千秋の日記
ひとしきり笑った後、藤岡が時計を見た。
「おっと、もう3時か…」
「3時…あっ!そうだ!」
私は今日のために焼いたクッキーの事を思い出し、鞄から取り出した。
「藤岡、昨日たまたまクッキーを焼いたんだ。食うか?」
「そんなのがあるの?…それは千秋ちゃんが焼いたの?」
「おぉ、私が作ったんだ。あ…ありがたく食べるんだぞ!」
「うん!……えっと…」
「…どうした?」
「いや、手が…」
そうか…藤岡の両手は、私を抱きかかえているのでふさがっているんだった。
私はクッキーを一つ取り、藤岡の口元へ運んだ。
「藤岡、口を開けろ。あーんだ。」
「こ…こうでいいかな?」
私が藤岡の口元にクッキーを運ぶと、クッキーをくわえ食べ始めた。
「ど…どうだ?」
「うん!美味しいよ!売ってるのより全然美味しい!」
「そ…そうか!よし、もっと食え!」
そう言って私は、藤岡の口へどんどんクッキーを運んでいった。
そしてあっという間にクッキーは無くなってしまった。
「これで最後の一個だ。心して食すんだぞ!」
「わかった、最後の一つ…いただきます!……あむっ…!」
「……わっ!バ…バカ野郎!!人の指まで咥える奴があるか!」
「え…?あははっ。」
「あはは…じゃねーっ!それに私は食べてないのに、お前に食べさせたから手が汚れちゃったじゃないか!」
私はそう言って、粉の付いた親指と人差し指を舐めた。
…あれ?これって間接キスってやつなのか?…私はしばらく人差し指を咥えたまま考えていた。
「へ…へっくしょん!!」
「わっ!…大丈夫か?」
「うん、平気平気。汗かいてたから体が冷えちゃったのかな?」
「駄目じゃないか!えっと…あっ!あそこで休憩すればいいんじゃないか?」
「え?」
私は、『休憩 2時間3000円』と書いた看板を指差した。
藤岡の日記
千秋ちゃんの指差した方向には看板があった。
『休憩 2時間3000円』
…うん。間違いなくラブホテルだ。
はたして千秋ちゃんはアレの意味が分かっているのだろうか…
「…あの、千秋ちゃん。アレって何か知ってるの…?」
「何って…お金を払ったら部屋で休憩させてくれるんだろ?」
「えーっと…間違ってはいないけど……」
「…?」
まいった…こう言う時はなんて説明すればいいんだろう……
アレのせいでオレがこんなに困ってると言うのに、昼間っからカップルの出入りはにぎやかだ。
しかし、それのカップルばかり出入りするのを見た千秋ちゃんが、突然ハッとして顔を真っ赤にした。
…まさか何か勘付いたのだろうか…?
「ふ…藤岡。」
「どうしたの?」
「あの…えっと……もしかしてアレは…その……ぉ…おかしな事する所なのか?」
「えぇ?!」
おかしな事…ハッキリと言わなかったが、顔が真っ赤な所からして気づいたのか?!
それにしては勘が良すぎ……まさか南が変なこと教えたんじゃ……
「藤岡…こ、答えろ!どうなんだ?」
「えっと…ぅ……ぅん。そう…かな……」
「やっぱり……」
まいった…なんだろうこの変な空気は…
千秋ちゃんもしばらく黙ってホテルの方を見てるし…
「藤岡…。」
「は…はいっ!」
「その……入らないか…?私は別に……藤岡となら…お、おかしな事になっても…その……」
そう思ってくれてるのは嬉しいのだが…物事には順番って物が……
そんな事を考えて、オレは少し黙ってしまった。
「…嫌なのか?」
「え?!」
「その…私と入るのが……私とおかしな事をするのが嫌…なのか?」
「えーっと…嫌とかじゃなくて……そう!年齢!確か学生は入っちゃだめなんだ!うん!」
「…そうなのか……」
千秋ちゃんは少し残念そうな顔をしたがしかたない。
オレは嘘は言っていないし、選択も間違ったとは思っていない。
しばらくすると千秋ちゃんが周りをキョロキョロしだした。
なんだか、首を延ばして周りを確認しているみたいだ…
「千秋ちゃんどうしたの?」
「藤岡…入れないなら……ここでおかしな事するか…?」
「えぇぇ?!ここって…外だよ?!」
「外と言っても…ほとんど人も通らないし…駄目…?」
オレは過去の事を考えていた…
オレが小学生の時なんてサッカーばかりで、おかしな事なんて知らなかった。
やはり現代の性は乱れているってやつなのか……
「ぉ…か……藤岡?」
「…え?」
「だから、今なら人もいないし……」
「だ、駄目だよ……そんなの…その、オレ達まだ子供だし……」
「……子供はおかしな事しちゃ駄目なのか…?」
「そりゃ…そう言う事は大人になってからと言うか……」
「そんな…大人になるまで待てないよ!私は今ここで……藤岡としたいんだ!」
そう言ってもらえると嬉しいし…その興味が無い訳でもないけど…
でもやっぱり間違ってる…まだキスもしてないのに……!
「千秋ちゃん…気持ちは凄くうれしいんだけど、でもやっぱり今は駄目だよ。」
「…どうして?」
「その…えーっと……オレに勇気がないから。」
「…え?」
「…千秋ちゃんみたいに勇気がなくて…もし誰かに見られたら…って思ったら怖くて…」
「………」
オレがそう言うと千秋ちゃんは下を向いて黙り込んでしまった。
…なんだか悪い事をした気分だ。
そして今度は俺が周りをキョロキョロ見渡して、誰もいないのを確認した。
「千秋ちゃん…?」
「……いいよ。気にしてないから…」
「えっと…そうじゃなくて……今は子供で、おかしな事は出来ないけど…その、これくらいなら……」
オレはそう言って千秋ちゃんにキスをした。
時間は短かったが、クリスマスの時と違い唇へ…
その瞬間、千秋ちゃんの顔が再び真っ赤になり、少し震えていた。
「ななな…藤岡……?!」
「え?」
「え?…じゃないよ!なんだよ!!おかしな事しないって言ったと思ったら…急にするなんて!!」
「えぇ?どう言う事?」
「どう言う事って…お前…今私におかしな事……キスしたじゃないか!!こ、こっちにも心の準備ってもんが…」
あぁ…そう言う事か…。
千秋ちゃんはおかしな事=キスと思っていたらしい。
オレはさっきまで自分が妄想していたことが恥ずかしくなった。
千秋の日記
私は顔が真っ赤になっていた…裏路地で、藤岡におかしな事をされたからだ。
藤岡は「おかしな事はしない」って…そう言ったので油断してこのざまだ。
私は恥ずかしくなったので、藤岡に電車へ向かうように命令した。
「藤岡…急におかしな事するなんてずるいぞ…。」
「えっと…ご…ごめんね。」
「……別にいいけど…」
まぁ最初に誘ったのは私だし、文句は言えないんだけど…
もう少しムードと言うか…いきなりだったから驚いてあまり覚えていなかった。
駅のホームに到着し、私たちは電車に乗った。
行きと違い電車がガラガラだ…藤岡が気を使って普通列車とやらにしてくれたらしい。
「藤岡!見てみろ!この車両は私たちの貸し切りだぞ!!」
「あはは、そうみたいだね。」
「やっぱり私は、遅くてもこっちの方が広々していて好きだ!」
そう言ったものの、貸し切りの車内で私は藤岡の横にぴったりひっついていた。
…そう、前みたいに寝たふりをして、藤岡の肩へ頭を乗せたかったからだ。
私は寝たふりをするタイミングを計っていた。
…と、その時予想外の出来事が起きた。
先に私の肩に頭をのせ、藤岡が寝てしまったのだ…そう言えば確か昨日は寝てないとか言ってたな…
それに帰りはずっと私が乗っていたし…疲れたのかな?
予定とは違ったが、私は藤岡とひっつけて悪い気分ではなかった。
しばらくすると電車の揺れで崩れ落ち、藤岡は私の足に頭を乗せて横たわった。
肩から落ちたのにぐっすりと寝ている…よほど疲れていたのだろうか……
「藤岡…今日はありがとう。楽しかったよ…」
私は藤岡の髪を撫でながら、寝ている藤岡にお礼を言った。
…その時私は裏路地での藤岡の不意打ちを思い出した。
今の藤岡はそれはもう恐ろしいほどに無防備だ…車両は貸し切り…私は意を決した。
「…こ……これは仕返しだからな…!」
「……スースー…」
「…………」
『…ちゅっ……チュッ……んっ…も…もう一回……チュッ…』
うん、3回もしておけば…まぁ、私の勝ちだろう。
満足した私は、藤岡の髪を触りながらいつの間にか一緒に眠っていた…
藤岡の日記
『…ゃくさん…!……お客さん!!』
「……ん?…はぃ?」
気がつくとオレは知らないおじさんの声で目を覚ました。
どうやらいつの間にか寝ていたらしい…
しかしココは何処だ…?…なんだか頭の辺りは、妙に柔らかくて気持ちいい。
顔をこすってみてもスベスベしていて……
「……んっ…!」
「…?」
上を見てみると千秋ちゃんの寝顔があった。
千秋ちゃんの膝枕で寝ていた事に気が付き、オレは飛び起きた。
…と同時に見たことのない風景と知らないおじさんに気づいた。
「あの…すみません。ここは何処でしょうか?」
「…だから、終点ですよ。」
「はぁ………えぇぇぇ?!!」
慌てて飛び出すと外は真っ暗、時刻は7時前。
オレは慌てて千秋ちゃんを起こした。
「千秋ちゃん!千秋ちゃん!!」
「ん…ふぁ~……どうした藤岡もう着いたのか?」
「いや、着いたどころか通り過ぎてたんだ…。」
「そうかそうか……なっ!?…どう言……イタッ!!」
慌てて立ち上がろうとした千秋ちゃんを背負い、オレは急いで反対方面の電車に飛び乗った。
ココからだと快速でも1時間…駅に着くのは8時頃だ。
駅に到着してオレは千秋ちゃんを背負ったまま南家へ走った。
結局千秋ちゃんの家に到着したのは8時20分だった…
「遅くなりました!ごめ…」
「千秋!どこ行ってたの?お友達の家に電話してもいないし、心配したんだよ?!」
「ハルカ姉さま…えっと……」
「…千秋、その足どうしたの?…それに藤岡君まで……」
「その…そこで足を挫いて動けなくなっていた所を藤岡が助けてくれたんです!」
「…そうなの?」
…これはどう答えればいいんだろう……
千秋ちゃんに口裏を合わせるべきか…本当の事を言うべきか……
千秋ちゃんはオレと出かけた事を内緒にしているんだろうか…?
「えっと…」
「藤岡!今日はありがとう。助かったよ!お前も気をつけて帰れよ!じゃあな!!」
『バタン!』
千秋ちゃんはそう言って扉を閉めた。
オレはなんだか釈然としないまま家へ帰った。
最終更新:2008年02月24日 22:19