山陽

播磨  武将     8名

美作  武将     5名

備前  武将     9名

備中  武将     6名

備後  武将     7名

安芸  武将    14名

周防  武将    11名

長門  武将     3名

    域計    63名
    累計    487名

武将
能力値 スキル 列伝
Lv 1 2 3 4
0425
赤松 晴政


1
1
2
2
2
3
3
3
4
4
4
5
(1513-1565)播磨守護。家臣・浦上村宗に傀儡とされる。
のち細川晴元と通じ、大物崩れの戦いで村宗を討つが、尼子
晴久に攻撃されるなど、領国経営は名のみであった。
0426
赤松 村秀


1
1
1
2
2
2
3
3
3
4
4
4
(1480-1540)赤松家臣。政則の庶子という。政則の娘婿とな
った義村が赤松家を継いだため、塩屋城主・宇野政秀の養子
となる。政秀が龍野城を築いたあと、城主となった。
0427
小寺 政職


1
2
3
2
3
4
3
4
5
4
5
6
(1525-1582)赤松家臣。御着城主。則職の子。別所家と親交
を結ぶ。のち織田家に属すが、別所家とともに荒木村重の謀
叛に同調。羽柴秀吉軍の攻撃を受け敗北、逃亡した。
0428
別所 光治


4
3
2
5
4
3
6
5
4
7
6
5
0429
別所 長勝


2
1
1
3
2
2
4
3
3
5
4
4
(1532-1570)播磨の豪族。三木城主。就治の嫡男。三好長慶
の侵攻軍を撃退した。将軍・足利義昭が三好三人衆に襲われ
た際、弟・重宗を派遣し、織田信長に功を賞された。
0430
別所 重棟


1
3
4
2
4
5
3
5
6
4
6
7
(1539-1591)別所家臣。就治の子。甥・長治を補佐する。
長治が織田信長に背いた際は、これに従った。長治の死後、
浪人生活を経て豊臣秀吉に仕え、九州征伐に従軍した。
0431
浦上 政宗


1
2
3
2
3
4
3
4
5
4
5
6
(1510-1566)赤松家臣。室津城主。子・清宗に黒田職隆の娘
を娶らせ、職隆の主君・小寺政職との連携強化を企むが、婚
礼当日に赤松政秀に襲われ、清宗とともに戦死した。
0432
魚住 忠長


1
1
2
2
1
3
3
2
4
4
3
5
0433
牛尾 幸清


5
3
3
6
4
4
7
5
5
8
6
6
(1496-1571)尼子家臣。家老を務める。吉田郡山城攻めなど
に従軍した。月山富田城籠城戦では落城寸前まで城内に留ま
って戦うが、のちに嫡男・久信らとともに降伏した。
0434
原田 貞佐


3
2
2
4
3
3
5
4
4
6
5
5
(1528-1586)美作の豪族。稲荷山城主。忠長の子。父が山名
氏兼に敗れて自害したため、逼塞する。のちに宇喜多直家の
後援を得て居城に復帰、直家の美作経略に貢献した。
0435
芦田 正家


4
4
1
5
5
1
6
6
1
7
7
2
0436
山名 氏兼


5
3
2
6
4
3
7
5
4
8
6
5
(1509-1548)美作の豪族。神楽尾城主。尼子家に属した稲荷
山城主・原田忠長に攻められて敗れ、一時は一宮村に逼塞す
る。しかしのちに勢力を回復し、忠長を討ち取った。
0437
後藤 勝国


4
2
3
5
3
4
6
4
5
7
5
6
(1510-1559)美作の豪族。三星城主。後藤家は代々、塩湯郷
地頭職を務めた家柄。父・勝政が立石家を攻めて戦死したた
め家督を継ぎ立石家を滅ぼして東美作に覇を唱えた。
0438
浦上 宗景


3
4
4
4
5
5
5
6
6
6
7
7
(1512-1582)備前の戦国大名。室津城主を務める兄・政宗と
争う一方で、備前に勢力を拡大した。しかし、のちに台頭し
た家臣・宇喜多直家の攻撃を受けて居城を追われた。
0439
島村 宗政


2
2
6
3
3
7
4
4
8
5
5
9
(1495-1559)浦上家臣。入道名は貫阿弥。宇喜多能家を砥石
城に襲って自害させ、家中の実権を独占する。しかし、のち
に謀叛疑惑により能家の孫・宇喜多直家に討たれた。
0440
松田 元輝


3
3
5
4
4
6
5
5
7
6
6
8
(????~1568)浦上家・宇喜多家と抗争した。宇喜多家とは
一時、縁戚関係を結んで和睦するが居城・金川城を宇喜多直
家に攻められて滅亡した。
0441
伊賀 勝隆


2
2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
0442
中山 信正


3
2
2
4
3
3
5
4
4
6
5
5
(1505-1559)浦上家臣。亀山城主。娘は宇喜多直家に嫁い
だ。のちに島村盛実と談合して謀叛を企んだとの風聞によ
り、主君・宗景の命を受けた娘婿・直家により殺された。
0443
宇喜多 直家


6
10
7
7
11
8
8
12
9
9
13
10
(79)霧内銃運用
(87)虚報
(82)陽動作戦
(1529-1582)浦上家臣。乙子城主。権謀術数の限りを尽くし
て敵を葬り去り、家中最大の勢力を築き上げる。最後は主
君・宗景を追放して備前1国を掌握した、稀代の謀将。
0444
花房 正幸


7
5
4
8
6
5
9
7
6
10
8
7
(1524-1605)宇喜多家臣。虫明城主。主君・直家の創業を支
えた重臣の1人。弓の名手として知られ、各地の合戦で活躍
した。細川藤孝から古今伝授を受けた文人でもある。
0445
明石 景親


4
2
2
5
3
3
6
4
4
7
5
5
(1520-1589)浦上家臣。坂根城主。明禅寺合戦などに従軍し
た。宇喜多直家が主家の居城・天神山城を攻めた際、直家に
通じて主家滅亡の原因を作る。以後は直家に仕えた。
0446
金光 宗高


2
2
1
3
3
2
4
4
3
5
5
4
0447
庄 高資


2
2
1
3
3
2
4
4
3
5
5
4
(1521-1570)備中の豪族。為資の子。元祐(三村家親の子)
の死後、家督を継いだ。尼子家に属したため、毛利家に属す
三村元親と対立する。のちに元親に敗れ、戦死した。
0448
三村 家親


7
5
4
8
6
5
9
7
6
10
8
7
(1513-1566)備中の豪族。鶴首城主。周辺の豪族を切り従
え、備中最大の勢力となる。備前・美作への進出を企み、宇
喜多直家と抗争を展開するが、直家により暗殺された。
0449
三村 親成


2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
6
(1522-1580)三村家臣。家親の弟。甥・元親が勢力回復を目
指して織田信長に通じた際、反対して追放される。のちに毛
利軍を案内して元親を討ち、戦後鶴首城主となった。
0450
石川 久孝



3
3
2
4
4
3
5
5
4
6
6
5
0451
石川 久智


3
2
3
4
3
4
5
4
5
6
5
6
(????~1567)備中の豪族。三村家親が宇喜多直家と戦った
明禅寺合戦で、家親に味方して戦った。しかし、合戦には敗
北し、その時に受けた傷のために死亡した。
0452
庄 為資


2
3
4
3
4
5
4
5
6
5
6
7
(1478-1564)備中の豪族。庄家は武蔵七党の一・児玉党の出
身。上野頼久を討って松山城を奪い、備中最大の勢力となる
が、三村家親に敗れ、家親の子・元祐を養子とした。
0453
佐世 清宗


2
1
5
3
2
6
4
3
7
5
4
8
(1521-1570)尼子家臣。次席家老を務めた。おもに内政面で
活躍したが、毛利元就の居城・吉田郡山城攻撃にも従軍し
た。元就の出雲侵攻軍に最後まで抵抗するが降伏した。
0454
多賀山 通続


1
1
1
2
2
2
3
3
3
4
4
4
(1506-1570)備後の豪族。山内豊通の娘を娶る。尼子家から
の独立をはかったため居城・蔀山城を攻められるが、大風雨
のため落城を免れたという。のちに毛利家に仕えた。
0455
杉原 理興


3
2
3
4
3
4
5
4
5
6
5
6
(1508-1557)大内家臣。山名忠勝の拠る神辺城を攻略し、
居城とする。主家が出雲遠征に失敗すると尼子家に寝返り、
攻撃を受けて出雲に逃走した。のちに神辺城に戻った。
0456
杉原 盛重


3
3
4
4
4
5
5
5
6
6
6
7
(1532-1581)毛利家臣。はじめ神辺城主・杉原理興に仕え
た。理興の死後、吉川元春の推挙により神辺城の城代とな
る。以後は元春率いる山陰方面軍の先鋒として活躍した。
0457
有福 義秀


2
1
1
3
2
2
4
3
3
5
4
4
0458
渡辺 兼


2
2
1
3
3
2
4
4
3
5
5
4
0459
船木 常平


2
3
4
3
4
5
4
5
6
5
6
7
0460
粟屋 元種


2
2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
0461
桂 元澄


4
2
3
5
3
4
6
4
5
7
5
6
(1500-1569)毛利家臣。安芸桜尾城主を務め、厳島神社を含
む神領の管理・支配を担当した。厳島合戦の際は陶晴賢に偽
の書簡を送り晴賢を厳島へ誘き出すことに成功した。
0462
宍戸 隆家


4
3
2
5
4
3
6
5
4
7
6
5
(1518-1592)安芸の豪族。毛利元就と争うが、のちに元就の
娘・五龍を娶って和睦し、毛利家の一門衆となる。吉川元春
と軍事行動をともにし、各地の合戦で活躍した。
0463
児玉 就光


4
3
2
5
4
3
6
5
4
7
6
5
0464
毛利 ナッシュ


5
11
1
6
12
1
7
13
1
8
14
2
(87)虚報
(82)陽動作戦
(14)三身一体丙
射撃の名手であり、ガーナとオルテナの間に
攻撃することで連携を確かなものにしていた
最期は三身一体を仕掛けた時に
ガーナを踏み台にした○○に○○されて戦死した。
三人の中で一番最初に戦死した
0465
毛利 元就


6
12
14
7
13
15
8
14
16
9
15
16
(75)弓兵号令
(74)弱体矢
(11)毛利家の絆
(1497-1571)安芸の戦国大名。権謀術数を駆使して勢力を拡
大、中国10ヶ国の主となった稀代の謀将。厳島合戦では
数々の謀略で陶晴賢を翻弄、5倍の兵力の敵を破った。
0466
毛利 ガーナ


8
8
1
9
9
1
10
10
1
11
11
2
(69)統率
(71)士気号令
(12)三身一体甲
三人の中でリーダーである。
最期はオルテナを目の前で殺されてしまい、怒りに任せて
攻撃を仕掛けたが返り討ちにあい、戦死した。
最期の言葉は無念さが現れていたとされる
0467
志道 広良


6
7
12
7
8
13
8
9
14
9
10
15
(74)弱体矢
(91)包囲上手
(68)突撃
(1467-1557)毛利家臣。主君・元就の毛利家相続に尽力。
のちに元就の要請で元就の子・隆元の後見役を務めた。
隆元に「君は船、臣は水にて候」と当主のあり方を説いた。
0468
毛利 オルテナ


12
6
1
13
7
1
14
8
1
15
9
2
(92)強襲突撃
(76)騎兵突撃
(13)三身一体乙
三人の中で一番の長身である。
○○に果敢に挑むも敢えなく戦死した。
0469
乃美 隆興


3
3
2
4
4
3
5
5
4
6
6
5
0470
福原 広俊


1
2
4
2
3
5
3
4
6
4
5
7
(1567-1623)毛利家臣。貞俊の孫。朝鮮派兵に従軍。関ヶ原
合戦後は主家に従って萩に移り、吉川広家とともに萩藩の基
盤確立に尽力した。江戸城などの普請奉行も務めた。
0471
福原 貞俊


2
3
6
3
4
7
4
5
8
5
6
9
(1512-1593)毛利家臣。筆頭家老を務めた。小早川隆景を補
佐して山陽方面の経略を行う。主君・元就の死後、四人衆の
1人となり当主・輝元を補佐して主家の国政に参画。
0472
熊谷 信直


4
3
5
5
4
6
6
5
7
7
6
8
(1507-1593)安芸武田家臣。のちに主家と対立し、毛利家に
属す。娘が元就の次男・吉川元春に嫁いでからは一門衆とし
て重用され、吉川軍の先鋒を務めて各地で奮戦した。
0473
弘中 隆兼


6
4
2
7
5
3
8
6
4
9
7
5
(72)一番槍
(68)突撃
(45)不屈の魂
(1510-1555)大内家臣。安芸守護代を務めた。陶晴賢の謀叛
後は大内義長に仕える。のちに晴賢の命により江良房栄を謀
殺した。晴賢に従って厳島合戦に従軍し、敗死した。
0474
大内 義隆


2
2
5
3
3
6
4
4
7
5
5
8
(95)愚将号令
(88)魅力
(91)包囲上手
(1507-1551)大内家31代当主。7ヶ国の守護を務め中国・
九州に覇を唱えた。養嗣子・晴持の死後は文事に傾倒して独
自の文化を築くが、家臣・陶晴賢の謀叛に遭い自害。
0475
冷泉 隆豊


7
6
1
8
7
2
9
8
3
10
9
4
(82)陽動作戦
(87)虚報
(68)突撃
(1513-1551)大内家臣。安芸銀山城主を務めた。陶晴賢が謀
叛すると主君・義隆に従って長門に逃亡し、義隆の介錯を行
った。義隆の死後は陶軍と戦い、凄絶な死を遂げた。
0476
黒川 隆尚


3
2
2
4
3
3
5
4
4
6
5
5
(1512-1551)大内家臣。宗像神社大宮司を務めた。尼子家と
の戦いや安芸大野城攻撃などで活躍し、主君・義隆から周防
黒川郷を与えられる。以後は黒川隆尚と名を改めた。
0477
黒川 隆像


4
3
2
5
4
3
6
5
4
7
6
5
0478
相良 武任


1
9
6
2
10
7
3
11
8
4
12
9
(74)弱体矢
(87)虚報
(44)愚者にフタ
(1498-1551)大内家臣。有職故実に通じ、主君・義隆の信頼
を受けた。のち陶晴賢と対立し出奔するが、杉興運により抑
留される。晴賢の謀叛の際、筑前花尾城で殺された。
0479
貫 隆仲


3
2
2
4
3
3
5
4
4
6
5
5
0480
陶 晴賢


11
1
2
12
2
3
13
3
4
14
4
5
(90)強襲上手
(92)強襲突撃
(72)一番槍
(1521-1555)大内家臣。興房の子。「西国無双の侍大将」と
評された。主君・義隆を自害させ大友晴英を当主に迎えて主
家を傀儡化した。厳島合戦で毛利元就に敗れ、自害。
0481
江良 房栄


3
3
4
4
4
5
5
5
6
6
6
7
(????~1551)陶家の臣。陶家の戦力の要となった武将正攻
法では陶家を破れないと考えた毛利元就に謀殺された。
以後、陶家は衰退の一途をたどる。
0482
内藤 興盛


1
2
5
2
3
6
3
4
7
4
5
8
(1495-1554)大内家臣。長門守護代を務めた。陶晴賢の謀叛
に同調するが積極的に動かず、孫の隆世が晴賢に従ったた
め、家中が分裂したという。文人として声望があった。
0483
右田 隆量


2
1
3
3
2
4
4
3
5
5
4
6
0484
杉 隆泰


4
3
2
5
4
3
6
5
4
7
6
5
(1526~1556)大内家の臣。陶晴賢の謀叛に協力して大内義
隆を敗死させたのち、義長に仕えた厳島合戦に敗れ、毛利家
の追撃をうけて戦死した。
0485
岡部 隆景


4
3
1
5
4
2
6
5
3
7
6
4
0486
青景 隆時


2
2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
0487
仁保 隆慰


3
3
3
4
4
4
5
5
5
6
6
6
(1513-1577)大内家臣。奉行人を務めた。主君・義隆の死後
は陶晴賢が擁立した大内義長に仕える。主家滅亡後は毛利家
に属し、豊前門司城番と規矩郡代官職に任ぜられた。

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最終更新:2012年01月10日 14:52
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