●保守の4つの観点と人間観
前回の復習を簡単にしようと思います。
右派と左派の人間観には根本的な相違がある。つまり「人間の理性によって社会は進歩し、合理的に理想社会を構築」できるか否か、それが重要な視座です。
であるから、何か個別具体的な政策、たとえば憲法改正するか否か、外国人参政権を認めるか否か、が「保守」の定義ではありえないということです。
さて、ためしに「保守」という単語を辞書で引いてみましょう。
「既存の価値、制度、信条を根本的に覆そうとする理論体系が現れたときにこれに対するイデオロギーとして形成される」(ブリタニカ国際百科事典より)。
かなり簡潔に、しかも正確に言い表せていると思います。
いっぽうで『広辞苑』では「現状維持」だとか「固守」という言葉が用いられており、あまりにも誤謬だらけなので、ここには載せません。
では、保守主義とひとくちに言っても、いったいどのようにとらえればいいのか――おおよそ以下の4つの観点があります。
①懐疑…人間の理性や、それに基づく社会の変化・変革・改革を疑う
②漸進…急進的・過激的方法を排除して、一歩一歩ゆっくりと前進する
③全体…有機体としての共同体・社会体の仕組み、秩序
④伝統…歴史を通じて広大に伝えられ、受け継がれていく
①の懐疑は前回も言及したとおりですが、「保守」にとって、人間の理性はモンテーニュの言葉を借りれば「諸刃の剣」です。そして反進歩主義ですから、あらゆる社会の改革にも慎重な姿勢をとります。ただし、何でもかんでも反対という反動主義ではありません。
次、②の漸進ですが、「改革に対して慎重」であるのに、「現状維持(反動的反対)」でもないのだから、慎重に改革を進めるためには、何事もゆっくり、一歩一歩、足元を確認しながらでないといけません。
なぜ改革が必要か。理想社会が実現しないということは、現在の社会もむろん様々な欠陥を抱えています。ならば、常に変えるべき部分があるということなのです。バークの言葉にも「保守するための改革」というものがあります。自由主義者のハイエクにしても、改革に対してかなり慎重になりながらも、「ルールの不確定の部分」などについては、これを明確化するために改革を容認しました。
そして、③の全体。ある部分を機械の部品のように入れ替えれば、それで万事解決とはいかず、部分を変えれば全体に影響を及ぼします。有機体とはそういうことです。たとえば、郵政民営化を断行すれば論理的には確かに政府の支出は抑えられ、かつより合理的になります。しかし、かかる政策の予期せぬ”副作用”が表出したのはご存知のとおりです。
最後に④の伝統です。人間の理性は頼りなく、理想社会は実現しない。でも現在においても我々の社会は多くの問題をかかえている。であるなら、常にゆっくりとした改革が必要。では、「保守」は何に頼って改革をしてゆけばいいのか。それこそが祖先が長い年月をかけて守ってきた伝統や慣習といった、時の風雪に耐えた社会的な経験値に他なりません。暗黙知といってもよいでしょう。「保守」はこれらに依拠しようではないか、ということになります。
ところで、バークは偏見こそ、大事だといいます。これは一見変な考え方ですよね。
たとえばイギリスを例にとってみると、貴族、つまりブルジョワジーの特権的地位まで擁護してしまうのですから。偏見や特権の擁護は確かに合理的ではない。合理的ではないけれど、それが合理的ではないからという理由で歴史的な制度を破壊してしまえば、混乱に陥ると主張しました。そして彼の予言どおり、フランス革命後のフランスはジャコバン派の恐怖政治、ナポレオンの出現といった大混乱をもたらしました。
アメリカ独立戦争やイギリス名誉革命とフランス革命はどのように違ったのでしょう。バークは、フランス革命は暴力と怒りによる、単なる権力の破壊であったと述べています。アメリカやイギリスの場合はそうではなくて、もともと存在した社会秩序を下地に新しい権力を創出しました。だから、両者の革命に対して、異なる態度をとったのでしょう。
話を元に戻しましょう(別に脱線したわけではありませんよ)。「保守」の人間観をまとめると、こうなります。
懐疑主義的人間観に基づく理想社会の断念し、人間の不完全性・複雑性を認識し、理性の限界を直視します。換言すると、最も理性的な人間は理性の限界に気がつける人間です。今まで何度も述べてきましたが、ゆえに、完全な理想社会の構築を断念し、人間の精神のあり方を「合理性」に集約する近代主義への懐疑を持ちます。
保守の寄る辺は伝統です。広義には、人智を超えたもの、自生的秩序や歴史的制度、常識、あるいは神なども含まれます。社会の進歩といった希望的・楽観的観測ではなく、人間が歴史的に蓄積してきた社会的経験値を重視し、歴史の風雪に耐えた社会制度に内包された「潜在的英知」を信頼しましょう、というです。
エミール・ファゲは保守をこう言い表しています。「後ろ向きの預言者」と。過去に遡及による前進です。つまり、後ろ向きのまま、過去起こった出来事や今まで続いている制度(ルール)を常に参照しつつ未来に向けて歩をとめず、足を動かす、ということです。
加えて、「保守」は左派のような「抽象的人間」を想定しません。古くはホッブズやロック、ルソーらが想定した「自然状態」。わりと最近では政治哲学におけるロールズの「原初状態」です。これらは人間をその個々人の属している共同体や信仰している宗教といった条件から、親や兄弟、友人たちとの関わりさえも、一切無視した空想上の状態を前提とします。
しかし、「保守」はそうではなく、むしろ日本の田中さんとか、アメリカのトムとかいった「具体的人間」を想定します。
人間は共同体・宗教・人間関係などの、ある意味「制約・限定性」を重要で、言ってみれば、我々は親を選べませんし、文化や言語までも選ぶことも困難です。チェスタートンは「絵画の本質は額縁にある」と表現しましたが、人間も自分自身をしばっているもの(所与の条件)にこそ、自分があるといえましょう。
少々、難しい話が続いたかもしれませんが、今回の論考ではだいたい同じようなことを繰り返し述べているとお気づきだと思います。「保守」という綺麗な円を描くことは困難ですが、今までの内容から「保守」のエッセンスを汲み取って頂けたら、幸いです。
2011年
05月07日
00:43
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西洋の保守主義についてとてもわかりやすく解説されていると思います。
ただ欧米と日本では国体が全く異なりますので、日本の特殊性を加味にて論を進めるとより深化されたものになるように思いました。
次回も楽しみにしています。
2011年
05月07日
01:02
2: あじゅコメント返信ボタン
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1 尊皇ファミリー@ポス部中尉さん
ありがとうございます。
後々、日本については書くと思うので、それまでお待ちください。
2011年
05月08日
14:41
3: コメント返信ボタン
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現在の日本の保守とは、日本会議・チャンネル桜に代表される護国のための行動や言論活動であり、my日本も特に最近は、日本会議・チャンネル桜と歩調を合わせて様々な活動を行っており、私はそれを大変に嬉しく有り難く思っている者です。
一方、あじゅさんが、勧める中島岳志という「週間金曜日」という左翼メディアの編集者が最近やっていることは、「西洋保守主義」の定義を金科玉条の如く振り回して、結局は日本会議・チャンネル桜などを批判することであり、あじゅさんが、そうした方向へと行かないことを私は希望します。
私達の倒すべき敵は、「週間金曜日」などに代表される日本を蝕む反日左翼そのものですから。
2011年
05月08日
15:10
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一年以上前の話になりますが、my日本に怪しい陰謀論が流布しており、my日本管理人様までが半ばそれに引っ掛かっていたことがあり、私の方で(状況が見えていない考えの浅い人達から様々に批判されながらも)必死に陰謀論者を排除したことがありました。
私が特にこれは見過ごせないと思ったのは、そうした陰謀論者が、チャンネル桜を叩いてmy日本参加者を桜から引き離す下心を持っていたからです。
同様にして、強力な自民党支持者を装いながら、実は日本会議を中傷する「月夜とピノ子」という怪しい人物を排除したこともありました。
あじゅさんの意図が、彼らと同じとは思いませんが、先のコメントに書いたとおり、「西洋保守主義」の定義を金科玉条として日本会議・チャンネル桜に代表される日本の保守を叩く方向に万一にも走らないように宜しくお願いいたします。
2011年
05月08日
18:49
5: あじゅコメント返信ボタン
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4 敬神愛国◆my日本健全さを守る有志の会さん
確かに中島岳志に以前お会いしたとき、「チャンネル桜などに冷や水を浴びせるのが、わたしと佐伯先生(京大)の役目」的な発言をされていました。私もそれはそれとして、意味のあることだと思っています。なぜなら、保守も自らを顧みる事ないままでいるのはマズイからです。
とはいえ、中島氏と私の意見は同じではありません。おっしゃるように、ちょいと叩きすぎな面があるからです。私はむしろチャンネル桜とも関係の深い、西部さんや富岡さんに近い立場ですので、安心してください。
最終更新:2019年08月09日 20:15