メニュー
人気記事
【横山ゆかり(当時4歳、女) 群馬・太田市・ H8年7月7日】両親がパチンコに夢中になっている間に、店内をうろついていた背の低い男に連れ去られる。
2012年にゆかりちゃんを連れ去った男の鮮明な画像を公開し、当時では分からなかった服装の部分も明らかになった。
2015年1月5日放送の『トリハダ(秘)スクープ超能力透視捜査スペシャル』でジョー.パワーはゆかりちゃんの両親の要請で来日し、ゆかりちゃんのいる場所を透視し、300メートル圏内までの砕石場にいること透視し、残念ながらゆかりちゃんはなくなっているとの結果だった。だがこの場所は私有地が多い場所との事で、父親である康雄さんが警察に捜査を依頼した。
失踪から20年がたった2016年7月7日『週刊女性』の取材に「今年は区切りの年ですし、ゆかりの誕生日ケーキは手作りにしようと思っているんです。スポンジに生クリームを塗って、フルーツをたっぷり挟んで……。下の娘2人にも手伝ってもらおうかな」そう言って光子さんは目をそらした。視線の先には、あどけない笑顔の娘の写真がある。
ゆかりちゃんがいなくなってからも毎年、家族そろって7月11日の誕生日を祝っている。『週刊女性』が初めてご両親を取材した2年前には、苺ののったショートケーキを買った。先月7日には、両親と太田署の18~30歳の若手警察官との意見交換会も開催された。「同年代の警官にゆかりを重ねてしまい、最初は言葉に詰まりました。“一刻も早く見つける努力を惜しまない”と若い女性警官が言ってくれたのには、背中を押されました」(保雄さん)スーパーで激励の声をかけられることもあるという。今年の3月末には、埼玉県朝霞市で2年間、行方不明だった女子中学生が無事に保護され、世間を安堵させ、「ご両親がどれだけ苦しんだかを考えると、生きてまた帰ってきてくれて本当によかった。妻とニュースを見ていて、言葉は発さなかったけれど互いにすごくホッとしているのがわかりました」(保雄さん)行方不明者発見の朗報は喜ばしいことに間違いない。「ただ、そう思いつつも“なんでゆかりじゃなかったんだ”っていう気持ちは常についてまわりますね。次こそは、ゆかりがいい。ゆかりも……」明るくすらすらと受け答えする保雄さんが初めて言葉を詰まらせた。光子さんは小さく「そうね」とうなずく。「俺ね、ゆかりが見つかったときのシミュレーションを何度もするんですよ。警察から連絡を受けて、“すぐ行きます!”ってヘリコプターに乗り込みます。遠くで見つかっても、一刻も早く駆けつけたいから」と保雄さんはひと息に続ける。「会えたときには思い切り泣きじゃくるだろうなあ。なかなか言葉にならなくても、“無事でいてくれてありがとう”“あの日、ちゃんと見ていなくて、ごめんね”と伝えたいです。許してもらえるまで謝って、それから家族5人でこれまでの時間を埋めていきたい」横山家には長女のゆかりちゃんのほかに、当時生後8か月だった次女(20)と、事件後に生まれた三女(15)がいる。妹たちはお姉ちゃんがいない寂しさを吐露したり、事件発生時の両親の行為を責めることは一切ないという。「たぶん気を遣ってくれているんでしょうね。家族間でゆかりの話はあえてほとんどしませんが、次女と成人式の着物を選んでいたとき“お姉ちゃんだったら何色を選ぶかなあ”と話しました。昨年はビラ配りにも参加して、人見知りなのに一生懸命、配ってくれた」(光子さん)
ゆかりちゃんが戻ったら、3姉妹そろって着物を着せるのが両親の夢だという。
「次女は成人式で着た緑色を着るとして、ゆかりは派手すぎない古風な赤色、三女は青色か紫色のイメージですかね」(光子さん)
保雄さんは、こう話す。
「黄色と緑色が大好きだから差し色に入れてほしいですね。俺、センスいいんですよ。ズラッと並んだ着物の中から、“ゆかりに一番似合うやつはコレだ!”って、ばっちり選んでみせますよ」
お父さん子だったゆかりちゃん。
「俺と写っているときの笑顔がとびきり可愛い」と、ツーショットを指でなぞる。一方、光子さんは厳しく接していたことを気にしつつも「作った料理はなんでも残さず食べてくれた」と懐かしむ。
「ゆかりが帰ってきたら、いちばん最初に食べさせてあげたいのは……カレーライスかな。わが家では鶏ささみ肉カレーが定番なんです。ミックスベジタブルを入れて色とりどりにして、出してあげたい」
ゆかりちゃんが帰ってきて最初の家族旅行には、妹2人も大好きなディズニーリゾートへ1泊2日の旅を希望しているという。
「そのときは借金してでも、一番いいホテルのスイートルームを取りたいなあ」(保雄さん)離れて過ごしたぶん、きっとまた会えるはずの愛娘との計画は尽きない。
「それでも、なかなか見つからないことを実感する瞬間はひどく落ち込みますね。ご先祖様でもどこかの幽霊でもいいから、ゆかりの居場所を教えてくれたらいいのに。でも親ですから絶対に諦めない。ゆかりが無事帰ってくることをいつまでも願い続けます。家族みんながそう願っている」と話す。
失踪から21年になるのを前にした2017年7月2日、太田市石原町の商業施設でゆかりちゃんの両親や警察、協力団体ら約80人が情報提供を求めるチラシを来店客に配った。康雄さん「娘を捜しています」と呼びかけながら、買い物客にチラシを配った。取材に対し、「いなくなったその日から、ゆかりのことしか考えていない。ゆかりのいない生活は考えられない。本当にささいなことでも結構なので、1件でも多くの情報を」と話した。
失踪から22年を前にした2018年7月3日に常に写真を持ち歩く両親は「一日も早く帰ってきて」と願い、両親は、ゆかりさんを連れてきた自らを責めてきた。父親の保雄さんは自殺も考えたと明かし、「自分が悪かった」。ただ家族に「帰ってきたゆかりが、誰をパパと呼ぶんだ」と言われ、思い直した。「自殺したら、容疑者に負けたようで悔しい。生きて、ゆかりを見つける」と語る。
失踪から23年後の2019年7月7日、両親や県警捜査員らが市内のショッピングモールで、ゆかりちゃんの写真が掲載された約2千部のチラシやポケットティッシュを配り、情報提供を呼び掛けた。父親の保雄さんは「ゆかりは無事に帰ってくる。見つかるまでは絶対に諦めない」と記者団に力強く語った。
2020年7月に上毛新聞の取材に父親の保雄さんが取材に応じ、事件当時、ゆかりちゃんはまだ生後間もなかった次女(24)から常に離れず、保雄さん夫婦に「おむつだよ」「おっぱいだよ」と教えてくれた。「この子、本当に4歳かなと思うほど面倒見が良かった」と振り返る。 ゆかりちゃんは11日に29歳の誕生日を迎える。保雄さんは「妹に頼られるお姉さんになっているだろうな」と現在の姿を思い描く。年齢を重ねてきた自分たちが体調を崩した時に「長女として支えてほしい」と願う気持ちもある。 母親の光子さんも「普通に仕事をして、結婚して、子どもも生まれる年ごろ。きっとしっかり家庭を支えるような女性になっていると思う」と想像する。 群馬県警は11日にイオンモール太田(太田市)にチラシを置き、動画を上映して情報提供を呼び掛ける。例年、保雄さん夫婦も参加してきたチラシの手渡しなど人と接触する形での街頭活動は自粛となったが、保雄さんは「世界的に大変な状況だから仕方がない。そんな中でも警察が実施してくれることはありがたい」と話す。 保雄さんは「早く見つかってほしい。そればかりを考えている。少しでもゆかりらしい女性を見つけたら情報を寄せてほしい」と訴え、24年前と変わらずゆかりちゃんの帰りを待ち続けている。
2021年7月に上毛新聞の取材に父親の保男さんは無事を願う切実な思いを明かした。25年前のパチンコ店内の様子はずっと忘れられないという。ゆかりちゃんは景品所を見て、「パパ、花火取って」とねだった。「分かった。パパが取ってあげる」と言うと、にっこりと笑顔で喜んでいた。パチンコ台に座る両親の間を行き来して、店内奥にある長いすに座っていた姿も覚えている。店内での出来事だけでなく空気感も、ありありとよみがえだが、それ以前のゆかりちゃんをはっきりとは思い出せない。
生まれてから4年間、保育園の運動会や夏祭りなどいろいろな行事があったはず。「なぜ思い出せないのか…。ゆかりがいなくなったショックが大きすぎて、事件当日の記憶ばかりが残ってしまっているのだろうか」。25年もの歳月が経過して、事件前の記憶がすっぽりと抜けてしまったかのような感覚が続いているという。事件当時8カ月だった次女(25)と、事件後に生まれた三女(21)は、毎年7月7日が近づくと、「お姉ちゃんに早く会いたいね」と言うくらいで、それ以上はゆかりちゃんの話をしない。「2人なりの親への優しさなのだろう。話さなくても、家族全員が帰りを願っているというのは分かっているんだから…」
失踪から25年後の2021年7月7日、父親の横山保雄さんは「早く見つかってほしいと思いながらの25年でした。25年も離れ離れになるなんて考えられることじゃないので、私たちがつらい分、ゆかりもつらい思いをしていると思うのでゆかりに対して申し訳ない。本来あるべき家族の元に帰してほしい」と話している。
http://www.watv.ne.jp/~askgjkn/tizu1.1.gif(付近で足利事件が起こっている)http://www146.sannet.ne.jp/oizumipolice/yukarichan.htmhttp://www.police.pref.gunma.jp/keijibu/02sou1/file_yukari.htmlhttp://www.police-ch.jp/video/16/000412.php
日本テレビの清水潔氏が、この事件を含めた「北九州連続幼女誘拐殺人事件」についてもう一度調べ、一連の事件がすべて同一犯の犯行であるという仮説を立てた。すると、真犯人の可能性がある男を特定し、接触にも成功。写真より老けてはいたが、やはりどこかルパン三世に似た中年の男であったという。男は独身で、週末になると県境を行き来、足利・太田近辺のパチンコ店に現れては一日中タバコをくわえながらパチンコをしていたという。すると、真犯人の可能性がある男を特定し、接触にも成功。写真より老けてはいたが、やはりどこかルパン三世に似た中年の男であったという。
まずは90年5月12日、『足利事件』当日のことを男にぶつけてみた。闇の中の禅問答のようなやりとり。同じ質問を重ねていくにつれ、男の回答はブレていく。男はついに、事件当日、足利にいたことを認めた。しかもその場所とは事件の現場だ。殺害された松田真実ちゃんが行方不明となったパチンコ店である。それだけではない。『あまりよく覚えていない』と言っていた男が、実は真実ちゃんと会ったことがあり、会話まで交わしていたことを認めたのだ。
『太田市内でも女の子が行方不明になっていますが、そのパチンコ店には行ったことは?』という質問に男は即答した。『あぁ、知ってます。あの店には行ったことがありません。出ないんですよ』。行ったことがないはずのパチンコ店の出玉について明言する矛盾には気づかぬまま男は続けた。『あの日は自分は、あの店に行ってません』。前言と矛盾する上、尋ねてもいない事件当日の行動を懸命に語るなど、相当に混乱しているとしか言えない。そもそも、やりとりの中で私は、ゆかりちゃん事件の発生日も、店名すら伝えていない。にもかかわらず、12年も前の自分の行動を、突然訪れた記者に即答できるとは。
この男が横山ゆかりちゃん事件の犯人、なおかつ「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の犯人なのかもしれません。
清水記者は著書「殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―」の最後で、こう締めくくっている。「何度も何度もお前のことは報じたぞ。ルパンよ、お前に遺族のあの慟哭は届いたか。お前がどこのどいつか、残念だが今はまだ書けない。だが、お前の存在だけはここに書き残しておくから。いいか、逃げ切れるなどと思うなよ。」
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。