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辞世の句 - (2012/01/05 (木) 10:44:22) の編集履歴(バックアップ)
辞世の句とは
- 死に際して人生を顧みて詠む和歌、その類のことで、東アジア固有の風俗である。
- 時には死ぬ前に書いた最後の詩が、そのまま辞世の句となる事もある(例:今川義元)。
- 群雄伝において、特定の武将が世を去る場面で専用画面とともに詠まれる。
織田伝第一章第六話にて、SR斉藤道三
織田伝第一章第十二話にて、SR今川義元
織田伝第三章第六話にて、SR朝倉義景
武田伝第一章第二話にて、C諏訪頼重
上杉伝第二章第四話にて、UC長野業盛
上杉伝第二章第十話にて、SR上杉謙信
織田家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
羽柴秀吉 |
露とおち 露と消えにし わが身かな なにわのことは 夢の又夢 |
露のようにこの世に生まれ落ち、そして露のようにはかなく消えていってしまったこの身であることよ。大阪で過ごした栄華の日々は、何もかも夢の中の夢のように儚いものだった。 |
佐久間盛政 |
世の中を めぐりもはてぬ 小車は 火宅のかどを いづるなりけり |
小車に乗ってもこの世を巡り尽くせないように、人が為せることなど所詮大したことは無い。そんな小車でも、乗れば火宅(苦しみの炎に包まれた現世)から旅立つことはできる。 |
柴田勝家 |
夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす |
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佐々成政 |
この頃の 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋 今破るなり |
現世には様々な厄妄想が取り巻いている。私を惑わす厄妄想を全て鉄鉢袋に詰め込み、破りたい。 |
明智光秀 |
順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば一元に帰す |
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蒲生氏郷 |
限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山嵐 |
花の一生には限りがあるので、風など吹かなくてもいつかは散ってしまうものなのに、春の山風は何故こんなに短気に花を散らしてしまうのか |
徳川家康 |
嬉やと 再び醒めて 一眠り 浮き世の夢は 暁の空 |
嬉しいものだとまた目が覚めてしまったが、もうひと眠りするとしよう。この世で見る夢はまだ夜明け前のようだ(泰平の世はこれから幕を開けるのだ) |
武田家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
武田信玄 |
大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流 |
世の流れに任せて生きよ。見せ掛けや虚勢を張らず、素のままに生きるべきである。 |
武田勝頼 |
朧なる 月もほのかに 雲かすみ 晴れて行くへの 西の山の端 |
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上杉家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
上杉謙信 |
四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒 |
49年の我が人生も一睡の夢のようなもので、この世の栄華も一杯の酒のようなものだ。 |
今川家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
今川義元 |
夏山の 茂みふきわけ もる月は 風のひまこそ 曇りなりけれ |
夏山の茂みが風に揺れ、月の光がこぼれ見えている。風がやめば、また月も見えなくなってしまうよ。 |
今川氏真 |
なかなかに 世にも人をも恨むまじ 時にあはぬをを身の咎にして |
もう、世の中をも人をも恨んではいない。時代にあっていなかったということが、この身の罪であったのだ。 |
〃 |
悔しとも うら山し共思はねど 我世にかはる世の姿かな |
(地位や名誉を失ったことを)悔しいとも羨ましいとも思わない。今はただ自分の望んだ平和な世を過ごせる事に満足している。 |
浅井朝倉家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
朝倉義景 |
かねて身の かかるべしとも 思はずば 今の命の 惜しくもあるらむ |
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お市の方 |
さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ 郭公かな |
そうでなくとも夏の夜は短いのに、ほととぎすが夢路に誘ってくる。 |
他家
武将名 |
辞世の句 |
意味 |
足利義輝 |
五月雨は つゆかなみだか 時鳥 わが名をあげよ 雲の上まで |
しとしとと降るこの雨ははただの露であろうか、それとも私の無念の涙であろうか。私を迎えに来たほととぎす(死の使いとも信じられていた)よ。天高くへ飛翔し、誇り高く戦った私の名を雲の上まで広めて欲しい。(義輝が襲撃されたのはその通り五月雨の降る5月19日のことである) |
斉藤道三 |
捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ |
この世のほかは捨ててしまって、残ったのはこの身この命だけだ。私の最期の地とはいったい何処になるだろうか。 |
斉藤義龍 |
三十餘歳 守護人天 刹那一句 佛祖不傳 |
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諏訪頼重 |
おのづから 枯れ果てにけり 草の葉の 主あらばこそ 又も結ばめ |
自然に枯れ果てた草の葉も、私という主が居るのだからまた命を結んでいる筈だ。例え私が居なくなっても、そうであって欲しい。 |
長野業盛 |
春風に 梅も桜も 散りはてて 名のみ残れる 箕輪の山里 |
春風が梅の花・桜の花をすっかり散らしてしまっても、花の名所である箕輪の名だけは残り続ける。同じく、今、私がここで果てるとも、私が命をかけて守り抜こうとした箕輪の山里が滅びる事はない。そう信じたい。 |
三好義賢 |
草枯らす 霜又 今朝の 日に消えて 報のほどは 終にのがれず |
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