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720 :カツ丼さんコーチになる:2010/01/07(木) 09:35:13 ID:SVcntb5U
 カツ丼さんコーチになる


「えー、ここのコーチになった藤田だ。よろしく」

 ぶっきらぼうな挨拶に、龍門渕高校麻雀部一同は言葉を失った。
 今は新しいコーチの紹介の時。まさか現役で活躍中のプロが高校の指導者になってくれるとは誰も思っていなかった。
 唖然と口を開ける者。いろいろ訊きたくても恐くて声が出ない者。憧れのプロを前に緊張する者。
 皆理由はそれぞれでも、言葉を失ったのは同じだった。
 大勢が集まる部室がしんと静まり返る中、藤田は煙管を咥えて悠長に煙を吐いた。
 そこに猛烈な勢いでツっこんだのは部長の透華だった。

「藤田プロ! 学校内は全面禁煙ですわッ!」
「ツっこむとこはそこなの?!」

 一の追いツっこみを気にもせず、藤田は「あぁ、すまん」とポケットに手を突っ込んで出した携帯灰皿に煙管の灰を捨てた。
 それでも透華は腕組みをすると、やや険しい顔をした。
「藤田……コーチでしたっけ?」
「ああ」
「あなたがここのコーチになった件、部長の私が初耳なのですけど、何かの間違いではありませんの?」
 部だけでなく学校の全てを取り仕切る透華が、不機嫌を隠さずに尋ねた。
「理事長から聞いてないの?」と藤田は煙管の柄で額を掻いた。
「おじい様の悪戯ですわね……」
 透華は「またか」と言いたげな顔で溜息を吐いた。
 この学校の理事長は透華の祖父であり、その理事長は孫可愛さ故に今回のようなサプライズイベントを事ある毎に用意していた。
 透華は顎に親指を当てて考えると、パチンと手を叩いた。
「ハギヨシ」
「はい」
 音もなく主人の正面に現れた執事の萩原に、藤田は驚いて仰け反った。
「どっから出た!?」とマジックのタネを聞く藤田を無視して、透華は萩原に命令を与える。
「ハギヨシ、おじい様に確認を」
「かしこまりました」と言うや否や、再びマジックのようにその場で消え去った。
「今度は消えた!」と目を丸くする藤田。その驚きも束の間、数秒もすると同じ場所に萩原が忽然と現れた。
 口をあんぐりと開けて呆然とする藤田を気にすることなく、透華は結果を尋ねた。
「どうでした」
「はい、藤田様のおっしゃるとおり、話は通してありました」
「そう、ご苦労」
 萩原が一礼して消え去ると、透華は藤田と向かい合った。
「コーチ、失礼しました。どうやらこちらで不手際があったようで」
「ねえねえ! あれって何ッ? 消えたりしてなかった?」
「ハギヨシは家の執事ですわ」
「執事って人間がするものよね?」
「人じゃない執事がいるのなら見てみたいものですわ」
 世紀の大マジックを見せられて混乱する藤田が冷静さを取り戻すまでもう少し時間が掛かりそうだった。
 そんな藤田を、部員全員が同情の眼差しで見つめていた。
 透華の周りにいれば、誰でも一度は通る道だった。

「天江衣はいないのか」
 ようやく落ち着いた藤田が最初に口にしたのは衣のことだった。衣は彼女の大のお気に入りだ。
 藤田は部員を一通り見やってから、部長の透華を見る。やはり、衣の姿は見当たらない。
「衣なら屋敷にいますわ」と、さも当然という顔をした。
 衣もここの学生だが、あまり人が集まる部室には顔を出したがらなかった。なので、今日も授業が終わったら早々に下校していた。
 衣の不在を知った藤田は、見るからにがっかりした表情を作って「じゃあ、帰る」と手を上げてさよならしようとした。
 当然、部長の透華が声を荒げる。
「帰るって何ですの!?」
「だって、衣いないし」
「そんな理由で!?」
「衣と毎日スキンシップ取れるっていうからコーチ引き受けたんだもん」
 くだらない理由を聞いて透華は眩暈を覚えた。「おじい様ね……」と恨みがましく呟いて首謀者の顔を思い浮かべた。
 一連の会話を傍で見ていて苦笑いしていた一だったが、困り果てた主人を見て首を突っ込むことにした。
「透華、ボクが衣を迎えに行ってこようか」
 その提案に一番瞳を輝かせたのは藤田だった。「衣来る?」と一に顔を必要以上に寄せる。
 一はうざいのを我慢して透華の返事を待つ。
 透華はどうするべきか考えていた。衣が部室に来ないことにも理由がある。だが、皆が現役プロの指導を受けるチャンスでもある。
 透華は「うん」と相槌を打つと答えを決めた。この方が、きっと衣のためになると考えた。
「はじめ、お願いしますわ」
「すぐ呼んでくるよ」
「急いでねー」と喜々としてまとわり付く藤田を押しのけて、一は一旦部室を出て行った。

 状況をただ見てずっと笑っていた純が、透華の横に来て言った。
「衣、来るかぁ?」
「衣も少しは変わりましたもの。大丈夫ですわ」
「私もそう思う」と会話に参加する智紀。
 皆の意見を聞いた純も「そうだな」と力強く同意した。
 皆が衣を心配し、そして同時に信頼していた。

「清澄の大将のおかげか」

 そう呟いたのは、やさしく微笑む藤田だった。

 コーチになった藤田は、とりあえず全員に麻雀を打たせて各々の実力を見ていた。
 するとすぐに、迎えに行った一が早くも戻ってきた。
「ただいまー」とにこやかに部室のドアを開けた一の隣には、しっかりと衣の姿があった。
 衣は仕方なく連れてこられたという感じで、少しむっとしていた。
「はじめがどうしてもと言うから来てやったんだからな」と誰にでもなく言い訳をする。
 それでも、衣の性格をよく知る一と透華は、それが照れ隠しだと分かっていた。誘われた衣も、悪い気はしてなかったのだ。その証拠に、頭のリボンがぴょこぴょこと揺れていた。

 目当ての人物を発見した藤田は、コーチの仕事をそっちのけにして目標に真っ先に突進した。
「衣元気だったか!」と小さい子供に『高い高ーい』をするように担ぎ上げると、がしっと熱い抱擁をかまして頬ずりした。
 過剰なスキンシップに衣は「ひっつくなぁっ!」と抵抗するが、非力な彼女では藤田を引き剥がせない。
 腕力では敵わないのは明らかだ。そこで衣は言葉で抵抗することにした。
「離れろゴミプロ、タバコ臭いーっ」
 それを聞いた途端、藤田の動きがぴたりと止まる。二人を傍で見ていた周りは、ゴミプロ呼ばわりされて切れたのではと息を呑んだ。
 頬ずりをやめた藤田は、衣の両脇を支えて腕を伸ばした。衣の足が宙ぶらりんになり、二人の目線が合う。
 衣が「どうした、怒ったか」と挑発するも、藤田は表情を変えない。真剣な顔で衣を見る。衣も負けずに不敵な笑みを浮かべた。
 周りが肝を冷やす中、藤田が発した言葉は――

「――私、タバコ臭いか?」
「うん」と衣が頷く。
「わかった、もうタバコ止める。だからもうちょっとだけ!」と衣を強く抱きしめた。
「だからひっつくなぁ!」

 あっさりと禁煙を宣言してスキンシップを再開した二人。周りはそれを見て安堵し、そしてどっと疲れを感じるのだった。
 衣の受難はまだ始まったばかりだ!


 終

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最終更新:2010年01月11日 17:38