Sakuga History

作画の歴史年表

アニメーションにおいて作画に関する技術的な発見や話題となった事を年表にしています。
編集はあくまで発起人個人によるものではなく、他のページ同様どなたでも可能ですのでお気軽に利用していただければ幸いです。
解説が長くなる場合、年ごとにページを分けることも検討しますので、まずは思いのまま書いてくださって結構です。

■資料
井上俊之 作画史観年表(pdf形式)









1950 「白雪姫」が日本で公開

1951 

1952 「ピノキオ」が日本で公開、記念してディズニー・公認ファンクラブ「ディズニー・クラブ」が設立、会誌「ディズニー・ジャーナル」が発行される、アニメスタッフの特集記事が組まれ、ウォルト・ディズニー以外のアニメーターがファンの間で注目される。

1953 

1954 

1955 

1956 

1957 

1958 

1959 

1960 

1961 

1962 

1963 この年は、日本のアニメーションを語る上でのエポックとも言える出来事が立て続けに起こった。
東映動画による劇場映画「わんぱく王子の大蛇退治」にて、作画時の原画担当者の絵柄を統一させる目的で日本初の作画監督制度が確立。作画監督としては森康二が担当。
また、手塚治虫が統括して製作した「鉄腕アトム」のTVアニメーション製作では、日本で初めてリミテッドアニメーションを導入。専ら製作費の低減を目的とした導入であった事を併せて語る必要がある事には留意して頂きたい。
更には同様の理由でバンクシステムも考案・導入されるなどした。

1964 

1965 「ジャングル大帝」にて、初のTV放送用カラーアニメーションが制作。

1966 

1967 

1968 

1969 

1970 

1971 

1972 

1973 

1974 宮崎駿が「アルプスの少女ハイジ」にて、全編のレイアウトを1人で担当し業界中で話題となる。レイアウトを監修する事によりカット毎のクオリティをコントロールする事が出来るレイアウト・システムが確立。同年、「宇宙戦艦ヤマト」がヒット。俗に言う第一次アニメブームが到来。現在迄に多くのアニメーターが作品に心を奪われ、アニメーターを目指す原動力となる。

1975 

1976 

1977 米国映画「スター・ウォーズ エピソード4」にて、ライトセイバーを使った剣戟は全てロトスコープ技法を利用してアニメーションと実写を違和感なく合成して利用された。

1978 

1979 「機動戦士ガンダム」がヒットし、安彦良和がスターアニメーターとして複数のアニメ誌で特集される。

1980 

1981 

1982 「金田伊功スペシャル」が発売。キャラクターデザイナーや作画監督としての活躍が主ではない、一原画マンとしてアニメーターのムック本としては異例の扱いで、当時を代表するスターアニメーターとして不動の地位を築いていることがよく判る。

1983 

1984 「BIRTH」が発売。

1985 湖川友謙「アニメーション作画法」が発売。以後、2010年頃までに何度かリニューアルされて継続して販売されており、アニメーター必携の技術入門書としての地位を確立している。

1986 「プロジェクトA子原画集」が発売。「原画集」としては原画を多数収録したムック本や同人誌などを除けばおそらく最初期のものである。(他に発行年不明だが「銀河漂流バイファム原画集」など)

1987 

1988 「AKIRA」公開。現在においても「作画アニメ」という観点において一つのメルクマール的な作品である。

1989 磯光雄が「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」第1話にて北極基地攻略シーンを担当。あまりにも緻密に計算されたメカの動きに業界内外から称賛の声多数。

1990 大張正己が「勇者エクスカイザー」にてグレートエクスカイザーのサンダーフラッシュ発動シーンで初めて「勇者パース」を考案。勇者エクスカイザー以前にも勇者パースらしきカットは存在するが技法として確立したのはこれが最初。以後、業界内外の様々な場所で使われている本技法はある意味≪お約束≫的な利用をされている。

1991 

1992 

1993 

1994 押井守「Methods」が発売。ハイクオリティ劇場作品などにおけるレイアウトシステムの確立を実証し業界内外に教え広めた名著であるが、映画的一辺倒な作りではアニメーション本来の魅力を損なうものとして、近年はこの本の内容を否定するアニメーター・演出家も現れ始めている。

1995 

1996 

1997 

1998 「ロスト・ユニバース」第4話で作画崩壊騒ぎが起こる。厳密に言えばこれ以前の作品でも作画の乱れを指摘するアニメファンは存在したものの、本作はパソコン通信によるファン交流が過熱していた時期と家庭内インターネットの普及が重なり、大きな騒ぎとなった。近藤喜文が死去。アニメージュでは追悼特集が大々的に組まれた。

1999 

2000 「人狼 JIN-ROH」が公開。WEBアニメスタイルが運営開始。WEB上でアニメ関係者のみをクローズアップした最初の専門サイトとして、現在まで続く不動の地位を得ている。GAINAXが自社の作品の原画集として「新世紀エヴァンゲリオン原画集」を発売。これ以前は同人誌を除けば「原画集」と銘打って発行されたアニメのムック本は殆ど存在せず、後の原画集ブームの先駆けともなった。小松原一男が死去。

2001 国産初のオーディオコメンタリー収録アニメ「R.O.D」で早くも監督が一部原画マンのパートを解説している。

2002 「機動戦士ガンダムSEED」がヒット、キャラクターデザインの平井久司がブレイク。作画ブーム冬の時代とも言える当時既にアニメ誌では原画等が掲載されることはほぼ無くなっており、アニメーター個人の特集なども極めて少なくなっていたが氏に関しては絵柄の美麗さも相まって大々的に取り上げられた。「NARUTO」放映開始。

2003 PS2「半熟英雄対3D」が発売。金田伊功がOP監督として参加し、1998年のスクウェア入社以降表舞台に立つことがなかった金田自身による久々の一本纏まった仕事が大いに話題となる。

2004 

2005 

2006 Youtubeによる作画MADの普及。「涼宮ハルヒの憂鬱」のヒットが口火となり、京都アニメーションの一様の作画レベルの高さが大いに話題となる。GAINAXが「トップをねらえ2!」の原撮をHP上で公開する「作画の鬼ッ!」コーナーを開設。

2007 春から「電脳コイル」「天元突破グレンラガン」の2大作画アニメが放映。WEB上で大いに話題となり、本格的な作画ブームが到来。逢坂浩司が死去。

2008 ボンズ制作によるアニメーター評価ファイルがネットワーク上に流出する事件が起こる。スタジオジブリ・レイアウト展が開催。

2009 「けいおん!」がヒット。新光社の「アニメーションノート」が14号を以って廃刊。アニメーション工程の内幕を知る上で貴重な雑誌だった。金田伊功が死去。

2010 

2011 「月刊アニメスタイル」復刊。出崎統、荒木伸吾が死去。

2012 「ももへの手紙」「虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜」の2大劇場作画アニメが公開。新井淳「いまだから語れる80年代アニメ秘話~スーパーロボットの時代~ 」が発売。「アニメスタイル001」が2度のリニューアルを経て復刊。

2013 国産TVシリーズとしては初の試みとなった全編ロトスコープによる作画を導入した「惡の華」が業界関係者、作画ファン、アニメファン含め大いに話題になる。





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最終更新:2013年05月15日 18:12