関東

常陸  武将    11名

下総  武将    11名

上総  武将     7名

安房  武将     1名

下野  武将    15名

上野  武将    11名

武蔵  武将    9名

相模  武将    10名

    域計    75名
    累計    124名

武将
能力値 スキル 列伝
Lv 1 2 3 4
0050
小野崎 成通


5
1
2
6
2
3
7
3
4
8
4
5
0051
佐竹 義重


9
8
6
10
9
7
11
10
8
12
11
9
(92)強襲突撃
(84)槍兵弱体
(76)騎兵突撃
佐竹家18代当主。義昭の嫡男。父の遺志を継ぎ、常陸の統
一に成功する。北条家と伊達家を敵に回し、陣頭で自ら采配
を振るう姿は「鬼義重」と恐れられた。
0052
佐竹 義廉


3
4
6
4
5
7
5
6
8
6
7
9
(1506-1570)佐竹家臣。北家・義信の次男。兄・義住の戦死
により家督を継ぐ。若年の宗家・義昭に仕え、東家・義堅や
南家・義里らと交代で佐竹家の家政を執行した。
0053
大山 義在


4
2
1
5
3
2
6
4
3
7
5
4
0054
真壁 氏幹


12
4
1
13
5
2
14
6
3
15
7
4
(92)強襲突撃
(72)一番槍
(70)統率号令
(1550-1622)常陸の豪族。真壁城主。佐竹家に従う。刀槍の
代わりに約一丈の木杖を振り回して武勇を示し「鬼真壁」と
恐れられた。のちに佐竹家の秋田転封に従った。
0055
江戸 忠通


4
1
2
5
1
3
6
1
4
7
2
5
(1507-1564)常陸の豪族。水戸城主。通泰の子。はじめ佐竹
義篤に従うが、義篤の死後、義昭が家督を継ぐと敵対し抗争
を繰り返す。のちに和睦し、再び佐竹家に従属した。
0056
水谷 正村


9
1
4
10
2
5
11
3
6
12
3
7
(1521-1596)結城家臣。下館城主。結城四天王の一。おもに
下野方面に出陣し、宇都宮家と抗争を繰り広げた。のちに豊
臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。
0057
大掾 慶幹


5
3
1
6
4
1
7
5
2
8
6
3
(1515-1564)常陸の豪族。府中城主。大掾家の始祖は常陸の
大掾を務めた平国香で、その子孫4人が地名をとって多気・
吉田・石毛・小栗に分かれ、大掾姓を称したという。
0058
多賀谷 家重


3
2
2
4
3
3
5
4
4
6
5
5
0059
小田 氏治


2
2
4
3
3
5
4
4
6
5
5
7
(1531-1601)小田家15代当主。政治の子。北条家と結んで
佐竹家の南進阻止を試みるが連戦連敗、居城を奪われて降伏
した。以後も失地を回復できず、結城秀康に仕えた。
0060
菅谷 政貞


5
1
3
6
2
4
7
3
5
8
4
6
(1528-1588)小田家臣。土浦城主。勝貞の子。佐竹家に奪わ
れた小田城を奪還し、大掾家・宇都宮家などと戦うなど活躍
したが、のちに主君・氏治とともに佐竹家に属した。
0061
結城 政勝


4
3
4
5
4
5
6
5
6
7
6
7
(1503-1559)結城家16代当主。政朝の子。「結城氏新法
度」を定めて支配力を強化する。北関東に勢力を伸ばす北条
氏康と結び、佐竹、宇都宮、小田家らと抗争を続けた。
0062
結城 晴朝


2
5
4
3
6
5
4
7
6
5
8
7
(1533-1614)結城家17代当主。小山高朝の次男。伯父・政
勝の養子となる。北条・上杉両家の間で離合集散を繰り返し
た。のちに徳川家康の次男・秀康を養子とした。
0063
山川 直貞


2
3
2
3
4
3
4
5
4
5
6
5
0064
足利 晴氏


1
4
2
2
5
3
3
6
4
4
7
5
(1508-1560)古河公方。高基の子。足利家の一門として関東
武士の間に根強い支持があり、北条家も懐柔に注意を払っ
た。のち北条家に反抗したため、小田原に幽閉された。
0065
足利 藤氏


3
2
1
4
3
2
5
4
3
6
5
4
0066
簗田 晴助


3
1
4
4
2
5
5
3
6
6
4
7
(1524-1594)古河足利家臣。関宿城主。高助の子。北条氏康
打倒を企んだ主君・晴氏が逆に幽閉されると、晴氏の子・藤
氏を擁立。上杉家や武田家と結んで北条家と争った。
0067
千葉 親胤


3
1
1
4
1
1
5
2
1
6
3
2
(1541-1557)千葉家26代当主。利胤の嫡男。父の死後、家
督を継ぐ。母は北条氏康の娘だが北条家に対抗する考えを持
っていたため氏康によって幽閉され、殺害された。
0068
千葉 胤富


4
2
4
5
3
5
6
4
6
7
5
7
(1527-1579)千葉家27代当主。昌胤の次男。周辺の佐竹、
里見家が上杉家と結ぶ中で、北条家と結んだ。のちに上杉・
結城連合軍の攻撃を受けるが、撃退に成功している。
0069
臼井 景胤


2
4
1
3
5
2
4
6
3
5
7
4
0070
国分 胤相


4
1
2
5
1
3
6
2
4
7
3
5
0071
原 胤貞


5
4
3
6
5
4
7
6
5
8
7
6
(1512-1571)千葉家臣。胤清の子。生実城主。臼井家が原家
に降伏した際には、臼井城に入り臼井家の家政を執行した。
一時里見家に居城を奪われるが、のちに奪還した。
0072
酒井 玄治


1
1
1
2
1
2
3
2
3
4
3
4
0073
酒井 敏治


3
1
1
4
1
1
5
1
2
6
2
3
0074
武田 信隆


2
1
1
3
2
2
4
3
3
5
4
4
0075
正木 時茂


12
6
2
13
7
3
14
8
4
15
9
5
(72)一番槍
(85)弓兵弱体
(28)槍の大膳
(1514-1576)里見家臣。大多喜城主。槍に長じ「槍大膳」の
異名をとった。2度の国府台合戦をはじめとする里見家の合
戦にはほとんど参陣し、勇名を近隣諸国に轟かせた。
0076
正木 時忠


10
1
2
11
1
3
12
2
4
13
3
5
(1518-1576)里見家臣。勝浦城主。兄・時茂とともに多くの
合戦で戦功を立てる。第二次国府台合戦ののち、正木家の存
続を優先して北条家に寝返ったが、のちに帰参した。
0077
里見 義堯


7
7
7
8
8
8
9
9
9
10
10
10
(89)カリスマ
(98)士気回復
(82)陽動作戦
(1512-1574)房総の戦国大名。父・実堯を殺した従兄弟・義
豊を討ち、当主となる。国府台合戦では北条氏康に敗れた
が、その後も房総に勢力を広げ、北条家と戦い続けた。
0078
土岐 為頼


9
1
3
10
1
4
11
2
5
12
3
6
(1494-1583)里見家臣。万喜城主。家中屈指の戦上手といわ
れ「万喜少弼」と呼ばれて恐れられた。第二次国府台合戦後
に里見家を離反、北条家に属して里見家と戦った。
0079
岡本 安泰


4
1
2
5
2
3
6
3
4
7
4
5
0080
大田原 資清


4
6
7
5
7
8
6
8
9
7
9
10
(1486-1560)那須七党の一。大田原城主。黒羽城主・大関増
次を討って子・高増に大関家を継がせたり、娘を主君・政資
の側室とするなど、那須家中で最大の勢力を築いた。
0081
壬生 綱雄


4
4
1
5
5
2
6
6
3
7
7
4
(1515-1576)宇都宮家臣。壬生・鹿沼城主。綱房の嫡男。北
条家に接近し、主家からの自立をはかったため、宇都宮家に
通じていた叔父・周良に鹿沼城に招かれて殺された。
0082
壬生 周長


5
3
1
6
4
2
7
5
3
8
6
4
0083
芳賀 高照


6
4
1
7
5
2
8
6
3
9
7
4
0084
那須 高資


6
5
2
7
6
3
8
7
4
9
8
5
(1520-1551)下野の戦国大名。政資の嫡男。父と対立し、父
と結ぶ宇都宮尚綱に攻められるが尚綱を討って撃退した。の
ち尚綱の子・広綱と芳賀高定の謀略に遭い横死した。
0085
那須 資胤


4
2
1
5
3
2
6
4
3
7
5
4
(1527-1583)下野の戦国大名。政資の次男。兄・高資の横死
後、大関高増らの後見で家督を継ぐ。のちに高増ら上那須衆
と対立して攻撃を受け敗北、隠居を条件に和睦した。
0086
蘆野 資豊


5
1
2
6
2
3
7
3
4
8
3
5
0087
蘆野 資泰


8
1
1
9
2
2
10
3
3
11
4
4
(1529-1594)資豊の子。結城(白河)義親と那須氏の合戦の
時、窮地に陥り負傷した資胤の劣勢を、資泰を中心とした下
那須衆で挽回した。息子の資俊は旗本となっている。
0088
宇都宮 広綱


1
3
2
1
4
3
2
5
4
3
6
5
(1543-1580)宇都宮家21代当主。尚綱の嫡男。佐竹義昭の
娘を娶り同盟を結ぶ。また、芳賀高定とともに、北条家と結
ぶ領内の反宇都宮勢力と戦った。病弱だったという。
0089
塩谷 孝綱


3
1
2
4
2
3
5
3
4
6
4
5
0090
益子 勝宗


3
5
3
4
6
4
5
7
5
6
8
6
0091
芳賀 高定


1
2
7
2
3
8
3
4
9
4
5
10
(1529-1588)宇都宮家臣。益子勝宗の子。芳賀高経の死後、
芳賀家を継ぐ。壬生家に乗っ取られた宇都宮城を奪還し、宿
老として国政に参画、主家の勢力回復に尽力した。
0092
皆川 俊宗


6
1
3
7
2
4
8
3
5
9
3
6
0093
小山 高朝


5
4
3
6
5
4
7
6
5
8
7
6
(1508-1574)下野の豪族。結城政朝の次男。小山政長の養子
となった。兄・結城政勝の後援を得て小山家の威勢を回復す
る。北条家とも結び、安定した領国経営を行った。
0094
佐野 昌綱


5
2
2
6
3
3
7
4
4
8
5
5
(1529-1574)佐野家15代当主。唐沢山城主。豊綱の嫡男。
古河公方・足利家に従って河越合戦に参陣するが敗北。以後
は北条家に従い、上杉謙信の攻撃をたびたび受けた。
0095
沼田 顕泰


7
1
1
8
2
1
9
3
2
10
4
3
0096
長野 業正


11
10
5
12
11
6
13
12
7
14
13
8
(70)統率号令
(71)士気号令
(27)不落砦
(1491-1561)山内上杉家臣。主家滅亡後も居城・箕輪城を守
り、武田信玄の侵攻を6度に渡って撃退した。「業正がいる
限り、上州には手は出せぬ」と信玄を嘆かせた智将。
0097
上泉 信綱


11
6
4
12
6
5
14
7
5
15
8
5
(72)一番槍
(90)強襲上手
(70)統率号令
(1508-1577)剣術家。はじめ長野家に仕える。主家滅亡後
は、一時武田信玄に仕えるが、間もなく武芸修業のため浪人
し、新陰流を創始した。門弟には柳生宗厳などがいる。
0098
長尾 憲景


2
3
2
3
4
3
4
5
4
5
6
5
(1511-1583)山内上杉家臣。惣社長尾家の出身で、白井長尾
家当主・景誠が殺されたため、その遺領を継いだ。主家滅亡
後は上杉謙信に仕え、謙信の死後は北条家に属した。
0099
安中 忠政


5
1
1
6
2
1
7
3
2
8
4
3
0100
横瀬 成繁


4
2
6
5
3
7
6
4
8
7
5
9
(1506-1578)横瀬由良家8代当主。泰繁の嫡男。由良姓に改
める。上杉家に属し、北条・武田家の侵略に対抗した。のち
北条家に属し北条家と上杉家との同盟を仲介した。
0101
山内 憲政


1
1
6
2
2
7
3
3
8
4
4
9
(89)カリスマ
(88)魅力
(69)統率
(1523-1579)山内上杉家20代当主。河越合戦に敗れて勢力
を失い、北条軍に追われ越後に逃走。長尾景虎に上杉姓と関
東管領職を譲った。御館の乱で上杉景勝に殺された。
0102
金井 秀景


4
1
3
5
2
4
6
3
5
7
4
6
0103
和田 業繁


4
1
1
5
1
2
6
2
3
7
3
4
(1531-1575)上野の豪族。はじめ山内上杉家に仕えるが、1
560年より武田家に仕え、西上野衆の一員として騎馬30
騎を率いた。1575年の長篠合戦で戦死した。
0104
赤井 照泰


4
1
2
5
2
3
6
3
4
7
4
5
(1510-1559)上野の豪族。1555年に館林城を築き大袋城
から居城を移した。館林城は白狐が尾を曳いて縄張りを行っ
たという伝説が残っており、別名を尾曳城という。
0105
小幡 憲重


6
2
1
7
3
2
8
4
3
9
5
4
(1522-1575)山内上杉家臣。妻は長野業正の妹。一族の謀叛
により流浪、武田信玄に属す。信玄の上野攻略に貢献、西上
野先方衆筆頭となった。長篠合戦で戦死したという。
0106
成田 長泰


5
4
3
6
5
4
7
6
5
8
7
6
(1508-1586)山内上杉家臣。忍城主。主家滅亡後は上杉謙信
に属した。しかし、謙信が鶴岡八幡宮に参拝した際、謙信の
怒りを買ったため離反し、その後は北条家に属した。
0107
藤田 康邦


4
3
2
5
4
3
6
5
4
7
6
5
(1517-1555)山内上杉家臣。藤田家は武蔵七党の一・猪俣党
の流れをくむ。のちに北条氏康に降り、氏康の三男・氏邦を
娘婿として家督を譲った。隠退後は用土姓を称した。
0108
太田 資正


8
10
6
9
11
7
10
12
8
11
13
9
(1522-1591)扇谷上杉家臣。岩付城主。資頼の次男。主家滅
亡後は上杉家や佐竹家に属し、生涯を通じて北条家と戦っ
た。豊臣秀吉の小田原征伐では、秀吉の本陣を訪れた。
0109
上田 朝直


3
2
3
4
3
4
5
4
5
6
5
6
(1494-1582)扇谷上杉家臣。北条家の武蔵侵攻軍に降り、以
後は北条家に仕える。他国衆として松山城主となり、独自の
朱印状を使用して北条家から独立した支配を行った。
0110
富永 直勝


2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
5
6
0111
遠山 綱景


3
2
4
4
3
5
5
4
6
6
5
7
(1494-1564)北条家臣。江戸衆筆頭。連歌師・宗牧を居城・
江戸城に招き、連歌会を催した。第二次国府台合戦の際には
先鋒を務めて里見軍と激戦を繰り広げ、戦死した。
0112
太田 康資


11
6
1
12
7
2
13
8
3
14
9
4
(1531-1581)北条家臣。資高の子。のちに里見家に属し、第
二次国府台合戦に従軍した。武田家・上杉家に飛脚を送るな
ど、外交でも活躍。三十人力の豪傑であったという。
0113
大石 定久


4
2
3
5
3
4
6
4
5
7
5
6
(1500-1549)扇谷上杉家臣。大石家は木曾義仲の子・義宗を
祖とする。武蔵守護代を務めた。主家滅亡後は北条家に降
り、北条氏康の次男・氏照に家督を譲って隠退した。
0114
笠原 信為


3
3
9
4
4
10
5
5
11
6
6
12
0115
内藤 康行


2
2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
(1532-1587)国人衆の頭領。一軍を率いて戦うなど強い影響
力を持った。軍馬や鉄砲を売買する者もいたという。
0116
北条 綱成


11
6
5
12
7
6
13
8
7
14
9
8
(1515-1587)北条家臣。福島正成の子。父の死後、北条氏綱
を頼り、氏綱の娘を娶って一門となる。河越合戦などで活躍
し、その旗印より「地黄八幡」と呼ばれ畏怖された。
0117
福島 勝広


12
4
2
13
5
3
14
6
4
15
7
5
0118
垪和 氏続


3
3
2
4
4
3
5
5
4
6
6
5
(1540-1580)北条家臣。伊予守と称す。松山衆の1人で、千
貫文を与えられていた。駿河興国寺城主となり、駿河方面の
守備を担当。1571年には武田軍の攻撃を退けた。
0119
北条 氏康


10
6
4
11
7
5
12
8
10
13
10
14
(75)弓兵号令
(89)カリスマ
(29)鉄壁の布陣
(1515-1571)後北条家3代当主。氏綱の嫡男。武田信玄・上
杉謙信ら強豪としのぎを削り、関東に一大王国を築いた。知
勇兼備の名将で、戦国期随一の民政家としても著名。
0120
北条 早雲


6
14
14
7
14
14
8
13
13
8
12
12
(75)弓兵号令
(89)カリスマ
(29)鉄壁の布陣
(1432-1519)今川家臣。小鹿範満の乱を平定し、発言力を持
つ。堀越公方や扇谷上杉家臣・三浦家らを滅ぼして伊豆・相
模を領国化した。「戦乱の梟雄」として名高い人物。
0121
風魔


6
8
2
7
9
3
8
10
4
9
11
5
(83)騎兵弱体
(83)騎兵弱体
(85)弓兵弱体
(1560-1657)忍者衆の頭領。大名の依頼を受け各地に下忍を
派遣し、情報収集や焼き討ちなど様々な任務を遂行させたと
いう。
0122
山角 定吉


5
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6
3
4
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5
8
5
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0123
松田 憲秀


1
1
5
2
1
6
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4
3
8
(1540-1590)北条家臣。筆頭家老を務めた。豊臣秀吉の小田
原征伐の際は小田原城への籠城を主張し採用された。のちに
秀吉に寝返ろうとして失敗、戦後、自害させられた。
0124
石巻 家貞


1
2
5
2
3
6
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4
5
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最終更新:2012年01月09日 20:44
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