援を叫ぶクロイツの仲間達の必死な声が、届いた。
クロイツは、ハッとして頬を拭うと、もとどおり兜を下ろして、表情を隠した。
一度、深呼吸をすると、できるだけ平然とした声で言った。
「行くぞ! ジヴ」
「はい! クロイツさま」
歩き出したクロイツのあとに、飛び跳ねるような羽音を響かせながら、ジヴが続いた。
ふたりは手をつないで、救いを必要としている人間達の元へ、走っていった。
クロイツが冷血と呼ばれることはもうないだろう。
彼は、探し物をついに見つけたのだから。
最終更新:2008年07月07日 22:11