アットウィキロゴ
920 :長野三年’S 受験勉強編:2010/08/22(日) 14:45:31 ID:/je35mG3
「なんだよー、ゆみちん。折角いいとこなのにー」
ゆみのぶった切りに、漫画のようにガクっとうなだれた智美が、顔を上げ口を尖らせる。
「あれー、もしかして、ゆみって怖いのだめなの? 意外な一面ってヤツ?」
「おおー。ギャップ萌えじゃないか。ワハハー」
 話を切られた仕返しに久がからかうと智美もそれに乗っかってくる。
「うるさい。蒲原、私が平気なのは知っているだろう」
二人にやいやい言われたゆみがイラっとした表情で二人を睨む。
「久、解釈がオリジナル過ぎるぞ。この歌はこないだ学校でやったばかりなんだ」
その言葉に慌てるどころか、むしろ愉快そうにクスクスと笑っている久を見て、ゆみは――はぁ。と大きなため息をつき、イラつきの矛先を智美に向ける。
「蒲原、覚えてたんじゃないのか? さっきのお前の解釈でいいんだぞ」
「うーむ、ゆみちん大発見だ。どうやら私は睡眠学習のスキルを身につけてしまったようだ。ワハハー」
 こちらもことさらゆみの感情を逆なでするようなことばかり喋っている。
人差し指と中指をこめかみに当て、頭が痛いジェスチャーをするゆみを見て、気の毒に思ったのだろう。
美穂子が久の上着のすそをつんつんと引いて合図を送り、「んお?」と振り返った久をちょっとだけ睨んでみせた。

「んもー、ちょっとふざけただけじゃない。二人しておっかない顔しないでよー」
そう言う久の表情(かお)にはもちろんだが、反省の色は全くない。
「だって、詞書に『男から忘れられた頃、貴船神社(京都市左京区)に参拝したら、御手洗河に蛍が飛びかっているのを見て』ってあったから、思いついちゃったのよねー」
「なぁんだ、オカルトは久の作り話かー。でも結構面白かったぞー、ワハハー。で、詞書って何だ?」
「ん、和歌でその歌を作った日時・場所・背景などを述べた前書きのことよ」
今度は、久も智美の質問にきちんと答えた。
「本当の解釈は、恋しさに思い悩んでいると、沢に飛ぶ蛍も私の身体から抜け出してゆく魂ではないかと見えるよ。まぁ、そうね。オカルトじゃなくて、これも恋の歌なのよね」
「へぇ、恋の歌って多いのかー?」
「うん、多いわよ。今も昔も好きな人のことを考えて、舞い上がったり、落ち込んだりするのって変わらないのよ。きっと」
さっきまのでいたずらっ子のような表情ではなく、優しげな表情で話す久を見て、美穂子も安心したように微笑む。

「ったく、最初からそうしていればいいものを…… 蒲原、借りるぞ」
そう言うと今度はゆみが智美のノートに歌を書き始めた。

――奥山に たぎりて落つる 瀧の瀬の 玉ちるばかり ものな思ひそ――

歌の後に、後拾遺和歌集・貴船の明神と書き足すと智美にノートを返す。
「これも授業で一緒にやったぞ。さっきの和泉式部の歌に貴船の明神が返した歌だ。覚えているだろう?」
「え? あ、うん…… おくやまに、たぎりておつる、たきのせの、たまちるばかり、ものなおもいそ…… かな?」
「ああ、そうだ。詠みはそれでいい。解釈も分かるだろう」
「えっと、奥山にだな、たぎって落ちてんだろ? で、瀧の瀬のは、えっと…… あ、滝か! 滝の水が落ちてんだ。で、問題は玉だなぁ。なぁ、ゆみちん。これって何の玉なんだ?」
身に着けたという睡眠学習のスキルはどこへやら、智美の解釈はここまでのようだ。
「……蒲原、本当に覚えてないのか。前半は序詞で、玉ちるに掛かってだな……」
「むむっ、ゆみちん。怒らないと約束してくれるか?」
ゆみが伏し目がちに淡々と説明するのを、智美が真面目な表情で遮る。
「どうした急に?」
「序詞って何だ?」
分からないことを怒っても仕方ないのはゆみも承知している。しかし、上げたその顔にはかすかに怒りの表情が浮かんでいた。




921 :長野三年’S 受験勉強編:2010/08/22(日) 14:47:26 ID:/je35mG3
そんなゆみを見てか、それとも、さっきは悪いことをしたと思ってか、珍しく美穂子に先んじて久が説明を始めた。
「序詞は、枕詞に似てるけど、枕詞みたいに『どの言葉にどの詞がかかる』というような決まりがないのよね。後、枕詞よりも長いのが普通で、一回的ていうか、創作みたいな」
「なるほど。それで、久。枕詞って何だっけ?」
きりっとした表情の智美から出た言葉に、今度は久が頬杖から滑り落ちるようにカクンと頭を下げる。
「あの、蒲原さん。枕詞とは和歌にみられる修辞用語のひとつで、一定の語の上にかかってある種の情緒的な色彩を添えたり、句調を整えたりするのに用いられます」
「え、何? 美穂子ごめん。ちょっと何言ってるかよくわかんない」
ばこん。本日二度目の古語辞典の出番がきた。
「だぁー! いてーってば! 角はって何回言えば……」
「蒲原、いい加減にしろ。今の言い方は福路に悪いだろう」
「だって、ほんとによくわかんなかったから…… 」
ゆみの暴力的な突っ込みに、智美は涙目で言い訳をする。

当の美穂子はというと、怒るどころか二人のやり取りを見て逆に「蒲原さん、私の説明が悪くてごめんなさい」と頭を下げる。
「美穂子は悪くないわよ。そうね、なんて言うのかしら。要は飾って格好良くするってことよね」
「ん? それって、デコるってことかー。ワハハー」
「まぁそうだけど、さすがにそうは言わないんじゃない」
自分の説明を微妙に今っぽく言い直された久が苦笑いする。
久に悪くないとフォローして貰い、元気が出た美穂子も説明を続ける。
「あの、さっき、久さんが言ったように『どの言葉にどの詞がかかる』のが決まっているのが枕詞なんです」
「うーん。たとえば?」
「『ひさかたの』という枕詞があります。これは『空、光、春、星、天』などにかかります。引き出されることばが天文関係の言葉で、空も日も遠くかなたにあるから、『久方の』という枕詞になるんです」
「へー、なるほどぉ。遠くにあるのは、ひさかたかぁ。あ、久の名前と同じだから覚えやすいな。久は遠いって覚えたらいいや。ワハハー」
「やだ、なによそれ。他にもあるから、ちゃんと覚えておいた方がいいわよ」
智美の言ったことに久はそう言って笑っただけだったが、その言葉に美穂子の表情は少し硬くなった。

「それじゃ、解釈に戻っていいか?」
「おお、ゆみちん。お待たせしたなー。ワハハー」
先ほどの説明の要点をノートにまとめたのを見計らってゆみが声をかける。
「滝というのは、激しく流れて水が玉のように散るだろう。だから、この玉は水の玉のことだ」
「へー、水の玉かぁ。面白いことを考えるもんだなー」
「そして、玉は魂(たま)とかけてあるんだ」
「あれ、魂って、ホタルの歌の……」
「そうだ。玉散るほど一途に思うな。つまり、たましいが身から離れるほど深刻に思い悩むな。そんな気持ちでいるのは身体に毒だよ。と神様も心配している歌なんだよ」
へぇへぇと何度も感心しながら、智美がノートに書くのを久がそうそうとうなずきながら見ている。
美穂子がはっとしてゆみの方を見ると、その視線に気づいたゆみが静かに微笑んだ。


922 :長野三年’S 受験勉強編:2010/08/22(日) 14:49:16 ID:/je35mG3
「その後、和泉式部の恋しい人は彼女の元へ戻ってきたそうだ」
智美に教えるというよりは、美穂子に向かって話しを続ける。
「和泉式部は恋多き女だったそうだが、言い換えると、深い愛情であふれていたと言えるな。だからこそ悩みが深刻になるのも道理というものだ。冷たい人ならばそんなに悩まない」
面白そうな話だと思った久が割って入ってくる。
「美穂子は一途で、愛情たっぷりって感じよね。きっと」
「わ、私は……」
「久は恋多き女って感じだなー。愛情の度合いはわからんが。ワハハー」
「あら、見てた。悪いけどよくもてるのよねー。なーんてね。まぁ、今は、恋愛より麻雀と受験だけどねー」
美穂子が答える前に智美と久の言い合いが始まったので、美穂子は焦ったような、ほっとしたような、寂しそうな複雑な表情を浮かべてうつむいた。

「よし! ホタルを見に行こう! ワハハー」
「はぁ?」
「これでホタルを見たら、今日の歌のことは忘れないと思うんだ!」
智美の突然の宣言に三人が揃ってきょとんとした表情になる。
「貴船神社は無理だけど天伯峡ならすぐいける」
「あそこのほたる祭りは6月中だろう」
「じゃあ、松尾峡は?」
「同じよ」
ゆみと久は同じような反応をして、智美を止めようとする。
「わかった。青木湖にいく」
「あ、あそこならもしかしたら、まだ……」
「よし。決定だー、ワハハー」
思いがけない美穂子の寝返りに、智美も勢いづいて形勢逆転。勉強会はここで強制終了となっってしまった。

「みんなー、さー行くぞ」
「蒲原、安全運転で頼む」
助手席のゆみは言っても仕方ないと思いつつも、やはり言わずにはいられない。
後部座席では、いつもはモモがゆみにしがみついているように、美穂子が久にしがみついていた。
ただ違うのは、モモはかなり楽しそうにしていたが、美穂子は見ている方が気の毒になるくらい真っ青になっている。
久は、乗ってすぐは智美の荒い運転におおっと、といった感じだったが、直に慣れたようで自分に必死にしがみついている美穂子をからいかい始めた。
「ねぇ、美穂子って絶叫系は苦手だったりする?」
……こくこく
「じゃあ、遊園地に行っても一緒にジェットコースター乗れないわねぇ。残念」
……うるうる
可愛そうな美穂子は、デートのお誘いのような久とのやりとりにも声が出なかった。

青木湖に到着すると、車酔いをした美穂子が具合悪そうにしている。ゆみもやや青ざめているが、運転手の智美と久はケロリとしていた。
久が美穂子を支えて、車から降ろし近くのベンチに腰掛けさせる。
「すみま……せん。少し休んだら……大丈夫ですから……」
「美穂子は私が見ているから二人は斥候で、ホタルがいるか見てきてくれないか」
「介抱するふりして、いたずらしちゃダメよー」
「……」
ゆみにしてみれば、訳の分からないことを言い残し、久と智美はホタルを探しに行く。


923 :長野三年’S 受験勉強編:2010/08/22(日) 14:50:09 ID:/je35mG3
美穂子の隣に座ったゆみが右手で背中をさする。
「大丈夫か」
「……ええ、何とか」
「すまないな。と、私が謝ることではないんだが」
「……うふふ」
美穂子が力なく笑ったその時、ブーン! 音をたてて飛んできた何かが美穂子の後頭部にとまった。
「きゃあっ!」
「おっと」
驚いた美穂子がゆみにしがみつく。ゆみは落ち着かせるように右手で背中をさすりながら、左手でそっと美穂子の髪の毛をまさぐり始めた。

「美穂子、大丈夫かしら……」
「ゆみちんがついてるから大丈夫だろ。そんなに気になるのかー、ワハハー」
「普通、心配するでしょう。友達なんだから」
「まーな。あ、ホタル! まだいるもんだなー。ワハハー」
ホタルが見つかったなら、早く教えに戻ろうと久は智美の手をひいて引き返す。
二人が戻ると、ベンチでゆみが美穂子を抱きしめ、頭を撫でている光景が目に飛び込んできた。
「ちょ、ゆみ、何してるのよ! いたずらしちゃダメって言ったじゃない!」
「へー、ゆみちんもやるなー。ワハハー」
騒ぎながら戻ってきた二人に気づいたゆみが、美穂子を抱いたまま声をかけた。
「なぁ、蒲原。三大カブトムシってネプチューンとヘラクレスと、後何だったんだ?」
そう言って振り返ったゆみの左手はカブトムシのオスをつまんでいた。

美穂子の気分も良くなり、皆でホタルを見つけた場所に向かう。
数は少ないものの飛び交うホタルを眺め、口に出る言葉とはうらはらにそれぞれが想いに耽っていた。
「わー、綺麗ねー」
――あー、さっきはビックリしたわー。まさか、美穂子の好きな人って…… まぁ、誰でもいいんだけど。何なの、このもやもやする感じは――
「ええ、とっても綺麗……」
――ホタル、久さんと一緒に見られて嬉しいなぁ。でも、こんなに近くにいるのに、久さんが遠くにいるように感じるのはどうしてなのかしら――
「ああ、来て良かったかもな」
――さっきの久の慌てようといったら。フフフ、案外、福路にも希望があるかもしれないな。うむ、ホタルも悪くない。今度はモモと一緒に――
「私の言った通りだろー。ワハハー」
――うん、ホタルはやっぱりホタルだな。恋の炎にも自分の魂にも見えないや。でも、みんな喜んでるからこれでいいかー。ワハハー――
いまいち集中できないホタル狩りもそれなりに楽しみ、またあの運転で4人は家路へと着いた。

家に着いたゆみが携帯を見ると美穂子からメールの着信があった。
勉強会が結局遊びになってしまい福路には悪いことをしたとな思いつつ、受信箱を開く。
――きょうはおつかれさまでした。みなさんといっしょにべんきょうができて、わたしもまなぶことがたくさんありました。それでじかいはいつになりますか。――

〈了〉

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年11月28日 19:29