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細川連立政権

 細川 護熙(ほそかわ もりひろ)が第79代内閣総理大臣になって、
 自民党(自由民主党)が始めて野党に転落した。

 【期間】
  1993年(平成5年)8月9日~1994年(平成6年)4月28日。在任期間は263日間。

 【細川 護熙】
  日本新党 代表。元 熊本県 知事。

  細川は議員になってから異例の早さで総理大臣になった。

  これは、考え方などがバラバラな8党・会派をまとめていく為には
  細川の立場・血筋の権威(元首相・公爵家の孫息子とか)・国民的人気が
  有効と考えた(当時、新政党代表・幹事)小沢一郎の判断の結果である。

  また、連立与党側の運営は各党書記長・代表幹事らの「与党代表者会議」によって行われたが、
  特に新生党代表幹事小沢一郎と公明党書記長市川雄一の「一・一ライン」が中心となった。

 【時代背景】
  当時の自民党は、カネがかからず政権交代を容易にする選挙制度改革や
  政治資金規制強化などのいわゆる政治改革に取り組んでいた。
  しかし、党内で意見が分かれ、実現できずにいた。
  その為、宮沢前内閣は内閣不信任決議を突きつけられ、
  のちの衆議院総選挙で過半数割れすることになった。



 Wikipedia調べ

細川連立政権の問題点(朝日新聞記事)

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最終更新:2023年11月16日 13:11