|武将名|SIZE(10):くきよしたか|水軍頭領| |~|UC九鬼嘉隆|織田家臣。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、&br()九州征伐・小田原征伐など水軍の頭領として&br()重用された。慶長2年に息子の守隆に家督を&br()譲る。関ヶ原の戦いでは家名存続のために、&br()守隆を東軍に、自身は西軍に付き、鳥羽城を&br()奪取するなど活躍したが敗戦。後に自害した。&br()&br()「ヤロウども、&br()  海の男の力を見せつけてやれ!」| |出身地|志摩国|~| |コスト|2.0|~| |兵種|弓足軽|~| |能力|武力7 統率5|~| |特技|制圧 焙烙|~| |計略|[[壊城鉄甲船]]|統率力が上がり、焙烙玉の残弾数が&br()回復するが、焙烙玉の射程距離が下&br()がある。さらに焙烙玉で城を攻撃でき&br()る。攻城ダメージは城門であればよ&br()り大きい。| |~|必要士気4|~| |>|>|Illustration : [[野口登志夫]]| 毛利水軍を苦しめた海賊大名が、レアリティを落としてVer2.0以来の参戦。 兵種は前と変わらず弓足軽だが、有用な制圧、BSSの自身と同じく焙烙が追加された。 他の文治派と違い、忠誠度を回復する計略ではないが、毛利の [[Rマセンシア]]と同じく、 相手の城に焙烙で直接攻城出来るようになる。 関ヶ原の戦いが起こると嘉隆は西軍に、九鬼守隆は東軍に属した。 親子が敢えて、別々の陣営に属したのは、これはどちらが敗れても家名を存続させるための嘉隆の戦略だったと言われている。