卒論

多くの帝国民を苦しめる存在である。

リーダーは卒論に立ち向かうため、
「絶対に生きて帰るんだ……絶対に……」
と典型的な死亡フラグを立てて2016年10月10日に帝国から旅立った。

当初、彼が考えていた卒論の題目は


「幼女趣味の系譜序章-明治文学作品における幼女たち-」


というものであったが、
中間発表以降多少修正されることとなり、


「日本文学における幼女趣味の系譜」


という題目で正式に決定した。
論文の構成は以下の通りである。


第1章 明治期幼女趣味の萌芽
 第1節 森鴎外と幼女
 第2節 夏目漱石と幼女
 第3節 上田敏と幼女

第2章 大正期 幼女黎明期
 第1節 少女病
 第2節 デモクラシーと幼女
 第3節 プロレタリア幼女論功

第3章 昭和前期
 第1節 軍国の幼女
 第2節 銃後の幼女
 第3節 敗戦と幼女

第4章 戦後幼女の復興
 第1節 反幼の防波堤
 第2節 幼女の高度成長期
 第3節 もはや幼女ではない

結論


ちなみに、修士論文では


「バブル崩壊後の幼女-失われた幼女-」


と題して、成長した幼女は何処へ行き着くのかを探求したいと考えているようだ。

帝国から旅立って以来、彼はログボ勢となり
日夜幼女学研究に没頭しているようである。
ここに彼の幼女論のほんの一部を掲載しておく。


現代の幼女文学に就いて述べるには先ず其以前の幼女から述べて来なければならない。古いところは暫く置いて近代に於ける幼女文学は明治維新における政治上の改革と同時に始まって、爾來今日に及んでいるのである。

一概に幼女文学と言っても、其分野には種々な主義流派や、思潮傾向があって、恰も春の若草のやうに百花爛漫の姿を呈してゐる。其中で特に中心の傾向とも見なされるべきものは言うまでもなく神秘幼女主義である。

現代幼女文学の精神は現代人の精神である。打砕かれた、脆い、弱々しい、反応的な精神である。それで居て、何物とも調和しない、何物にも安んずることの出来ない、永久に足掻いて、永久に落ち着く所のない精神である。
最終更新:2016年10月17日 19:39