THW ban homework.
【Outline】
宿題とは、生徒が通常の授業の外で、たいてい夕方に家で行なわれる、教師によって与えられる課題のことである。先進国の学校では100年以上にわたって導入されているが、数十年前までは高学年の生徒だけで行われていた。近年では、小学校などより低学年の生徒でも行われている。イギリスでは、政府は学校に宿題を出すことは強制していないが、指針を出しており、5歳の児童は1週間に1時間の宿題を、11歳には1週間に3時間、16歳には1週間に10時間以上することを求めている。アメリカでは、低学年の生徒に対する宿題の量は過去約25年で2倍になったと報告されている。(なお、この報告には疑義が持たれている)
どのくらいの量の宿題を、どの年齢に与えるべきかは、国や学校、教科によってかなり異なるが、ほとんどすべての高校生は少なくとも夜更かしをしなくてはならないのである。多くの子供は宿題がとても嫌いだが、その都度、政治家や保護者、教師によって宿題の是非が議論されてきた。時には、より高い水準を目指す装置として、より多くの宿題を求める声がある。また時には、特に小学校において、より少ない宿題を求める声もある。この議論は、宿題を廃止するべきか否かという議論にもなっているのである。
【Proposition】
宿題は教育的価値がほとんどなく、生徒の時間の無駄である
宿題には教育的価値がほとんどなく、学校での時間に何の効果も与えない。宿題を全く出していない学校や国があるが、その生徒の結果に宿題を出している学校や国との違いは見られない。複数の研究によれば、宿題は小学生の標準のテストの点数に何ら変化を与えないとされている。アルフィー・コーン氏が述べているように、小学校において宿題とテストの結果に因果関係を示した研究は今まで1つもなく、また高等学校において宿題が必要だと示す理由も見つかっていない。高学年の生徒における国際比較でも、宿題の量とテストの平均点に何も関連性を見つけることができず、日本とデンマークの生徒はあまり宿題をしないが、テストではよい点数を取っていた。[2]それどころか、多くの宿題を与えている国ではより悪い結果を出しているのだ。
宿題のチェックや採点は教師が質のよい授業を準備するための時間を減らしてしまう
宿題の教育的価値に関係なく、宿題をチェックしたり採点したりすることは教師の多くの時間を奪ってしまう。オーストラリアの教員は、「宿題の採点は1日に4時間以上の余分な時間を費やすことにつながっており、またその努力はほとんど報われない」と不満を述べている。[1]これは教員を疲労させるだけで、効果的で魅了する授業を準備する時間を減らしている。もし授業が教員がするべき基準に達しなければ、生徒が最初に習うところであまり練習できず、宿題の価値が失われてしまう。また、過酷な仕事量は若い卒業生の教師になる意欲をそいでしまうため、学校が雇用できる人材プールを減らしてしまう。
宿題は生徒がほかの活動をする時間を減らす
宿題はたくさんの時間を奪ってしまう。「10分ルール」という10分の宿題を全ての学年にやらせているアメリカでは、高校生はみな毎晩1時間以上の価値に相当する宿題をやっている。[1]若いことは、毎晩宿題をやることではなく、肉体的に活発で、遊びを通して環境にふれあい、音楽や芸術などの創造的な活動をし、共同体の一員としてふるまうことが求められるべきである。また若い人々にとっては他人、特に家族や友達と、絆を築くことが重要である。しかし、宿題はこれらの活動に使える時間を大抵圧迫してしまう。
宿題は生徒の学ぶ意欲をそぐ
宿題は生徒の学習意欲をそぐ。複数の研究によれば、多くの子供が宿題はとてもストレスの多いもので、退屈で、疲れると感じている。教員は大抵宿題にかかる時間を低く見積もっており、また非現実的な締切を設定する。時には教員が授業で新しいことをよく説明しないため、生徒がうまく宿題できなくなってしまっている。よって子供の自由時間は教師の失敗によって終わってしまう。また子供は宿題がひどかったり遅れたりした場合罰を受ける。
数年間の宿題での過酷な体験の後、多くの子供が勉強嫌いになったり、かなり早期に興味を失い退学したりするのも不思議ではない。イギリスの教師は、貧乏な家庭の子供は、宿題のサポートを十分に得られないため、学校を退学しやすいだろうと危惧している。[1]
【Opposition】
宿題は生徒に自分自身で勉強することを促進する
大学や仕事では、自立して自ら行動しなくてはならないが、宿題は生徒が自主的に行うことを促進する。全ての人は責任感や自己管理能力、締め切りまでに行う能力、リサーチできる能力などを身につける必要がある。もし生徒が常に学校で過保護の対象であったら、勉強のスキルや将来の自己規制の能力は決して身につかない。数年にわたって宿題への責任を徐々に増やせば、これらのスキルを身につけさせられる。[1] 例えば、小説を読むや、研究プロジェクトを完成させることは、学校ではきちんとやる時間は全くない。よって生徒は自主的に行動しなくてはならず、また喜んで読んだり書いたりし、もし困ったことがあったら、生徒は自分自身で解決しなくてはならないことを知るだろう。ダイアン・ラビッチ氏は、ジェーン・エイルなどの小説は家で読んでこなければ終わらないと指摘している。[2]
宿題は生徒が学校で教えられたことを練習することを保証する
宿題は、生徒に学校でやったことを頭の中に確実に定着させることを可能にする。直近の授業に関連したタスクをやることは、生徒の理解を強化させたり、新しい知識やスキルを活用する際より自信を持たせることに役立つ。低学年の子供には、これは読むことや九九の練習になり得る。高学年の生徒にとっては、体験を詳しく書いたり、試験に向けて復習したり、次の単元に向けて予習として読むことになるかもしれない。デューク大学のクーパー教授は、小学生において、テストに関連する短い宿題を行なったとき、テストでよりよい点数を取るという証拠があることを発見した。[1] 生徒はそのような練習によって自信を得ることができ、それをテストで発揮できるのだ。
宿題は子供と学校、それに家庭につながりを与える
教育は、子供と学校、それに家庭のパートナーシップである。[1] 宿題は、生徒の家族が生徒の学びにかかわることができる主要な方法の一つである。多くの保護者が、子供が何を勉強しているかを見て、子供をサポートする機会を高く評価している。それは保護者にとっての「学校の中の窓」であり、学校と保護者それに生徒が日々関わる場所だと見なされている。[2] そして、生徒に家で音読させ、九九の練習を助け、新しいトピックに関してリサーチする機会を与えることを促進するために、学校は保護者の支援を必要としている。
宿題は、生徒に学校で教えられたこと以上の情報を学ばせられるので、教育になくてはならないものである。
宿題は、教育においてきわめて重要で、価値のあるものである。登校日1日にはたった数時間しかなく、子供が学ぶべき教科全てをきちんとカバーするには十分な時間ではない。宿題を設定することは、勉強の時間を学校以外に広げ、より幅広く、深い教育を可能にする。また宿題は教師を最大限効果的に使うことを可能にし、先生は授業時間を、生徒が家でできるような個人作業を監視するのではなく、教えることに使うことができる。教育は学校・教室を超えて行われるべきであり、教室のドアで終わらせてはいけない。生徒は授業でスキルを身につけ、それを家で実践するべきである。
宿題はそれを可能にし、学校でやったことを超えて学習することを促進する。文章を読むことは良い例で、生徒は学校でどのように読むかは学ぶが、よりよくなるためには、練習することが必要である。両親の手助けを受けながら、その生徒に適したペースで家で練習するのが最も良いのだ。
最終更新:2013年01月24日 11:44