「え? ハルカさん、風邪引いたの?」
「そうなんだよ、こないだお前が帰った後、夕方頃だったかなぁ。とにかくその頃熱が出てきてさ。」
「そ、そうなんだ。」
「あの日、ハルカの様子が朝からおかしかったのはわかってたけど、風邪引いてたとはねぇ。」
あの日を話に持ってこられたのには内心焦ったものの、バレてないようなので、ほっとした。
あれから、ハルカと藤岡はお互い何とか普段通りに徹しようとしていたが、
上手く隠し通せず、何か様子がおかしかったのはカナとチアキから見ても明らかだった。
他の2人には何とか普段どおりに接することができても、お互いの顔を合わせることなどできなかったのだ。
そして、ハルカに変に気を使わせるのも気が引けたし、自分も居づらいというのもあり、
藤岡は朝食をご馳走になった後、大して時間も経たないうちに帰ったのであった。
「それで、具合はどうなの?」
「それが全然熱が下がらなくてさ。全く、残された私とチアキにはたまったものじゃないよ。
ロクなご飯を食べてないしさ。」
軽口を叩いているが、いつもの元気はない。何だかんだ言って姉を心配している様子だ。
「オレ、今日は部活もないし、帰りにお見舞いに行くよ、メロンでも買ってさ。」
「そうだね。いい心がけだよ。」
「…だから、そんな心配しないで、ね?」
「し、心配なんてしてないよ!」
励まそうとしたら、照れくさかったのか、ローキックを放ってきた。
「い、いたたた…。」
「全く、失礼な奴だね。」
「でも、少し元気が出たみたいで良かったよ。その方が南らしいからね。」
「こ、この! まだ言うか!」
蹴られた足を擦っている藤岡に、更に追い討ちをかけてきたのだった。
痛い思いはしたが、カナを元気付けることができたので、良しとした。

学校が終わると、藤岡はお見舞いの品を買いにスーパーへと向かった。
カナは先に帰った。やはり、ハルカのことを心配しているのだろう。スーパーへ向かう途中、チアキと出会った。
「藤岡!」
藤岡を見るやいなや、勢い良く抱きついてきた。少しよろけるものの、何とか持ちこたえる。
今は見えないが、抱きつかれる前の顔は今にも泣きそうな顔をしていた。
「藤岡、ハルカ姉さまが…。」
「うん、南から聞いたよ、風邪を引いてるんだって?」
「あぁ、けど、ちっとも治る気配がないんだよ…。」
「そんなにひどいの?」
「薬を飲んでも、少しの間良くなるだけで、その後にまた悪くなるんだ。」
余程ハルカのことを心配しているのだろう。チアキはすがるように訴えかけてきた。
「…なぁ、藤岡。ハルカ姉さま、大丈夫だよな? このままよくならないなんてことはないよな?」
「大丈夫だよ。」
即答されたチアキは思わず顔をキョトンとしてしまった。



「だって、南やチアキちゃんがこんなに心配してるんだから。勿論、オレだって。
それを裏切ったりするようなハルカさんじゃないでしょ?」
「当たり前だ! ハルカ姉さまが私たちを裏切ったりするもんか!」
チアキが大声を上げると、藤岡はチアキの頭を軽く撫で、笑いかける。
「だから、大丈夫だよ。さあ、早く買い物をすませて帰ろう。」
「…そうだよな。何であんなに心配する必要があったんだろう。」
チアキは先程よりもきつく抱きしめてきて、顔を見上げてきた。
「ありがとう、藤岡。」
不安は完全に消えたわけではないだろうが、先程まで深刻な顔をしていたとは思えない笑顔だった。

買い物をすませた後、すぐに南家へと向かい、上がらせてもらう。
チアキは晩御飯を作るために台所に向かい、藤岡はハルカの部屋へ向かった。
軽くノックをし、部屋に入るとトウマも来ていた。
「トウマ、来てたのか。」
「そういう藤岡も見舞いに来たのか? けど、ハルカなら今寝てるぞ。」
「そうか。けど、確かにハルカさん、あまり良くなさそうだな。」
「あぁ。」
ハルカは眠ってはいるが、うなされている。藤岡が泊まった時に見せた寝顔とは大違いである。
「熱がかなり高いんだけど、頭痛の方がひどいみたいでさ。
さっきまで内田と吉野が来てて、その時は起きてたけど、その時も辛そうにしてたな。」
「そうなんだ。」
藤岡に今の状態のハルカのことを説明しながら、トウマはハルカの額に乗せていた濡れタオルを取り、
水を汲んである洗面器に浸す。十分浸した後に搾り、丁寧にたたんで再びハルカの額に乗せる。
「南は?」
「多分台所で飯でも作ってるんじゃないか? 
よくわからないけど、ハルカがこんな状態だってのに何か張り切ってたぜ?」
チアキが買い物に出かけていて、カナが台所で料理しているのならば、他に看病する者が必要だ。
トウマはその役目を引き受けたのだと推測できた。
「ハルカさんの面倒はオレが見るから、トウマは休んでていいぞ。」
「いいよ、まだそんなに時間経ってないから。それに、オレはハルカの弟分だからな。」
「そっか。偉いな、トウマは。」
「よ、よせよ。」
「はは、照れるなよ。」
藤岡がトウマの頭を撫でようとすると、トウマは恥ずかしがって、それを避けた。
そんな2人のやり取りに反応したかのように、ハルカが寝返りをうち、藤岡達の方に顔を向けた。
それにより、タオルが額から落ち、手も片方布団からはみ出した。
「やれやれ、しょうがないな、ハルカの奴…。」
トウマがタオルを拾おうと、藤岡がハルカの手を布団の中へ入れようとすると、
ハルカが藤岡の手を掴んできた。
「ハルカさん?」



藤岡の手を掴むと、ハルカは先程うなされていたとは思えないような笑みをこぼしていた。
それを見た藤岡も思わず笑みを浮かべてしまい、掴まれた手を握り返した。


「あ、ハルカさん。起きちゃいましたか?」
「? あ、あれ? 藤岡君?」
ゆっくりと体を起こし、藤岡を見つめる。
「お、おい、起き上がって大丈夫なのか?」
トウマの声も聞こえず、ただ呆然としている。未だに自分が目を覚ましたことを実感できていない。
「あの、ハルカさん?」
「おい、ハルカ! ちゃんと意識はあるのか?」
「え? うん、少し寝たから、良くなったみたい。」
2回目のトウマの問いでようやく自分が起きたことを実感できた。
そして、自分が藤岡の手を掴んでいることにも気づく。
「あっ! ごめんなさいね。…その、迷惑かけちゃったみたいで。」
「い、いえ、気にしないで下さい。」
慌てて藤岡の手を離す。すると、妙な名残惜しさを感じたが、
カナが部屋に入ってきたせいで、それに対する疑問は一時吹き飛んだ。
「あ! おい、ハルカ! 起きて大丈夫なのか!?」
「うん、まだ痛みとか残ってるけどね。」
「いや、お前、さっきまで具合悪そうだったじゃないか?」
「そう言われてもねぇ。寝たから良くなったんじゃないかしら?」
自分で具合の良さを調節できるわけではないので、問い詰められても困る。
「ところで、カナ。台所で何かやってたんじゃなかったのか?」
「いや、せっかく私が自信作の創作料理を作ろうとしたら、チアキが邪魔してきてさ。
 チアキが買ってきた食材も入れようかとも思ったんだが、止められて、追い出されたんだよ。」
「…で、何を作ろうとしていたんだ?」
「お粥だよ、フルーツヨーグルト粥。藤岡がメロン買ってくるって言ってたし。」
「何だよ…、その初心者が陥りやすい過ちを見本にしたような創作料理は…。」
トウマが呆れ気味に言い放つが、正直邪魔されて良かったと他の2人も思った。
しかも、チアキが買ってきた食材も入れようとしたって何を入れようとしたと言うのか。
「じゃあ、ハルカさんの具合が少し良くなったみたいだし、オレ、そろそろ帰るよ。長居しちゃ悪いから。」
「あ、ならオレも帰るよ。藤岡、一緒に帰ろうぜ。」
帰ろうとする2人のやり取りを見て、ハルカは少しだけトウマを羨ましく思った。
何故だろうか、今まではそういったやり取りを微笑ましく思っていただけなのに。
「じゃあな、ハルカ。お大事にな。」
「それじゃあ、また。チアキちゃんによろしく。」
「うん、2人ともありがとね。」
「じゃあ、玄関まで送ってくるよ。」



3人が出て行き、ハルカは部屋で1人になる。
こないだあんなことがあったのに、不思議なことに何事もなかったかのように自然に過ごせた。
それは確かに自分達にとって良いことなのだろうが、それはそれで、何か不服だった。
(あれ? どうして?)

「送ってきたよぉ。」
2人を見送ったカナが戻ってきた。
「まだ、寝てなかったのか。しつこいようだけど、寝てなくて大丈夫なのか?
 本当、藤岡が来る前とえらい違いだな。」
「そ、そう?」
突然、藤岡が話に出てきて動揺してしまう。
「ふぅむ、あいつはどうも人を元気付けるのが得意みたいだね。
やっぱ番長だからか? 今朝だって学校で、…あっ いや、何でもない…。」
感心したり顔を赤くしたりするカナの言葉を聞いて、ハルカは再び考え出した。
さっきから何故自分は藤岡のことを考えているのかを。
そして、今まで自分が見てきた藤岡を思い返してみた。

チアキを膝に乗せて甘えさせている藤岡。トウマをまるで自分の弟であるかのように可愛がる藤岡。
散々な目に合わされているだろうに、カナの頼みごとをきいてくれる藤岡。
いつも藤岡は嫌な顔をせず、優しく皆に接してくれていた。

そんな藤岡だからこそ、自分の部屋を貸すことができた。
だから、簡単に甘えたい衝動に駆られてしまったのだ。
あんなおかしなことをしてしまったのは藤岡にもっと自分を見てもらいたかったからだ。

先程自分が起きた時、優しく自分を見つめていた藤岡の顔を思い浮かべる。
自分は単に父親の影を追っていたと思っていたが、違ったのだ。

「? ハルカ?」
(そっか、私は…。)
「おーい、どうしたんだぁ?」
(藤岡君のこと、好きだったんだ…。)
自分の気持ちに気づくことができたのだった。



「ハルカさん、具合が良くなって良かったよ。」
「…あぁ、そうだな。オレもそう思うよ。」
素直に喜んでいる藤岡に対し、トウマの顔は少し曇っていた。
ハルカの風邪が良くなったことを喜んでいるのは本心だろうが、考え事をしていた様子だ。
「どうしたんだ、トウマ? 何か考え事?」
「いや、何でハルカの奴、藤岡の手を握った途端に笑ったのかなって…。」
「何でかは知らないけど、いいことじゃないか。良い夢でも見てただけかもしれないぞ?
あっ でも、オレが部屋に入った時は苦しそうだったな。」
「そうなんだよなぁ…。」
腑に落ちないといったような表情でいる。
何でそんなことを疑問に感じているのかを藤岡には理解できなかった。
「…そういやあの時、藤岡は藤岡で何か笑ってたよな。」
やがて、何かを思い出したようにトウマはつぶやいた。
「え? うなされていたのが笑えるようになって良かったと思っただけだけど、それがどうかしたか?」
「そうか? それにしては、オレやチアキには見せたことない顔だったぞ?」
トウマは少しむくれたように言う。
「トウマ、もしかしてハルカさんのこと好きなのか?」
「そんなわけないだろ!」
少しそう思っただけに過ぎないのだが、トウマを怒らせてしまった。
そこから別れるまでの間、藤岡はトウマをなだめるのに一苦労したのだった。

(結局トウマの奴、一体何を言いたかったんだ?)
トウマと別れ帰宅した後、考え事をしだした。
(けど、トウマやチアキちゃんには見せたことない顔、か…。)
考えてみれば、確かにハルカに対する接し方と2人に対する接し方は違っていた。
しかし、それは年上と年下の違いじゃないのかと自分の中で仮定を出す。
(だったら、南はどうなるんだ?)
カナに対するそれは、どちらかというとチアキやトウマに近いのかもしれない。
だとすると、ハルカにだけ違う接し方をしているということになる。

『…お父さん。』

不意にあの時のハルカの寝顔が頭に浮かんだ。
トウマは何を言いたかったのか、何故唐突にハルカの笑顔が出てくるのか、
結局どちらの答えを見出せずにその日を終えるのだった。


最終更新:2008年03月12日 14:57