暇人 第一章 - (2008/12/20 (土) 16:33:10) の編集履歴(バックアップ)
「うぉー!スゲーっす!
町が空に浮いてるっす!」
空は高く澄み線路の引かれた大地には初春の太陽の光が降り注いでいる。
湖上から岸へは心地よい涼しい風が吹き付けている。
蒸気機関車が白い煙をまき散らしながら線路を南に辿るのはレムリア連邦首都キングスシェムの直下に広がる湖の湖畔だ。
湖は直径数十キロにも及び水は透明に透き通っていて日光をキラキラと反射させていた。
反対側に目を向ければ浮遊都市の繁栄に伴って形成されたベッドタウンが広がっている。
汽車はのどかな午後の日差しを浴びながら特に急ぐようでもなく湖畔を首都連結橋の方向に向かっている。
前の方の車両からは赤髪の少年エドが湖を見て声を張り上げている。
エドが乗っているのは先頭から二番目の車両の湖に面した側の四人用のコンパートメントだ。
大声を出しながら喜々として窓の外に頭を突き出しているエド視線の先には首都キングスシェムが湖の上に堂々と浮遊していた。
「話には聞いてたけどマジで浮いてるっす。
さすが首都は一味違うっす!」
エドは目を皿のように見開きながら初めて見るものに歓喜していた。
それは今世界で一番幸福な人間は誰かと聞かれればエドだ、と答えても過言ではないような喜びようだった。
「ああ君少し静かにできないかね」
エドの向かい側の席には神経質そうな初老の男性が文庫本を片手に乗っている。
彼はエドの醜態に顔をしかめていたがエドはどこ吹く風と言うように全く気付いていない。
先ほどのような呼びかけもひとつ前の駅を出てから三十分で十回を超えている。
「ふぅ」
しばらくして男性もようやく無駄だと気付いたのか読みかけの本に栞を挟みサイドボードに置くと窓際に肘をついて窓の外に目をやる。
窓の外に広がる湖の水面は太陽の光を跳ね返しているが中央の浮遊島が大きな影を落としているのでドーナッツ状に光っていた。
浮遊島はより広く張り出すように零れ落ちるように建物が建築され元の形から大きくかけ離れていた。
中央には中央省庁の高い影、周りには中央より幾分か低い住宅の影や高架橋の影が見える。
島の周囲には商船や警備艦が蠅のように飛び交っている。
島は数百年前の天変地異で空中に浮き上がったということだが詳しい調査はまだ進んでいない。
島を眺めていた彼が車内に目を戻してもエドは騒ぎ続けていたがふと優しい顔付きになる。
子どものことでも思い出しているのだろうか見守るような温かい眼差しを向けている。
(うちの子どもにもこんな無邪気時期があったなあ。彼も初めて首都を見たならしょうがない)
エド決して子どもと言えるような年齢では無いのだが男性にはどちらも同じように見えるようだ。
エドのいでたちは丈夫そうな革のジャケットにジーンズだ。
座席に膝立ちしながら座っているエドの背後にはさらに大きな旅行カバンと身の丈ほどもある大きな布の包みが置かれている。
包みの長さは1,7メートルほどで細長く棒状だ。
布は緩くしかし多く巻かれているので中の棒の形を正確に知ることはできないが先端は膨らんでいるようだ。
「おー!橋っす!でっけーっす!」
ちょうど機関車が連結橋に差し掛かった時またもやエドが大声を上げる。
連結橋の全容は金属製で幅は300メートル長さは数キロにも及ぶ湖の岸と首都とをつなぐ長い長い坂道だ。
線路の横には歩行者も車も一緒に通れるように専用の道路が作られている。
湖の中心まで続く坂道を機関車が煙を上げながら登っていく。
途中車や人を追い越して行きながら機関車は首都へ向かっていく。
エドの目的地を目指していく。
●
エドが停車場に止まった汽車から降りるとプラットホームは大量の人でごった返していた。
エドのいる場所はちょうど人の流れの激しい場所赤い髪の毛だけが人ごみの外からでも見て取ることができる。
「うぉー!さすが首都っす!」
エドは半ば人の動きに流されるようにしながら感動していた。
人が多すぎて思うように動けず他人の後ろについていく形だ。
人の群れの種類は多種多様でタキシードとドレスの集団もいれば出稼ぎにきた着の身着のままな人間もいる。
天井がアーチで覆われているせいで人々の熱気や煙草、葉巻の煙が籠りに籠っていた。
エドは押しつ押されつしながらも何とか改札口にたどり着く。
荷物が自動改札に引っかかったが何度か試行錯誤しているうちに無事に出ることができた。
人ごみにもまれてエドはげっそりとしていたが自分の後ろに並んでいた人たちに頭を下げるとカバンと包みを背負いなおし歩き始める。
彼は周りの人間を見渡しながら何かを探すように歩いていく。
ここで旧友と待ち合わせをしているからだ。
予定では改札から出てきたエドを出迎えてくれるはずだ。
しかし人を探そうにも人が多すぎて視界も遮られ声も聞こえずとても一人を探す事はできそうにない。
「人が多すぎてわかんねーっす。姉さん都会は恐ろしいっす」
エドが左右を見回しながらつぶやく。
しかしその声すらも人も群れが作り出す音に飲み込まれていく。
エドが人の多さに途方にくれ軽く頭痛を覚えてきた頃突然人垣の向こうから。
「おーい!エド!」
叫んでる人物は人ごみの向こうで確認はできなくしかも他の音にかき消されそうな大きさだったがその声は確かにエドの耳に届いた。
エドは彼を呼ぶ声の聞こえてきた方向に向かって人込みをかき分け進み始める。
人にぶつかりぶつかられ足を踏み踏まれながら何とか人込みを進んでいく。
人が密集しているところを抜けるとそこはもう駅の外で大きな広場に面していた。
広場の中央には女性が抱えた瓶から水が噴き出す噴水があり周りには幾つもの木製ベンチが並んでいる。
ベンチの中でも一番近いものを金髪の男が軽く腕を組みゆったりしながら占領していた。
「よ。久し振りだな。」
男は馴れ馴れしげにエドに向かって片手を上げる。
「アレックス!ひどいっす!なんで外にいるんすか!」
エドがベンチに座っている男アレックスに抗議をする。
アレックスはエドより頭一つ高い長身で軽く癖のかかった金髪を耳にかかる程度に切りそろえている。
服装はカーゴパンツに濃い紺色のTシャツ、コンバットブーツという一目で軍人と分かるような格好をしていた。
しかし動作には軍人特有の几帳面さは感じられず整った顔と相まって軽薄な印象すら受ける。
「いやー駅に入ろうかと思ったんだけど人が多くてな。
疲れるじゃん?それにお前ならここでも気付くだろ」
上げていた手をひらひらと振りながらアレックスはエドに弁明する。
「職務怠慢っす」
責められているアレックスは髪をかき上げながら、
「あ~はいはい。俺が悪かった悪かった。ちゃんと迎えに行けばよかったな。
そいやブリジットの奴は元気か?」
「姉さんすか?変りなく元気っすよ」
話題を素早く切り替えるアレックスとそれにすぐ流され不満を忘れてしまうエド。
「そうか。うん、それは良かった。
それじゃ立ち話もなんだし詰め所に行くか」
そう言ってその場しのぎの話を打ち切るとアレックスは勢いをつけてベンチから立ち上がり歩き出す。
その数歩後ろをエドが大きな荷物を背負い直しながらついていく。
●
エドが詰め所に持った第一印象はきたないだった。
詰め所が立っているのは浮遊島を円形に見立てられる。
一番南にある連結橋のある区画から左回りに第一区画、第二区画と続き第八区画まである。
また中央には政府の主要施設が集まった中央区角もある。
詰め所があるのは第一区画から右周りに二つ第七区画だ。
広場から環状の路面電車で十分分さらに歩いて五分ほどの距離だ。
場所はごちゃごちゃとした商店街の片隅に位置する。
詰め所は隣の背の高い建物に日光を遮られ日陰の中にこじんまりと建っていた。
外壁は長年の風雨にさらされペンキが剥げているような部分もある。
扉の上には石でもぶつけられたのか少しへこんだ看板がここは第42小隊の詰め所であるということを示していた。
正規軍の花形首都警備軍の詰め所とは思えないような装いだ。
「すごいっすね…」
「ああすごいだろ」
アレックスはエドの皮肉にも気付かず能天気に笑いながら答える。
「さ、見とれてないで入った入った」
彼はエドを置いて歩き出すと遣り戸をあける。
その遣り戸の窓も曇って中が見えなかった。
「うぃーす、ただいまー。新人連れてきたぞー」
入って右には仮眠室へと続くと思われる廊下がある。
部屋の面積の大半を占めているのはいくつかの机の群れだ。
どの机にも一台づつパソコンがあり乱雑に書類やファイルが積み上げられ驚異的なバランスでこらえていた。
一番奥のおそらく隊長が座るであろう机は空席だ。
空席の中唯一手前の右側の唯一整理されている机には新聞を読んでいる男がいた。
行儀悪く組んだ足を机の上に載せ顔は新聞で隠れるており確認できない。
「ん?お帰りなさい」
男はアレックスとエドに気付くと新聞をポケットに入れて。
男の身長はエドと少し変わらない程度で軍人にも関わらずスーツを身にまとっている。
年齢は二十代の半ばで灰色の髪を邪魔にならない程度に伸ばしている。
地味だが温和そうな顔つきでメタルフレームのメガネをかけており面倒見の良く仕事もできる人と言った印象だ。
「君が新人さんですか?ノーマン、ノーマン・クロフト大尉です。よろしく」
そう言うとノーマンはエドに向かって右手を差し出す。
「自分はエドワード・ターナー少尉であります。本日付で第42小隊に配属されてまいりました」
エドは右手を握り返しながら自己紹介をする。
「そう硬くならないでください。ここでは階級に意味なんてほとんどありませんから。気軽にノーマンと読んでください」
「は、はぁそうですか。ノーマンさんよろしくお願いしますっす」
エドは幾分か気の抜けた様子で手を放す。
自己紹介が一通り終わったところでアレックスが割り込んでくる。
「で、いまいるのはノーマンだけか。他のは外回りか?大将は?」
「はいサラさんとソラノさんは例の件の調査。大将は確か第7ドッグに駆り出されてますよ」
アレックスがそれを聞いて軽くのけぞってみせる。
「ほ~。そう言えば今日一日ずっと手伝うっていてたっけな。ご苦労なこった」
「しょうがないですよあそこトーマスさんと大将は古い友人らしいですしうちのも整備してもらってますし」
ノーマンが眉を八の字にして返す。
とそこでエドが疑問を投げかける。
「あのー大将さんて誰っすか?」
「ああうちの隊の隊長さんですよ。」
「大将隊長ですか。なんてお名前なんすか?」
「本名は不明です。あと隊長はいらないですね。首都ならどこでも大将で通じますよ」
「階級は何すか?」
「えっと…不明ですね」
アレックスも補足するように答える。
「誰もしらねぇんだよ」
「年齢は?何才なんすか?」
「それも分からないですね」
「調べても載ってないんだよ」
「怪しくないっすか?」
「はい怪しいですね」
「ま、怪しいわな」
「大丈夫なんすか?この隊」
「今のところは」
眉を八の字に浅く傾け苦笑いをしながらノーマンが応える。
「ま、一度挨拶に行っといた方がいいな。地図書いてやるよ」
アレックスが自分の机に座るとメモ用紙に地図を描き始める。
「ありがとうっす」
待っている間にノーマンが話しかけてくる。
「首都に来るのは初めてなんですか?」
「二度目っす。でもびっくりしたっす」
「そうでしょうね。
首都が空に浮かんでる理由はこの国の科学者が今まで研究してきても解っていない怪現象ですからね」
雑談をしながら髪をかき上げる。
「そう言えばエド君とアレックス君は知り合いなんでしたっけ?」
エドは言葉を選んでいる間につづけて問いかけられた。
「なんでも同じ士官学校で先輩後輩だとか。」
「そうっすね。兄弟みたいな関係だったっす」
「ほう、そうですか。仲が良いんですね」
「はいっす」
とそこで地図を書き終わったアレックスがメモ帳の切れ端をエドに差し出す。
「早いとこ行ってこいよ」
「おっす」
エドは荷物を置くと勢い良く詰め所を飛び出していった。
●
電車に乗って五分ほどでエドは第七区画外周部に建設されたドックについた。
第七ドックの外観は大きな倉庫のように見えた。
高さが四十メートルを超えるような巨大な倉庫が幅五メートルほどの道に面して五百メートル近く並んでいる。
倉庫の正面には幅五メートルを超えるような金属の扉がいくつも付いており開け放たれていた。
さらに手前の空き地には貨物であるコンテナが山のように積み上げられている。
幾つもの巨外クレーンが積み上げられたコンテナの移動を担っている。
道路には多くのトラックやフォークリフト、キャタピラ型重機が大小さまざまなコンテナを運んでいる。
それらは開け放たれた扉を通りひっきりなしに倉庫とコンテナ置き場を行き来している。
エドは邪魔にならないように道の端を通りながら倉庫に近づいていく。
近づいていくにつれて倉庫の大きさがより実感できるようになる。
「おら、邪魔だ。どいたどいた」
倉庫を見上げていると作業服姿の屈強な男たちがエドを押しのけて倉庫に入っていく。
その男たちの後について中にはいれば怒号が飛び交っていた。
これはどこだとかそれはあっちだとか男たちの野太い声が混ざり合ってよく聞こえない。
外からでは奥行きはわからなかったが内部から見れば三百メートル近くある。
そして向こう側の壁は無くそのまま空に開け放たれている。
床はコンクリートで一部は二十メートルほど掘り下げられていた。
掘り下げられた部分には幾つもの航空艦艇が停泊している。
大きさは百メートルを超すようなものもあれば三十メートルを下回るようなものもありまちまちだ。
種類も民間の商業船や軍用の戦艦が停泊していた。
どの商船からもガイデリックが荷物の積み下ろしをしていた。
デリックには「バンジー禁止」と張り紙が貼ってある。
(そんなことする人がいるんすか)
エドは大将を探すため手近にいたクリップボードを持った主任らしき男に声をかける。
「あのー!たいしょーって人はどこにいるっすか!」
「あー?きこえねーよ!」
周りの大声や駆動音にかき消されないように声を張り上げるが届かなかったようだ。
「たいしょーっす!第42小隊の隊長っす!」
「あー!たいしょうな!あっちだあっち!」
(本当に大将で通じるんすか!?)
男の指が指し示す方向にはひと際大きな商船が止まっていた。
「ありがとうございますっす!」
「おう!」
エドは手を振っている男に礼を言うとそちらに向かって歩き出した。
船体の形は丸みを帯びた大きな濃い青色の長方形。
船体後部下部が角を切り取るように傾斜していることや主翼が横から補助翼が後部から突き出している姿がクジラのようにも見える。
近づいていくと船体の横腹に書かれている文字が明確に見えるようになる。
船体には「Kaf class 25 Glasyalabulas」と白いペンキで書かれている。
航空艦艇には排気量順にアレフ級 ユッド級 カフ級 ラメッド級 メム級 ヌン級とある。
グラシャラボラスはカフ級ということで全体の平均以上、民間の中では最大級に位置する艦だ。
全長は二百メートル幅百メートル高さも五十メートル近くありこのドックで扱えるものとしては最大級だろう。
船の横腹は開放されており中からフォークリフトで積み荷が降ろされている。
コンテナ外部に書かれている文字はエドには判別できないような外国の文字だ。
すぐ近くにコンテナの山ができているが艦内部にはまだ半分以上の積み荷が残っているのが見えた。
「おらー!さっさと運びだせ」
拡声器を持って指揮をしている男がいた。
胸の名札にはトーマス・モアと書かれている。
その男にエドは手でメガホンを作り問いかける。
「あの!たいしょーってどの人っすか?」
今度は一度で聞こえたらしくすぐに拡声器を使って取り次いでくれた。
「おーいたいしょーお客さんだー!」
男が船に向かって呼びかけると船体から一台の多脚重機が前腕でコンテナを抱えながら出てくる。
色はアイボリーで高さは脚を曲げている状態でエドの伸長をゆうに超す蜘蛛のような外観だ。
胴体の大きさは横三メートル高さ二メートル奥行き六メートル程度で外部カメラが八個ありそれも蜘蛛という印象を強くさせる。
ところどころにへこみや傷を補修した跡が見えるが歩いてくる姿も駆動音も滑らかだ。
唯一の違和感は背部には倉庫には似つかわしくない砲塔から長砲とガトリング砲が伸びていることだ。
おそらく先の大戦つまり四十年以上前のものなのだろう。
しかし武装の手入れは行き届いておりまだまだ実践で使えるものだ。
多脚重機はエドの眼の前まで来るとコンテナを脇に置き胴体を低く下げて腹にあるコックピットハッチを開けた。
そこから出てくるのはつなぎを身にまとった老人だ。
胸の所に縫い付けてある名札は空白。
彼は地面に降り立つと安全靴を鳴らしながら近寄ってくる。
「大将っすか?」
「おうよ」
身長はエドより少し低いががっしりとした体躯だ。
口髭を蓄えておりおおらかそうな顔をしている。
帽子をかぶり首に機械油で黒く汚れたタオルを巻いている。
「ところで誰だてめぇ」
「本日より配属のエドワード・ターナーっす」
「おいチコ」
彼のすぐ後ろからはチコと呼ばれた自律思考型の小型メカが降りてくる。
「ホイヨ」
チコは馴れ馴れしい言葉とともに円柱状になっている体の蓋をあけ中から幾枚かの書類を取り出す。
「ほぅ。新人ねぇ」
大将は片手で書類を持ちもう片方の手でタオルを弄んでいる。
書類には大将が前々から気になっていた点があった。
[氏名エドワード・ターナー]
[年齢18才]
[性別男]
上から順に項目を見ていくと経歴の欄にもいたって普通のことが書かれている。
義務教育終了後住居をサウスベスタに移転サウスベスタ士官学校入学、と書かれている。
(そして同校主席にて卒と。確かこれはアレックスの野郎も同じか。しかしなぁ…)
目の前では書類と長い間にらめっこしている大将を不審に思ってエドが小首をかしげている。
(まあいいか)
一つうなずき疑問をすべて押しやると大将は書類を後ろに行きよいよく放り投げる。
止めてあったクリップが外れ書類がバラバラに宙を舞うが大将は気にも留めない。
「おい!トーマス俺は新人が来たんで抜けるぞ!いいか!」
大将が声を張り上げるとトーマスが腕で大きく丸を作る。
「よしエド乗りな!」
大将は満面の笑みで親指を立てて大型重機を指す。
大将の後ろでチコが哀愁漂う動作で四散した書類を寂しく拾っていた。
「の、乗るってどこっすか!?」
エドの疑問は尤もなことだった。
一人乗りである多脚重機に二人は無理をしても乗れない。
「上だよ上」
エドが上、脚を曲げて屈んでいる多脚重機の背面を背伸びして覗くと何箇所か取っ手のような部分がある。
確かにそこにつかまれば十人弱は乗れそうだ。
「ここっすか…?」
大将は白い歯を見せるように笑いながら
「男は根性だ」
なんてことをのたまった。
「チコ!さっさとしやがれ行くぞ」
「マッテヨ」
大将は自分がばらまいた書類を一生懸命拾っているチコを急かすと多脚重機に乗りこむ。
戸惑っているエドに外部スピーカーから声が飛ぶ。
「ほれおめえも早く乗れ。置いてくぞ」
「わわ!乗るっす」
背中にエドを張り付けたまま多脚重機はドックを出ていく。
●
エドと大将が詰め所についたころにはあたりは闇に包まれていた。
詰め所の電気は外から見えるところは全部消えていた。
大将は裏のガレージに多脚重機「ウブ」を停めてくるのでエドは今一人で詰所の前に立っている。
明かりの消えた詰め所は古さと相まって不気味だ。
「誰もいないなんて何かあったんすかね?」
扉にはまっている曇った窓からはかけらも明かりが漏れてこない。
エドは不審に思いながらも扉に手をかける。
とそこでエドは何かに気付いたように手を止める。
数秒間何かを考え込んでから
「ふ~」
一息つくと明かりのついていない詰所の扉を開ける。
詰所の中に広がるのは見通すことのできない暗闇。
入ってすぐ左の壁に手を這わせ電気をつけようとする。
手探りで探し指がおうとつをとらえ明かりをつける。
目が明りに慣れるよりも前に火薬による乾いた破裂音が両側から二つ鳴り響く。
彼はそれに反応することができなかった。
●
大将はウブから降りたところでその乾いた音を聞いた。
密集する建物の間に木霊する音は火薬が破裂する音だ。
乾いた破裂音に大将は一瞬あっけにとられる。
しかし即座に大将は毒づいて走り出す。
「畜生!間に合えよ!」
大将が全力で走る合間にも音は散発的に響いていく。
そして五回か六回ほどなった頃に突然今までとは違う音が響く。
その音は今までの破裂音とは比べ物にならない大きな音だ。
音は大量の火薬が一度に爆発する大口径のものだ。
ここにいたって破裂音を聞いた近所の住民が窓やドアから外を覗き出す。
大将が詰め所の正面に回った頃にはあたりに何度か響いていた音は消えていた。
しかし直後に夜をつんざく女性の悲鳴が響き渡る。
大将が軽く息を乱しながら明かりの洩れる扉を開ける。
「遅かったか…」
中を覗き込んだ大将はその惨状に立ち尽くすしかなかった。
●
エドが中に入り明かりをつけると突然破裂音が響いた。
その音とともに飛んでくるものがある。
色とりどりの紙テープだ。
「うわぁ」
「「ようこそ第42小隊へ!!」」
エドが手を上げて顔をかばうと初めて聞く女性の声が聞こえた。
紙テープで視界が埋まっている間にも何度もクラッカーの音が鳴り響く。
「わわわ、なんすか!?」
顔にかかる紙テープを除けるたびに次の紙テープが飛んできて視界を塞ぐ。
エドが必死で紙テープを毟り取ったころにはクラッカーの音は止んでいた。
しかし目の前鼻の先からちょうど十センチくらいのところに直径40センチに迫ろうかというピンク色の円がある。
巨大クラッカーだ。
その円で前が見えないエドの耳にアレックスとノーマンの声が響く。
「やっぱお祝いは派手でなくっちゃな」
「ですね」
エドにはそこから後はなぜかスローモーションに感じられた。
目の前の巨大な円が歪む。
そして歪んだことによって中心から飛び出してくるものがある。
今までとは比べ物にならないような大量の紙テープだ。
先ほどの小型クラッカーから飛んだ量の十倍以上が飛んでくる。
紙テープとともに飛んでくる音は破裂音どころか爆音と呼んでもいいものだ。
先にエドに届いた爆音が一瞬耳を麻痺させる。
そして飛んでくるテープは視界を塞ぐどころではない。
子供はもちろん大人でさえも直撃すればよろけてしまう量だ。
そのテープに三半規管が麻痺しているエドはバランスを失い豪快に尻餅をつく。
と自分が倒れたと認識したころに突然押し倒された。
同時に回復した耳に聞こえるのは女性の高い声だ。
「きゃーー!可愛い可愛いですわ!
びっくりして目がばつになるとこなんかとてもプリチーですわ!」
●
大将が扉を開けると部屋の中には火薬の臭いが籠っていた。
目の前には紙の固まりに覆いかぶさって嬌声を上げる金髪の女性がいる。
大将は人のような形に見える紙の塊に覆い被さる彼女に声をかける。
「おいソラノ俺をのけ者にするたぁどういうことだ」
と覆いかぶさっていた女性、ソラノが顔を上げてそれに答える。
「だって大将遅いんですもの。
エドにばれると計画失敗だから始めちゃったんですの。
遅れる大将が悪いんじゃなくて」
大将はその言い分に苦笑いをしながら白髪頭をかいている。
その時頬を膨らませて答えるソラノの下の紙の塊が突然もぞもぞと動き出した。
「ぷはぁ」
紙テープの塊から顔を出して必死で息をするのは赤い髪の少年エドだ。
テープに埋もれて息かできなかったのだろうかエドは今息を乱している。
混乱したエドが誰ともなく問いかける。
「な、なんすか。これはなんすか」
最後のほうには声は若干上ずっていた。
傍らに近づいてくる女性がいる。
「ほらソラノは退きなさい。エド手を出して」
上に乗っていたソラノが退くとエドは手を出すまもなく手首をつかまれ立たされる。
「エド大丈夫?」
わけもわからないうちにエドは黒髪の女性に服についたテープやほこりを払われる。
「え、えっとお、お蔭様で大丈夫っす」
エドの目の前にいるのは長い黒髪の女性だ。
ノーマン、アレックスはどこから出したのかちりとりを持ってクラッカーの残骸やテープを片付けている。
大将が全員を見回しながら
「お前らちゃんと自己紹介はしたか」
「僕たちは済みましたけどサラさん達はまだですね」
箒で床を掃きながらノーマンが答える。
サラと呼ばれた先ほどをエドを立ちあがらせた女性が
「私はサラ・ネイル。42隊の通信士だからよろしくね、エド」
サラの格好はホットパンツに黒のタンクトップという露出の多い姿だ。
長く美しい黒髪をそのまま後ろに流している。
顔は東洋系で美しいといっていい部類だろう。
「わたくしもよろしくですの」
そう言って割り込むのは背中の中ほどにまで届きそうなやわらかいウェーブのかかった髪を大きなリボンで結んでいる女性だ。
「ソラノ・ミスティですの」
彼女は宝石のようにきらきらとした青い大きな目でエドを見上げてくる。
ふわふわの髪に動きにくそうふりふりの服をきているので美しい顔もあいまってアンティークドールーのような印象だ。
「エドワード・ターナーっす。お二人ともよろしくっす」
エドが軽く頭を下げるとソラノが急に大声を上げる。
「きゃー!可愛い」
彼女はエドの胸の当たりに抱きつくと顔を押し付けてくる。
「まふまふ」
顔を押し付けてしまっているので何を言っているのか聞こえない。
慌てているエドのことなどかまわずに顔を押し付けてくる。
そのまま引き倒されそうになるエドを駆け寄ってきたアレックスが支える。
「ソラノ、また悪い癖が出てるよ」
サラが容赦なくソラノの長い髪をつかんで引き剥がす。
ずいぶんと粘っていたソラノだがさらには勝てずに引き剥がされた。
引き剥がされてなお飛び掛ろうとするソラノだが突然我に返ると頭を下げて謝り始める。
「わわ!わたくしったらつい飛び掛ってしまって…ごめんなさい」
猛獣に襲われたエドは呆然としながらも
「い、いえ大丈夫っす」
そこに後ろからアレックスがそっと耳打ちする。
「あいつには気をつけろよ。暴走すると誰も手をつけられいほど凶暴――
アレックスが言い終わらないうちに軽い音が響きエドの髪が軽くゆれる。
「え?」
エドが頭を抑えると髪の毛が数束落ちてくる。
音の向かった方向、後ろを振り向くと額に深々とメスが刺さったアレックスが声も上げずに倒れていた。
急いで助け起こそうとするエドの後ろからソラノの猫なで声が怪しく響く。
「わたくし軍医もやっておりますの。怪我したら見せにきてねエド」
錆付いた様なのろのろとした動きでエドが顔を向けると笑顔のソラノが腕を振り下ろした体勢で止まっていた。
静止しきれなかったサラが頭に手をあてている。
「悪いお口は治療が必要ですわよね?」
脂汗を滝のように流すエドに続けて
「ね?」
と影のある笑顔で同意を求めてくる。
彼女の背後には鬼が見えていた。
(姉さん都会はやっぱり恐ろしいっす)
額からどくどくと血を流すアレックスを気にも留めず大将が
「よっし、自己紹介も済んだところで今日はエド、てめぇの歓迎会だ。騒ぐぞ」
「よしゃあ!そうこなくっちゃ」
血だまりから平気で起き上がったアレックスがそれに賛同する。
「ではお酒を出してきましょうか。ケーキもありますよ」
ノーマンが食堂の冷蔵庫から料理を取ってくると宴が始まった。
●
食堂を舞台とした歓迎会は始めは和気あいあいと始まったものの数時間たつ頃には地獄絵図の様を呈していた。
エドは少し引いたところでその惨状を見ているが惨憺たるものだ。
原因はフローリングの部屋の中央に折り重なっている酔っ払い三人。
悲劇の始まりはこうだ。
第42小隊では空き部屋を有効利用しようということでいくつかある空き部屋の一つを食堂として使っている
食堂にはテーブルと数脚の椅子があり今は宴会をしている。
部屋ではサラとソラノが今日の調査結果を揚揚と語っていた。
「調べていた例の件、証拠がとれましたわ」
傍らで嬉しそうにしかし静かにケーキを食べていたサラがそれを補足する。
「うん。近いうちに令状とれそうだよ」
ソラノとサラはエドの見る限り一緒にいることが多い気がする。
二人は仲がいいのだろうかこの捜査も二人でやっていたようだ。
先ほどの様子を見ているとアクセルとブレーキでバランスが取れているように見える。
若干アクセルが強すぎるのが問題だがいいコンビだなと思う。
「それはいい知らせですね」
少し引いたところでワインを飲んでいるノーマン。
彼はこの隊の副隊長で参謀でもある。
人の機嫌を損ねずに受け流す技を持っている。
どこかの酔っ払いとは違いできた大人の対応だ。
一方エドは隊内唯一の未成年で酒は飲めない。
食堂にあるテーブルの俗に言うお誕生日席について一人で子供っぽくジュースを飲んでいる。
目の前に置かれている五分の四ほど残ったケーキもそれを引き立てる。
アレックスとノーマン、大将はケーキを食べないのでこれがエドの処理するべき量だ。
女性陣に不公平だと訴えたところソラノいわく
「女の子は大変なんですわ」
エドは何が大変なのか食べると何が変わるのか聞いてみたかったが鬼が見え隠れしていたので問いかけることはできなかった。
ノーマンがケーキを食べない理由は
「すみませんエド君。私は生クリームが駄目なんですよ」
ノーマンは本当にすまなそうに謝罪をしていた。
エドには彼を責めるつもりはない。
苦手なものは誰にでもあるものだ誤ってくれた分だけでもまだましだ。
問題は大将とアレックスにある。
大将はエドの前に鎮座している特大ケーキを買ってきたくせに食べようともせずに今は部屋の隅でアレックスと一緒にへべれけになっている。
隊内恒例一発芸大会の時に「ワク☆ワクッ一気飲み」とやらをやっていたからだ。
大きな器に手当たり次第に酒を流しこみ一気飲みするだけの単純な芸。
確かに一気にあれだけの量を飲むのは驚嘆に値するが奴らはただ酒が好きなだけだ。
ちなみにワク☆ワクッしてたのは酒がたくさん飲めることが嬉しい本人たちだけだった。
今彼らの周りにはビールやワインなどのさまざまなアルコール類の空き瓶やつまみのピーナッツが散らばっている。
歓迎会が始まって早々酔いつぶれた彼らは部屋の隅にいびきをかきながら寝転がっていた。
一番歓迎会に乗り気だった大将も一番親しいアレックスも酔いつぶれているのでエドには居づらい空気が漂っている。
「情報屋なんて色仕掛けで一発ですわ。
スカートを一センチも釣りあげたら教えてくれましたわ」
そう言ってソラノはふわふわとフリルのついたスカートを摘んでみせる。
「ん~そう言うのはあまり感心しませんね」
苦笑しながらサラがフォローする。
「いや、色仕掛けっていうか脅迫じゃなかった?
スカートを触った瞬間メスとか血糊のついた糸鋸とか零れ落ちてきたじゃない。
情報屋の人完全にビビってたよ」
「なるほどね」
ノーマンも釣られたように苦笑する。
「ボウリョクオンナボウリョクオンn」
「ふん!」
チコが調子に乗って前足を上げてはやし立てるとソラノがそれを殴り飛ばす。
チコはかろうじて保っていたバランスを崩すと激しい音を立てて壁に激突する。
ソラノは殴打して赤くなった手を軽く振りながら
「そ、れ、は、と、も、か、く。ギャングの検挙も近いですわ」
「麻薬売買でしたか?若者が安易にそういうものを手に入れられるのも危ないですからね」
グラスを片手に若干酔っ払っているソラノの相手をするノーマン。
傍らにはサラもいて嬉しそうにケーキを食べている。
甘いものが好きなのだろうか彼女は食べる速度は決して速くないが味わいながら自分のケーキを食べている。
エドはそのまま自分の前にある大量のケーキも食べてくれないかと心の中に儚い夢を思い描いてみる。
皆が自分のいやすい場所に収まっていた。
とその時突然酔いつぶれていたはずのアレックスが起き上がってソラノに近寄っていった。
彼はソラノのそばまで来るとテーブルにおいてあったビールの口を指で塞ぐとシェイク
「そら~よかったじゃね~か」
ソラノに瓶の口を向けて指をずらす。
ビールは栓となっていた指を除かれ勢いよく飛び出す。
ビールのシャワーはすぐ下にあるソラノの頭にぶちまけられる。
残っていたビールは半分ほどだがこの距離ではすべてソラノにかかってしまう。
不穏な空気を感じ取ったサラは既にケーキの乗った皿を持ってノーマンの近くに避難していた。
「こここ……こんの~!!」
ビールをかけられ逆上したソラノは今までの口調と打って変わって低い声を出す。
「ん?」
彼女は電光石火の素早さでエドの前においてあった皿を掴むと上に乗っていたケーキごとアレックスに向けてぶん投げる。
「何してくれてんのよ!!」
しかし流石は酔っ払いコントロールも大したものだったアレックスに向けて投げたケーキは見当違いの方向にすっぽ抜ける。
ケーキの向かう先そこには先ほどのソラノの大声で目覚め顔を上げた大将がいた。
「「「あ!」」」
エド、ノーマン、サラの酔っ払っていない三人の声が重なる。
酔っ払ってよけることのできない大将の真っ赤な顔に顔にケーキは直撃。
「ささ非難しましょう」
ノーマンはいち早く立ち上がるとチコを抱えエドの背中を押して部屋を出る。
その後ろでサラが
「よくあることなの。こういうのも」
食堂のドアを閉める。
閉まる直前に大将が何か怒鳴っていたが途中で何か怒鳴っていたが良く聞こえなかった。
閉まったドアの向こう側、食堂から漏れ聞こえてくるのは乱闘の音だ。
打撃音やガラスの割れる音果ては破裂音まで聞こえてくる。
エドは音を聞きながら慌てた様子で
「い今の音はクラッカーっすよね!?」
逃げ出すときに持ってきたケーキを食べながらサラは答える。
「わかんないよモグモグもしかしたらもしかするかもね」
「ガン?ガン?」
能天気にはやし立てるチコ。
「しゃれにならないっすよ」
エドは平然とした二人にまくし立てる。
「ま、ここには医者もいるし大丈夫ですよ」
部屋に戻ろうとするエドを手を上げて静止する。
「その医者があん中にいるんすよ!?」
中のことを心配するエドの目の前で二人と一体はシンクロしたようにコップを手に持つと壁につけてしゃがみだす。
ちなみにチコはてっぺんの隙間から聴診器らしきものを出している。
「スタンバイ」
「OK」
「オーケー」
無駄な統一感が見てとれる。
突然のことにあっけにとられているエドは当然の疑問を口にする。
「何してるんすか?」
振り向いたノーマンが問いへの答えを返す。
「これはですね盗聴してるんですよ。もう一つありますからエド君も使いますか?」
ノーマンはエドにコップを差し出す。
「いやそれよりも先にすることがあるでしょ」
「あ!」
突然サラが何かに気づいたように声を上げる。
「今テーブルが飛んでったね。多分アレックス直撃」
それを聞くとエドは急に居住まいを正してノーマンに声をかける。
「ノーマンさん」
「なんです?」
「コップ貸してほしいっす」
「どうぞどうぞ」
エドはコップを受けとると同じようにしゃがんで隣の喧嘩を盗聴する。
「あ~今派手に誰かが壁にぶつかったすね。転んだんすかね?」
「聞き取りが甘いね。あれはソラノの得意技ジャイアントスイング。かけられたのはたぶん大将」
ノーマンも軽く頷く。
「多分そうでしょうね。今日のソラノさんは切れが違いますね」
「そんなのわかるんすか」
コップから耳を離し問いかける、
「毎度のことだからね。経験だよ」
「そ、そんなに経験したくないっす」
「その内嫌でも慣れますよ」
その後も彼らは耳を済ませている。
突然壁に並んでコップで盗聴する三人の歓声が重なる。
「「「お?」」」
上がって。
「「「おぉ!?」」」
上がって。
「「「やった!!」」」
弾けた。
観客は先ほどの技を語り合うことに夢中だ。
「いや~、今のは綺麗にいったっすね」
身振り手振りで興奮を伝えようとするエド。
「うん、今のは見事だね」
サラも普段の静かな様子とは違い声に現れる興奮を隠すことができない。
「イイネイイネ」
「いやはや白熱してきましたねモグモグ」
「あ、ノーマンさんピーナッツもらてもいいすっか?」
「どうぞどうぞ。サラさんもいかがです?」
サラにもピーナッツの入った小鉢を差し出す。
「あたしはケーキがあるから」
サラがケーキの乗った皿を持ち上げて答える。
「ピーナッツ美味しいっす」
「しっ。静かに。今大将が反撃した」
「見事ですね。昔取った杵柄というやつですか」
「大将って何かやってたんすか?」
「詳しいことはわからないけどすごいらしいの」
「ええすごいらしいです」
観客の話題がややそれ気味になってきた。
その間にも怒号や物音が絶えることはない。
「な、何がっすか?」
「大将の多脚重機見ましたか」
「はい」
ノーマンの問いに頷くエド。
「あれはウブって言うんですけどね。古臭い見かけからわかるとおり今配備されている多脚重機の三世代前のものなんですよ。
今からえーっと四十三年前ですか?その時起きた大戦に配備されていたものなんですよ」
「めちゃくちゃ古いっすね」
「そう」
サラが説明を引き継ぐ。
「しかも当時の多脚重機の機甲兵った言ったら超が三つくらいつくエリート。
めちゃくちゃ活躍したんじゃないかと思うの」
「あれ?」
ここでエドが気付いたことを口に出す。
「ならなんで小隊なんて指揮してるんすか?
本当ならもっと上の方にいる人じゃ」
「「うんうん」」
もっともらしくうなずく二人
「それが大将が謎の人物たる所以なんだよ」
「何処調べても分からないですしね。英雄なのか役立たずの骨董品を押し付けられてるだけなのか知っているのは本人とチコのみと」
ノーマンは会話に加わらずに壁に聴診器をあてているチコを見下ろす。
「シラネ」
「いつもの対応ですね」
その時ひと際大きい音が壁を揺らし皆の関心はそちらに向く。
「おっと!これはソラノさんとアレックス君のタッグですね」
「アレックスが大将を羽交い絞めにした!?」
「あうっち!金的いったっす。あれは悶絶門もんっすね」
「ソラノの金的は幾多の男達を不能にしてきた必殺技。決まった!?」
「恐ろしいですね」
「恐そろしいっす」
声をハモらせた男二人が壁にコップをつけたまま内股になる。
それから数時間近くも選手の解説を交えた親父くさい観戦は続いた。
数時間後の深夜雄たけびや音の止んだ食堂を覗けばこの有様だ。
用意していたアルコール類は全部フローリングにぶちまけられている。
ケーキや料理が壁に奇抜な化粧をほどこしていた。
極めつけは部屋の中央には奇怪なオブジェが立っている。
まず土台がある。
土台の上には一つの塔が立っている。
土台のちょうど真ん中に少し傾きながら立ち根元にはアーチも持っている。
いやアーチが塔を持っているというべきだろうか。
これが前衛アートだと言われれば信じてしまいそうな奇怪な様だ。
倒れそうでありながら絶妙のバランスを保っている。
土台がアレックス、塔は逆さまになった大将、そしてアーチはのけ反ったソラノだ。
ソラノは大将の腰を細い腕でがっちりホールド。
つま先立ちもきれいに決まっている。
大将は地面に打ち付けるべき首をアレックスの腹部にめり込ませている。
しかし酔っ払い各々の無理な体勢も気にせずいびきをかいている。
三人の周りの汚れは特にひどく惨憺たるものだった。
「た、立ったまま寝てるっす!?」
「今回の勝者はソラノさんですか」
ノーマンが腕を組んで傍らに立ちながら考察する。
「この奇怪なポーズ決め手はジャーマン・スープレックスですかね?」
「多分そう。この前本を読んで研究していた」
惨状にあっけにとられているエドを置いてきぼりに話は進んでいく。
「そこまで入念に下調べをしていたとは…」
「ノーマン」
「わかってますよ。今回の賭けはサラさんの勝ちです」
ノーマンは右腕を一度振る。
するとそこにはひとつの物体が現れる。
皮でできた財布だ。
目をこすっているエドの前で取り出されるのは数枚のお札。
お札は持ち主の手からサラへと渡される。
「ん」
サラは上機嫌に微笑みながら頷くとソラノの腕を掴んでホールドを外す。
反ったままのソラノを肩に担ぎあげる。
女性なのに人一人を持ち上げるサラはなかなか鍛えているようだ。
支えられていた大将が倒れないうちにノーマンが滑りこみ抱え上げる。
「じゃノルマは一人づつね」
「じゃあ私は大将を運びますからエド君はアレックス君をお願いします。住所はわかりますか?」
「え?あ、はいっす。事前に教えてもらってるから大丈夫っす」
「それなら今日はこれで解散ということで」
大将の位置を調整すると食堂を出る。
その後ろにサラも続き
「鍵閉めるから閉じ込められちゃうよ?」
エドは急いでアレックスを担ぎあげる。
その腹部が不自然にへこんでいたが見て見ぬふりをした。
「い、今行くっす」
慌ててエドは食堂を後にする。
「汚れた部屋はどうするんすか?」
「きっと明日にでもその三人が掃除するでしょう」
エドは鍵を閉めているノーマンに尋ねる。
時刻は深夜であたりに人影はない。
春といえども深夜になれば若干肌寒い。
鍵を閉めている間大将は邪魔になるので路上に直置きだ。
「そういうとこはちゃんとしてるからね。それじゃおやすみ」
「ええおやすみなさい。エド君もおやすみなさい」
「はい、おやすみっす」
そう言うとサラとノーマンは飲んだくれた荷物を背負い直し別々の家路に着く。
エドは彼らの姿が見えなくなるまで手を振っている。
彼らが角を曲がり数分した頃エドが突然つぶやく。
「いつまで背中に乗ってるっすか?」
「行ったか?」
「随分と前に。知ってたっしょ」
エドの背中からアレックスが立ち上がり伸びをする。
腕を上に伸ばし背を反らせながら
「ん~動かないってのもなかなか疲れるな」
伸びをするアレックスの目の端にはあくびの涙の雫が見える。
「なにいってるんすか。ごろごろするのは得意技っしょ」
「動かないこととごろごろすることはちげぇんだよ。まいっか。よし、帰るぞ」
そういって一人歩き出すアレックス。
エドは立ち止まったまま後ろから疑問を問う。
「どこから演技だったんすか?」
「最初から最後までだな」
「あの人たちは演技しなきゃいけないほど信用できないんすか?」
「いや。いい奴らだよ。近年稀に見るくらい」
「じゃあなんでそんな面倒くさいことしてたっすか?」
「単純な気まぐれだな」
「俺がここに溶け込みやすいようにっすか?」
「だから気まぐれだ」
エドはその答えに気遣われているなと思う。
アレックスはいつもそうだ。
不器用な彼は照れくさいのか大切なことはいつもはぐらかす。
「いいからさっさと帰るぞ」
帰り道を歩いていくアレックスの後ろをエドが少し頬を緩めながらついていく。
町が空に浮いてるっす!」
空は高く澄み線路の引かれた大地には初春の太陽の光が降り注いでいる。
湖上から岸へは心地よい涼しい風が吹き付けている。
蒸気機関車が白い煙をまき散らしながら線路を南に辿るのはレムリア連邦首都キングスシェムの直下に広がる湖の湖畔だ。
湖は直径数十キロにも及び水は透明に透き通っていて日光をキラキラと反射させていた。
反対側に目を向ければ浮遊都市の繁栄に伴って形成されたベッドタウンが広がっている。
汽車はのどかな午後の日差しを浴びながら特に急ぐようでもなく湖畔を首都連結橋の方向に向かっている。
前の方の車両からは赤髪の少年エドが湖を見て声を張り上げている。
エドが乗っているのは先頭から二番目の車両の湖に面した側の四人用のコンパートメントだ。
大声を出しながら喜々として窓の外に頭を突き出しているエド視線の先には首都キングスシェムが湖の上に堂々と浮遊していた。
「話には聞いてたけどマジで浮いてるっす。
さすが首都は一味違うっす!」
エドは目を皿のように見開きながら初めて見るものに歓喜していた。
それは今世界で一番幸福な人間は誰かと聞かれればエドだ、と答えても過言ではないような喜びようだった。
「ああ君少し静かにできないかね」
エドの向かい側の席には神経質そうな初老の男性が文庫本を片手に乗っている。
彼はエドの醜態に顔をしかめていたがエドはどこ吹く風と言うように全く気付いていない。
先ほどのような呼びかけもひとつ前の駅を出てから三十分で十回を超えている。
「ふぅ」
しばらくして男性もようやく無駄だと気付いたのか読みかけの本に栞を挟みサイドボードに置くと窓際に肘をついて窓の外に目をやる。
窓の外に広がる湖の水面は太陽の光を跳ね返しているが中央の浮遊島が大きな影を落としているのでドーナッツ状に光っていた。
浮遊島はより広く張り出すように零れ落ちるように建物が建築され元の形から大きくかけ離れていた。
中央には中央省庁の高い影、周りには中央より幾分か低い住宅の影や高架橋の影が見える。
島の周囲には商船や警備艦が蠅のように飛び交っている。
島は数百年前の天変地異で空中に浮き上がったということだが詳しい調査はまだ進んでいない。
島を眺めていた彼が車内に目を戻してもエドは騒ぎ続けていたがふと優しい顔付きになる。
子どものことでも思い出しているのだろうか見守るような温かい眼差しを向けている。
(うちの子どもにもこんな無邪気時期があったなあ。彼も初めて首都を見たならしょうがない)
エド決して子どもと言えるような年齢では無いのだが男性にはどちらも同じように見えるようだ。
エドのいでたちは丈夫そうな革のジャケットにジーンズだ。
座席に膝立ちしながら座っているエドの背後にはさらに大きな旅行カバンと身の丈ほどもある大きな布の包みが置かれている。
包みの長さは1,7メートルほどで細長く棒状だ。
布は緩くしかし多く巻かれているので中の棒の形を正確に知ることはできないが先端は膨らんでいるようだ。
「おー!橋っす!でっけーっす!」
ちょうど機関車が連結橋に差し掛かった時またもやエドが大声を上げる。
連結橋の全容は金属製で幅は300メートル長さは数キロにも及ぶ湖の岸と首都とをつなぐ長い長い坂道だ。
線路の横には歩行者も車も一緒に通れるように専用の道路が作られている。
湖の中心まで続く坂道を機関車が煙を上げながら登っていく。
途中車や人を追い越して行きながら機関車は首都へ向かっていく。
エドの目的地を目指していく。
●
エドが停車場に止まった汽車から降りるとプラットホームは大量の人でごった返していた。
エドのいる場所はちょうど人の流れの激しい場所赤い髪の毛だけが人ごみの外からでも見て取ることができる。
「うぉー!さすが首都っす!」
エドは半ば人の動きに流されるようにしながら感動していた。
人が多すぎて思うように動けず他人の後ろについていく形だ。
人の群れの種類は多種多様でタキシードとドレスの集団もいれば出稼ぎにきた着の身着のままな人間もいる。
天井がアーチで覆われているせいで人々の熱気や煙草、葉巻の煙が籠りに籠っていた。
エドは押しつ押されつしながらも何とか改札口にたどり着く。
荷物が自動改札に引っかかったが何度か試行錯誤しているうちに無事に出ることができた。
人ごみにもまれてエドはげっそりとしていたが自分の後ろに並んでいた人たちに頭を下げるとカバンと包みを背負いなおし歩き始める。
彼は周りの人間を見渡しながら何かを探すように歩いていく。
ここで旧友と待ち合わせをしているからだ。
予定では改札から出てきたエドを出迎えてくれるはずだ。
しかし人を探そうにも人が多すぎて視界も遮られ声も聞こえずとても一人を探す事はできそうにない。
「人が多すぎてわかんねーっす。姉さん都会は恐ろしいっす」
エドが左右を見回しながらつぶやく。
しかしその声すらも人も群れが作り出す音に飲み込まれていく。
エドが人の多さに途方にくれ軽く頭痛を覚えてきた頃突然人垣の向こうから。
「おーい!エド!」
叫んでる人物は人ごみの向こうで確認はできなくしかも他の音にかき消されそうな大きさだったがその声は確かにエドの耳に届いた。
エドは彼を呼ぶ声の聞こえてきた方向に向かって人込みをかき分け進み始める。
人にぶつかりぶつかられ足を踏み踏まれながら何とか人込みを進んでいく。
人が密集しているところを抜けるとそこはもう駅の外で大きな広場に面していた。
広場の中央には女性が抱えた瓶から水が噴き出す噴水があり周りには幾つもの木製ベンチが並んでいる。
ベンチの中でも一番近いものを金髪の男が軽く腕を組みゆったりしながら占領していた。
「よ。久し振りだな。」
男は馴れ馴れしげにエドに向かって片手を上げる。
「アレックス!ひどいっす!なんで外にいるんすか!」
エドがベンチに座っている男アレックスに抗議をする。
アレックスはエドより頭一つ高い長身で軽く癖のかかった金髪を耳にかかる程度に切りそろえている。
服装はカーゴパンツに濃い紺色のTシャツ、コンバットブーツという一目で軍人と分かるような格好をしていた。
しかし動作には軍人特有の几帳面さは感じられず整った顔と相まって軽薄な印象すら受ける。
「いやー駅に入ろうかと思ったんだけど人が多くてな。
疲れるじゃん?それにお前ならここでも気付くだろ」
上げていた手をひらひらと振りながらアレックスはエドに弁明する。
「職務怠慢っす」
責められているアレックスは髪をかき上げながら、
「あ~はいはい。俺が悪かった悪かった。ちゃんと迎えに行けばよかったな。
そいやブリジットの奴は元気か?」
「姉さんすか?変りなく元気っすよ」
話題を素早く切り替えるアレックスとそれにすぐ流され不満を忘れてしまうエド。
「そうか。うん、それは良かった。
それじゃ立ち話もなんだし詰め所に行くか」
そう言ってその場しのぎの話を打ち切るとアレックスは勢いをつけてベンチから立ち上がり歩き出す。
その数歩後ろをエドが大きな荷物を背負い直しながらついていく。
●
エドが詰め所に持った第一印象はきたないだった。
詰め所が立っているのは浮遊島を円形に見立てられる。
一番南にある連結橋のある区画から左回りに第一区画、第二区画と続き第八区画まである。
また中央には政府の主要施設が集まった中央区角もある。
詰め所があるのは第一区画から右周りに二つ第七区画だ。
広場から環状の路面電車で十分分さらに歩いて五分ほどの距離だ。
場所はごちゃごちゃとした商店街の片隅に位置する。
詰め所は隣の背の高い建物に日光を遮られ日陰の中にこじんまりと建っていた。
外壁は長年の風雨にさらされペンキが剥げているような部分もある。
扉の上には石でもぶつけられたのか少しへこんだ看板がここは第42小隊の詰め所であるということを示していた。
正規軍の花形首都警備軍の詰め所とは思えないような装いだ。
「すごいっすね…」
「ああすごいだろ」
アレックスはエドの皮肉にも気付かず能天気に笑いながら答える。
「さ、見とれてないで入った入った」
彼はエドを置いて歩き出すと遣り戸をあける。
その遣り戸の窓も曇って中が見えなかった。
「うぃーす、ただいまー。新人連れてきたぞー」
入って右には仮眠室へと続くと思われる廊下がある。
部屋の面積の大半を占めているのはいくつかの机の群れだ。
どの机にも一台づつパソコンがあり乱雑に書類やファイルが積み上げられ驚異的なバランスでこらえていた。
一番奥のおそらく隊長が座るであろう机は空席だ。
空席の中唯一手前の右側の唯一整理されている机には新聞を読んでいる男がいた。
行儀悪く組んだ足を机の上に載せ顔は新聞で隠れるており確認できない。
「ん?お帰りなさい」
男はアレックスとエドに気付くと新聞をポケットに入れて。
男の身長はエドと少し変わらない程度で軍人にも関わらずスーツを身にまとっている。
年齢は二十代の半ばで灰色の髪を邪魔にならない程度に伸ばしている。
地味だが温和そうな顔つきでメタルフレームのメガネをかけており面倒見の良く仕事もできる人と言った印象だ。
「君が新人さんですか?ノーマン、ノーマン・クロフト大尉です。よろしく」
そう言うとノーマンはエドに向かって右手を差し出す。
「自分はエドワード・ターナー少尉であります。本日付で第42小隊に配属されてまいりました」
エドは右手を握り返しながら自己紹介をする。
「そう硬くならないでください。ここでは階級に意味なんてほとんどありませんから。気軽にノーマンと読んでください」
「は、はぁそうですか。ノーマンさんよろしくお願いしますっす」
エドは幾分か気の抜けた様子で手を放す。
自己紹介が一通り終わったところでアレックスが割り込んでくる。
「で、いまいるのはノーマンだけか。他のは外回りか?大将は?」
「はいサラさんとソラノさんは例の件の調査。大将は確か第7ドッグに駆り出されてますよ」
アレックスがそれを聞いて軽くのけぞってみせる。
「ほ~。そう言えば今日一日ずっと手伝うっていてたっけな。ご苦労なこった」
「しょうがないですよあそこトーマスさんと大将は古い友人らしいですしうちのも整備してもらってますし」
ノーマンが眉を八の字にして返す。
とそこでエドが疑問を投げかける。
「あのー大将さんて誰っすか?」
「ああうちの隊の隊長さんですよ。」
「大将隊長ですか。なんてお名前なんすか?」
「本名は不明です。あと隊長はいらないですね。首都ならどこでも大将で通じますよ」
「階級は何すか?」
「えっと…不明ですね」
アレックスも補足するように答える。
「誰もしらねぇんだよ」
「年齢は?何才なんすか?」
「それも分からないですね」
「調べても載ってないんだよ」
「怪しくないっすか?」
「はい怪しいですね」
「ま、怪しいわな」
「大丈夫なんすか?この隊」
「今のところは」
眉を八の字に浅く傾け苦笑いをしながらノーマンが応える。
「ま、一度挨拶に行っといた方がいいな。地図書いてやるよ」
アレックスが自分の机に座るとメモ用紙に地図を描き始める。
「ありがとうっす」
待っている間にノーマンが話しかけてくる。
「首都に来るのは初めてなんですか?」
「二度目っす。でもびっくりしたっす」
「そうでしょうね。
首都が空に浮かんでる理由はこの国の科学者が今まで研究してきても解っていない怪現象ですからね」
雑談をしながら髪をかき上げる。
「そう言えばエド君とアレックス君は知り合いなんでしたっけ?」
エドは言葉を選んでいる間につづけて問いかけられた。
「なんでも同じ士官学校で先輩後輩だとか。」
「そうっすね。兄弟みたいな関係だったっす」
「ほう、そうですか。仲が良いんですね」
「はいっす」
とそこで地図を書き終わったアレックスがメモ帳の切れ端をエドに差し出す。
「早いとこ行ってこいよ」
「おっす」
エドは荷物を置くと勢い良く詰め所を飛び出していった。
●
電車に乗って五分ほどでエドは第七区画外周部に建設されたドックについた。
第七ドックの外観は大きな倉庫のように見えた。
高さが四十メートルを超えるような巨大な倉庫が幅五メートルほどの道に面して五百メートル近く並んでいる。
倉庫の正面には幅五メートルを超えるような金属の扉がいくつも付いており開け放たれていた。
さらに手前の空き地には貨物であるコンテナが山のように積み上げられている。
幾つもの巨外クレーンが積み上げられたコンテナの移動を担っている。
道路には多くのトラックやフォークリフト、キャタピラ型重機が大小さまざまなコンテナを運んでいる。
それらは開け放たれた扉を通りひっきりなしに倉庫とコンテナ置き場を行き来している。
エドは邪魔にならないように道の端を通りながら倉庫に近づいていく。
近づいていくにつれて倉庫の大きさがより実感できるようになる。
「おら、邪魔だ。どいたどいた」
倉庫を見上げていると作業服姿の屈強な男たちがエドを押しのけて倉庫に入っていく。
その男たちの後について中にはいれば怒号が飛び交っていた。
これはどこだとかそれはあっちだとか男たちの野太い声が混ざり合ってよく聞こえない。
外からでは奥行きはわからなかったが内部から見れば三百メートル近くある。
そして向こう側の壁は無くそのまま空に開け放たれている。
床はコンクリートで一部は二十メートルほど掘り下げられていた。
掘り下げられた部分には幾つもの航空艦艇が停泊している。
大きさは百メートルを超すようなものもあれば三十メートルを下回るようなものもありまちまちだ。
種類も民間の商業船や軍用の戦艦が停泊していた。
どの商船からもガイデリックが荷物の積み下ろしをしていた。
デリックには「バンジー禁止」と張り紙が貼ってある。
(そんなことする人がいるんすか)
エドは大将を探すため手近にいたクリップボードを持った主任らしき男に声をかける。
「あのー!たいしょーって人はどこにいるっすか!」
「あー?きこえねーよ!」
周りの大声や駆動音にかき消されないように声を張り上げるが届かなかったようだ。
「たいしょーっす!第42小隊の隊長っす!」
「あー!たいしょうな!あっちだあっち!」
(本当に大将で通じるんすか!?)
男の指が指し示す方向にはひと際大きな商船が止まっていた。
「ありがとうございますっす!」
「おう!」
エドは手を振っている男に礼を言うとそちらに向かって歩き出した。
船体の形は丸みを帯びた大きな濃い青色の長方形。
船体後部下部が角を切り取るように傾斜していることや主翼が横から補助翼が後部から突き出している姿がクジラのようにも見える。
近づいていくと船体の横腹に書かれている文字が明確に見えるようになる。
船体には「Kaf class 25 Glasyalabulas」と白いペンキで書かれている。
航空艦艇には排気量順にアレフ級 ユッド級 カフ級 ラメッド級 メム級 ヌン級とある。
グラシャラボラスはカフ級ということで全体の平均以上、民間の中では最大級に位置する艦だ。
全長は二百メートル幅百メートル高さも五十メートル近くありこのドックで扱えるものとしては最大級だろう。
船の横腹は開放されており中からフォークリフトで積み荷が降ろされている。
コンテナ外部に書かれている文字はエドには判別できないような外国の文字だ。
すぐ近くにコンテナの山ができているが艦内部にはまだ半分以上の積み荷が残っているのが見えた。
「おらー!さっさと運びだせ」
拡声器を持って指揮をしている男がいた。
胸の名札にはトーマス・モアと書かれている。
その男にエドは手でメガホンを作り問いかける。
「あの!たいしょーってどの人っすか?」
今度は一度で聞こえたらしくすぐに拡声器を使って取り次いでくれた。
「おーいたいしょーお客さんだー!」
男が船に向かって呼びかけると船体から一台の多脚重機が前腕でコンテナを抱えながら出てくる。
色はアイボリーで高さは脚を曲げている状態でエドの伸長をゆうに超す蜘蛛のような外観だ。
胴体の大きさは横三メートル高さ二メートル奥行き六メートル程度で外部カメラが八個ありそれも蜘蛛という印象を強くさせる。
ところどころにへこみや傷を補修した跡が見えるが歩いてくる姿も駆動音も滑らかだ。
唯一の違和感は背部には倉庫には似つかわしくない砲塔から長砲とガトリング砲が伸びていることだ。
おそらく先の大戦つまり四十年以上前のものなのだろう。
しかし武装の手入れは行き届いておりまだまだ実践で使えるものだ。
多脚重機はエドの眼の前まで来るとコンテナを脇に置き胴体を低く下げて腹にあるコックピットハッチを開けた。
そこから出てくるのはつなぎを身にまとった老人だ。
胸の所に縫い付けてある名札は空白。
彼は地面に降り立つと安全靴を鳴らしながら近寄ってくる。
「大将っすか?」
「おうよ」
身長はエドより少し低いががっしりとした体躯だ。
口髭を蓄えておりおおらかそうな顔をしている。
帽子をかぶり首に機械油で黒く汚れたタオルを巻いている。
「ところで誰だてめぇ」
「本日より配属のエドワード・ターナーっす」
「おいチコ」
彼のすぐ後ろからはチコと呼ばれた自律思考型の小型メカが降りてくる。
「ホイヨ」
チコは馴れ馴れしい言葉とともに円柱状になっている体の蓋をあけ中から幾枚かの書類を取り出す。
「ほぅ。新人ねぇ」
大将は片手で書類を持ちもう片方の手でタオルを弄んでいる。
書類には大将が前々から気になっていた点があった。
[氏名エドワード・ターナー]
[年齢18才]
[性別男]
上から順に項目を見ていくと経歴の欄にもいたって普通のことが書かれている。
義務教育終了後住居をサウスベスタに移転サウスベスタ士官学校入学、と書かれている。
(そして同校主席にて卒と。確かこれはアレックスの野郎も同じか。しかしなぁ…)
目の前では書類と長い間にらめっこしている大将を不審に思ってエドが小首をかしげている。
(まあいいか)
一つうなずき疑問をすべて押しやると大将は書類を後ろに行きよいよく放り投げる。
止めてあったクリップが外れ書類がバラバラに宙を舞うが大将は気にも留めない。
「おい!トーマス俺は新人が来たんで抜けるぞ!いいか!」
大将が声を張り上げるとトーマスが腕で大きく丸を作る。
「よしエド乗りな!」
大将は満面の笑みで親指を立てて大型重機を指す。
大将の後ろでチコが哀愁漂う動作で四散した書類を寂しく拾っていた。
「の、乗るってどこっすか!?」
エドの疑問は尤もなことだった。
一人乗りである多脚重機に二人は無理をしても乗れない。
「上だよ上」
エドが上、脚を曲げて屈んでいる多脚重機の背面を背伸びして覗くと何箇所か取っ手のような部分がある。
確かにそこにつかまれば十人弱は乗れそうだ。
「ここっすか…?」
大将は白い歯を見せるように笑いながら
「男は根性だ」
なんてことをのたまった。
「チコ!さっさとしやがれ行くぞ」
「マッテヨ」
大将は自分がばらまいた書類を一生懸命拾っているチコを急かすと多脚重機に乗りこむ。
戸惑っているエドに外部スピーカーから声が飛ぶ。
「ほれおめえも早く乗れ。置いてくぞ」
「わわ!乗るっす」
背中にエドを張り付けたまま多脚重機はドックを出ていく。
●
エドと大将が詰め所についたころにはあたりは闇に包まれていた。
詰め所の電気は外から見えるところは全部消えていた。
大将は裏のガレージに多脚重機「ウブ」を停めてくるのでエドは今一人で詰所の前に立っている。
明かりの消えた詰め所は古さと相まって不気味だ。
「誰もいないなんて何かあったんすかね?」
扉にはまっている曇った窓からはかけらも明かりが漏れてこない。
エドは不審に思いながらも扉に手をかける。
とそこでエドは何かに気付いたように手を止める。
数秒間何かを考え込んでから
「ふ~」
一息つくと明かりのついていない詰所の扉を開ける。
詰所の中に広がるのは見通すことのできない暗闇。
入ってすぐ左の壁に手を這わせ電気をつけようとする。
手探りで探し指がおうとつをとらえ明かりをつける。
目が明りに慣れるよりも前に火薬による乾いた破裂音が両側から二つ鳴り響く。
彼はそれに反応することができなかった。
●
大将はウブから降りたところでその乾いた音を聞いた。
密集する建物の間に木霊する音は火薬が破裂する音だ。
乾いた破裂音に大将は一瞬あっけにとられる。
しかし即座に大将は毒づいて走り出す。
「畜生!間に合えよ!」
大将が全力で走る合間にも音は散発的に響いていく。
そして五回か六回ほどなった頃に突然今までとは違う音が響く。
その音は今までの破裂音とは比べ物にならない大きな音だ。
音は大量の火薬が一度に爆発する大口径のものだ。
ここにいたって破裂音を聞いた近所の住民が窓やドアから外を覗き出す。
大将が詰め所の正面に回った頃にはあたりに何度か響いていた音は消えていた。
しかし直後に夜をつんざく女性の悲鳴が響き渡る。
大将が軽く息を乱しながら明かりの洩れる扉を開ける。
「遅かったか…」
中を覗き込んだ大将はその惨状に立ち尽くすしかなかった。
●
エドが中に入り明かりをつけると突然破裂音が響いた。
その音とともに飛んでくるものがある。
色とりどりの紙テープだ。
「うわぁ」
「「ようこそ第42小隊へ!!」」
エドが手を上げて顔をかばうと初めて聞く女性の声が聞こえた。
紙テープで視界が埋まっている間にも何度もクラッカーの音が鳴り響く。
「わわわ、なんすか!?」
顔にかかる紙テープを除けるたびに次の紙テープが飛んできて視界を塞ぐ。
エドが必死で紙テープを毟り取ったころにはクラッカーの音は止んでいた。
しかし目の前鼻の先からちょうど十センチくらいのところに直径40センチに迫ろうかというピンク色の円がある。
巨大クラッカーだ。
その円で前が見えないエドの耳にアレックスとノーマンの声が響く。
「やっぱお祝いは派手でなくっちゃな」
「ですね」
エドにはそこから後はなぜかスローモーションに感じられた。
目の前の巨大な円が歪む。
そして歪んだことによって中心から飛び出してくるものがある。
今までとは比べ物にならないような大量の紙テープだ。
先ほどの小型クラッカーから飛んだ量の十倍以上が飛んでくる。
紙テープとともに飛んでくる音は破裂音どころか爆音と呼んでもいいものだ。
先にエドに届いた爆音が一瞬耳を麻痺させる。
そして飛んでくるテープは視界を塞ぐどころではない。
子供はもちろん大人でさえも直撃すればよろけてしまう量だ。
そのテープに三半規管が麻痺しているエドはバランスを失い豪快に尻餅をつく。
と自分が倒れたと認識したころに突然押し倒された。
同時に回復した耳に聞こえるのは女性の高い声だ。
「きゃーー!可愛い可愛いですわ!
びっくりして目がばつになるとこなんかとてもプリチーですわ!」
●
大将が扉を開けると部屋の中には火薬の臭いが籠っていた。
目の前には紙の固まりに覆いかぶさって嬌声を上げる金髪の女性がいる。
大将は人のような形に見える紙の塊に覆い被さる彼女に声をかける。
「おいソラノ俺をのけ者にするたぁどういうことだ」
と覆いかぶさっていた女性、ソラノが顔を上げてそれに答える。
「だって大将遅いんですもの。
エドにばれると計画失敗だから始めちゃったんですの。
遅れる大将が悪いんじゃなくて」
大将はその言い分に苦笑いをしながら白髪頭をかいている。
その時頬を膨らませて答えるソラノの下の紙の塊が突然もぞもぞと動き出した。
「ぷはぁ」
紙テープの塊から顔を出して必死で息をするのは赤い髪の少年エドだ。
テープに埋もれて息かできなかったのだろうかエドは今息を乱している。
混乱したエドが誰ともなく問いかける。
「な、なんすか。これはなんすか」
最後のほうには声は若干上ずっていた。
傍らに近づいてくる女性がいる。
「ほらソラノは退きなさい。エド手を出して」
上に乗っていたソラノが退くとエドは手を出すまもなく手首をつかまれ立たされる。
「エド大丈夫?」
わけもわからないうちにエドは黒髪の女性に服についたテープやほこりを払われる。
「え、えっとお、お蔭様で大丈夫っす」
エドの目の前にいるのは長い黒髪の女性だ。
ノーマン、アレックスはどこから出したのかちりとりを持ってクラッカーの残骸やテープを片付けている。
大将が全員を見回しながら
「お前らちゃんと自己紹介はしたか」
「僕たちは済みましたけどサラさん達はまだですね」
箒で床を掃きながらノーマンが答える。
サラと呼ばれた先ほどをエドを立ちあがらせた女性が
「私はサラ・ネイル。42隊の通信士だからよろしくね、エド」
サラの格好はホットパンツに黒のタンクトップという露出の多い姿だ。
長く美しい黒髪をそのまま後ろに流している。
顔は東洋系で美しいといっていい部類だろう。
「わたくしもよろしくですの」
そう言って割り込むのは背中の中ほどにまで届きそうなやわらかいウェーブのかかった髪を大きなリボンで結んでいる女性だ。
「ソラノ・ミスティですの」
彼女は宝石のようにきらきらとした青い大きな目でエドを見上げてくる。
ふわふわの髪に動きにくそうふりふりの服をきているので美しい顔もあいまってアンティークドールーのような印象だ。
「エドワード・ターナーっす。お二人ともよろしくっす」
エドが軽く頭を下げるとソラノが急に大声を上げる。
「きゃー!可愛い」
彼女はエドの胸の当たりに抱きつくと顔を押し付けてくる。
「まふまふ」
顔を押し付けてしまっているので何を言っているのか聞こえない。
慌てているエドのことなどかまわずに顔を押し付けてくる。
そのまま引き倒されそうになるエドを駆け寄ってきたアレックスが支える。
「ソラノ、また悪い癖が出てるよ」
サラが容赦なくソラノの長い髪をつかんで引き剥がす。
ずいぶんと粘っていたソラノだがさらには勝てずに引き剥がされた。
引き剥がされてなお飛び掛ろうとするソラノだが突然我に返ると頭を下げて謝り始める。
「わわ!わたくしったらつい飛び掛ってしまって…ごめんなさい」
猛獣に襲われたエドは呆然としながらも
「い、いえ大丈夫っす」
そこに後ろからアレックスがそっと耳打ちする。
「あいつには気をつけろよ。暴走すると誰も手をつけられいほど凶暴――
アレックスが言い終わらないうちに軽い音が響きエドの髪が軽くゆれる。
「え?」
エドが頭を抑えると髪の毛が数束落ちてくる。
音の向かった方向、後ろを振り向くと額に深々とメスが刺さったアレックスが声も上げずに倒れていた。
急いで助け起こそうとするエドの後ろからソラノの猫なで声が怪しく響く。
「わたくし軍医もやっておりますの。怪我したら見せにきてねエド」
錆付いた様なのろのろとした動きでエドが顔を向けると笑顔のソラノが腕を振り下ろした体勢で止まっていた。
静止しきれなかったサラが頭に手をあてている。
「悪いお口は治療が必要ですわよね?」
脂汗を滝のように流すエドに続けて
「ね?」
と影のある笑顔で同意を求めてくる。
彼女の背後には鬼が見えていた。
(姉さん都会はやっぱり恐ろしいっす)
額からどくどくと血を流すアレックスを気にも留めず大将が
「よっし、自己紹介も済んだところで今日はエド、てめぇの歓迎会だ。騒ぐぞ」
「よしゃあ!そうこなくっちゃ」
血だまりから平気で起き上がったアレックスがそれに賛同する。
「ではお酒を出してきましょうか。ケーキもありますよ」
ノーマンが食堂の冷蔵庫から料理を取ってくると宴が始まった。
●
食堂を舞台とした歓迎会は始めは和気あいあいと始まったものの数時間たつ頃には地獄絵図の様を呈していた。
エドは少し引いたところでその惨状を見ているが惨憺たるものだ。
原因はフローリングの部屋の中央に折り重なっている酔っ払い三人。
悲劇の始まりはこうだ。
第42小隊では空き部屋を有効利用しようということでいくつかある空き部屋の一つを食堂として使っている
食堂にはテーブルと数脚の椅子があり今は宴会をしている。
部屋ではサラとソラノが今日の調査結果を揚揚と語っていた。
「調べていた例の件、証拠がとれましたわ」
傍らで嬉しそうにしかし静かにケーキを食べていたサラがそれを補足する。
「うん。近いうちに令状とれそうだよ」
ソラノとサラはエドの見る限り一緒にいることが多い気がする。
二人は仲がいいのだろうかこの捜査も二人でやっていたようだ。
先ほどの様子を見ているとアクセルとブレーキでバランスが取れているように見える。
若干アクセルが強すぎるのが問題だがいいコンビだなと思う。
「それはいい知らせですね」
少し引いたところでワインを飲んでいるノーマン。
彼はこの隊の副隊長で参謀でもある。
人の機嫌を損ねずに受け流す技を持っている。
どこかの酔っ払いとは違いできた大人の対応だ。
一方エドは隊内唯一の未成年で酒は飲めない。
食堂にあるテーブルの俗に言うお誕生日席について一人で子供っぽくジュースを飲んでいる。
目の前に置かれている五分の四ほど残ったケーキもそれを引き立てる。
アレックスとノーマン、大将はケーキを食べないのでこれがエドの処理するべき量だ。
女性陣に不公平だと訴えたところソラノいわく
「女の子は大変なんですわ」
エドは何が大変なのか食べると何が変わるのか聞いてみたかったが鬼が見え隠れしていたので問いかけることはできなかった。
ノーマンがケーキを食べない理由は
「すみませんエド君。私は生クリームが駄目なんですよ」
ノーマンは本当にすまなそうに謝罪をしていた。
エドには彼を責めるつもりはない。
苦手なものは誰にでもあるものだ誤ってくれた分だけでもまだましだ。
問題は大将とアレックスにある。
大将はエドの前に鎮座している特大ケーキを買ってきたくせに食べようともせずに今は部屋の隅でアレックスと一緒にへべれけになっている。
隊内恒例一発芸大会の時に「ワク☆ワクッ一気飲み」とやらをやっていたからだ。
大きな器に手当たり次第に酒を流しこみ一気飲みするだけの単純な芸。
確かに一気にあれだけの量を飲むのは驚嘆に値するが奴らはただ酒が好きなだけだ。
ちなみにワク☆ワクッしてたのは酒がたくさん飲めることが嬉しい本人たちだけだった。
今彼らの周りにはビールやワインなどのさまざまなアルコール類の空き瓶やつまみのピーナッツが散らばっている。
歓迎会が始まって早々酔いつぶれた彼らは部屋の隅にいびきをかきながら寝転がっていた。
一番歓迎会に乗り気だった大将も一番親しいアレックスも酔いつぶれているのでエドには居づらい空気が漂っている。
「情報屋なんて色仕掛けで一発ですわ。
スカートを一センチも釣りあげたら教えてくれましたわ」
そう言ってソラノはふわふわとフリルのついたスカートを摘んでみせる。
「ん~そう言うのはあまり感心しませんね」
苦笑しながらサラがフォローする。
「いや、色仕掛けっていうか脅迫じゃなかった?
スカートを触った瞬間メスとか血糊のついた糸鋸とか零れ落ちてきたじゃない。
情報屋の人完全にビビってたよ」
「なるほどね」
ノーマンも釣られたように苦笑する。
「ボウリョクオンナボウリョクオンn」
「ふん!」
チコが調子に乗って前足を上げてはやし立てるとソラノがそれを殴り飛ばす。
チコはかろうじて保っていたバランスを崩すと激しい音を立てて壁に激突する。
ソラノは殴打して赤くなった手を軽く振りながら
「そ、れ、は、と、も、か、く。ギャングの検挙も近いですわ」
「麻薬売買でしたか?若者が安易にそういうものを手に入れられるのも危ないですからね」
グラスを片手に若干酔っ払っているソラノの相手をするノーマン。
傍らにはサラもいて嬉しそうにケーキを食べている。
甘いものが好きなのだろうか彼女は食べる速度は決して速くないが味わいながら自分のケーキを食べている。
エドはそのまま自分の前にある大量のケーキも食べてくれないかと心の中に儚い夢を思い描いてみる。
皆が自分のいやすい場所に収まっていた。
とその時突然酔いつぶれていたはずのアレックスが起き上がってソラノに近寄っていった。
彼はソラノのそばまで来るとテーブルにおいてあったビールの口を指で塞ぐとシェイク
「そら~よかったじゃね~か」
ソラノに瓶の口を向けて指をずらす。
ビールは栓となっていた指を除かれ勢いよく飛び出す。
ビールのシャワーはすぐ下にあるソラノの頭にぶちまけられる。
残っていたビールは半分ほどだがこの距離ではすべてソラノにかかってしまう。
不穏な空気を感じ取ったサラは既にケーキの乗った皿を持ってノーマンの近くに避難していた。
「こここ……こんの~!!」
ビールをかけられ逆上したソラノは今までの口調と打って変わって低い声を出す。
「ん?」
彼女は電光石火の素早さでエドの前においてあった皿を掴むと上に乗っていたケーキごとアレックスに向けてぶん投げる。
「何してくれてんのよ!!」
しかし流石は酔っ払いコントロールも大したものだったアレックスに向けて投げたケーキは見当違いの方向にすっぽ抜ける。
ケーキの向かう先そこには先ほどのソラノの大声で目覚め顔を上げた大将がいた。
「「「あ!」」」
エド、ノーマン、サラの酔っ払っていない三人の声が重なる。
酔っ払ってよけることのできない大将の真っ赤な顔に顔にケーキは直撃。
「ささ非難しましょう」
ノーマンはいち早く立ち上がるとチコを抱えエドの背中を押して部屋を出る。
その後ろでサラが
「よくあることなの。こういうのも」
食堂のドアを閉める。
閉まる直前に大将が何か怒鳴っていたが途中で何か怒鳴っていたが良く聞こえなかった。
閉まったドアの向こう側、食堂から漏れ聞こえてくるのは乱闘の音だ。
打撃音やガラスの割れる音果ては破裂音まで聞こえてくる。
エドは音を聞きながら慌てた様子で
「い今の音はクラッカーっすよね!?」
逃げ出すときに持ってきたケーキを食べながらサラは答える。
「わかんないよモグモグもしかしたらもしかするかもね」
「ガン?ガン?」
能天気にはやし立てるチコ。
「しゃれにならないっすよ」
エドは平然とした二人にまくし立てる。
「ま、ここには医者もいるし大丈夫ですよ」
部屋に戻ろうとするエドを手を上げて静止する。
「その医者があん中にいるんすよ!?」
中のことを心配するエドの目の前で二人と一体はシンクロしたようにコップを手に持つと壁につけてしゃがみだす。
ちなみにチコはてっぺんの隙間から聴診器らしきものを出している。
「スタンバイ」
「OK」
「オーケー」
無駄な統一感が見てとれる。
突然のことにあっけにとられているエドは当然の疑問を口にする。
「何してるんすか?」
振り向いたノーマンが問いへの答えを返す。
「これはですね盗聴してるんですよ。もう一つありますからエド君も使いますか?」
ノーマンはエドにコップを差し出す。
「いやそれよりも先にすることがあるでしょ」
「あ!」
突然サラが何かに気づいたように声を上げる。
「今テーブルが飛んでったね。多分アレックス直撃」
それを聞くとエドは急に居住まいを正してノーマンに声をかける。
「ノーマンさん」
「なんです?」
「コップ貸してほしいっす」
「どうぞどうぞ」
エドはコップを受けとると同じようにしゃがんで隣の喧嘩を盗聴する。
「あ~今派手に誰かが壁にぶつかったすね。転んだんすかね?」
「聞き取りが甘いね。あれはソラノの得意技ジャイアントスイング。かけられたのはたぶん大将」
ノーマンも軽く頷く。
「多分そうでしょうね。今日のソラノさんは切れが違いますね」
「そんなのわかるんすか」
コップから耳を離し問いかける、
「毎度のことだからね。経験だよ」
「そ、そんなに経験したくないっす」
「その内嫌でも慣れますよ」
その後も彼らは耳を済ませている。
突然壁に並んでコップで盗聴する三人の歓声が重なる。
「「「お?」」」
上がって。
「「「おぉ!?」」」
上がって。
「「「やった!!」」」
弾けた。
観客は先ほどの技を語り合うことに夢中だ。
「いや~、今のは綺麗にいったっすね」
身振り手振りで興奮を伝えようとするエド。
「うん、今のは見事だね」
サラも普段の静かな様子とは違い声に現れる興奮を隠すことができない。
「イイネイイネ」
「いやはや白熱してきましたねモグモグ」
「あ、ノーマンさんピーナッツもらてもいいすっか?」
「どうぞどうぞ。サラさんもいかがです?」
サラにもピーナッツの入った小鉢を差し出す。
「あたしはケーキがあるから」
サラがケーキの乗った皿を持ち上げて答える。
「ピーナッツ美味しいっす」
「しっ。静かに。今大将が反撃した」
「見事ですね。昔取った杵柄というやつですか」
「大将って何かやってたんすか?」
「詳しいことはわからないけどすごいらしいの」
「ええすごいらしいです」
観客の話題がややそれ気味になってきた。
その間にも怒号や物音が絶えることはない。
「な、何がっすか?」
「大将の多脚重機見ましたか」
「はい」
ノーマンの問いに頷くエド。
「あれはウブって言うんですけどね。古臭い見かけからわかるとおり今配備されている多脚重機の三世代前のものなんですよ。
今からえーっと四十三年前ですか?その時起きた大戦に配備されていたものなんですよ」
「めちゃくちゃ古いっすね」
「そう」
サラが説明を引き継ぐ。
「しかも当時の多脚重機の機甲兵った言ったら超が三つくらいつくエリート。
めちゃくちゃ活躍したんじゃないかと思うの」
「あれ?」
ここでエドが気付いたことを口に出す。
「ならなんで小隊なんて指揮してるんすか?
本当ならもっと上の方にいる人じゃ」
「「うんうん」」
もっともらしくうなずく二人
「それが大将が謎の人物たる所以なんだよ」
「何処調べても分からないですしね。英雄なのか役立たずの骨董品を押し付けられてるだけなのか知っているのは本人とチコのみと」
ノーマンは会話に加わらずに壁に聴診器をあてているチコを見下ろす。
「シラネ」
「いつもの対応ですね」
その時ひと際大きい音が壁を揺らし皆の関心はそちらに向く。
「おっと!これはソラノさんとアレックス君のタッグですね」
「アレックスが大将を羽交い絞めにした!?」
「あうっち!金的いったっす。あれは悶絶門もんっすね」
「ソラノの金的は幾多の男達を不能にしてきた必殺技。決まった!?」
「恐ろしいですね」
「恐そろしいっす」
声をハモらせた男二人が壁にコップをつけたまま内股になる。
それから数時間近くも選手の解説を交えた親父くさい観戦は続いた。
数時間後の深夜雄たけびや音の止んだ食堂を覗けばこの有様だ。
用意していたアルコール類は全部フローリングにぶちまけられている。
ケーキや料理が壁に奇抜な化粧をほどこしていた。
極めつけは部屋の中央には奇怪なオブジェが立っている。
まず土台がある。
土台の上には一つの塔が立っている。
土台のちょうど真ん中に少し傾きながら立ち根元にはアーチも持っている。
いやアーチが塔を持っているというべきだろうか。
これが前衛アートだと言われれば信じてしまいそうな奇怪な様だ。
倒れそうでありながら絶妙のバランスを保っている。
土台がアレックス、塔は逆さまになった大将、そしてアーチはのけ反ったソラノだ。
ソラノは大将の腰を細い腕でがっちりホールド。
つま先立ちもきれいに決まっている。
大将は地面に打ち付けるべき首をアレックスの腹部にめり込ませている。
しかし酔っ払い各々の無理な体勢も気にせずいびきをかいている。
三人の周りの汚れは特にひどく惨憺たるものだった。
「た、立ったまま寝てるっす!?」
「今回の勝者はソラノさんですか」
ノーマンが腕を組んで傍らに立ちながら考察する。
「この奇怪なポーズ決め手はジャーマン・スープレックスですかね?」
「多分そう。この前本を読んで研究していた」
惨状にあっけにとられているエドを置いてきぼりに話は進んでいく。
「そこまで入念に下調べをしていたとは…」
「ノーマン」
「わかってますよ。今回の賭けはサラさんの勝ちです」
ノーマンは右腕を一度振る。
するとそこにはひとつの物体が現れる。
皮でできた財布だ。
目をこすっているエドの前で取り出されるのは数枚のお札。
お札は持ち主の手からサラへと渡される。
「ん」
サラは上機嫌に微笑みながら頷くとソラノの腕を掴んでホールドを外す。
反ったままのソラノを肩に担ぎあげる。
女性なのに人一人を持ち上げるサラはなかなか鍛えているようだ。
支えられていた大将が倒れないうちにノーマンが滑りこみ抱え上げる。
「じゃノルマは一人づつね」
「じゃあ私は大将を運びますからエド君はアレックス君をお願いします。住所はわかりますか?」
「え?あ、はいっす。事前に教えてもらってるから大丈夫っす」
「それなら今日はこれで解散ということで」
大将の位置を調整すると食堂を出る。
その後ろにサラも続き
「鍵閉めるから閉じ込められちゃうよ?」
エドは急いでアレックスを担ぎあげる。
その腹部が不自然にへこんでいたが見て見ぬふりをした。
「い、今行くっす」
慌ててエドは食堂を後にする。
「汚れた部屋はどうするんすか?」
「きっと明日にでもその三人が掃除するでしょう」
エドは鍵を閉めているノーマンに尋ねる。
時刻は深夜であたりに人影はない。
春といえども深夜になれば若干肌寒い。
鍵を閉めている間大将は邪魔になるので路上に直置きだ。
「そういうとこはちゃんとしてるからね。それじゃおやすみ」
「ええおやすみなさい。エド君もおやすみなさい」
「はい、おやすみっす」
そう言うとサラとノーマンは飲んだくれた荷物を背負い直し別々の家路に着く。
エドは彼らの姿が見えなくなるまで手を振っている。
彼らが角を曲がり数分した頃エドが突然つぶやく。
「いつまで背中に乗ってるっすか?」
「行ったか?」
「随分と前に。知ってたっしょ」
エドの背中からアレックスが立ち上がり伸びをする。
腕を上に伸ばし背を反らせながら
「ん~動かないってのもなかなか疲れるな」
伸びをするアレックスの目の端にはあくびの涙の雫が見える。
「なにいってるんすか。ごろごろするのは得意技っしょ」
「動かないこととごろごろすることはちげぇんだよ。まいっか。よし、帰るぞ」
そういって一人歩き出すアレックス。
エドは立ち止まったまま後ろから疑問を問う。
「どこから演技だったんすか?」
「最初から最後までだな」
「あの人たちは演技しなきゃいけないほど信用できないんすか?」
「いや。いい奴らだよ。近年稀に見るくらい」
「じゃあなんでそんな面倒くさいことしてたっすか?」
「単純な気まぐれだな」
「俺がここに溶け込みやすいようにっすか?」
「だから気まぐれだ」
エドはその答えに気遣われているなと思う。
アレックスはいつもそうだ。
不器用な彼は照れくさいのか大切なことはいつもはぐらかす。
「いいからさっさと帰るぞ」
帰り道を歩いていくアレックスの後ろをエドが少し頬を緩めながらついていく。