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53 名前:歩[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 01:22:15 ID:yumzPLe8

気がつけば、彼女は気を失っていた。
それでも、私の体は止まらない。
何度も何度も、腕を振り上げては下ろしていく作業を繰り返す。
痛いと腕は悲鳴を上げるが、そんなのは構わない。
早くしないと早くしないと。
心がそう急かす。
ねぇ、お願い。
お願いだから。
私を……
私に……
私から……
心の中で懇願しても彼女に届く訳もなく。
体力の続かぎり殴り続けた結果、彼女にもたれるように意識を手放した。

目が覚めるとベッドの上にいる。
手首には包帯が巻いてある。
彼女がしてくれたのだろう。
私よりも酷い怪我をしているのに、どうしてここまでしてくれるのか。
ベッドを出てリビング行くと、ソファーで彼女は眠っている。
私を避けているはずなのに。
どうして彼女はこの部屋に帰ってくるのか。
分からない。
私が彼女なら、きっと耐えられない。
逃げ出してしまっているだろう。
違う。
もうすでに逃げ出している。
だけど、彼女が私を逃がしてくれなくて。
だから私は、彼女に暴力を振るう。振るい続ける
それでも彼女から逃げ出す事は出来ない。
ねぇ、これ以上何をすればいい?
どうしたら貴方は私を逃がしてくれるの?
眠る彼女に心の中で問いかけても、答えは返ってこない。
静かに眠るその顔は真っ白で、私の付けた傷が醜く存在する。


その傷をそっと指でなぞる。
一生消えないのかな?
ずっとこのまま残るのかしら?
それなればいいと思う。
そうなって欲しくないと思う。
涙が自然と零れてくる。
本当に泣きたいのは私じゃない。
彼女の方が泣きたいはずだ。
理不尽な暴力に毎日の様に傷つけられて。文字通り体は傷だらけ。
それでも私のそばに居る彼女。
ねぇ、どうしてなの。
どうしてそんなに私に優しいの?
一言。一言でいいのに。
貴方のたった一言で、これ以上お互いに辛い思いをしなくていいのに。
なのにどうして貴方の紡ぐ一言は『愛してる』なの?
私が貴方を好きで居ると今も思っているの?違うとは思わないの?
分かってよ。気づいているんでしょう?
私の言って欲しい言葉を。
どうして意地悪するの?
私は貴方から言われる一言を待ち続けているのに。



付き合い始めて半年が経った頃、久を抱いた。
それは私にとって、とても勇気のいる事だった。
キスすら未だに自分から出来ない私に、久が言い出したのだ。

『美穂子が私を抱いたら、私も美穂子を抱くわ』

挑戦的な目で、有無を言わせず決定されてしまった。
それは久の優しさ。
久は気付いていた。
私が恥ずかしさのあまり、一歩を踏み出せない事を。
恥ずかしいだけではなかった。
怖かった気持ちの方が大きいかもしれない。
久とする事によって、明確なラインが引かれそうで。
久とは恋人だけれど、今なら冗談だったと引き返せると。
そんな逃げ腰の私の心情を察してくれて。
だから私は覚悟を決めて、久を抱いた。
私のする事で乱れる久は、とても淫らで綺麗だった。
一線を越えて今度は私の番になるはずだった。
その日久に『美穂子を抱く』と宣言され、覚悟を決める為に当てもなく歩いていた。
そうして辿り着いたのは路地裏に少し入った所にある喫茶店。
店内には女性しかおらず、落ち着いた雰囲気。
中に入りカフェ・オレを注文して待っていると、後ろの人の話声が耳に入ってくる。

「どうして別れるなんて言うのよ!?」
「だから貴方に飽きたんだって」
「そんなの酷いじゃない」
「あーもー!マジ泣き止めてくれない?そう言うの本気でウザい」

女性の一人が席を立ちそのまま店外に出てしまった。

「お待たせしました。カフェ・オレですね」

店員さんが湯気の立つカフェ・オレを目の前に置いて耳元にそっと囁く。

「騒がしくてごめんなさいね」
「あ、いえ」
「今日が初めてよね?」
「はい。近くを通ったら目に入って雰囲気のいい店だなって思って」
「って事は、やっぱり知らずに入ってきた口か」
「はい?」

店員さんが少し逡巡してからチラリと私を見る。

「ここは男子禁制の女の園。って言うと大袈裟だけど、女の子が女の子との出会いを求めて来たり、女の子同士のカップルが来る店なのよね」

今度は店全体を見渡して更に声を潜める。

「何も知らなそうだったから、念の為テーブル席に通したけど、カウンターに座ったら恋人募集中って意味になるのよ」

テーブルは待ち合わせや相手がいるという意味になると教えてくれる。

「ごめんなさい。何も知らなくて」
「いいのよ。お客さんの中にはコーヒーを気に入ってくれたり、お店の雰囲気が気に入ったって言う常連さんもいるから。ただ、貴方が常連さんになるようだったらと思って一応ね」
「ありがとうございます」
「後、さっきみたいなのも結構あるから」
「さっき?」

と言うと、後ろの席の出来事だろうか。

「うん。最近よく居るのよね。体目当てだったり、セックスしちゃうと急に色々覚めてしまったりとか。若い子には多いわね。あの二人もここで出会ったんだけど、セックスしたら相手の女の子が覚めちゃったみたいね。って、貴方には無関係な話だったわね」
「いえ」
「じゃあ、ゆっくりして言ってね」

店員さんはそう言ってカウンターの中に戻ってしまった。
私は店員のその言葉が、頭から離れなかった。

『セックスしちゃうと急に色々覚めてしまったりとか。セックスしたら相手の女の子が覚めちゃったみたいね』

頭の中でずっと反響する。
私は久を抱いたけど、そんな事はない。
むしろ久の可愛い所や、知らない一面を知れた気がした。
だけど久はどうだろう?
私は久みたいに面白い話も出来ないし、器用でもない。正直つまらない女だ。
だから友人も殆どいない。
大学に入学してから出来た友達もサークルが一緒で、久と一緒に居たから出来たようなもの。そもそも、友達と言っていいのかも怪しい。
皆久と一緒に居たくて、私は常に久の隣に居るオマケにすぎない存在。
久がいなかったら、その友人たちとも今もただの他人だろう。
今はまだ、久が私の知らない所があるから興味を失っていないだけ。
そう思える。
セックスをしたら急に覚めた。
怖い。
久が私から離れて行くのが怖い。
何時か久に飽きられて捨てられるのが怖い。
私のただの想像のはずなのに、まるで現実に起きた事の様に脳裏に浮かぶ。
だからだろう。
キスをされ服を脱がされそうになった時、私は無意識に久の頬を叩いていた。
私はもちろん、久自身もその事を理解するのに時間が掛った。
それからは、そんなことの繰り返し。
そして、私の意志に反してそれはどんどんエスカレートしていき、気がつけば久はボロボロだった。
久を傷つけたいわけじゃない。
ただ、触れて欲しくなかっただけなのに。
ただ嫌われたくなかったのに。
最初はそれだけだったのに。
なのに今は……。



目が覚めると、久はいなかった。
時計はお昼を少し回った所。
何処に行ったのだろうか?
昨日は久を縛り付けて殴ったから、顔にも酷い怪我をしているはずなのに。
それとも、病院にでも行っているのかな?
それなら安心だ。
病院の人が傷を見て、久を保護してくれるかもしれない。
でも、もしかしたら何処かで倒れているかも。
酷い怪我をしているから。
気がつけば受話器を取り、久の携帯の番号を押していた。
一回のコールがとても長く感じる。

『もしもし』

四回目のコールで久の声が聞こえてくる。

「久?」

だけど、その声が信じられなく名前を呼んだ。

『どうしたの?』

何時もと変わらない私を気遣ってくれている声。
だけど、電話をした理由は特になくて。

「どこに居るの?」

適当に誤魔化すつもりが、まるで尋問みたいな言葉が出てくる。
こんな事を言って久に嫌われてしまうかもしれないのに。

『……』

やっぱり嫌われたかもしれない。
あたり前だ。
何をしていようと久の自由なのに、束縛するような事。
不安な心が求めて名前を口にする。

「久」
「ゆみとご飯食べてる」

ゆみさんと?
私よりゆみさんと久は一緒に居たいのかな?
当然なことなのに。
私のそばに居ても、怪我をするだけ。
それとも私の事をゆみさんに相談してるの?
私の事が気持ち悪いって。どうすればいいかって。
それとも久はゆみさんを好きになったの?
ゆみさんは大人で知的でさり気無い気遣いができる素敵な人。
久が好きになっても当然で。
今までだって、私の事を相談しているみたいだったし。
それだけの絆が二人にはある訳で。
そうなっても、全然おかしくはない。
けど

「嫌」

それは嫌。久が私から離れて行くなんて嫌。
久がそばに居てくれないと私は生きていけないのに。
でも、その為に久を私は傷つけるの?
そばに居てずっと?
そんなのダメ。

「…………何でもないわ。楽しんできて」

電話を一方的に切った。
そうしないと、また久に負担を掛けそうだったから。
最近は自分が怖い。
だけどどうする事も出来ない。
鈍くなる思考が、久のご飯を食べていると言う言葉を思い出させる。
ああそうだ。
最後にキッチンに立ったのは何時だったろう。
思い出せない。
最初の頃は割っても久が買って来てくれていたけど、今はお皿は一枚もない。
久々に作るのもいいかもしれない。
久の怪我の様子では、外出だって辛いに決まっている。
食事の為だけに外に出るのは大変だ。
この辺はコンビニも十分以上歩かなくていけないし。
今日は御馳走を作って久を迎えるのもいい。
食器を買って、スーパーで食材を買い込み家に帰る。
丁度下準備が終わり、本格的に取りかかろうとした頃玄関が開く音がする。

「お帰りなさい。久」

背後に気配を感じ振り向くことなく

「ただいま。美穂子」

私がキッチンに居る事に驚いているのが声で分かった。

「こんなに早く帰ってくるとは思わなかったから、残念」
「え?」
「御馳走作って驚かせようと思ったのに」
「そうなの?それはごめん」

別に謝らなくてもいいのに。

「何か手伝おうか?」
「ううん。一人で大丈夫。最近ちゃんとしたもの久食べてないでしょう?」

久には悪いけど、経験があまりない所為で時々指を切ったりするのが心配で、正直料理はあまりして欲しくない。

「煮込んだりとかしないといけないから。出来るのは早くても夕方ね」

手伝ってもらえれば色々早くすむけれど、久をキッチンから遠ざけた。
久々の料理で腕が落ちたかもと心配していたが、久が美味しいと殆どの料理を褒めてくれた。
本当に久々だった。
こんなふうに久と過ごすのは。一緒に暮らし始めたころの様で。
懐かしい。そう思うほど、今の関係が長く続いているのを改めて実感させられた。
久を先にお風呂に入らせて、その間に片づけをする。
久が出てきたら私の番。
何も言わずに入れ替わるようにお風呂に入った。
そしてお風呂から出ると久はソファーで眠っていた。
体を抱きこむようにして眠っているのは、寒さのせいだろう。
少し戸惑ったが久に話しかける。

「眠るならベッドの方がいいわ」

その言葉に反応して、久が目を開ける。
言われた言葉を理解して瞳が戸惑っているのが分かる。
でも、風邪でも引いた大変だから。

「今日は一緒に寝ましょう」

手を引いてベッドに潜り込んだ。

「こうして眠るのはなんだか久しぶりね」
「そうかな?」

久は軽い口調で誤魔化す。
そんな久の手を握ると冷たかった。

「久の手冷たい」
「美穂子の手は暖かいね」
「お風呂から出たばかりだから」

久の冷たい手と違い、私の体は熱いぐらい。
その熱さは、私の理性を失わせる。

「ん」

久の唇に何度も唇を押しつける。
触れ合うだけのキスだけでは物足りなくて、久の中に侵入する。
抵抗どころか受け入れられた舌で、久の口内の中を暴れまわる。
小説や物語のような甘さなど感じない。
ただこの人を自分の支配下に置いていることに、どうしようもない征服間に満たされる。

「久」

キスをやめると久は息苦しそうに呼吸をする。
名前を呼んでも返事がない事に苛立ちを覚え、パジャマの中に手を差し入れた。
久の体は冷たいが所々熱を持っており、それが怪我のせいだと言うのは私自身がよく知っている。
熱を帯びている部分を重点的に触りながら、久の弱い部分を責めていく。

「あ」

久の感じている声を聞けたと思ったら、手で口を塞いでしまった。
私は久の声が聞きたいのに。
近くにあったタオルで腕を縛り、耳元にそっと囁いた。

「声、聞かせて」

久の顔が赤くなる。
その反応に満足して傷口に舌を這わせていく。
傷を一つ一つ確かめながら、自分のしている事を考える。

「久の体、傷だらけね」
「そう?あっ!」

また軽い口調で誤魔化そうした久の傷に爪を立てる。

「私がつけたのよね」

痛々しい。

「私が美穂子のモノだって、証しみたいなものよ」

こんなモノは証なんかじゃない。
私のただの自己満足の結果。

「どうして逃げ出さないの?」

こんな関係許されるはずないのに。
これだけ酷い扱いを受けているのに。

「今日だってゆみさんに助けを求められたはずよ。それだけじゃないわ。貴方の両親や私の両親が来たと時にだって助けを求めれば良かったのに」

幾らだって機会はあった。
なのにどうして?
私は私を抑える事が出来ないのに。
貴方を傷つけるのを止められないのに。
泣きたかった。
だけど泣くのは卑怯だ。
泣けば久をますます私に縛り付けるだけ。
身勝手な私。
久に思われる資格はとうの昔に失っているに。
それなのにどうして貴方は

「愛してる」

そんな事を言うの?
その言葉が私を貴方に縛り付けるのに。
貴方に執着させるのに。

「久、久、久、ひさ、ひさ、ひさ」

久の名前を呼び続ける事でしか、答えられなかった

意思に反して今日も体が勝手に動く。
自分の腕も痛い。
部屋は悲惨だ。
人が暮らす環境じゃない。
何日目だっけ?
久を完全に家の中に閉じ込めた。
だって、久が私以外の人と話すから。
久が私以外の人に笑いかけるから。
狂ってる。
自分で自分が分からない。
好きなのに。こんなにも好きでどうしようもないのに。
まるで自分の中にもう一人いるみたい。
久はほとんど動かない。
それが私のイライラに拍車を掛ける。

「久」

返事がない。

「久」

横たわっている久のお腹を蹴りつける。
呻き声が少しだけ聞こえた。

「久」

名前を呼んで欲しい。

「久」

ねぇ、私を呼んで。
笑ってよ。
私は貴方の声が聞きたいの。
テーブルの上にあったお皿を投げつける。
久に当たってどんどん割れていく。
そのうちの一つが誤って食器棚のガラスを割ってしまう。
新しいのを買わなきゃ。
今度はどんなのにしよう。
この食器棚を選ぶときは私の好みだけで選んでしまったから。
今度は久に選んでもらおう。

「久」

今度はどんなのにする?
ねぇ……。

「久、起きて」

何時まで眠っているの?
私の事をちゃんと見てよ。

「あっ」

やっと見てくれた。
久の目が開いて私をやっと映してくれた。

ピンポーン

チャイムだ。
でもいいの。
今は久の瞳映っていたいの。

ピンポーン

邪魔しないで。
久と二人でいたいのに。

ドンドンドン!

うるさい。

「ねぇ、久もうるさいよね?」

あれ?久?

「竹井!?」
「ゆみさん?」

おかしいな。鍵をちゃんと掛けていたはずなのに。

「福路?お前何をしているんだ!?」

ゆみさん凄い顔。
何をそんなに驚いているのかしら?
ああ当然ね。
こんなに散らかっていたら誰でも驚くわね。

「ごめんなさい。散らかってて」
「竹井!」
「きゃっ」

ゆみさんに突き飛ばされた。

「竹井!竹井!おい!しっかりしろ!おい!!」

なんであんなに必死なの?
久も何時まで眠っているの?
あれ?違う。
久から流れている赤いものは何?
どうして久はあんな事になっているの?

ああ、そうだ。あれは私がしたんだ。
久が目を開けてくれないから。
だから私を見て欲しくて、割れたガラスを久に。
久に?私は何をしているの?
久に何をしたの?
私は……私は……。

「いやあああああああああああああああああああ!」
「福路!?落ち着け!福路!」




気がつけば見慣れない天井が目に入ってくる。

「気がついたか?」
「ゆみさん?」
「ああ。お前達は一体何をしているんだ!?」

ものすごく怒っている。

「私……」

私久を……。

「久は!?」
「竹井なら命に別条はないそうだ。しばらく安静だがな」

ゆみさんの言葉に安堵する。

「すまなかった」
「え?」

ゆみさんに謝られる事は何もされてないのに。

「私がもっと早く訪ねていれば、こんな事にはならなかったのに」
「いいえ。ゆみさんが来てくれて良かったです」

ゆみさんが来てくれなかったら、私は久を。

「なあ、余計なお世話かもしれないが……竹井と距離を置いた方がよくないか?」
「……」
「このままじゃ、竹井も福路も取り返しのつかない事になる」
「はい」

ゆみさんの言葉はもう遅い気がする。
もっと早くにそうすべきだったのだ。

「もし良かったら、しばらく私の家で暮らさないか?せめて竹井が退院するまでだけでも」

ゆみさんの申し出はありがたい。でも、

「ありがとうございます。だけど、一人で私は大丈夫ですから。退院したら久と暮らしてあげてください」

私にはそんな資格ない。
ゆみさんのような人の温もりは、私よりも久に必要だから。

「久には会えますか?」

お別れをしなくちゃ。

「まだ意識が戻っていないが、少しの間なら大丈夫だそうだ」


眠っている久の顔は死んでいるように見えた。
だけど触れたら温かい。生きている証拠。
包帯が久の肌を殆ど隠している。
私の罪の跡を隠すように。
だけどその下には確かに私の罪がある。

「久」

頬を何かが伝った。
それが涙だと気がつくのに時間が掛った。
ごめんなさい。ごめんなさい。
謝ったって許される事じゃない。
私は久の命まで奪おうとした。
こんなにも愛している久を。

「っ……ぅ、っ」

このままじゃ私は久を殺してしまう。
そんなのは、耐えられない。

「――み、ほこ」

名前を呼ばれたが、久を見るとまだ眠っている。

「久、久。ごめんね、ごめんね」

私なんかが好きになってごめんね。
私が居てごめんね。
もう、貴方には近づかないから。
もう、会わないから。

「福路」
「家に帰ります。このままじゃ、また私久に酷い事してしまうかもしれないから」
「送ろう」
「大丈夫です。少し一人になりたいんです」
「分かった。竹井の意識が戻ったら連絡する」
「はい」

ゆみさんが一万円札を渡してくれた。
おそらく救急車で運ばれたから、お財布も何も持っていないので助かった。
外は少し明るくなり始めていた。
もう明け方なのだろう。
人の通りはない。
タクシーが近くを通ったが、それを見送る。
ただひたすら歩く。
明け方の空気は冷たくて、頭を冷やすには丁度いい。
冷静になった頭でコンビニに入った。
普段はほとんど利用する事がないが、久の言うとおり何でもある。
目的のモノを買って、家に向かって再び歩く。
家に向かう一歩一歩がカウントダウン。
もう少し。もう少しだから。
誰に向かって言っているのか分からない。
ただ歩く。歩き続けた。
家は私の最後にみた通りの惨状だった。本当にひどい有様。
そして久が横たわっていた場所は、まだ少し乾ききっていない水溜りの跡があった。

それにそっと指を這わせ、自分のした事を改めて認識する。

「本当に私は最低ね」

自己嫌悪をして久がよくなるなら幾らでもするのに。
現実にはそんな事はなくて。
このままじゃ久の迷惑になる。
今までは暴れた後は、私が眠っている間に久が片づけてくれていた。
自分で片付けて初めて分かる。
あれだけの怪我をしながら片づけていた久は、どれだけ大変だっただろう。
疲れていたはずなのに、痛かったはずなのに。
何時も私の前ではそんな素振りを見せなった。
部屋を片付けると、使えるものは殆どない。
ソファーも所々破れてしまっているし、床も傷だらけ。
プロじゃなければ修繕は不可能だろう。
唯一ベッドが無事なのは救いか。
もう使う事もないけれど。
アルバムから一枚の写真を取り出す。
久と私が付き合い始めた時に撮った写真。
きっと何もかもが新鮮一番幸せだった頃。
涙がまた流れてくる。
止まらない。
でも、それももうおしまい。
コンビニの袋を持って浴室へ向かう。
湯船にシャワーで水を溜める。
溜まるのには案外時間が掛る。
その間ずっと写真を眺めていた。
大好きな久の笑顔を見ていたくて。
まだ少し幼い顔の久は、私に笑いかけてくれる。
久、大好きよ。本当に貴方を愛していたわ。
だから、お別れをしないといけないの。
袋から筆箱より少し小さな箱を取り出し、中身を一本取り出す。
久の言うとおりに何でも売っていたコンビニで、剃刀を購入した。
それを手首に当て、ユックリ引く。
血が流れて、痛みが走る。
だけどこの痛みは久が負った傷の百分の一にも満たない。
もう一度同じ傷に刃物を走らせる。
さっきより深く切れた。
これだけ切れば大丈夫かな?
半分近くたまった水に腕を入れた。
自分の中から血が流れていくのが分かる。
でも、それも最初だけだった。
痛みも徐々になくなり、意識が朦朧としてきた。
これで久を私から解放できる。
私も久から解放される。
幾ら久でも殺されそうになったのだ。

もう私に愛想を尽かしただろう。
ごめんね久。
私は弱いから。
貴方のように強くないから。
貴方から言われる一言を待っていたけど。
たった一言。
嫌いと言ってくれるのを待っていたけど。
だけどそれは叶わないから。

「愛してるわ。久」

意識はそこで途切れた。



温かい感触を手のひらに感じた。
目を開ければ見慣れた天井。

「どうして?」

確かに手首を切った。
決して助からないように深く切ったのに。

「美穂子」

聞きたかった声。
だけど一番聞きたくなかった声。

「ひさ?」
「そうよ」

怒っている。
でも、なんで怒ってるの?
そっか。殺されそうになったんだから怒るのは当然ね。

「なんであんな事したの?」
「……気がついたら、久を刺してたの」

あの時の事は殆ど記憶にない。
久を自分が刺した事だけは覚えている。

「違うわよ!なんで手首を切ったのか聞いているのよ!」
「久?」

どうして?私が死ねば全て終わるのに。
もう痛い事もなくなる。
自由になれるんだよ?

「痛い」

久の手が私の肩を押さえつける。


「美穂子が死ねば、私がどんな思いをするかとか考えなかったの?」
「だって、私がいなくなれば久は自由になれるのよ?」
「自由?私は何時だって好きに生きてるわ!私が望んで美穂子のそばに居るのよ!?」

それは確かにそうだけど。だけど、それは久が優しいから。

「でも、私久を」
「私は美穂子になら殺されたって構わない。美穂子になら何をされたっていいわ。でも、美穂子の居ない世界で生きる事を強制される気はないわ!」
「久?だって、私が生きてると久が」
「どうしても死にたいの?」
「だって、そうしないと私……私」
「いいわ。美穂子が死にたいって言うなら止めない」

はいと言われて剃刀を渡される。

「久!?」

渡された剃刀とは別に久の手にもう一つ。
その剃刀の刃を久は躊躇いもなく、自分の腕に押し当てた。
久の手首からは血が流れていく。

「何をしてるの!?久!」

久の腕にシーツを押し当て、必死に血を止めようとする。

「美穂子は死にたいんでしょう?だったら一緒に死にましょう。私は美穂子の居ない世界では生きている意味がないもの」
「どうして止まってくれないの!?」

血は止まらない。
どんどん流れていく。

「いや、いや!久が死ぬなんて嫌!」

どうしよう、どうしよう。

「私だって美穂子が死ぬなんて嫌よ!」
「久」

これで久が私に怒鳴ったのは何度目だろう。
今まで久は私に怒鳴った事なんて一度もない。
そして泣いているのを見たのも初めてだった。

「どうして死のうとなんてするの?私は美穂子と生きていたいのに」

久の目からは涙がどんどん流れていく。

「私だって怖かったわ。美穂子が私から離れて行くんじゃないかって。こうなる事だってあるんじゃないかって、ずっと怖かった!」

私の前に居るのは誰もが知る竹井久ではなかった。私も知らない久。
全部知った気がして、私は何をしていたのだろう。
久が離れていくのを恐れて、優しさに甘えて。
あげく自分勝手に終わろうとして。
こんなにも自分の事を思ってくれていたのに、私は自分の事だけで。
久だって同じだったのに。
私と同じように傷ついて、怖かったはずなのに。
私は何を思い違いをしていたのだろう。
久だって私と同じなのに。

「ごめんなさい」
「美穂子?」
「ごめんなさい。ごめんなさい。私が弱かったから、貴方を信じられなかったから」
「それは私も同じよ。貴方をもっとちゃんと支えられていたら」
「久、久」

私は泣いた。大声で。子供みたいだ。
だけど、こんなに泣いたのは何時以来だろう。
泣き虫だったはずなのに。
久の前で初めて本当に泣いた気がした。

お互いさんざん泣いた後、ゆみさんが家に来て私たち二人を病院へ連行した。
久は目を覚ましてすぐに病院を抜け出したらしい。
二週間は安静にしないといけないのにとゆみさんがぼやいていた。
私も久が応急処置はしてくれていたが、そのままではまた傷から血が出ると言われ手当てを受けた。
私は三日間の入院ののち、ゆみさんの家でお世話になった。
本当は家に帰りたかったが、ゆみさんと久から言われたのでおとなしく従った。
そして、久の退院の日。

「お世話になりました~」

久が看護師さん達に挨拶を済ませて、タクシーへと乗り込む。

「久しぶりに我が家ね」

久の言葉に胸がずきりと痛む。
私が壊してしまった家。

「何暗い顔してるの?」
「久」

久が私の手を握り笑いかける。

「いいじゃない。壊れたら、また新しくすればいいのよ。それに丁度いいじゃない。私と美穂子は、これから始まるんだから」
「え?」
「今までは私も美穂子もお互い相手に歩く速さを合わせていたから駄目なのよ。お互い合わせていたつもりが、結局はどっちも合わせていられなかった。だって、二人とも勝手な相手に合わせていたんだもの。存在しない相手に歩行を合わせるなんて出来る訳ないのよ」
「そうね」
「だからこれからはこうやって、お互い手を握り合って一緒に歩きましょう。大丈夫よ。時間はこれからたくさんあるんだから」
「ええ、久。私ももう無理はしないわ。貴方と一緒に歩いていきたいから」





二人でこれからを歩いていきましょう。






78 名前:歩[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 03:02:12 ID:yumzPLe8
途中で切れて申し訳ないです。
投稿しすぎるとああなるということを理解しました。
まだまだ知らないといけないことが山ほどあるようです。
これで完結となります。
長くなって申し訳ないです。
それではまた機会ありましたお会いしましょう。

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最終更新:2009年12月10日 21:04