「全く、フローリングだから良かったようなものを………。」
ブツブツ言いながら、カナは仕方なく、落ちたプリンを片付ける。
「あの………もう、無いんだよな………?」
「は?」
「プリン………。」
トウマは悲しそうな顔で、呟く。声が、心なしか震えている。
「………そ、そんなに楽しみだったのかい?」
カナの問い掛けに、トウマは眼を潤ませながら無言で頷く。想像以上にショックを受けて
いるトウマの姿に、カナは、しばしの間考え込む。
そして。
「あー………もう、仕方ないねぇ。」
「え………?」
「妹の弟分にそんな顔されたら、そりゃ、ねぇ。放っておけないでしょう。」
およそカナらしからぬ台詞を吐いて、カナが立ち上がる。
「ちょっと待ってなさい。私が買ってきてやろう。」
「え!?いや、そこまでして貰うのはさすがに………。」
「いいんだよ。他の皆の分も買ってきて、全部こいつに請求してやる。」
カナはそう言って、倒れているマコトを指差し、悪役のような笑みを浮かべる。本音は
もちろん、こちらの方だ。
「フフフ………待ってろよマコちゃん………。」
「………………。」
黒い笑顔のまま、カナは2人を残してリビングを後にした。その後、部屋から鞄と財布
を持ってきて、トウマに一言『留守番、よろしく。』とだけ言い残し、家を出る。
住人が誰も居なくなった家の中に、マコトとトウマだけが残された。



「う、うおぉぉ………ぉぁ………。」
やがて、2人のやり取りの横でずっと沈黙していたマコトが、呻き声を上げる。
「ううぅ………。」
マコトは両手で股間をしっかりと押さえて、内股で床に転がっている。顔面蒼白で、
歯を食い縛り、額に脂汗を浮かべながら………身体は、小刻みに震えている。
余りに痛々しいその姿に、トウマは思わず声を掛ける。
「えっと、その………だ、大丈夫か?」
マコトが、首を小さく横に振る。
「だ、大丈夫じゃ………ない………っ。」
プリンのことで我を忘れていたとはいえ、これはちょっとやり過ぎかも知れない、と、
トウマは少しだけ申し訳ない気分になる。
マコトの隣に落ちているマッサージ機を、トウマが拾い上げる。
「そ、そんなに痛いのか、さっきの………?」
尋ねられて、マコトが今度は首を縦に振る。
マコトが受けた破壊的なダメージは、床に転がるマッサージ機の力によるものという
よりはむしろ、カナの腕力によるものだった。
まぁ、どちらにしても、マコトのダメージが深刻なことに変わりは無いのだが。武器が
なんであれ、あれだけ力任せに股間を押し潰されたら、男ならばひとたまりも無い。
「い………痛いとか、そんなもんじゃないぞ………。」
やっとマトモに喋れるようになったマコトが、震える声で言う。
「ホント、オレ死ぬんじゃないか、って思うぞ………。」
「そ、そんなに………?」
トウマが、眼を丸くする。そして、それからしばしあって、
「いてて………。」
マコトが、腰を叩きながら慎重に身体を起こす。
「………ほ、ホントに大丈夫か?」
「いや、まぁ………かなり、マシにはなった………。」
「悪い、プリンのことで、つい………。」
申し訳なさそうにしゅんとして、トウマは俯く。



「でも………良いよなぁ、トウマは。」
「え?」
不意に、マコトがそう言う。トウマは、首を傾げる。
「だって………トウマはなんだかんだ言っても、結局女だからな。」
「ッ………?」
「この痛さは、男だけだからな………ホント、死ぬ程痛いんだぞ?」
まだ、ときどき痛みに顔を歪めながら、マコトはそう言って溜め息を吐いた。
そして………それを聞いた、瞬間。
トウマの中で、何かが、ふつふつと湧き上がり始める。
「なんだよ………なんか、ムカつくなその言い方。」
「え?」
「女だから解かんない、とか………なんか、バカにされてる気がする。」
「いや、そんなつもりじゃないけど………女なんだから、仕方ないだろ。」
「いつも言ってるだろ、俺は、男だッ!」
「そんなこと言ったって、トウマには一生解からないんだから………。」
「だから、そういうこと言うなぁーッ!」
トウマが、マコトの身体を突き飛ばす。マコトはまた床に倒れこみ、その拍子に、股間
の激痛が再発する。また、呻き声が上がる。
「………ッッッ!!~~ッ!!」
「なんだよ、こんなので………男のクセに、情けないぞ!」
激痛に背中を丸めるマコトなどお構い無しに、トウマは手にしたマッサージ機を見つめて
吐き捨てるように言う。
「お、お前………ホ、ホント、やめろよ………。」
嫌な汗をかきながら、マコトは再び身体を起こす。
「ど、どんだけ痛いか解かってたら、そんなこと言えないって。」
「なんだよ、まだそうやって………!」
トウマはムキになって、起き上がったマコトを再び突き飛ばす。
マコトはまた同じように床に倒れこみ、同じように呻き声を上げる。
そして。
「いいよ、解かったよ。俺もやってやるよ!」
トウマは言いながら、手にしたマッサージ機のスイッチを入れる。低い音で唸りながら、
マッサージ機が震えだす。
そして、トウマの手が………それを自分の足の間に、あてがう。



その、直後。
「ひ………ッ!?」
トウマが、裏返った声を上げる。
自分の足の間、ハーフパンツの股の部分にマッサージ機の振動が伝わった、その瞬間。
トウマの身体を、ゾクゾクと全身を震わせるような感覚が駆け抜ける。
反射的に、マッサージ機を自分の身体から引き離す。
「(………な、なんだ………?)」
トウマが、震えるそれを見つめる。何故か、サッカーの練習の後のように、バクバクと
胸が高鳴っている。息が荒くなり、一筋の汗が頬を伝う。
マコトはうずくまったまま、首から上だけをトウマの方に向ける。どうやら自分の事で
精一杯で、今何が起きたのか見ていなかったようだ。
「………な、なんだ、今の………トウマか………?」
マコトに尋ねられ、トウマは自分でもわけが解からないまま、顔を真っ赤にした。
トウマ自身は自分が何をしたのか解かっていないが、それでも、今の声を聞かれたのかと
思うと、なんとなく恥ずかしい気分になってしまう。
しかし。ここで引き下がっては、男が廃るというものだ。
「だ、だから、俺もやってやるって言ってるんだよ!見てろッ!」
「へ………?」
言いながら、トウマが再びマッサージ機を自分の股に押し付ける。再び、寒気にも似た
感覚が腰から背中を通り、頭まで突き抜け、全身をゾクゾクと震わせる。しかしトウマ
も今度は、必死で襲い来る感覚の波に耐えている。
「う、ぁ………あ………ッ!!」
トウマが、普段は決して聞かせないような、『女の子』の声を上げる。
「ちょ………………ッ!?」
その様子を呆然と眺めていたマコトは、ふと我に返り、慌ててそれを止めに入った。
「バカ、お、お前、何やってんだよ!?」
トウマの腕を取り、マッサージ機を身体から遠ざける。トウマはしばし惚けたように
マコトの顔を見つめ、やがて、マッサージ機を握った掌を開く。
スイッチが切られる。部屋に、沈黙が訪れる。



「(な………なんだろ、今の………?)」
未だにヒクヒクと身体を震わせるその感覚を、トウマはかつて味わったことが無かった。
「(なんか、頭が、痺れて………身体が、ゾクゾクして、ムズムズして………。)」
それを思い出すように、眼を閉じる。
「(それから………ち、ちょっと………。)」
思い出すとまた、ピクン、と身体が反応した。
「(気持ち、良かった………?)」
トウマはまるで名残を惜しむかのように、焦点の定かでない眼で、マコトの手に渡った
マッサージ機を見つめる。
見つめられながら、マコトもまた、心の中で自分自身に問い掛けていた。
「(なんだよ………今、オレ………。)」
心臓が、今までに無い程高鳴っている。
そしてそれは、今までこの家に来て………憧れのハルカと一緒に居たときに感じていた
胸の高鳴りとは、明らかに、異質な物だった。
「(な、なんか………凄い、ドキドキして………なんか、トウマに………。)」
胸の高鳴りと共に、年頃になるにつれて芽生え始めた新しい感覚が、マコトの内側で
煮えたぎりその身体を疼かせる。
「(こ………興奮、したっていうか………。)」
直前にトウマが見せた行為に、マコトは心当たりがあった。
まだ得たばかりのその知識は断片的で、実際にそうなのかと言われるとまるで自信が
無いが、しかし。
「(っていうか、今のってもしかして………オ、オナ………!?)」
生まれて初めて目の当たりにしてしまったその行為に、マコトの思考回路が麻痺する。
本人の様子を見る限り、トウマ自身は自分のしたことがどんな行為であるのか、全く
知らない様子だ。
その間に、トウマが少しずつマコトに、いや、マコトが手にしているマッサージ機に
近づく。本人は気付いていないようだが、口の端から一筋、涎が垂れている。それを
見て、また、マコトの胸が高鳴る。
「ねぇ、もうちょっと………もう、1回だけ………っ。」
何も知らないトウマは、自分の身体が求めるがままに、再びあの感覚を得ようとして、
マッサージ機に手を伸ばす。マコトが、後退りをする。
「と、トウマ………?」
トウマは四つん這いになるようにして、更にマコトに近づく。マコトが更に後退りして、
やがて壁際にまで追い詰められる。
上目遣いで、トウマが潤んだ眼をマコトに向ける。
「………マコトぉ………。」
トウマが、甘い吐息と共に、マコトに向かってそう呟く。
その瞬間。
「(………………ッッッ!!!)」
マコトの理性が、吹き飛んだ。



手にしたマッサージ機のスイッチを、入れる。
「トウマ。」
「え?」
「そんなの………自分でやっても、痛いワケないだろ?」
「あ………………。」
言われて、トウマはハッと気付いたように、半開きだった眼を丸くする。
「なんか、その………へ、ヘンな感じは、したかも知れないけど。」
「う、うん?」
「ホントは、さっきも言ったけど………死ぬほど、痛いんだ。」
「………………?」
「だ、だから、さ………その………。」
マコトは言いながら、自分を見上げるトウマの顔を、じっと見つめ返す。
そして。
「オ………オレが………。」
最後の一歩を、踏み出す。
「オレが………やってやるよ。」
「ッ!!」
トウマが、丸い眼を更に丸くする。そして、すぐに顔を真っ赤にして、見上げていた視線
をマコトから外す。後退り絵押して、マコトと距離を取る。
「あ………………。」
言ってしまった直後、マコトはすぐに、自分のその言葉を後悔した。
トウマはマコトの下を離れ、俯いたまま顔を上げようとしない。
重苦しい沈黙が、2人を隔てるように漂い始める。
「………………。」
「………と、トウマ?」
「………………。」
「………………。」
身体を掻きむしるような、激しい自己嫌悪の念が、マコトに襲い掛かる。
「………………ごめん。」
トウマは、何も言わない。身動き一つしない。
謝ること以外に、もはや自分に出来ることなど無い、と、マコトは思い始めていた。
だが、しかし。
「………解かった。」
「………………え?」
黙り込んでいたはずのトウマが、不意に、声を上げる。
「このまま引き下がるのも、悔しいしな。」
「え………トウマ………?」
「ホントにそんなに痛いのか、こうなったら絶対に確かめてやる。」
それを合図に、トウマは何事も無かったかのように話し始める。
「え、あの………怒ってたり、したんじゃないのか?」
「え?何が?」
「いや、その………オレ、あんなこと言ったから………。」
「だって、お前の言う通りだろ。」
先程までマコトが抱いていた自己嫌悪のことなどつゆ知らず、トウマはそう言ってのける。
どうやら、マコトの発言に気分を害したわけではなく、単純にマコトの申し出を受けるか
どうかで迷っていただけの話のようだ。
「そりゃ………なんかヘンな感じだったし………ちょっと、恥ずかしいけどさ。」
「………………。」
「男同士だからな!俺だって、やってやるんだ!」
マコトはぽかんと口を開けたまま、語り続けるトウマの顔を見つめる。手の中では、まだ
マッサージ機が唸り声を上げている。
トウマが、再びマコトに近づいて、向かい合うようにして座る。
「………?何やってんだよ、やんないのか?」
「え?あ………いや………。」
「お前が言い出したんだろ。いいから、やってみろって。」
「は、はい………。」
トウマに促されるまま、マコトはゆっくりと、マッサージ機をトウマに近づけていく。
最終更新:2008年02月16日 22:41