――魔法の呪文――
きっとこうなると、分かっていた。
次の日、私は菫からそれを聞いた。
「原村和から返事が来たぞ。うちにくるそうだ。」
「そう。」
「お前が何かしたのか?」
「さぁ?」
菫の問いかけを曖昧に返し、私はお茶を含んだ。
お茶は昨日原村家で飲んだものより少し苦く感じた。
隣で菫の溜息を聞きながら私は小さく笑った。
「強くなるためのコツを教えないとな…。」
「は?」
菫の驚きを今度は無視して私はお茶を注いだ。
* * *
これでよかったのだろうか?
いや、これでいいんだ。
ずっと続く自問自答。
答えは見えない。
答えは見えないが、私は答えを出してしまった。
家のチャイムが鳴り、誰かの来訪を伝えた。
そこには、昨日と同じく、宮永照がいた。
「うちに転入することを決めてくれたんだね。」
差し出したお茶をすすり、彼女は切り出した。
私は小さくうなずいた。
彼女はお茶をテーブルの上に置いて、私を見つめた。
「……大切な人って、咲でしょ。」
時間が止まったような、そんな気がした。
でも、彼女がお茶をすする音で動き出した。
私は答えられないでいた。
彼女は再び口を開く。
「好きなんでしょう?咲のこと。」
“好き”という単語で、私は好きな人を傷つけてしまうことを自覚する。
でも好きだから会いたくて…。
二つの感情に私はまた揺さぶられる。
それを見越したように彼女は続ける。
「わかるよ。だからね……。私がいいこと教えてあげる。」
彼女の言葉は呪文のようだった。
「嫌われればいいんだよ。嫌われちゃえばね。」
「好きでいられると、傷つけるたびに心が痛むけど、嫌われちゃえば…傷つけないですむんだよ。」
「嫌われちゃえば、諦められるよ……。」
* * *
私は和ちゃんに会いに東京へ行く。
あのときは1人だった。
だけど、今回は違う。
「緊張してる?」
「す、少しは…。」
部長が一緒に来てくれてる。
それだけで少し気持ちが楽になった。
「あ、あの…すいません。部長、受験生なのに…。」
「気にしなくていいわよ。受験も大切だけど、私は咲と和の方が大切だわ。」
少しずつ少しずつ、東京に、和ちゃんに近づいている。
そう思うと胸が痛かった。
「……きっと。」
「?」
「きっと…、和も悩んでるはずよ。」
部長はそう言って微笑んだ。
新幹線に乗ってる間、部長はずっと手を握っていてくれた。
* * *
嫌われちゃえば、諦められる……か。
自分で言っといて、笑ってしまう。
嫌われてると思っていた。
あの日、咲が「私、麻雀嫌いだもん。」と言った時、私は麻雀をしてても咲には会えないことを悟った。
なぜ、麻雀が嫌いなのだろう。
私が麻雀をやっているからかもしれない。
でも、私はもう麻雀を捨てることはできなくなっていた。
麻雀で勝つことが私の証明になっていたから。
妹はいない。
そうだ、あの子には姉がいないのだ。
私のような奴がお姉ちゃんなわけがない。
それからの私は一心不乱に麻雀に身を投じた。
そして3年のインターハイ。
菫が見せた新聞。
そこには
清澄高校の全国進出と、大将、宮永咲の名前があった。
その場では菫に妹を尋ねられ、いないと答えたが、頭の中は混乱していた。
咲は麻雀が嫌いで、やってないはずだった。
なのに、なぜ…?
全国大会で咲と会える。
ずっと待ち望んでいた展開だった。
嬉しいはずなのに、気持ちは複雑だった。
嫌われてると思い、諦めて、妹はいないと言ってここまで来た。
なのに、なんで今…?
大会で咲の真意がわかるのだろうか…?
そう思い、臨んだ全国大会。
気付いていないふりをしながら咲を探した。
咲は桃色の髪をした子と手を繋いでいた。
近くにいた淡があれは全中王者だと教えてくれた。
2人の仲の良さは遠くから見ていてもすぐ分かった。
見ていられなくなって私はその場を離れた。
ロビーと違い、薄暗い廊下を早足で歩いた。
「お姉ちゃん!」
あの子が私を呼んだ。
嫌われていると思っていた。
こんな風に呼ばれることなんて二度とないと思ってた。
忘れるために麻雀に没頭してた。
なのに、今、あの子が私を呼んだ…。
「私に…。妹はいない。」
不思議だった。
不思議なくらい自然に、私の口からはこの言葉が出ていた。
咲はあのときと同じ表情をしていた。
私は咲に背を向け、歩きだす。
……嫌われたかったのかもしれない。
その時私は初めて気付いた。
好かれることが怖いと思う自分がいることに。
私はいつからか、咲に嫌われていることで自分を保っていたのかもしれない。
咲に嫌われていることに安心してる自分がいたんだ。
嫌われれば、諦められる…とずっと自分に言い聞かせていた。
だけど、違う。嫌われていたいんだ。
好意を向けられるのが怖い。だから嫌われていたいんだ。
でも、咲のことを、嫌いになれないんだ。
矛盾してる。分かってる。
でも、もうこの感情は捨てられない。
嫌われれば、諦められる?
鼻で笑ってしまう。
だってそうだ。
私は今もずっと咲のことが……。
* * *
もうすぐ、もうすぐ和ちゃんに会える。
和ちゃんに会えるという期待と不安が入り混じっている。
でも、会わなきゃ、会わなきゃ何も分からない。
本当は、怖くて今にも逃げ出したい。
「大丈夫、私がいるわ。」
本当に部長に感謝してる。
1人じゃ、きっとここまで来れなかった。
「じゃあ、行くわよ。」
原村、という表札を前にして緊張は極限に達する。
何の連絡もなしに来てしまった。
和ちゃんはいるだろうか?
いてほしい。いや、いてほしくない。
相反する気持ちが私の中で揺れる。
「…いくわよ。」
部長が私に確認をとるように言った。
私は頷き、部長はチャイムを鳴らした。
「どちら様でしょうか?」
インターフォンを通して和ちゃんの声が届いた。
離れてた時間は少なかったはずなのに、ひどく懐かしく感じる。
それだけで、涙が出そうになる。
それをこらえて私は応えた。
「……咲です。和ちゃん?会いに来たんだ。」
声の震えは抑えられなかった。
少しの間の後、ドアが開いた。
和ちゃんの姿に胸が高鳴る。
私は無我夢中に口を開いた。
「和ちゃん!私…、私…!」
「……私は!」
私の言葉を遮って、和ちゃんは口を開いた。
俯いていて表情は見えない。
「私は白糸台で麻雀を続けます…!」
「え……?」
背中を冷たいものが駆け抜けていった。
心臓に鈍い痛みが走った。
「私は白糸台で麻雀を続けるんです……、宮永さん。」
久しぶりに呼ばれた名前は名前呼びではなく名字呼びだった。
あの時、名前で呼び合おうって決めたのに、決めたはずなのに…。
すっと、顔をあげた和ちゃんの顔は冷たく見えた。
その表情は、お姉ちゃんに重なって見えた。
「これ……。」
目の前に差し出されたのはあの時のマスコット。
二人で買って交換した思い出の品。
私の、私たちの宝物。
「……返します。」
* * *
差し出したマスコットを咲さんが受け取ることはなかった。
私は耐えきれず、マスコットは手から零れ落ちた。
咲さんの目は落ちていくマスコットを見つめていた。
その目には涙があふれていて、私の心を締め付けた。
「和ッ!」
部長の叫ぶ声が聞こえて、自分のやってしまったことに気付く。
でも、もう後戻りはできない。
部長の声から、咲さんの表情から逃げるように私は扉を閉めた。
ドアの向こうからは部長の声が届いて、私は崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
届かない言葉を何度も何度も吐いた。
涙が出て、大声で泣きそうになる。
でも、聞かれちゃいけない。
私は小さくしゃくりをあげて泣いていた。
『嫌われればね、諦められるよ。』
あの人の言葉を頭の中で繰り返し、自分に言い聞かせた。
そして願った。
「ごめんなさい。咲さん。お願いです…。」
「私のことを嫌いになってください。」
* * *
沈黙が支配していた。
咲は泣き崩れ、私は和を呼んだ。
しかし、それすら届かず扉は閉められた。
私は閉じられた扉に叫んだ。
でも、やはり届かない。
咲は声をあげて泣き続けた。
私は和が落としたマスコット拾った。
マスコットは泣いてるように見えた。
私は咲を支えて歩き出した。
行先は分からず、咲が泣きやむまでただただ歩き続けた。
気付いたら河原に出ていた。
さっきより少し落ちつた咲と座って、川を見ていた。
ここの川は濁っていて、長野の川よりうんと汚れていた。
「部長…。」
咲が小さく呟いた。
「私って…なんなんでしょうか……?」
咲はずっと俯いていた。
声が震えていて、今にも崩れそうだった。
「私…、私は……!」
そんな咲を見てられなかった。
私は力いっぱい彼女を抱きしめた。
咲は私にしがみついて、声をあげて泣いた。
私は何も言えずに、ただ抱きしめるしかなかった。
* * *
原村家を後にした私は、いつもより遠回りをして帰っていた。
気付くと河原に出ていた。
長野にいた頃…。夏はよく川に行った。
長野の川はすごく澄んでいて、綺麗で、咲と水遊びをしたな。
咲は水が苦手だから、私はずっと咲の手を握っていた。
川にはそんな思い出があって、なかなか来ることはなかった。
でも、なぜか今日は足が勝手に向いてしまった。
でも、ここの川は私の記憶の中にある川とは違って濁っている。
石を投げてみた。
それは濁った川にどぼんと音を立てて消えて行った。
石が消えて行った所をしばらく見つめた。
でも、もうそれは何も変わらず、濁ったままだった。
「帰るか…。」
誰に言うわけでもなく呟いて、立ち上がった。
立ち上がって見えた川の向こう側に見知った姿があった。
「……咲?」
顔はよく見えないが、私の勘がそれを告げていた。
誰かと一緒にいるようだ。
でも、それが原村でないことは、すぐに分かった。
* * *
咲を抱きしめながら私は思いを巡らした。
あの和は、どこかおかしかった。
電話で転校すると告げた彼女とは全く違った。
そして、どこか悲しい瞳をしていたように私には見えた。
何かあったんじゃないか?
私の頭にはそれが浮かんだ。
あの和が咲にあんな態度をとるわけがない。
ジャリと後ろに誰かの気配がした。
咲を抱きしめたまま、目をやると、そこには咲の姉、宮永照に姿があった。
「……咲。」
私には目もくれず、咲を見つめていた。
その瞳に私は見覚えがあった。
咲は照に気付かずに泣き続けていた。
照はゆっくり近づいてきて、咲に手を伸ばしてきた。
でも、途中で止めて、手を引っ込め、歩きだした。
その後ろ姿を見送り、確信した。
照の目は和のと同じだ、と。
―――――――――
最終更新:2010年02月19日 01:17