3-239 「無題」

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「さあいよいよ個人戦も決勝を残すのみとなりました。
勝ち上がって来たのは龍門淵の天江衣、鹿児島の神代、
清澄の宮永咲、そしてジャスティス原村和の四人です」
「まあ、残るべくして残った四人だろうな」
「藤田プロはこの決勝戦をどのように予想しますか?」
「どうなるかは全くわからないが、注目すべきは原村和だろう」
「というと?」
「天江、神代、宮永の三人は牌に愛された打ち手だ。
言わば、持って生まれた才能で勝ち上がって来た魔物。
それに対して原村だけが唯一、何千、何万という対局の中で
少しずつ腕を磨いて来た努力型だ。
前述の三人とは対極に位置する打ち手と言えるだろう。
三年前の宮永照の登場から始まって、この全国大会の歴史は
そっくりそのまま努力型が魔物達の前に敗れ去って来た歴史だと言える。
今年は果たしてどうなるのか? 私は個人的にそこに注目しているよ」
「なるほど―――。
さあ、卓では席と親が決まった模様。いよいよ決勝戦が始まります」

「ツモ 海底撈月(ハイテイラオユエ)」


「ここで天江衣の海底ツモ。
第一局、いきなり神代の二重立直(ダブリー)一発ツモから始まり、
続いて宮永の嶺上開花(リンシャンカイホウ)、再び神代の二重立直、
そして天江の海底、宮永の嶺上、今局でまた天江の海底と、
とんでもない展開になって来ました。
まだ上がりがない原村は我慢の時間が続きます」
「いや、それは違う」
「え?」
「二局前に天江が海底を上がった時、
唯一原村だけが一向聴(イーシャンテン)にまで手を伸ばしていた。
そして今局は聴牌(テンパイ)だ。
原村は確実に上がりに近付いている」

「ノーテン」
「ノーテン」
「ノーテンです」

「テンパイ」


「おっとここで原村の一人テンパイ」
「そろそろ、来る!」

「ツモ六千オールです」


「親の三本場を迎えていた原村に倍マンが飛び出しました。
これで天江、神代をまくって二位に浮上。
トップの宮永の背中もすぐそこに見えて来ました」
「……」
「藤田プロ?」
「これは……まさか……九星極技……?」
「キュウセイキョクギ?」
「間違いない。雀鬼と恐れられた桜井章一が語った、
玄人(バイニン)が最後に辿り着くという至高の打ち方。
手成りに沿ってミスなく一直線で上がるというものだが、
私も見るのは始めてだ」
「桜井さんは手積み時代の雀師ですよね?
積み込みが出来ない全自動卓でそんなことが可能なんですか?」
「わからない。だが今局の七巡目で3ピンを引いた時、
本来のデジタル打ちをしていたなら、原村は浮いていた7ソウを落としていた筈だ。
だが結果は8ワン切り。次の巡目で6ソウが繋がったから、
結局その8ワン切りで正解だった………。
原村は今デジタルで身に付けた効率重視の打ち方を越えて、
座っている卓の真理に沿って手成りで打っているとしか思えない」

(あの子はこの一年の間、一体どんなものを見て、
何を想いながら麻雀を打ってきたというんだ?)

「カン――――リンシャン…」
「そのカン通りません」
「え!?」
「槍槓(チャンカン)です」

(宮永さん、負けませんよ)
(やっぱり凄いね、原村さん)

「ふっ。そういうことか」
「藤田プロ?」
「いや、何でもない」

(宮永さん、ごめんなさい)
(お姉さんと天秤にかけられることが辛くて………)
(私はあなたから逃げ出そうとしました……)
(それで、あの時交換したお土産を捨ててしまったんです)
(だから東京へは宮永さんとの思い出の品を何も持たずに来て……)
(だけど私は、やっぱりあなたのことが好きでした)
(忘れることなんて出来るわけがなくて……)
(雑誌に掲載されたあなたの牌符を切り抜いて、
それを見ながらあなたを想い浮かべていました)
(そうする内に濁っていたあなたへの想いはどんどん透明になって、
お姉さんに抱いていた下らない嫉妬も、
あなたが私を選んでくれなかったという筋違いの恨みも無くなって)
(ただ純粋に会いたい、あなたに会ってもう一度ちゃんと気持ちを伝えたい)
(そう願う気持ちだけが、最期に残りました)
(あの時は逃げ出してしまったけれど、でも、今度こそちゃんと言わせて下さい)
(この対局に勝って、麻雀を続けていいとお父さんに納得してもらって)

(いつまでもずっと一緒にって)


(原村さん、相変わらず凄いね)
(私、原村さんと一緒に打っている時がやっぱり一番楽しいよ)
(だから、また会えて凄く嬉しいんだ)
(この時のためにずっと原村さんとの約束を守って来て、本当に良かった)

『あなたが手加減していたら、私は楽しくありませんよ。
私も楽しませて下さい』
『じゃあもう手加減とか、なしですよ』
『私と約束したのは一緒に全国に行くことだけでは無かった筈です。
本気を出すって、約束したじゃないですか』

(原村さんと再び出会えたこの道の上に、私達の未来があると思うから
守り続けて来た約束は、絶対に最期まで守り通すよ)
(そして今度は私から気持ちを伝えるんだ)

(いつまでもずっと一緒にって)


「カン―――――嶺上開花」

「おっとここでまた宮永の嶺上開花。一度はトップに立った原村を逆転しました」
「……」
「藤田プロ?」
「これは……無想転生……?」
「むそうてんせい?」
「ああ、間違いない。
友との死闘を通じて悲しみを知ったケンシロウが
ラオウとの闘いの中で開眼した北斗神拳最終奥義(以下略)」
「しかし、今は世紀末ではないですし、核戦争も起こっていないんですよ?
そんなことが可能なんですか?」
「わからない。だが原村の待ちをかわして上がった今局の
流れるような一連の打ち筋、無想転生としか思えない」
「はあ……」
「宮永は元々気持ちに左右されやすい打ち手だった。
去年までは些細なことで手造りが変わってしまう脆さを持っていたんだが、
しかし、ここに来ての嶺上開花。今の彼女に気持ちの迷いはないようだ」

(この子は、一体どこで悲しみを知り、そしてこれほどの愛に目覚めたんだ?)

「ロンです」

「あーっと、原村が宮永の当たり牌を掴まされていました。
これで再び二人の差が開きます」

(手加減しないよ、原村さん)
(そうではなくては。まだこれからですよ、宮永さん)

「ふっ、そういうことか?」
「藤田プロ?」
「いや、何でもない」

(竹井久に言われてあの二人と打ってから、もう一年以上も経つのか。)
(随分成長したものだ。さて、この勝負が果たしてどんな結末を迎えるのか)
(最期まで見守らせて貰うよ、北斗の後継者達)

「さあこれで全国高校女子麻雀大会個人戦の決勝戦もオーラスを迎えました。
一位の宮永と二位の原村との差は僅かに二千点。どちらに転ぶか最後までわかりません」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「七巡目の宮永が引いてきたのは3ワン。
これで宮永は聴牌ですが、ここは恐らくダマで行くでしょ…」

「リーチ」

「み、宮永がリーチ!? 上がれば点数に関係なく勝ちが決まるのに
……これはどういうことでしょうか?」
「………いや、私にもわからない」
「……おっと一向聴で待っていた原村にも5ピンが入って聴牌。
しかし浮いた7ピンはション牌、原村にとっては切りにくいかもしれませ……」

「リーチです」

「え!? 宮永のリーチに続いて、原村までノータイムでおっかけリーチ……?
卓では……一体何が起こっているのでしょうか?」
「完全にセオリーを無視しているな。
二人ともダマで十分な手を張ったのに、敢えてリーチをした。
しかも原村はノータイムでション牌を切ってのおっかけ。
最初から出上がりを期待せずに、自分で上がることだけを考えているのか?」
「ということは、積もり合いですか?」
「ああ。だが、宮永は二面待ち(リャンメンマチ)を捨てて、
暗子(アンコウ)含みの単騎待ちでリーチをかけている」
「ということは有効牌が半分。つまりは原村が有利…」
「いや、暗子含みということは嶺上開花が生きているということでもある。
宮永はこの大舞台で最期まで己の気持ちを貫くつもりなんだろう…………
……果たしてこの勝負、どちらに運が傾くのか………いや…
もう運などでは決まらないところまで来ているのかも知れないな」

(宮永さん、あなたに勝ちます!)
(約束を守り通すよ、原村さん!)
*1
*2

「カン――――」
(例え森林限界を超えた嶺にだって――(…そんな)――百合の花を咲かせてみせる!)
「ツモ 嶺上開花」




「優勝は清澄高校の宮永咲!そして続く準優勝には原村和が輝きました!」

鳴り止まない拍手の中で、私と原村さんは敵としてではなく
想いの通じ合った恋人として見つめ合った。
かつては一緒に並んで歩いて、そしてついさっきまでぶつかり合って、
今それを終えて新しい一歩を踏み出すんだって、そんな気がする。
私達が歩む道の上には、二人で麻雀をする時間はもう無いのかも知れない。
でもね、原村さん………。
「負けてしまいましたね。
でも最後に本気の咲さんと戦えたから、私は今凄く幸せです。
きっと、今日のことは一生忘れません」
清々しい顔で原村さんが差し出した手を握り、私は首を振った。
「ううん。忘れるよ、きっと」
「え!?」
「だって、これが最後じゃないから」
「さ、咲さん…」
「今日のことなんて忘れる位、これから和ちゃんと沢山思い出を作るから」
「…………」
「だから、泣かないで。和ちゃん」
原村さんの頬を伝う涙をすくって、その体を抱きしめた。
「これからまた離れ離になっちゃうけど、会いに行くよ」
「はい」
「今度はちゃんと、私が原村さんを捕まえるから」
「はい」
泣かせたくなんて無いのに、そう思って抱き締める手に力を込めたけれど、
結果は変わらなかった。でも、原村さんが泣き顔のまま一生懸命微笑んでくれて、
悲しくて泣いているんじゃないんだって、そう思えた。
「私、再会してから、何だか泣き虫ですね」
「うん。でも、泣き止むまでここにいるから、泣いてもいいよ?
嬉し涙なら、私が拭ってあげるから」
「……咲さんの馬鹿。忘れさせるだなんて。
こんなに嬉しい日のこと……忘れられるわけないじゃないですか」


「それで、和はやっぱり麻雀を続けられないのね?」
「そうみたいです。法学部を受験して、それから司法試験を目指すって」

全国大会が終わった後、夏休みの残りを利用して私は再び東京へ向かった。
訪ねた先は部長が下宿しているアパート。
部長…じゃなくて竹井先輩は麻雀の強豪校から推薦を貰って、
卒業と同時に東京に越していた。

「ちゃんと片づいてるんですね」
「あら、心外だわ。咲の中で私は片付けられない女になってたのね」
「え? あ、あの…そういうわけじゃなくて、すいません」

竹井先輩はわざと怒った顔をして見せてから、
ミルで引いたコーヒー豆にお湯を注ぎ、渡してくれた。

「でも安心したわ。もうちょっと落ち込んでるかと思ったけど…
大丈夫そうね?」
私は渡されたコーヒーに砂糖とクリームを足して、その言葉に頷いた。

「自分でも不思議なんですけど、落ち込んでちゃいけないなって。
だって、今度は私の番だと思ったから」
「咲の番?」
「はい……出会った日からずっと、原村さんは私を追い掛けて来てくれて。
だから今度は原村さんを追い掛ける番だって」
「そう」

竹井先輩はブラックコーヒーに口を付けて、カップ越しに私を見つめた。
眼差しは昔と同じ優しいもので、その変わらない雰囲気に私は勇気を貰った。
そして、今日こうしてやってきた理由を話そうと決意した。

「た、竹井先輩。原村さんの近くにいるために、わ、私…」
「この学校の推薦が欲しいのね?」
「……ふぁ、ふぁい」
「ふふ。わかったわ。私からコーチに頼んでおくわね」
「あ、有難う御座います!!」

それから私は竹井先輩に大学の麻雀部のことを聞いたり、
清澄高校のその後について話したりした。
暫くして時計を見ると約束の時間が近付いていて
慌てて暇を告げることになってしまったのだけれど、
それでも竹井先輩は嫌な顔一つせずに近くの駅まで私を送ってくれた。

「それじゃあ、連絡が行くのを待っててね、咲」
「はい。有難うございました、竹井先輩」

ホームに立って見えなくなるまで手を振ってくれた竹井先輩に
心の中で何度もお礼を言った。
それから地元とは比べ物にならない程混み合った東京の電車を乗り継いで、
目的の駅で下りた。

ホームから階段を上り、初めて来る駅の作りにあちこち苦労しながら
やっとのことで指定された改札口へ。
少し肌寒い秋を避けるために両手をポケットに入れる。
人波の中にその姿を見つけようと、爪先立ちできょろきょろしていたら、
突然、後ろから両腕ごと抱きしめられた。

「わ!!……の、和ちゃん!?」
「…はい」
「もう。びっくりしたよ」

そう言って振り向こうとしたのに、原村さんが離れてくれなくて
ちゃんと体が動かない。あたふたしていたところに

「暫くこうしてていいですか?」

と言われて、私は後ろへ向けようとしていた顔を慌てて前に戻した。
ドキドキしながらこくりと頷いたんだけれど、

(見えてないかな……)

そう思い直して、おっかなびっくり声を出した。

「う、うん。だ、大丈夫だよ」

間を置かずに抱き締める腕の力が強くなって、
服を通して鼓動が伝わってしまうじゃないかと思う位、心臓が高鳴った。
そんな風にガチガチに緊張しているところに、

「ごめんなさい」

と言われたから、私は

「なななななな、な、何が?」

なんて、舌が回らないまま馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返してしまった。
次の瞬間、原村さんがくすくすと笑い声を上げて、

「予備校があって、会うのがこんな時間になってしまって」

と、どこか満ち足りたような穏やかな声音で言った。
それを聞いたら不思議と心が落ち着いて、私はようやく言葉を紡ぐことが出来た。

「ううん。あ、会えただけで、嬉しいよ」

そう答えると、原村さんは私の首筋に額を押し付けて
もう一度抱きしめる腕に力を加えた。息が掛かってくすぐったくて、何となく

(照れているのかな?)

なんて思ったりした。確かめようと思って振り向こうとしたけれど、
原村さんはそれに合わせて体の向きを変えてしまって………
顔を見られまいとするその様子が可愛かったから、

「和ちゃん」

と知らず知らずの内に言葉に出していた。

「なんですか?」

当然の如くそう尋ねた原村さんに、心に浮かんだ気持ちを
そのまま言葉にして伝える。

「な、何でもないの。ただ、可愛いいなあって思って」

そしたら、首筋に掛かる原村さんの息が一段と熱を持った。
それに当てられたみたいに私も胸が熱くなって、
何となくポケットに入れていた両手を出してみた。
でも、それをどうするかまでは考えていなくて、どうしようかと考えている時に
私を抱き締めるために組んでいる原村さんの掌が目に入って………
私はこめかみの辺りが熱くなるのを感じながら、おずおずとその掌に触れた。
その瞬間

「あっ!?」

と言って原村が震わせたから、悪いことをしてしまったように思って
私は慌てて手を離した。離してしまった後で、少し後ろ髪を引かれた。
寄せて来た波が浜を濡らして返っていくみたいに、
触れ合っていた感触の名残が、心に寂しさの染みを作った。

「咲さん……」
「あ……ご、ごめんね!」
「……どうして謝るんですか?」
「え? だ、だって」
「それに、どうして折角重なった手を離してしまったんですか?」
「え? えぇ?」
「…咲さんの、馬鹿」
「あ、あの、ごめん、なさい」

原村さんはいつの間にか気をつけの姿勢を取っていた私の後ろで
耳に心地良い声で笑った。

「咲、さん。あの、その……も、もっと楽しませて下さい!!」
「え!?」
「だって……あの日のこと、わ、忘れさせてくれるって、
言ったじゃないですか?」

言いながらどんどん声を小さくしていき、最期は
消え入るように呟いた原村さんの言葉を聞いて、頭が沸騰した。
同じ気持ちだったことがわかって凄く、凄く嬉しいのだけれど……
それで緊張が解けるなんてことはなくて……むしろ
気付いてしまったからこそ、胸の鼓動は大きくなった。
私は原村さんが抱きしめていた力を緩め、体を離すのを感じ、

(ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ。原村さん)

と心の中で弱々しく助けを求めた。
考えがまとまらなくて、振り向くことも出来ずにいたら、
原村さんは何も言葉をかけてくれなくて、必然的に沈黙が訪れて……
その沈黙に責められている気がして意を決して振り返ると、
原村さんが上目遣いで、恥ずかしそうに私を見つめていた。

(や、や、やっぱり、ドキドキするよ。あの、せめて……)

「和ちゃん…目を、と、閉じてくれないかな……なんて」

息苦しい程緊張しながら、私はやっとの思いでそう言った。
原村さんはこくりと頷いてまつ毛を伏せて、それがあまりに綺麗だったから
私はつい今しがたの緊張が嘘だったみたいに、いつの間にか
口付けをしていた。まるで吸い寄せられたみたいだった………
気付いてから慌てて顔を離して……
そしたら原村さんも真っ赤な顔で俯いてしまって………
私も同じように俯いて、お互い黙ってしまったのだけれど、
原村さんがそうやって、顔を下げた拍子に何かを見つけたみたいで、

「あ………」

と小さく声を漏らす。

「それ……」

不意に注がれた視線を追って、鞄に付けていた御守りに辿り着く。

「あ、これ? うん。あの時交換したお土産だよ」

それを手に取って渡すと、原村さんは少し悲しそうな顔で受け取った。

「まだ、持っていてくれたんですね……」
「うん。和ちゃんがいなくなってから、残った想い出の品が
これしかないことに気付いて、ずっと大事にしてたんだ」
「そうですか…………
決勝で負けた理由が何となくわかるような気がします。
咲さんはずっと変わらずに私を思っていてくれたんですね」
「うん…和ちゃんのことをずっと想っていたよ」
「ありがとうございます。私は………私は自分で捨ててしまったのに…」

その言葉を聞いても私は別に失望したりはしなかったし、怒りも沸かなかった。
代わりに、原村さんに寄り掛かって傷付けていた時のことが思い出されて、
もう二度とそんなことをしないと、そう強く心に誓った。

「気にしないよ? 私が不安にさせちゃったんだよね? ごめんね、和ちゃん」
「………」

(自分を責めないで、原村さん)
(私、もう原村を不安にさせたくないんだ。頼って欲しいんだ)

「また買いに行こうよ。時間も一杯あるんだし」

そう言った後で、予約していた新幹線の時刻が迫っていることに気付いた。

「あ………」
「咲さん?」
「そろそろ、新幹線の時間……みたい」
「あ……そう、みたいですね」
「うん……離れたくないけど、今日は行かないと」
「はい」

寂しそうな色を滲ませながら、
それでも振り絞るような笑顔を浮かべてくれた原村さんが愛おしくなる。
自分の気持ちを伝えたくて、でも何と言っていいかわからなくて、
私は思わずぎゅっとその体を抱きしめた。

「ま、また、会いに来るから」
「……はい」

頷いた原村さんが、何だか私の腕の中で一回り小さくなったように感じた。
でも、気のせいじゃないのかも知れない。

(クールで強そうに見えていた原村さんも、心の中では不安を感じていた)
(私と変わらない、まだ大人に成りきれていない一人の女の子だった)

そのことを知ったから、余計に気のせいではないと思った。

(もたれ掛からないで、ちゃんと隣に立って一緒に歩きたい)
(そして、あなたを守っていきたい)

その気持ちを伝えたくて私は原村さんの耳元で言葉を紡いだ。

「寂しくなったら、いつでも電話をして?」
「…はい。何度も、電話しちゃいますよ? 迷惑に思いませんか?」
「和ちゃんの声を聴けたら、凄く嬉しいよ」
「咲さん………」
「もう、私に対して我慢しないで? 何でも聞かせて?」
「……はい」
「うん。ありがとう。嬉しいよ」
「私も……嬉しいです」

そう言って原村さんは私から体を離し、出発に遅れないように、
乗り過ごしたりしないようにと注意した上で、

「じゃあ、行ってらっしゃい、咲さん」

と笑顔を浮かべてくれた。私は初めて聞くその言葉が嬉しくて
車窓の向こうに消えていく原村さんにいつまでも手を振り続けた。

(必ずただいまって言うからね)

電車の窓に自分の唇が映りこんで、先程の口付けの感触が蘇る。
そして、初めて原村さんの唇に触れた時のことを自然と思い出した。

(もっと一緒に居たかったな)

車窓の向こうにはあの初めてのキスをした時に、
ホテルの展望スペースから眺めたのと同じ東京の夜景が広がっている。
それは私の前から次々と急ぎ足で立ち去って行き、少し残念だった。




「咲ちゃんは明日もう行っちゃうのか?」
「うん」
「寂しいじぇ」
「遊びに来てね、優希ちゃん」
唇を尖らせて不貞腐れている優希ちゃんに声を掛けると
「私達も、遊びに行っていいですか?」
と、まほちゃん達が身を乗り出した。
「うん。今日の引退試合で勝てたらね」
「そんなぁ」
「咲先輩~」
「ご、ごめん。冗談のつもりだったんだけど……きっと遊びに来てね」

春休みに入った頃から引越しの準備を始めたため、
卒業式の日にはもう荷造りは全て終わっていた。
後はもう東京に行くだけ。

(もうすぐだよ。原村さん)

卒業式に合わせて行われたその引退試合の翌日。
私は東京駅に降り立った。出迎えに来てくれた原村さんと一緒に
アパートに向い、そして二人して慌しく新しい生活の準備をした。
春の日はまだ短くて、空はあっという間に暗くなってしまって…
だから、電気が通った時には本当に嬉しくて、
ようやく映るようになったテレビを見ながら意味も無く笑い合った。
その拍子に少し体が触れ合って、すぐに無言になってしまったんだけど……
仕切りなおすように二人で引越し蕎麦を茹でて、紅茶を淹れて。
それは本当にずっと待ち望んだ生活に違いなかった。
でも、原村さんと一緒に麻雀を出来ないことを思うと寂しかった。
だって、それは私達を出会わせてくれたものだったから。

(授業が始まって、お互い別々の大学で別々の生活を送る時間が増えたら、
心に空いたこの空洞は大きくなっていっちゃうのかな?)

引越し蕎麦を食べ終わって自分の家に帰っていく原村さんを見送りながら、
私は何故かこの寂しさの芽が育っていってしまうように思えて仕方がなかった。

そして迎えた入学式。

「新一年生は入学式の会場となる記念館に集合してください」

大学は物凄く混雑していて、しかも

「フットサル同好会です。一緒にフットサルやりませんか?」
「ユーロロック研究会でーす。オリエンやりまーす」

等と次々に勧誘の声が掛けられるから、全然身動きが取れなかった。

「咲さん、寝坊しないでちゃんと入学式に行けますか?」
「咲さんは文学部でしたよね? 集合場所と時間、ちゃんとわかってるんですか?」

電話越しに次々と尋ねてきた原村さんに

「だ、大丈夫だよ! それより原村さんも明日自分の大学の入学式でしょ!?
ちゃんと自分の心配をして! 子供じゃないんだから、何だか恥ずかしいよ………」

なんて言ったけど、大丈夫じゃないかも知れない。
私はこういう時にはっきりと断れない性格だから

「テニスサークルなんどけど~」

と声を掛けて来た派手な格好の先輩達に捕まってしまった。

「君可愛いね」
「学部どこ?」
「新歓に呼ぶからさ、連絡先教えてよ」

顔を近づけてそう言われ、挙句の果てに肩に手まで回されて、

(うぅぅ、助けてよぉ)

ぎゅっと目を瞑って心の中でSOSを送ったら、

「この人はもう麻雀部に入ることが決まっているんです。
だからその手を離して下さい」

思い浮かべた人の声がして、思わず目を開いた。

あれ、こんなところにいる筈がないのに)
(でも、スーツの上で揺れているあの桜色の髪はやっぱり……)

混乱している私の手を握ってその人はどんどん人混みを掻き分けて、
やがて静かな校舎裏まできてようやく振り返った。

「咲さんははっきりしなさすぎです。
あれじゃあ声を掛けて下さいって言っているようなものですよ。
もし、誰かに告白でもされたらどうするんですか?」
「ふぇっ!? え、えーと、そ、そうしたら
和ちゃんと付き合ってるからって言って、ちゃんと断るけど…」
「み、みんなに言いふらしてどうするんですか! もう!!」
「そ、そうだね……ごめん、なさい」
「ちゃんとして下さい。今日から大学生なんですよ?」
「う、うん。でも、どうして和ちゃんがここに?」

原村さんはその問いに顔を真っ赤にすると、着ていたグレーのスーツが
窮屈そうに見えるくらい、しどろもどろになった。

「それは……それは…私がここに入学したからです」
校舎を渡ってきた風が原村さんの髪を揺らして、空へと舞い上がった。
桜の花びらがどこからかちらちらと降ってきて、スーツによく映えた。

「和、勉強は順調か?」
「はい、お父さん」
「そうか………今の生活は楽しいか?」
「え?」
「楽しくないのだろう?」
お父さんはそう言って、大きく溜息を吐いた。
それで胸のつかえが取れたかのように、顔には笑みが浮かんでいた。
「勉強して、社会人としてそれなりの地位を築いて、
そうやって私が思う通りに進めば和は幸せになれると思っていたんだが、
どうやら違ったみたいだな」
「お父さん……」
「麻雀がしたいんだろう?」
「……」
「隠さなくていい。全国大会の中継を見たよ。
あの時の和はとても幸せそうだった。それに気付いたら、
自分の無理強いしてきたことが酷く馬鹿馬鹿しくなってしまった。
だから和、今日からは自分のやりたいように生きなさい。
そんな和を見ている方が、お父さんはきっと幸せだから」
「……ありがとう、ございます」

原村さんの話を聞いて、私はお父さんに深く感謝した。
同じように原村さんを大事に想っているから、
お父さんの気持ちが少しわかるような気がした。

「お父さんに、ありがとうって言いたい……かな…」
「咲さん」

(もしお父さんが許してくれなかったら、こうしてここで会えなかったんだね)
(色々な人に助けられながら、私達はこうして一緒にいられるんだね)
(原村さんがここにいる。それが特別なことなんだって、そう思えるよ)

本当に嬉しくて私は思わず原村さんを抱き締めてしまった。
けれど引っかかっていたものが消えたわけじゃなくて

「でも、どうして教えてくれなかったの?」
そう尋ねたら、原村さんは
「追いかけてきてくれる咲さんを、迎えにいってあげたくて。
それで、最初から迎えに行くことがわかっているより、
予期していない方が嬉しいだろうって、思ったんです」

今まで見たことがない悪戯が成功した時の子供みたいな顔で舌を出した。

何だか少し釈然としないけれど、でもいいんだ。
だって今度こそ本当に私達は一緒にいられるんだから。


あなたがここにいることがどんなに特別なことかわかったよ。
もう離れたくないからあなたに気持ちを伝えることを迷わない。
いつまでもずっと一緒にいたいって、何度でもその想いを言葉にするね。

「和」
「咲」

「「愛してる(ます)」」



最終更新:2010年04月23日 15:33
ツールボックス

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