故人。アニメーター。1931(昭和6)年7月11日〜2021(令和3)年3月15日。享年89歳。
島根県出身。師匠は、森康二、大工原章。
東映動画→Aプロダクション→シンエイ動画→テレコム・アニメーションフィルム
幼い頃より絵とメカが好きで、機関車やジープを描いたスケッチブックからは到底子供のものとは思えない観察力が見て取れる。中学生時代には家出と放浪を繰り返しながら機関車のスケッチを、戦後は進駐軍のジープをスケッチしていた。アニメーターになる前の厚生省麻薬取締官時代に銃を扱っていたことから銃器にも詳しく、ルパンがワルサーP38を使うなどの設定は大塚オリジナルのもの。「ルパン三世ぴあ」には、大塚が車の描き方(パースのとり方、要領のいい描き方など)を解説した絵が掲載されており、大塚のメカ観を窺うことができる。
新聞広告にて「白蛇伝」の制作を知ると、日動のスタジオを訪れその場で適正テストを受験。これに合格し練習生となり、日動からの推薦という形で1956(昭和31)年に東映動画の第一期生となる。同期に紺野修司、中村和子らがいる。動画として数本の短編に参加した後、「白蛇伝」で大工原班の第二原画に抜擢される。また「白蛇伝」の作業の後半には原画を描いている。その後「西遊記」「アラビアンナイト・シンドバッドの冒険」などで原画を描き、「わんぱく王子の大蛇退治」で月岡貞夫と共同で担当した大蛇退治のシーンは伝説となり後のアニメーターに多大な影響を与えた。そして「太陽の王子 ホルスの大冒険」で作画監督を担当。狼の襲撃や岩男モーグのシーンの岩石、大カマス退治のシーンで再び伝説を作る。その後は「長靴をはいた猫」に参加し「ルパン三世」制作のため、1968(昭和43)年、東映動画を退社し、Aプロダクションに移籍する。
Aプロ移籍後は、「ルパン三世」のパイロットフィルムの原画や「ムーミン」の作画監督を担当。「ムーミン」では大塚氏には向いていないと思われていた牧歌的な世界観を表現し、高畑勲、小田部羊一、宮崎駿がAプロに移籍するきっかけを作る。その後は、パイロットフィルム制作から2年後「ルパン三世」で作画監督を担当。「ルパン三世」では、本格的に劇画調に挑戦し(すでに『巨人の星』のOPを作画している)、以後劇場作品やTVスペシャルに至る多くのルパンシリーズに関わり、果ては自作漫画まで描くというライフワーク的な作品となる。その後も「パンダコパンダ」の作画監督を小田部羊一と共同で担当し、「侍ジャイアンツ」で作画監督を務めるも、長浜忠夫と演出に対する考えが食い違い「だれかほかの人に頼んでください!」と言って降板する。(ただ、各話キャラクターデザインの作業は続けた)
その後は少しアニメ業界から離れ原画のみを担当していたが、「草原の子テングリ」では4年ぶりの作画監督と初めての演出を担当。その後、旧知の仲の後輩宮崎駿に乞われ、「未来少年コナン」で日本アニメーションに出向し作画監督を担当。その後はシンエイ動画の「ドラえもん」に参加する予定だったが、東京ムービー社長の藤岡豊に誘われ、1978(昭和53)年、テレコム・アニメーションフィルムに移籍することになる。
テレコム移籍後、新人の養成をすることになったが、アニメーションの素人ばかりを集めていたテレコムには、戦力になるアニメーターがいなかった。そこで大塚氏は新人に「ルパン三世」などで実践経験を積ませながら、友永和秀、田中敦子、宮崎駿などのアニメーターを連れてきて「ルパン三世 カリオストロの城」で再び宮崎駿監督作品の作画監督を務める。その後は、「じゃりん子チエ」(劇場版)の作画監督、「東海道・四谷怪談」の演出を務めた後はテレコムの新人教育、執筆活動、趣味のジープ関連、講演活動、作品の監修などが多くなっている。後進の指導にも熱心で、東映アニメーション研究所講師、代々木アニメーション学院顧問講師を務め、早くから台湾のアニメスタジオでの教育も行っている。ジブリの新人研修も行っている。
労働運動にも熱心で、東映動画時代は労組初代委員長、第2次労組の2代目書記長を務めた。
近年まとまった作画はないが2007(平成19)年のルパン三世TVSPでアイキャッチを作画し話題になった。
宮崎駿によれば、仕事の最中に、逃亡・旅行に行くことが度々あったという。
東映動画の創成期から活躍しており、激しいアクションやエフェクト、大袈裟な芝居を得意とする。宮崎駿、小田部羊一、高畑勲らとともに日本のアニメ史の中で最も良心的な部分を支えてきた人。「アニメは動き」をモットーに、止め絵の美しさより動かすことを最優先に考える。
■こねこのらくがき(短編/1957年) 動画(NC)
熊のおじさんが子猫の首をつかんで壁の向こうに消えると、尻尾に空き缶をくくりつけた2匹のねずみが右からインしてきてのぞくフルショットの動画が本番での初仕事(作画汗まみれより)
■ハヌマンの新しい冒険(短編/1957年) 動画(NC)
バンコクのアメリカ大使館から東映が受注したタイ向けの反共映画。(作画汗まみれより)
作業の後半は、カットによっては(大工原章が)サッと描いたラフ原画を原画にし、(撮影)伝票を付けてチェックしてもらうという作業体制になっていたとのこと。(同上)
厄介そうなカット、カメラワーク、枚数が多いカット、自然現象や群衆のカットなどの人がいやがるカットを多く描いてアニメーションの勉強をしていた。(同上)
孔雀が優雅に羽をふるわせながら開くカットの動画を担当。(同上)
■かっぱのぱあ太郎(短編/1957年) 動画(NC)
■夢見童子(短編/1958年) 動画(NC)
■白蛇伝(劇場/1958年) 動画(第二原画)、原画(NC)
会社上の職種としては動画のままではあるものの、「第二原画」という役職に付き、原画のクリーンアップ、撮影伝票の整理、原画と原画の間のむずかしいポーズを出来るだけ書いて動画にまわし、動画完了後の細部の検査を行い仕上げに渡すという作業を大工原班にて担当。(作画汗まみれより)
主に自然現象やナマズ、法海和尚などを担当している。(同上)
愚連隊の豚がハンマーで石頭のパンダを地面に打ち込むシーンのフルサイズ・ショットの動画を多く担当。(同上)
巨大ナマズが泳ぎ回るシーンの動画を担当。(同上)
大ナマズのカットは大工原章のラフなしで、白紙から原画をおこしている。上に乗っている少青は中村和子と大工原章の担当。(同上)
ナマズのシーンは本物のナマズをスタジオに2~3匹持ち込んで観察した上で作画されている。(同上)
荒波や暴風雨の中で闘う法海和尚のシーンの原画を担当。(同上)
作業の終わりごろには実質的に原画を担当していたが、役職は動画のままだったとのこと。(同上)
大洪水のエフェクトなどの原画を担当。(太陽の王子 ホルスの大冒険と東映長編まんが映画の世界より)
■たぬきさん大当り(短編/1959年) 原画
■熊と子供たち(短編/1959年) 原画
バンコクのアメリカ大使館から東映が受注したタイ向けの反共映画。(作画汗まみれより)
楠部大吉郎と共同で3分の2の原画を担当。(残りの3分の1は芦田漫画映画製作所に外注)(同上)
アメリカ大使館の指示でリテイクになった部分の修正も担当している。(同上)
■少年猿飛佐助(劇場/1959年) 原画、第二原画(NC)
主にオバケ山椒魚や水、チャンバラの立ちまわりなどを担当。佐助の顔は大工原章の修正が入っている。(作画汗まみれより)
夜叉姫が佐助の術に敗れ、骸骨になって湖上を飛んで逃げるシーンを担当。(同上)
初期は大工原章のラフなレイアウトを原画化していたが、作業の中盤からは1から原画を担当している。(同上)
並行して白蛇伝と同じく大工原班の第二原画の仕事も担当。(同上)
■西遊記(劇場/1960年) 原画
金角銀角のくだり、さそりと闘うシーン、火焔山での闘牛をモチーフとした牛魔王との決闘、火焔山の溶岩シーンなどを担当。(作画汗まみれより)
大塚が担当した悟空がさそりの鋭い尻尾とフェンシングで闘うカットは、動画段階で月岡貞夫がよりオーバーな絵(原画に相当する)を足している。(同上)
火焔山での牛魔王との決闘は、部分的に月岡貞夫が描いている。(WEBアニメスタイル 東映長編研究 白川大作インタビューより)
牛魔王が三蔵法師一行を捕えて、彼らを天井からぶら下げ、魔物たちが饗宴をくりひろげる怪奇なシーンは、楠部大吉郎、杉井儀三郎、永沢詢、月岡貞夫、大塚康生の各氏が共同で担当している。(同上)
■安寿と厨子王丸(劇場/1961年) 原画
人魚が5色の泡のなかで踊るシーン、ネズミのチョン子の日本舞踊のシーンを担当。(作画汗まみれより)
大蜘蛛退治や殺陣を担当。(日本アニメーションを築いた人々 新版より)
人魚となった侍女、波の渦潮エフェクトを担当。(太陽の王子 ホルスの大冒険と東映長編まんが映画の世界より)
■アラビアンナイト・シンドバッドの冒険(劇場/1962年) 原画
全編の自然現象(波や嵐)、親子のクジラのシーンや嵐の海、船のシーンを担当。(作画汗まみれより)
■わんぱく王子の大蛇退治(劇場/1963年) 原画
月岡貞夫と共同で大蛇退治のシーンの3分の2の原画を担当。(作画汗まみれより)
共同でヤマタノオロチの頭部デザイン、芹川有吾のラフコンテをもとに担当パートをストーリーボードに描き直す作業も担当している。(同上)
■狼少年ケン(TV/1963年〜1965年) 原画 10話 12話 13話 14話
10:一人原画「月世界の男」
12:一人原画「おばけ嫌い」
13:一人原画「ピストル騒動」
14:一人原画「ジャングル最大の作戦」
24:高畑勲のコンテの清書を担当。(NC)(叶精二氏のtwitterより)
■少年忍者風のフジ丸(TV/1964年〜1965年) 原画 話数不明
■ガリバーの宇宙旅行(劇場/1965年) 原画
ロケット打ち上げ前後のミュージカルを担当。(日本アニメーションを築いた人々 新版より)
■W3(TV/1965年〜1966年) 原画 OP(NC)
東映時代の同僚であり当時虫プロのアニメーターであった中村和子の愛車を壊してしまい、お詫びに手伝いとしてOPの原画を担当した。(TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜より)
■ハッスルパンチ(TV/1965年〜1966年) 作画監督 2話(共同) 8話 原画 1話
■サイボーグ009(劇場/1966年) 原画(NC)
原爆のシーンのラフ原画を4枚ほど。(大橋学公式サイト氏のtwitterより)
■巨人の星(TV/1968年〜1971年) 原画 OP(NC)
ムーミンの作監の仕事が終わった後に、別の仕事が入ってこないかぎり原画を手伝っていたようだが話数は不明。(作画汗まみれより)
■太陽の王子 ホルスの大冒険(劇場/1968年) 作画監督 原画(NC)
演出の指示のもとに各原画の修正を担当。(作画汗まみれより)
高畑勲と共同でコンテも描いている。(同上)
原画としては岩男の手が上がってから肩の剣を抜くまでを担当。(同上)
序盤の狼の襲撃や大カマス退治の原画も担当。(日本のアニメーションを築いた人々より)
他にも、狼たちとホルスの格闘(奥山玲子、宮崎駿、小田部羊一と共同)、立ち上がる岩男〜ホルストの会話、タイトルバック(阿部隆と共同)、砂浜に着く〜大ワシに攫われるホルス(林静一、大田朱美と共同)、山岳地帯を飛ぶ大ワシ、滑落するホルス〜斧を投げるホルス、斧のロープにぶら下がるホルス、崖を登るホルス、頂上に現れるグルンワルド〜対峙〜突き落とされるホルス(林静一、菊池貞雄と共同)、滝壺に向かうホルス〜ホルスの斧が命中し水中に沈む怪魚、水底で復活する怪魚〜怪魚絶命〜崖上の銀色狼を見るホルス、漁撈・収穫の唄〜ホルスとコロの再会(宮崎駿、小田部羊一、奥山玲子と共同)、ホルスを探すフレップとコロ〜グルンワルド襲来〜怯えるドラーゴ〜ポトム「どうしようガンコ爺さん」(奥山玲子、菊池貞雄と共同)、迷いの森で苦しむホルス〜村人・父・ヒルダの出現〜分裂するヒルダ(森康二と共同)、洞窟の向こうの氷の城〜グルンワルド対ホルスの空中戦〜「ヒルダは死んじゃったの?」泣き崩れるチロを担当。(叶精二氏のtwitterより*)
ホルスやコロ、フレップ、村長、ボルド、グルンワルドの手下たちのデザインも担当。(太陽の王子 ホルスの大冒険と東映長編まんが映画の世界より)
迷いの森のシーンは、ホルス・グルンワルド・父・村人・樹根・水など全体は大塚康生が担当し、ヒルダのみ森康二担当。(叶精二氏のtwitterより**)
冒頭の狼とホルスの闘争は、大塚康生、宮崎駿(斧の投擲・疾走)、小田部羊一(とぐろ状の狼)の各氏が入り乱れ(同上**)
■長靴をはいた猫(劇場/1969年) 原画
魔王の変身ショー、城内の追っかけから魔王の城の崩壊までのシーンの原画を担当。(太陽の王子 ホルスの大冒険と東映長編まんが映画の世界より)
上記のシーンの内の追っかけのシーンは宮崎駿と共同で担当。(同上)
各原画でストーリーボードも担当。(作画汗まみれより)
東映動画での最後の仕事。(同上)
■ルパン三世(パイロット/1969年) 原画(NC)
全体的な監修役も担った。(ルパン三世 PART1 絵コンテ集より)
絵コンテの一部と原画も担当している。(同上)
道路を走るベンツSSK、街を走るベンツSSK〜飛び降りるルパン、崖に落ちるベンツ・スコープに映るベンツ、山小屋の爆発、崖下で爆発する車、リボルバーに弾を詰める次元〜銃をベルトに戻す次元、雑誌の下から狙撃する不二子、夕陽の中を走るバイク〜風呂場に突入、狙撃する不二子〜笑う不二子、不二子を襲って返り討ちに合うルパン、波間を走る五ェ門〜滝に打たれるなどの原画を担当。(同上)
街を走るベンツSSK〜飛び降りるルパン、車の爆発、山小屋の爆発、仲間に計画を披露するルパン、リボルバーに弾を詰める次元〜銃をベルトに戻す次元、時限爆弾をセットするルパンと次元〜爆発、雑誌の下から狙撃する不二子、囚われた不二子、不二子を襲って返り討ちに合うルパン、波間を走る五ェ門〜滝に打たれる、囚われた不二子などの絵コンテを担当。(同上)
■空飛ぶゆうれい船(劇場/1969年) 原画(NC)
ラスト近くに出現する「マシンダコ」の原画を担当。(太陽の王子 ホルスの大冒険と東映長編まんが映画の世界より)
■ムーミン(TV/1969年〜1970年) 作画監督 1話〜26話(共同)
■どうぶつ宝島(劇場/1971年) 原画(NC)
シルバー船長によるキャシーの襲撃シーンの原画を担当。(太陽の王子 ホルスの大冒険と東映長編まんが映画の世界より)
■天才バカボン(パイロット/1971年) 原画(NC)
放映時は第32話「スキーがなくてもヤッホーなのだ」として放映された。(作画汗まみれより)
■ルパン三世(TV/1971年〜1972年) 作画監督 全話
■ど根性ガエル(TV/1972年〜1974年) 原画 話数不明
一時期作監をやっていた。(WEBアニメスタイル アニメの作画を語ろう animator interview 大橋学より)
■パンダコパンダ(劇場/1972年) 作画監督(共同)
パパンダとパンちゃんのデザインを担当。(日本のアニメーションを築いた人々より)
■パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(劇場/1973年) 作画監督(共同) 原画
■侍ジャイアンツ(TV/1973年〜1974年) 作画監督 全話
実際は途中で作監を降板し、キャラデザのみ担当。
■ガンバの冒険(TV/1975年) 原画 話数不明
■母をたずねて三千里(TV/1976年) 原画 1話(NC) 42話(NC)
1:トニオとマルコの乗馬のシーンの原画を担当。(叶精二氏のtwitterより)
42:マルコとパブロがアルマジロを捕まえようとするシーンの原画を担当。(同上)
具体的な内容は不明ながら、宮崎駿に頼まれて極秘で原画を手伝っているとのこと。(宮崎談)
宮崎駿が「テングリ」のレイアウトを手伝ったのは、このときの借りを返すため、ということらしいです。
■元祖天才バカボン(TV/1975年〜1977年) 原画 121話(61回B) 139話(70回B) 151話(76回B)
121話(61回B):一人原画「バカタレ菌の天才なのだ」
139話(70回B):一人原画「おまわりさんのシンマイなのだ」
151話(76回B):一人原画「おどろ木ももの木不思議な木」
■草原の子テングリ(短編/1977年) 演出・作画監督
■おれは鉄兵(TV/1977年〜1978年) レイアウト 話数不明
「未来少年コナン」参加のため序盤で降板。
■未来少年コナン(TV/1978年) 作画監督 全話、原画 1話(NC) 6話(NC) 8話(NC) 24話(NC)
1:走っていたモンスリーとクズウがラナを見つけ、急停止するシーンの原画を担当。(よよよのなべた氏のtwitterより)
6:変装がレプカにバレたダイスがロボノイドでラナを連れて走るシーンの原画を担当。(同上)
8:コナンが手枷を外そうとするシーンの原画を担当。(同上)
24:ギガントの上で走るコナンのシーンの原画を担当。(sakugabooruより)
■ルパン三世(劇場/1978年) 監修
「監修」とあるがこの作品にはアニメーターとして関わってはいない。
■ルパン三世(TV/1977年〜1980年) 作画監修(NC)、原画 145話(NC)
72:テレコムの新人が未熟であったため、事実上の作監的作業を行う。(作画汗まみれより)
145:ルパンと次元が護送者に放り込まれ銭形に身ぐるみ剥がされるシーンから五ェ門が桟橋を斬るシーンまでの原画を担当。(叶精二氏のtwitterより)
151:登場する車の設定を担当。(遠藤正明氏のtwitterより)
■ルパン三世 カリオストロの城(劇場/1979年) 作画監督
■じゃりン子チエ(劇場/1981年) 作画監督(共同)
小田部羊一と共同で作画監督を担当。
小田部がチエとお母さん、猫の小鉄たちを主に描き、大塚はその他のキャラクター(テツなど)を担当していた。(作画汗まみれより)
高畑勲のコンテの清書も担当。(叶精二氏のtwitterより)
■姿三四郎(TVSP/1981年) 原画(NC)
村井半助との対決シーンの原画を担当。(WEBアニメスタイル もっとアニメを観よう うつのみや理のベスト20より)
■東海道・四谷怪談(TVSP/1981年) 演出(鈴木一名義、共同)
■名探偵ホームズ(TV/1984年〜1985年) 原画 5話(NC) 10話(NC)
5:モリアーティ教授が「踏み潰してやる~」と言いながらホームズたちを大型車で追いかけるシーンの原画を担当。(遠藤正明氏のtwitterより)
10:プロペラを回すあたり、ハドソン夫人のカーアクションのシーンの原画を担当。(twitter***より)
制作は1981年〜1982年
■The BLINKINS, The BEAR and The
BLIZZARD(TVSP/1986年) Supervising Animation Director(YASUO
OTSUKA名義)
■Galaxy High School(TV/1986年) Key Animators
(KOHSEI OHTSUKA名義) 2話 7話
■ルパン三世 風魔一族の陰謀(劇場/1987年) 監修
絵コンテ担当パート:冒頭風魔が式を襲撃し、坪を奪い、紫をさらって去るまで
車中の銭形~ルパンとの再会、山道・川底・橋のカーチェイス
深夜の機関庫での人質取引
後半、黄金城内部のガスでルパンが変化~その場を脱出
ルパンたちを見送る墨縄老人と銭形、立ち去るルパン一行、歩く五エ門のロング(最終カット)
(叶精二氏のツイートより 1,2)
■LITTLE NEMO(劇場/1989年) Story Skeych Story
board(Yasuo Otsuka名義) 原画(NC)
ニモが自宅に帰って夢のなかで冷蔵庫から溢れ出た水に襲われるシーン、ゴブリンのキャラクターのまとめとそのシーンの原画を担当。
■おじさん改造講座(劇場/1990年) 原画
■天外魔境 自来也 おぼろ変 上之巻(OVA/1990年) 作画監修
■天外魔境 自来也 おぼろ変 下之巻(OVA/1990年) 作画監修
■緊急発進セイバーキッズ(TV/1991年〜1992年) メカニカルデザイン監修
■ルパン三世 ナポレオンの辞書を奪え(TVSP/1991年) メカデザイン監修
■おざなりダンジョン 風の塔Ⅰ
よろしくプレリュード(前奏曲)(OVA/1991年) エンディング・アニメーション
■おざなりダンジョン 風の塔Ⅱ まだまだカプリッチオ(狂詩曲)(OVA/1991年) エンディング・アニメーション レイアウト
■おざなりダンジョン 風の塔III
おまたせコーダ(終章)(OVA/1991年) エンディング・アニメーション レイアウト
■ドン・キホーテ 七つの水晶の物語(LD/1994年) アニメーション監修
■ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス(劇場/1995年) 協力
■ESSO/ルパン三世篇(CM/1995年) 作画監修(NC)
■デジモンアドベンチャー02
前編 デジモンハリケーン上陸!!/後編 超絶進化!!黄金のデジメンタル(劇場/2000年)
エンディングイラスト
■無敵看板娘(TV/2006年) エンディングアニメーション
■ルパン三世 霧のエリューシヴ(TVSP/2007年) 特別参加(アイキャッチ)