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496 :それは私が風邪をひいた日の事:2009/12/20(日) 02:32:14 ID:MCbwhzh1


「蒲原、お前は本物の馬鹿だ」


 ばっさりと切りつける言の葉に、ぐはっ! と心の柔らかい所を切り裂かれ、想像上の血を吐きながら、私はがっくりと身体を曲げる。
 我ながら柔らかい体は、気持ち悪いぐらいぐにゃりと曲がった。

「……ひどいよ、ユミちん」
「そうだな、すまない。蒲原は大馬鹿だ」
「認めた上で更に追い討ち?!」

 びっくりするなぁもう。
 私は、清潔なシーツに埋もれながら、鼻をすすった。
 すると、腕を組んで冷たい眼差しを注いでいたユミちんは、すかさず横に常備されていたティッシュを取って、私の鼻先を拭ってくれる。

「……むぅはわ?」
「どんな鳴き声だそれは? とにかく、だ」

 ちょっと強い力で鼻を擦られ、それをゴミ箱に捨てながら、ユミちんは私の額に手を当てて、冷たい眼差しを更に低下させていく。

「……風邪を引いているのに気づかないで、授業中に倒れるなんて、馬鹿だ」
「…………ワハハ」
「……言語を絶する大馬鹿者だ」

 ぐりぐりとこめかみを抉られて、彼女は相当に怒っていらっしゃる様なので、素直に「すいません」と謝る。

 いやいや、私だってびっくりしているんだよ?
 眼が覚めたら見知らぬ天井。
 まったく利用していないから、ほぼ知らない保健室。
 そして私の真横には、お怒りの親友。

「……えっと。ワハハ」

 頬を掻きながら、そういえば、昨日から体の節々が痛かったり眩暈がしたりお風呂に入っただけで急に体中が痛み出したとか、そういう前兆は確かにあった。
 素直にそう言うと、頬を伸ばされる。

「……何故、それで気づかないんだお前は。おかげで、授業中居眠りしているだけだと思ったお前が、先生の呼び声にも私の声にも反応せずにぐったりしていて、私が、どれだけ心配したか……!」
「わひゃひゃ? えっひょ、ごめんにぇ?」
「許さん。……しかも、お前はどうしてそんなに普通なんだ? 軽く三十八度を超えていた筈だぞ? お前の体温」
「ワハハ、昔から熱を引いても何でか平気だし元気なんだ!」
「子供か!?」

 ぽかりと叩かれ、やれやれとユミちんは私のおでこに張られていた冷えピタを「斜めになってる」と細かく直しだす。

 何か、心配かけてしまったみたいだなぁ、と苦笑して。
 そうかぁ、風邪なんて何年ぶりかですっかり忘れていたなと、この体が火照るだるい感覚に慣れずに、酔いそうになる。

「むぅ」
「ん?」
「……なんか、気持ち悪い?」

 あれー?
 自分の事だがあれだ。
 どうにも不愉快で、私の身体なのにちっとも言う事を聞いてくれそうにない。

 笑おうと思っても、どうだろう?
 ちっとも笑えている気がしない。

 ……うわ、風邪って面倒だな。



「……蒲原?」
「え?」
「……いや、お前のそんな顔、初めて見るなと思ってな」
「…………」

 今、私は一体どんな顔をしているんだ?

 ……うーん?
 笑顔を主軸にしている分、自分ですら、笑顔がでなくなるとどんなへんてこな顔をしているのか分からない。
 ちょっと興味もあるけど、鏡がどこにあるのかなんて知らないし……

「……不機嫌そうだな」
「そう?」
「ああ、苛立ち紛れで、いつものアホ面と見比べると、一瞬こいつ誰だ? と見失いそうだ」
「…………」

 アホ面って……
 ユミちん、親友の顔をそんな風に思ってたのか? ちょっと仲違いをしたくなるなをい。

「……ふむ」

 くいっ、と、私の顎に指を添えて、そのままくいくいと、人の顔を物珍しそうに、いや、実際めちゃくちゃ興味深そうに覗き込むユミちん。
 ……一応さ、病人にする態度や行動じゃないよな?

「蒲原」
「なんだいユミちん?」
「お前、実は格好良いのか?」
「…………。……あぁ、もしかして風邪がうつっちゃったのか?」

 ユミちんが壊れた。
 心中げんなりしつつ、ワハハと笑おうとして、どうにも上手く笑えている気がしない。
 頬の筋肉に力が入らず、なんか、どんな顔をしているのか自分で分からないまま、不安と不信感だけが膨らんでいく。

 ……いや、マジでどんな顔しているんだろう、私。

「……ふむ」

 ユミちんは目を丸くして、そろりと目を逸らした。
 その頬は、気のせいか僅かに赤い。

「……アレか?普段ふざけたおちゃんぽらんが、急に真面目な顔つきになったり、苦い笑いが似合ったりする為に、ときめくというふざけた現象か?」
「をい? ユミちん?」
「こうして見ると、お前の顔、並みの上だったんだな」
「……よし。馬鹿にしているんだな?」

 調子悪い人間にさっきから何なんだまったく……
 いくら親友で遠慮がないからって、時と状況は選ぶべきだぞ? 私は選ばないけどさ。
 つか、本当に調子悪いから、いつもより心が狭いんだぞ? けっこう、ムッとしていたりするんだよ?

「……ん、ああ、悪いな蒲原」
「もう、まったくだよユミちん」
「写真に撮らせてくれ」
「……今何に対して謝罪した? そして、実は悪いとか思ってないな? そうなんだな?」

 パシャンパシャンと、人の怒り顔(多分)を撮るふとどきな親友。
 お前もう教室に帰れ。



「……あのさぁ」
「……すまん。だが、珍しいから撮りたい」
「……怒るよ?」
「……いや、それは分かっているんだ。私は」

 すっ、とユミちんの瞳が、私の目を見つめる。

「……三年間、一緒にいて、お前の怒った顔なんて、今、初めて見るんだ」

 パシャン。

「?」
「お前は、いつも笑っているからな。せっかくの貴重な瞬間を、こうして形に残してもいいだろう?」
 
 パシャン。パシャン。

「……はあ?」

 何それ?
 私は、よく分からない何かで、風邪のせいなのか、今のユミちんの台詞のせいなのか。
 あれ? って、どうにももやもやする。

 ……笑顔?

 そう、でもないだろう。
 これまでもたくさん、情けない顔を晒していると思うし、怒った事だってそりゃああるし、泣きそうになった事だってある。
 でも、ユミちんがそう言うなら、そうなんだろう。

「…………」

 そういえば、私はいつから、ワハハ、なんて笑う様になったんだっけ?
 普段、考えもしない事が、頭の中をゆらゆらと漂う。
 そう。いつの間にか、私は笑顔という名の、ワハハな仮面を被っていた。
 だから、それが少しだけ外れた今、ユミちんは、私にそんな、寂しそうな嬉しそうな、変な顔で、切なげに小首を傾げているのだ。

 ……なんだそれ。

「ユミちん……」

 こんな風に、大切な親友を寂しがせているなんて、想像すらしていなかったから。
 疑問を感じもせずに、ワハハって笑ってたから。
 分からなくなる。

 どうして、私は、違和感すらないぐらい。その仮面に頼りきっていたのだろう?
 そんなに、本心を出したくないのか?

「……えと、ごめん」
「ん? ああ、いや、気にしないでくれ。……私が、その表情を引き出せなかっただけだ」
「……ごめん」

 ぽんっ、と、ユミちんが私の頭を撫でる。
 気にするな、と言葉以外の行為で伝えられて、そうっと目を閉じた。

 くすぐったい様な、あったかい感じ。
 まったく、ユミちんは優しい。

 癖、というかつい、『ワハハ』って笑いそうになって、馬鹿か私は、と苦笑して止める。




 どんなアホ面を曝け出しているのかは知らないけど。
 ワハハじゃない私の顔は、きっとどうしようもないかもしれないけど、でも。

 親友に見せられないぐらいじゃあ、ないんだろう?

「じゃあ、まあ……。ユミちんや、皆の前でくらい、頑張ってワハハを減らすぞ!」
「……え? ん、いや、止めとけ」

 真面目な顔で、視線まで逸らされて止められた。

「をい!?」

 うわ、びしりと止められた!?
 予想以上にショックかつ力が抜けた。

 ……えー?
 さっきまでのいい感じは何? 感動とか色々と消えて、一気に奈落に突き落とされた感じ。

 ユミちんは、実は意地悪すぎるのか?

「……なんでだー?」
「いや、モモが惚れたら困る」

 いきなりボケられた。

「……何を言ってんだあんたは?」
「それに、妹尾も心配する」
「どういう意味だ? つか何で?」
「……それは、あっち方面での意味だ。そして、睦月が自覚したらどうする?」
「何を?」
「……だから、あっち方面をだ!」
「……だから、あっち方面って何だよ!?」

 あ。無理。
 普段、ユミちんと言い争うなんてないのに、今は風邪のせいなのか? 全然抑えが聞かない。
 理性がぐずぐずと溶けて、バターみたいに液体になっている。

「……」

 びっくりした顔をしているユミちんを、ぐいっと引き寄せて、その目をじいっと覗き込む。
 とりあえず、今日はユミちんの奇行のせいでストレスが溜まってしまったので、ここらで発散しようと思ったのだ。

「……ワッハッハ。さっきから、ユミちんは訳が分からないぞ?」
「へ!?」
「いい加減に、しないと」
「ま、まま、待て蒲原!? 私にはモモがッ」
「――――くすぐるぞ!」
「いるから――――って、へ?」
「うりゃ」

 わっはっは。
 ユミちんがくすぐったがりで、特にココとかソコとかが苦手なのは知っているんだ。
 怒られるから実践しようなんて思った事はないが、私の観察眼を甘くみすぎだぜユミちん!

「えっ、ちょっ、きゃう、ぁ、ははははっ! やぁ、やめ、やめてかんば、あははははははっ!?」
「うりゃうりゃうりゃ~」
「くはっ、きゅうんんんん!? む、むり、むりだかっ、ぁ、はははははは!?」
「よしよし、では勘弁してやろう」



 手を離してあげると、ぐったりとユミちんが私にのしかかる。
 肩で息をして、真っ赤な顔は相当に苦しかったと見える。……ふっ、勝った!

「か、蒲原、お、お前なぁ……!」

 普通は逃げるだろうに、私が止めると言えば止める奴だと知っているから、恨みがましい目をしながらも、ユミちんは大人しかった。

「まったく、あんまり病人をからかうものじゃないぞ?」
「…………ぐっ」
「ほら、そろそろ教室に戻ったらどうだ? まだ授業中なんだろ?」
「…………ああ」

 納得いかなそうながらも、ユミちんは素直に頷く。よしよし。

「んじゃ、私も後で行くから、先に戻っておいてくれ」
「? え、蒲原、午後も出るつもりなのか?」
「勿論! 一応は受験生だしな。保険室の先生は不在の様だけど、職員室に行って事情を話せば、風邪薬ぐらいくれるさ」
「……そうか」

 出るのか……と、ユミちんの複雑げな顔にうん? と引っかかりは覚えたけど、まあいいや。
 私はユミちんを解放して、一回ぐっと伸びをして、こきりと首を鳴らす。
 結構眠ってしまっていた様で、体が少し固くなっていた。
 そのまま布団から出て、脱がされていたスカートを着て、ふと眼に入った壁にかかった鏡の前に立つ。

「……」

 後ろで、ユミちんが物問いたげに見つめる中、そこに映る私の顔。

 髪がちょっとくしゃくしゃで、眼も、口も、詰まらなそうに、無表情な。
 ちっとも笑っていない、何だか不貞腐れている子供みたいな、まるで子供みたいな顔があった。






















 ……いっや、参った。

 まさか、微塵も、口元すら笑えないとは、相当に風邪は重症らしい。
 教室に戻った私を待っていたのは、教師の驚いた顔と、クラスメイトの驚愕の視線。
 まさに「お前は誰だ!?」という失礼な表情。

 いやぁ、よく怒らなかったな私。偉いぞ!

 そんなに笑ってない私の顔は別人かよ!?
 ちょっとムカッときて、それが少し顔に出てしまった様だけど、その際、驚愕を更に濃くする奴と、ポッと赤くなる奴の二つに分かれたのが不思議だった。
 若い数学女教師も真っ赤になってしまったけど、私はとりあえず無視した。

 ……でも、その後やたらと当てられたのは納得いかない。

「蒲原」
「ん?」

 ぽんっと肩を叩かれて振り向くと、ユミちんが複雑な面持ちで立っていた。
 そして。

「この後は、部活だが……その」
「行くよ?」
「い、いや、私たちはもう引退しているし……」
「? 昨日は、一緒に顔を出そうって決めてたじゃないか」
「そう、なんだが、蒲原は調子が悪いし、顔がおかしいし、モモが心変わりでもしたら、私は泣くし」
「……ユミちんがよく分からないけど正直で嬉しいよ。絶対に行ってやる」

 悪かったな! 顔がおかしくて。

 こうなったら、佳織やむっきーやモモに見て貰って。
 おもいっきり笑われて、それで、少しはすっきりさせて貰おう。
 そして、どんな風に顔がおかしいのか、聞かせて貰おう。……ユミちん? 駄目だ。支離滅裂で参考にならない。

「ほら、いくぞユミちん」
「……ああ」

 肩に鞄をかけて、頑張って笑ってみると、ユミちんがぎしり、と一時停止した。
 その顔が何だか複雑で、変な感じに難しかった。

「?」

 そして。
 パシャパシャパシャパシャパシャパシャ!!!!

「…………」

 各方面から写メの嵐。
 ……ワッハッハ。そんなに私の顔は阿呆面かちくしょう。ワハハ以外はレアすぎるのかそうですか。

 つぅか悪かったな。変な顔で!

 荒んでいるみたいで、かなりむかついたので、ユミちんの手を引いてさっさと歩いていく。
 ああいけない。
 風邪って、本当に心まで病むんだな。
 普段はそうでもないのに、むかむかが止まらなくて、顔が歪んでいる。
 私は、いつも「ワハハ」で、自分で言うのもアレだがムードメーカーで普通の奴なのに、今はけっこう嫌な奴だ。




 不機嫌を顔に書いて、誰かに嫌な気持ちを押し付け、負の感情を与えてしまうのが気にもならない、そんな空気を読まない奴だ。
 ……誰かの表情を歪ませる奴だ。

「………ちぇ」

 ただの風邪で。
 私はそんな奴になるんだなぁって、自分の幼稚さに、ちょっと落ち込んだ。
 こんなに気持ちが悪いのは、本当、風邪のせいだって思って、そうじゃないと困る。

「……あーあ、佳織に看病してもらう」
「ああ、そうしろ」

 ぽんっと、後頭部に優しい感触。
 見上げると、ユミちんが淡く微笑んで、私よりレアだろって顔で、私を励ましてくれていた。

 ……まったく、最高の親友だった。

「……ワハハ」

 少しだけふらつく足で、何だかすっきりして。私は今はけっこう、上手く笑えている気がした。













 ふと思い出す。


 ワハハって、笑う癖。
 っていうか、この表情。

 最初は、私だって普通の子供らしく、色々な感情で転げまわっていたのだ。
 でも、私が怒ったり泣いたりしていたら、同じ様に怒ったり泣いたりする奴がいた。

 そう、私の幼馴染。妹尾佳織だ。

 私より小さくて弱っちい佳織は、どうしてか、いつも私の後についてきて、私の真似をしたがった。

 私が、近所の悪ガキと喧嘩をして怒っていたら、佳織も一緒に怒って喧嘩に割って入って、こけて、怪我して泣いた。
 んで私が怒られた。

 私が、親に怒られてふてくされて泣いたら、佳織もオロオロしだして、わんわん泣いて、私にくっ付いて泣き疲れて眠って、帰りが遅くなって。
 んでやっぱり私が怒られた。

『……うーん』

 小さい私は考えた。
 他にも感情って色々あるけど、佳織は特に、私が怒ったり泣いたりすると、一緒に怒ったり泣いたりして、それが顕著で、子供ながらに悩ましかった。

 だから、笑う事にした。



『ワハハ!』
『うん? えっと、わはは!』
『そうだぞ、ワハハ、私は楽しいぞ』
『うん! 私もね、楽しいよ』

 にこにこして、ほわほわした顔をにこにこにこにこ。
 本当に楽しそうにするから、私は、私の笑い顔なんかで、そんなに笑うのかって、ちょっと嬉しくて。

 だから『ワハハ』は、私にとって、必須になった。
 笑っていれば、佳織も笑うから、それで良かった。

 そして、いつの間にか、それが私の一部になった。












 ――――あれ?
 
 記憶が繋がり、ふと違和感。

 ……そういや、私、ワハハ以外で佳織の前に立つの、滅茶苦茶久しぶりっていうか、かなり無いんじゃないか?
 たまにワハハしていない時だって、とにかく目とか口とか、笑ってた、けど。

「……うわ」

 部活に向かっていた足が、ぴたりと止まった。
 あれ、え、えー?
 私は今、笑っていないんだよな? 笑おうにも全然顔に力が入らなくて、仏頂面で。あっれー?

「蒲原?」
「……え、っと」

 うわわ、やばい。
 何がやばいって、分からないけど、やばいのだ。
 ぺたぺたと、顔に触れる。
 手の平に触れる頬の感触は引きつり、何だか泣きそうに歪んでいる。

 わわっ、ど、どうしよう?

「お、おい? どうしたんだ蒲原? やはり具合が悪いのか? と、とにかく部室に」
「ッい、いや」

 足がすくむ。
 何か、忘れてはいけない事を、忘れていた様な。

 というか、佳織にだけは会っちゃいけない気が、凄くしてくる。
 無意識に訴える、本能の理解を飛び越して、ただ鳴り響く警鐘に。
 どうして、今まで鳴らなかったんだと心臓が壊れそうになる。背中に嫌な汗を引いて。一歩、引いた。

「……あの、ゆ、ユミちん、私、やっぱり、かえ」
「帰りますね」

 ――――――ッ!?

 ふわりっ、と、体が後ろに引き寄せられて、目の前にいるユミちんの目が微かに見開いていた。

「……ぅ、あ?!」
「智美ちゃん、今日は保健室に行ったんですよね? 噂、二年にまで聞こえてきました。珍しすぎるって」

 背中に触れる、見知った感触。香り。声に。

 今、彼女はどんな顔をしているのか、不安で押しつぶされそうになる。

 ――――もし、泣きそうだったら、嫌だ。

「かお」
「大丈夫だよ、智美ちゃん。私、もうそんなに子供じゃないから」
「へ……?」

 ひゅっ、と、
 呼吸がかすれて、振り返ると、『笑顔』があった。
 ほわんってする。
 柔らかくて、優しそうで、暖かい、佳織の微笑みが。

「……、ぁ」

 不安が消え去って、ドクンと安堵の鼓動が大きく鳴って、私の体から力が抜ける。
 何か、私にもよく分からないけど、でも、良かったと思った。
 ……そう。だって、
 
 笑顔じゃなかったら、私は、笑えないから、泣き顔のまま、大切な彼女を悲しませてしまう。
 笑えれば、いくらだって、笑顔に変えられる、から。


「……相変わらずなんだから、智美ちゃんは」

 えへへって、何が嬉しいのか、佳織は頬を染めて喜んで、私の腕をそっと抱きしめる。
 ユミちんが、よく分からないなりに、ほっとした顔をしていた。

「大丈夫だよ智美ちゃん。私は、もうあんなに子供じゃないから。智美ちゃんを困らせたりしないんだよ?」
「え?」
「……えへへ、私だって馬鹿じゃないんだよ? ちゃんと、知ってるんだから」
「?」

 ぎゅっと腕を抱きしめる力が強くて、私は疑問符だらけになりつつも、えっと? まあ、いいか、と頬を掻く。
 佳織が何を知っているのかは知らないけど、多分、私も知らない事な気がしつつも、佳織はほわほわと笑っているから構わなかった。

「じゃあ、帰ろう智美ちゃん」
「え? あ、ああ、そうだな。……ワハハ」

 なんか、調子が狂う。
 どうにもこのままでは勝手が悪い。

「えーっと、いや、でもむっきーやモモに挨拶ぐらいは」
「駄目だ」
「や、ヤダ!」

 …………えー?
 なにそれ、見事に息ぴったりなノーだった。



「……今日は帰れ蒲原。顔が戻ったらモモに会わせよう!」
「何で?」
「だ、駄目だよ智美ちゃん! …………睦月さんが、ライバルになったら、智美ちゃんが、とられたら、ヤダ」
「え? 最後の方聞き取れなかったぞ?」
「な、なんでもないの!」

 むむむっ、と眉間に皺をよせた真剣な顔に、私は困惑しながらも頷くしかできず、そのまま佳織に腕を引かれる。

「それじゃあ、失礼します!」
「ああ、蒲原は任せたぞ」
「はい!」
「………えー?」

 とんとんっとん。
 私より背が高い佳織に本気で引かれると、歩幅が全然違って、その手の平は、私より大きいと、抱きつく感触で、今更気づいて。
 振り向いたら、ユミちんがまるで「そんな顔をするなよ」と言いたげで。
 
 全部、まるで夢を見ているみたいに、私にはぐちゃぐちゃで、勝手に進んでしまう。
 ……なんか、意地悪だ。
 ユミちんも佳織も、私が分からない事に、何一つ正解をくれなくて。

 なのに……優しいとか反則だ。

 ……ワハハ、なんて、笑ってやらないぞ。

「ねえ、智美ちゃん」
「んあ?」
「……そんな顔しないで」

 どきり、とした。
 でも、何か悔しくてそっぽを向く。
 そんな顔って、どんな顔なんだよ。
 だから、さ。……私は今、どんな馬鹿面を晒しているんだ?

「……拗ねないで?」

 また、
 どきりと、

「いつも、いつも笑いが耐えない智美ちゃんが、そんな顔、急にしたら」

 ふわりと、片手が、両目に覆われて、何も見えなくなる。
 ぐいって引っ張られて、元々人気が無かった廊下から、階段下の小さなスペースに引き寄せられて、とんっ、と押し付けられる。

「? ……っ?」
「もう、ずるいよ智美ちゃん」
「なっ、にが」

 なぜか、喉が引きつる。
 佳織の声が耳に異様に大きく聞こえてくる。

「……だから、ね? 笑ってないだけで、こんなに、真剣な顔なだけで、苦悩しているだけで、こんなに」

 片手が外されて、視界が開かれる。
 そしたら、目の前には佳織がいて。
 泣きそうに見える、でも泣き顔じゃない、赤い顔をしていて。

 ドクンッて、私は吸い付くように見惚れて、目が離せなくなって、心臓を奪われた。




「―――格好良いなんて、ずるい、よ」

 両腕が、こんどは腕じゃなくて、全身を抱きしめて、まるで隠すみたいに私を包み込む。
 小さい頃から一緒で、守っているつもりで、でも、いつの間にか背も越されて、頭だって佳織のが良くて、運動神経だけしか勝てなくて、麻雀だって、将来性では分からなくて、とにかく。私は。

「……かっ」
「そんな顔、他に見せちゃ、ヤダ」
「……なっ」
「ワハハ、はいいの。だって、それは、智美ちゃんが小さい頃に、私にくれたモノだから……でも」
「……ちょ」
「そんな、素敵な顔、他に見せちゃ、いやだもん」

 ―――――。

 いぅ?

 クラリと、そこが、どうやら限界で。
 元々熱が酷かったのに、それに、更に負荷がかかって。
 顔が、体が、もう全部、熱かった。


「え? あれ? 智美ちゃん?」
「……ふあぁ?」
「え? ふえ? さ、智美ちゃーん!?」

 佳織の悲鳴を最後に。

 私はぷつんと、意識をしっかり失った。














 その短い合間に、私は夢を見た。
 懐かしい夢を見た。

 真っ白で、声だけの、そんな夢だった。






『あのね、智美ちゃんは、かっこいいって』
『ふーん?』
『クラスの女の子がね、言ってたの』
『そっか。それで、佳織はどうしたんだ?』
『……やだなぁって』
『?』
『あのね、いつものして?』
『ん? ああ、ワハハ!』
『うん、えへへ、ワハハ』
『おう、ワハハ』
『…………』
『ワハハ?』
『……っ。えっとね、そうやって笑ってたら、智美ちゃんがかっこいいの、あんまり分かんない』
『へー?』 
『だから、ずっと、それして?』
『? それって、ワハハ』
『うん!』
『ずっとって、どれぐらい?』
『……ずっと!』
『ずっと?』
『ずーっと!』
『……んー、そっか。じゃない、ワハハ?』
『そう、それがいい!』
『……ワハハ』
『えへへ』
『ワハハ』
『うん♪』


 小さなあの子は、たったそれだけの約束と笑い方で、本当に嬉しそうに笑うから。
 だから、いいのだ。
 ずっと、これがいいのだ。

『あのね』
『ワハ?』
『……ありがとう、智美ちゃん』


 小さな両手が伸びて、頬を優しく塞がれて。
 嬉しそうに、感激に頬を染めて、あの子は静かに近づいてくる。


 ちゅっ。


 って。
 それで、これが、

 私のファーストキスだった。


 そして、それは多分、昔実際にあった光景の、夢なのだ。




 


 目が覚めたら、知らんけど顔が熱くて仕方なかった。
 というか、体がバネみたいに跳ね起きた。

「うっわぁ!?」
「うひゃい!?」

 よく分からんが驚いた。
 いっやあびっくりした!
 そして、目の前に佳織がいて、倍に驚いた。

「びびび、びっくりしたよ智美ちゃん!」
「お、おおおおう! 私もなんかびっくりしたぞ?!」

 ど、どうしたんだこの心臓?!
 静まれマイハート! つかもうお前止まれ! 今日はちょっとふざけた動きが多すぎる!

「……智美ちゃん、何をしているの?」
「見て分かるだろ、心臓に止まれと命令している!」
「死んじゃうよ!?」

 きゃーって悲鳴をあげて、佳織が私を押さえ込んでくる。
 むぎゅっとつぶれて、佳織は心配性だなぁって、ワハハと笑う。

「……ん」

 あれ?
 頬筋が上手く動かない気がして、それで思い出した。
 ……そういや、私は現在風邪を引いていて、笑えないのだと。

 笑えないと、どんな顔をしていいのか分からず、とりあえず不愉快だなと、顔をしかめてみた。

「……ぅわ」
「ん?」

 佳織が、何でか頬を染めて、それから、嬉しそうににこにこしだす。

「?」

 よく分からないけど、まあ笑ってるしいいかと、見知った天井。つーか、私の部屋のベッドの中。さて、私はどうしてここにいるんだと少し考えた。

「……佳織」
「え? あ、えっとね。智美ちゃん、学校で倒れちゃって、それで一旦保健室に連れて行って、先生に車で送ってもらって、それで家に着いたら智美ちゃんのお母さんに手伝って貰って、智美ちゃんを部屋まで運んだの!」
「……そっか」

 しどろもどろな説明に納得して、私は頬をぐにぐにのばしながら、にこにこと嬉しそうな佳織に首を傾げる。
 不思議な事に、佳織はずっと機嫌よさそうだった。

「……えへへ」
「?」
「智美ちゃん、こんな時まで、ワハハってしようとしてるんだよね?」
「え? うん」
「だからね、嬉しいなって」
「?」

 なんか、今チクンと、記憶とか夢が混ざって、色々と思い出しかけた。
 でも、そっと頬に触れてくる佳織にどきりとして、少しだけ、それ所じゃなくなる。





「………えっと? いや、ん、まぁ、いっか」
「え?」
「いや、何でもない」

 ただ、風邪を引いた不調のせいで、何か大切な事を思い出しかけて。
 でも、別にいいやって、思ったぐらい。

 それっぽっちだった。

「? えと、そうだ智美ちゃん。桃缶開けたの、食べるでしょう?」
「おう、食べるぞ!」

 笑う佳織に、どきりと。
 心臓が変に稼働するけど、でも、それはきっと風邪のせいだから。

 頬が熱いなと、風邪を鬱陶しく思いながらも、佳織の看病を、有難く受け取った。

 その日はずっと、胸のリズムは狂っていた。







 ちなみに、次の日には風邪は治り、私は全快した。
 ふっ、私は健康優良児なのさ、ワハハ!



 でも、何故か佳織を見てドキドキするのはおさまらず、今日辺り、ユミちんに相談しようと思う。












 おわり



 以上です。

 何を書きたかったって。笑っていない蒲原さん。シリアス顔のキリッとした蒲原さんはきっと素敵だ!

 そしてかおりんは、幼馴染権限でそんな表情を独り占め。

 あと、蒲原さんと加治木先輩は仲良し。を書きたかった。そして恋人未満幼馴染以上も書きたかった。

 病気です。どうも長い駄文を失礼しました。

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最終更新:2009年12月20日 16:13