カードリスト > 織田家 > Ver.2.0 > 074_津田信澄

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|武将名|SIZE(10):つだ のぶずみ|一段の逸物| |~|C津田信澄|織田信勝の嫡男。父が信長に殺されるも、&br()土田御前の嘆願で助命され、柴田勝家に養育&br()される。知勇に優れ、信長の信頼は厚かった。&br()明智光秀の娘を娶っていたため、本能寺の変&br()後は光秀との内通を疑われ、織田信孝と丹羽&br()長秀の軍勢に襲撃されて討たれた。&br()&br()&br()「俺は父のような失敗は、絶対にしない!」| |出身地|尾張国(愛知県)|~| |コスト|1.5|~| |兵種|槍足軽|~| |能力|武力5 統率4|~| |特技|防柵|~| |計略|[[呪縛の術]]|敵の移動速度を下げる。| |~|必要士気6|~| |>|>|Illustration : [[吉野啓太]]| 信長にも才能を認められていた[[織田信勝>カードリスト/織田家/Ver.1.0/005_織田信勝]]の息子が登場。 兵種以外は父と全く同じスペックで、織田家コスト1.5の柵持ち槍足軽で唯一の武力5。 武力を落とさず柵を補え、統率も低くないので全体的に扱いやすいスペック。 計略もかつて実父が使用していた[[呪縛の術]]。 Ver2.0において呪縛の術は消費士気が7→6に下がっているため、扱いやすさは向上している。 同計略持ちの[[C筒井順慶>カードリスト/織田家/Ver.1.1/054_筒井順慶]]とは兵種・スペックが全く違うので住み分けは可能。 信澄の場合は柵槍と速度低下計略という組み合わせで、対騎馬隊の備えとしての役割を持ちやすい。 またデッキ構成に縛られにくい中武力槍足軽なので、裏の手として入れやすい。 一方で統率はあまり高くないので、メインで使っていくならば筒井順慶ほどの拘束力は発揮出来ない。 激戦区の織田1.5槍の中でも十分なスペックを備えており、武力を落とさずに裏の手を組み込める優秀なカード。 単色の鉄砲主体デッキはもちろんだが、槍馬デッキや混色デッキでも十分に活躍が見込めるだろう。 余談だが、裏面では「内通を疑われ」と書かれているものの、現在は「将来の後継者争いを見据えた信孝が優秀な一門の信澄を排除した」という説が主流である。 また津田と名乗っているのは父の反逆で改姓せざるを得なかったからだが、近年では信長に許され実際に「津田信澄」と名乗った期間はほとんどなかったともいわれる。 実は[[十一段崩し]]磯野員昌の養子で、磯野信澄と名乗っていた時期もある。
|武将名|SIZE(10):つだ のぶずみ|一段の逸物| |~|C津田信澄|織田信勝の嫡男。父が信長に殺されるも、&br()土田御前の嘆願で助命され、柴田勝家に養育&br()される。知勇に優れ、信長の信頼は厚かった。&br()明智光秀の娘を娶っていたため、本能寺の変&br()後は光秀との内通を疑われ、織田信孝と丹羽&br()長秀の軍勢に襲撃されて討たれた。&br()&br()&br()「俺は父のような失敗は、絶対にしない!」| |出身地|尾張国(愛知県)|~| |コスト|1.5|~| |兵種|槍足軽|~| |能力|武力5 統率4|~| |特技|防柵|~| |計略|[[呪縛の術]]|敵の移動速度を下げる。| |~|必要士気6|~| |>|>|Illustration : [[吉野啓太]]| 信長にも才能を認められていた[[織田信勝>カードリスト/織田家/Ver.1.0/005_織田信勝]]の息子が登場。 兵種以外は父と全く同じスペックで、織田家コスト1.5の柵持ち槍足軽で唯一の武力5。 武力を落とさず柵を補え、統率も低くないので全体的に扱いやすいスペック。 計略もかつて実父が使用していた[[呪縛の術]]。 Ver2.0において呪縛の術は消費士気が7→6に下がっているため、扱いやすさは向上している。 同計略持ちの[[C筒井順慶>カードリスト/織田家/Ver.1.1/054_筒井順慶]]とは兵種・スペックが全く違うので住み分けは可能。 信澄の場合は柵槍と速度低下計略という組み合わせで、対騎馬隊の備えとしての役割を持ちやすい。 またデッキ構成に縛られにくい中武力槍足軽なので、裏の手として入れやすい。 一方で統率はあまり高くないので、メインで使っていくならば筒井順慶ほどの拘束力は発揮出来ない。 激戦区の織田1.5槍の中でも十分なスペックを備えており、武力を落とさずに裏の手を組み込める優秀なカード。 単色の鉄砲主体デッキはもちろんだが、槍馬デッキや混色デッキでも十分に活躍が見込めるだろう。 余談だが、裏面では「内通を疑われ」と書かれているものの、現在は「将来の後継者争いを見据えた信孝が優秀な一門の信澄を排除した」という説が主流である。 また津田と名乗っているのは父の反逆で改姓せざるを得なかったからだが、近年では信長に許され実際に「津田信澄」と名乗った期間はほとんどなかったともいわれる。 実は[[十一段崩し]]磯野員昌の養子で、磯野信澄と名乗っていた時期もある。

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