837 :長野三年’S 受験勉強編:2010/08/01(日) 03:47:58 ID:RW9EYWGQ
図書館で古文の勉強をしていたゆみは、外から聞こえるパラパラと何かが小さくはぜるような音に気をひかれて窓の外を見た。
「……雨か」
そうつぶやくと間もなくさっきまでのパラパラが、ざあっとバケツをひっくり返したような激しい雨に変わった。
傘を持ってきていなかったが、この雨は困ったというより正直助かった。
今の時期の雨はひとしきり降ると、嘘のように上がり、涼しい夕方がやってくる。
今は図書館の中で冷房が効いているからいいものの、ここを出てあのうだるような暑さの中を帰ると思うと辛抱強いゆみもさすがにうんざりしてしまう。
ひどい雨音で集中力が途切れたところで、勉強に誘ったのに来なかった友人のことを思う。
ヤツの将来など別にどうでもいいんだが、そうは言っても気になるものだ。
自分は他人事にはあまり関心を持たないタイプだったのに、いつからこんなお節介をやくようになったんだろう――
蒲原の影響だろうなと思うと口元に笑みがこぼれる。
しかしあのバカは一体どうしたものか――
ゆみが親友をバカ扱いしながらも心配していると、ゆみを探して図書館に入ってきた佳織が、
「あ、あの加治木先輩……」
と、おずおずと申し訳なさそうに話しかけてきた。
「おう、妹尾か。丁度良かった。蒲原を知らないか?」
「あ、あの、それがですねぇ……智美ちゃ、いえ、蒲原先輩から用事があるから先に帰ると伝言を言付かってきました」
「はぁ。そうか……」
「あ、あの、智美ちゃんがご迷惑かけてすみません。私も折角、加治木先輩が勉強を教えてくれるんだから図書館行ったらって言ったんですけど……」
「いや、妹尾が謝ることはない。部活の途中だったんじゃないか?わざわざ来てくれてありがとう」
佳織は申し訳なさそうにゆみに向かって何度も頭を下げ、その度にすれ違う生徒にぶつかっては謝るを繰り返しながら図書館を出て行った。
智美のことをまるで自分のことのように謝る佳織を見ていると旦那のことで頭を下げる奥さんを連想してしまう。
ふむ、智美ちゃんか。あれだな、桃もそのうち先輩呼びを卒業して『ゆみさん』とか呼ぶようになるとか――
『桃』
『ゆみさん』
そう呼び合いながら抱き合ったりとか。うん。悪くない―― が、恥ずかしいな――
赤くなってきたのを隠すように、ゆみは教科書で顔を覆った。
いやいや、今はそんなことを考えている場合ではない。まずは勉強嫌いの親友だ。
本人も一応、焦ってはいるようだが、自分が誘ったくらいではこんな風にすっぽかされてしまう。
蒲原が絶対すっぽかすことが出来ない相手――
ゆみは自分と桃の妄想を頭から追い出し、親友のためにあの友人の協力を得ようと考えついた。
自分一人では出来ないことも別の人間をまきこむことで、出来ることにしてしまう。
うむ、これこそ正に蒲原の影響だな――
「取りあえず、声に出して読みやすい和歌から初めてみましょうか。蒲原さん三大集って知っていますか?」
ファミレスのテーブルを挟んで、智美の向かいに座ったのは本日の先生役。美穂子が本物の教師さながら質問をした。
「バカにするな!こう見えても三大集は得意なんだぞ」
「ほぅ」
「へぇ」
意外にも自信満々で美穂子に噛みつく智美に、隣に座ったゆみと美穂子の隣で頬杖をついている久が感心したようにそれぞれ声を上げる。
838 :長野三年’S 受験勉強編:2010/08/01(日) 03:49:29 ID:RW9EYWGQ
ヤバい智美のためにゆみが考えたことは、美穂子を先生役に勉強会を開くことだった。
以前、受験のことを話した時に、得意科目はどちらかと言えば、美穂子は文系、ゆみは理系、久はオールマイティーだが詰めが甘いというのが話題になったことがあった。
それを思い出したゆみは、美穂子を呼べばさすがに智美もすっぽかす訳に行かないだろうと踏んで、美穂子に先生役を依頼したのだった。
先生役自体は快諾した美穂子だが、遠慮からか別の理由からか自分一人だと自信がないので、久を呼んでもいいかと提案があった。
先生役が増えることは、更に智美もサボりにくくなり、ゆみにとっても願ったり叶ったりであったため、ゆみは二つ返事で久の参加を了解した。
そして、勉強会当日のとある日曜日。
ゆみの思惑通り、今日ばかりは仕方ないと観念した智美が愛車のタイプⅡで迎えに来た。
「ゆみちん、さー行くぞ」
「蒲原、安全運転で頼む」
いつもの運転だろうなと思いつつ、そう言わずにはいられなかった。
待ち合わせ場所に到着し、再会を喜びつつ、青ざめたゆみが落ち着くのを待って勉強会がスタートした。
「モルフォチョウ!トリバネアゲハ!アグリアス!」
「蒲原? 何を言っている?」
「何だー、ゆみちん、知らないのかー。三大美蝶だろ!ワハハー」
「……」
何かの呪文を唱えるようにスラスラと答える智美だったが、それが彼女なりのボケだとわかると突っ込みの苦手なゆみは固まってしまった。
そんなゆみを見て、調子に乗った智美は続ける。
「三大カブトム……」
「蒲原、いい加減にしろ」
ばくん。ゆみの古語辞典の角が智美の後頭部にヒットした。
「うぐわー! ってぇー。ゆみちーん。角は角は……」
大げさに痛がる智美をゆみはあきれ顔で、美穂子は心配そうに、久は面白そうに見ている。
当の智美は涙目になりながら、ゆみに訴える。
「じゃあ、ゆみちん言えるか?三大カブトムシ!」
「そんなもの……」
ゆみが言い淀むと智美の矛先は他の二人に向かう。
「美穂子は?久は?」
「私、昆虫はちょっと苦手で」
久が面白がって智美の話に乗っかる。「アトラスとヘラクレスとえーと、後何だったかしら?」
「あー、久、残念だなー!今はアトラスではなくネプチューンなのだよ」
「どうでもいいだろう」
「ふっ、分からないからって逃げるのか、ゆみちん」
「なっ」
呆れるゆみを智美が挑発している。冷静なゆみがその挑発に乗るとは思えなかったが、それでも美穂子が仲裁に入った。
「二人とも、もうその辺で……。ね」
「あーあ、初めから脱線しまくりじゃない」
今度は久が大げさに、両手を広げ、肩をすくめるジェスチャーをしてみせた。
智美のボケにつき合ってはいられないとばかりに、美穂子が三大集の説明を始めた。
「三大集とは万葉・古今・新古今の三つの歌集を指します。このうち勅撰、つまり帝の命令で編纂したものは古今と新古今です」
美穂子の説明を受け、ゆみが口を挟む。
「おい、蒲原。このふたつの成立年代は憶えやすいぞ。古今は905年、新古今は1205年」
そういえば、と思い出したように久も割りこんでくる。
「新古今って古今集パート2なのよねー。で、300年記念のイベントとして成立したものなんですって。この二つの年代だけは憶えておいて、和歌やそれ以外の作品の成立が早いか遅いかを押さえておくと結構役に立つわよ」
一切のボケを拒むように矢継ぎ早に説明をする3人に対して、「ワ・ハ・ハー」な感じで目の焦点が合ってない智美がそこにいた。
最終更新:2011年11月28日 18:41