宮崎駿

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宮崎駿 - (2008/08/17 (日) 22:58:41) の編集履歴(バックアップ)


 

宮崎 駿 【みやざき はやお】

 



アニメーター、アニメ監督、漫画家、デザイナー、作詞家。
妻は東映動画の同僚であったアニメーターの大田朱美。
東映動画→Aプロダクション→ズイヨー映像(日本アニメーション)→テレコムアニメーションフィルム→トップクラフト(スタジオジブリ)
漫画家を志望するも採用されず、東映動画へ入社する。動画担当の時期から既に作品内容に口出しをする生意気な新人であったという。組合運動に傾倒しながら「ホルス」「長ぐつをはいた猫」「どうぶつ宝島」など東映動画長編劇場ものの原画を務めた後、「ルパン三世」で大隈正秋演出の後処理として高畑勲と共同演出を行い、「パンダコパンダ」で原案・脚本・画面設定を担当。また高畑勲監督の下「ハイジ」「母をたずねて三千里」など名作シリーズのレイアウト、設定をこなしていく。
実力とアイディアをためこんだ宮崎は、大塚康生を作画監督に迎え、NHK初のテレビアニメシリーズ「未来少年コナン」を事実上の監督作品として作り上げ、視聴率はふるわなかったものの業界人およびアニメファンの大きな話題となる。
再び宮崎・大塚コンビで初の劇場アニメ監督作品「ルパン三世カリオストロの城」を制作、興行的には失敗するが、圧倒的な演出力を見せつけ、評価を確固たるものにして行く。
「風の谷のナウシカ」では一転してアニメファンのみならず一般的人気を獲得し、以後宮崎ブランド・ジブリブランドが広く認知されることになる。「千と千尋の神隠し」で興行成績は頂点を極め、ベルリン国際映画祭金熊賞、アカデミー賞長編アニメーション映画賞を受賞。世界的にも広く認知されていく。

「風の谷のナウシカ」が興行的に成功した原因には諸説あるが、ひとつには女性の取り込みを図ったことが挙げられる。ナウシカで初めて女性を主人公にした。王族の姫君でしかも勇ましい女性であり、これは女の子に受ける典型的なパターンである。また大塚康生ではなく小松原一男を作監にした。小松原は実力の格差などからあまり作品内容に貢献したとは言えないが、大塚よりは美形の画面栄えする女性キャラを描くことができた。当時「ナウシカは女の子向けアニメ」として認識していた子供も少なからずいた。女性が主人公であること、名作シリーズ的な画風であることが原因であろう。「コナン」「カリ城」で宮崎監督の人気がマグマのようにたまっていたということもひとつの要素として考えられる。

宮崎駿の最も大きな特徴として、超人的な作画能力がある。監督としてあらゆる作業をこなしながら、作監と協力して全ての作画をチェックする。いわば宮崎が作監、作監は作監補的な役割となる(安藤雅司は「チーフ・クリーン・アッパー」と自称した)。このような激務をこなせる演出力と作画力、作画速度、そして強靭な体力と精神力を具えた人物は他に全く見当たらない。アニメ夜話「未来少年コナン」に出演した大塚康生によれば、一話毎に膨大なスケッチボードを秒単位で描き、それが美術や背景にも配られ、事実上の「決定でしょう」と言う事らしい。また(高畑勲担当以外の)絵コンテも全て自分で描き直したそうである。大塚が午前9時頃から仕事を始めて翌日の午前3時頃に仕事を終えて家へ帰ろうとすると、宮崎に「もう帰るの?」と言われたとのこと。

後進の育成に関しては、よく「自分が自分が」と全てにわたって強く口出しをするために後継者が育たないと言われるが、確かにあまりに口出しをするためにスポイルされてしまう人材がいるとしても、何人もの有能な監督やアニメーターを輩出していることも事実である。要は強い個性と十分な実力を具えた人材であれば育てていくがそうでなければむしろ潰していく(その方が本人のためにもなる)という考え方があるのではないかと推測される。宮崎が関わった人材として、押井守、庵野秀明、惜しくも亡くなったが近藤喜文が挙げられる。

本人は否定(昔は白蛇伝の白娘にあこがれた時期はあったが1年後には卒業したと豪語している)するがロリータ・コンプレックスで知られ、「未来少年コナン」の第一話で大塚康生の手により田舎くさい顔にされてしまったラナを見て激怒し、以降基本的にラナの作画は多くが宮崎駿の手によりキャラクター修正されている。
また、ラナとコナンが小屋の階段を登るところをアオリで描くカットに対し、大塚が「パンツ見えるけどいいの」と宮崎に質したところ「何を言ってるんだ。いやらしいなあ。見えてもいい」と返答。また「コナンが先に上ればいいのでは」という大塚に対して「ラナが落ちた時に下から支えなければならない」と主張。結局、姿勢の工夫でラナのパンツは見えないことになったが、宮崎の作品作りの中に自分の趣味を滑り込ませる手法が垣間見える。
監督初期作品では「健気な美少女が悪党に拉致される→ヒーローが助けに行き奪還する」というパターンが何度も見られる。
「ルパン三世カリオストロの城」では、日本のアニメで初めて「ロリコン」という言葉がセリフに入れられた。近年は「千と千尋の神隠し」であまり可愛くない少女キャラを主役として認めるなど、自らロリコンを克服しようとするあがきも見られる。
宮崎駿がいなければロリコンはもっと少なかったのかといえばそんなことはないだろうが、児童ポルノ法などロリコンに対する社会的抑圧が強まる中、有名な監督がロリコンであることを精神的な支えとしている者が少なからずいると思われるのも事実である。

思想的には学生の頃より当時の学生のご多聞に漏れず社会主義思想に傾倒する。東映動画で出会った高畑勲の影響でさらにその思想を強固なものとし、東映動画労組で積極的に活動する。「コナン」「ナウシカ」「もののけ姫」などの作品には思想的影響が色濃く見られる。ただし、宮崎がインタビュー等で再三語っているように、テーマを言うことが目的ならそのテーマを紙に書いて貼っておけばいいのであり、作品内容的にも単純に図式的な思想で割り切れるものではなく、観客としても早合点をしないように注意が必要である。中国の天安門事件、ソ連崩壊などにより転向を余儀なくされたといわれるが、左翼→右翼へ寝返ったというものではなくエコロジーなどに軟着陸している。バブル以降変貌する日本の姿に苦言を呈する姿がよく見られ、特にコンビニに象徴される画一的な街の姿を批判することが多かった。司馬遼太郎との対談では、バブル崩壊で行き詰った日本経済に、今後日本は没落していくという予測を嬉々として語る姿も見られた。2ちゃんねるでは左翼、リベラル派が攻撃されることが多いが宮崎だけはなぜかそうした強烈な罵倒はあまり見られない。

息子の宮崎吾朗には複雑な思いを抱いており、「ゲド戦記」の制作について宮崎駿と鈴木敏之Pが原作者ル=グゥインの自宅を訪れた際のエピソードにそれがよく現れている。教育らしいことをしてやれなかった吾朗にチャンスを与えてやりたい、でも吾朗に実力があるわけがない、しかし俺が死ぬまでには息子を一人前に、いや息子だからと優遇したらスタジオの連中に示しがつかない…といった感情がない交ぜになって支離滅裂な態度を示していることが窺われる。「この時だけは宮崎駿を殴りたいと思った」という鈴木Pの発言にもその異常さが見て取れる。「ゲド戦記」の試写を見た後宮崎駿は「初めてにしてはよくやった」という感想を述べたが、NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で「初めてにしてはよくやった、というのは、演出にとっては侮辱だからね」という意味であることを自ら発言している。これも、一方で侮辱と取られる発言でありながら「次があり得る」という救いを残してもいて、複雑な思いがここでも現れている。



■わんわん忠臣蔵(1963年) 動画


■少年忍者風のフジ丸(1964年) 原画
初原画・・・しかし、一応まだ「原画手伝い」ということで、正式な辞令をもらうのはホルスのとき


■ガリバーの宇宙旅行(1965年) 動画 原画
ロボットが暴れて壊すところとかの動画・・・よく覚えてない(本人談)


■太陽の王子ホルスの大冒険(1968年) 場面設計・美術設計 原画
岩男のシークエンス。
氷マンモスのシークエンス。

岩男と氷マンモスはデザインとイメージボードも担当。


■長靴をはいた猫(1969年) 原画
ラストの追っかけ(大塚康生と入り乱れ)。


■空飛ぶゆうれい船(1969年) 原画
戦車とゴーレムの市街戦。


■ムーミン (1969年) 原画
大塚さんに頼まれて、1話から26話までの間に2本くらいアルバイトしたそう。
「何描いたかって、そんなの覚えてないですよ。戦車出しましたよ。カタカタカタって(笑)」と本人談。
23話

■どうぶつ宝島(1971年) アイデア構成 原画
シルバー船長がキャシーのいる部屋に飛び込んできて海に落ちるところ。
海賊船上での乱戦シーン。


■アリババと40匹の盗賊(1971年) 原画


■ルパン三世(1971年) 演出・原画
9話:
14話:ダンス
15話:トンネル、飛行機?
16話:小屋から脱出?
17話:アドバルン?
18話:暴れる五右衛門?
19話:
21話:ボロボロの汽車?
23話:線路~金庫?


■ユキの太陽(パイロットフィルム 1972年) 演出 絵コンテ


■赤胴鈴之助(1972年) 絵コンテ26話 27話 41話


■荒野の少年イサム(1973年) 原画 10話 15話
10話:ラストの撃ち合い?
15話:「小田部さんと半分づつくらい描いた記憶がある。キャラが似なくてねぇ(笑)」と本人談。

■侍ジャイアンツ(1973年) 原画 1話
「小田部さんとふたりで描いた」そう。

■パンダコパンダ/パンダコパンダ雨ふりサーカスの巻(1972年/73年)原案・脚本・美術設定・画面構成・原画


■アルプスの少女ハイジ(1974年) 場面設定・画面構成


■フランダースの犬(1975年) 原画 15話
15:


■母をたずねて三千里(1976年) 場面設定・レイアウト 原画 2話
2:


■あらいぐまラスカル(1977年) 原画 4話 5話 6話 10話 12話 13話 14話 15話 16話 17話 18話 19話 20話 21話 22話 24話 25話 26話 27話 28話
4:
5:
6:
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28:


■草原の子テングリ(1977年) レイアウト
大塚さんに頼まれてレイアウトを約1/3やったそう。


■未来少年コナン(1978年) キャラクターデザイン メカニックデザイン 絵コンテ 演出 場面設定


■赤毛のアン(1979年) レイアウト


■ルパン三世カリオストロの城(1979年) 監督・脚本・絵コンテ・レイアウト・原画
オープニングは自分で作画(一部?)

■ルパン三世【新】(1980年) 脚本・コンテ・演出・レイアウト・原画 145話 155話
155話の冒頭の数カット、自分で原画を描いているそう。


■風の谷のナウシカ(1984年) 原作・監督


■天空の城ラピュタ(1986年) 原作・監督


■となりのトトロ(1988年) 原作・監督
エンディングのスチル


■魔女の宅急便(1989年) 監督


■紅の豚(1992年) 原作・監督


■そらいろのたね(日本テレビスポットCM 1992) 監督


■なんだろう(日本テレビスポットCM 1992) デザイン原案・演出


■耳をすませば(1995年) 脚本・コンテ・プロデューサー


■On Your Mark(CHAGE&ASKA PV 1995) 監督


■金曜ロードショー OP(1997) 原作


■もののけ姫(1997年) 原作・監督
アシタカとサンがシシ神の首を頭上高く持ち上げるカット


■千と千尋の神隠し(2001年) 原作・監督


■ハウス「お家で食べよう。」シリーズ夏バージョン(CM 2003) 監督


■三鷹の森ジブリ美術館CM 原画


■ハウルの動く城(2004年) 監督
カルシファーと闇の精霊の件の原画(ノンクレジット)


■崖の上のポニョ(2008年) 原作・監督