1
ξ(;、 ;*ξおツン「お前さまっ!」
ξ(;、 ;*ξおツン「大敗と聞いて、わたし、わたし……っ」
( ^ω^)祐長「武家の妻が慌てふためくなお、おツン。今帰ったお」
ξ(;、 ;*ξおツン「…………」
ξ(゚、 ゚*ξおツン「……はい。ご無事の帰陣、何より」
内
修
藤
理
亮
━━━O/⌒ヽ━ロニ>
∧∧(^ω^ )
/ο・Oニ)< >
`/ ノ∥川(ヾゝ
(o_oイ_丶 |(_)ノ⌒i彡
ノリリリリ丶|| ̄ノlノ
/ /~丶 ノ""丶ヘ\ヽ_
ヽニフ|」 (_/ 丶ノ
(_>
2
河越夜戦から間もない初夏。
混乱を極める上州に一人の小男が現れる。
武士のなりをしたその男は、工藤祐長を訪ねて大胡城にやって来た。
(`・ω・´)「武田家近習衆、飯富源四郎で御座る!」
飯富源四郎は、五尺とない小柄で肉の引き締まった男だった。
兎唇で、醜い顔立ちではあったが、真っ直ぐな目ときりっとした眉が多少の爽やかさを醸している。
魁夷な相貌ではあるが、秀綱の知人にはそれに勝るとも劣らぬ魁夷な者がいる。祐長にしてみれば、驚くようなことではなかった。
( ^ω^)祐長「お若いお。年は幾つになるお?」
(`・ω・´)源四郎「十八になります」
( ^ω^)祐長(見た目よりは年が行ってるお。僕と七つしか違わないお)
( ^ω^)祐長「飯富、と申したかお。兵部少輔様とは何ぞ、血縁でもあるのかお?」
(`・ω・´)源四郎「腹違いの兄に御座る」
昨今、源四郎は武田家重臣の飯富虎昌実弟ではなく甥であるという説が有力だが、ここでは馴染みの深い実弟説を採る。
( ^ω^)祐長「兵部様に弟御がおられたのかお」
(`・ω・´)源四郎「左様で御座る。以後、見知り置きのほどを」
( ^ω^)祐長「それで、源四郎とやら。僕に帰参の御許しでも下ったのかお?」
(`・ω・´)源四郎「御許しどころか、それがし御屋形様より、工藤殿に再仕官を願って参れと申しつけられました」
( ^ω^)祐長「!」
つ旦~
ξ(゚、 ゚*ξおツン「御使番様、粗茶で御座いますが……お前さま?」
(^ω^ )?
( ^ω^)?
( ^ω^ )…………
ξ(゚、 ゚*ξおツン「? 何事で御座いますか、御使番様? あ、お茶をどうぞ」
(`・ω・´)源四郎「忝う御座る。奥方殿、実はで御座いますが――」
( ^ω^)祐長「お、お、おツン。実は、斯く斯くしかじか……」
3
ξ(゚、 ゚*ξ?
ξ(゚、 ゚*ξ…………
ξ(゚、 ゚*ξおツン「え、嘘!? ま、誠で御座いますか?」
(`・ω・´)源四郎「お二人とも豪い驚きようで御座いますな」
ξ(゚、 ゚*ξおツン「当然で御座いましょう……?」
( ^ω^)祐長「そうだお。僕らは父兄を手討ちにされ、逃げだした身だお?」
(`・ω・´)源四郎「工藤下総様、内藤相模様は、御先代をお諫めしようとして、理不尽にも成敗された忠義の士と兄より聞いております」
( ^ω^)祐長「…………」
ξ(゚、 ゚*ξおツン「…………」
あの事件の時、源四郎はまだ十歳になるかならぬかという年頃であるから仕方がない。
しかし、そのような綺麗事で片づく問題ではないことを知る当事者二人は、いささか複雑な心持であった。
(`・ω・´)源四郎「昨年からの武州の役において、管領方に入り込んだ草の中に、工藤殿を知っていた者がおりまして、それを聞いた御屋形様がそれがしに命じられました」
( ^ω^)祐長(若様……)
(`・ω・´)源四郎「何卒、再び武田家の為に働いてはいただけませぬか?」
( ^ω^)祐長「……おツン」
ξ(゚、 ゚*ξおツン「わ、わたしは、お前さまの去就に口賢しく言葉を挟むことなど……。それに」
( ^ω^)祐長「それに?」
ξ(゚、 ゚*ξおツン「どこまでも、と申したはず」
( ^ω^)祐長「…………」
一度出奔した主家に戻るのを躊躇わせる面子も、晴信の願いとあっては意味を為さない。
断る理由が、何一つ見つからなかった。
( ^ω^)祐長「工藤源左衛門、喜んで今一度、大膳大夫様にお仕え致しますお」
出立の直前。屋敷の門前まで、大胡秀綱が見送りに来ていた。
( ´,_‥`)秀綱「行かれるか、源左衛門殿」
( ^ω^)祐長「御世話になりましたお」
( ´,_‥`)秀綱「――源左衛門殿」
( ^ω^)祐長「何ですかお、勢州様?」
( ´,_‥`)秀綱「己が何者か、とくと見極められよ」
( ^ω^)祐長「はいですお。……ご達者で」
言うまでもないだろうが、大胡秀綱は後に上泉信綱を名乗る剣聖である。
4
甲府に着くと、源四郎は己の近習屋敷を仮の宿所として内藤夫妻に貸した。
翌日。
甲斐府中、躑躅ヶ崎舘。
(`・ω・´)源四郎「源五郎、こちらが工藤殿じゃ」
(’ー’*)「奥近習、春日源五郎です」
( ^ω^)祐長(うほっ、いい男だお)
( ^ω^)祐長「工藤源左衛門尉だお」
案内を春日源五郎に引き継ぐと、源四郎は違う役目があるのか去って行った。
(’ー’*)源五郎「御屋形様が広間でお待ちかねです」
源五郎に先導されながら、祐長は懐かしさを味わった。
かつて晴信の旗本としてこの舘で役目にあたっていたのは、もう九年も前になるのだ。
丁度、評定のある日だったのだろう。広間には重臣達が並んでいた。
親類衆――。
吉田信繁、諸角虎定、勝沼信元、穴山信友ら。
ヽ(´ー`)ノ "゚〆゚ミ / ゚A゚;::] ("'A`)
有力国人も組み込んだ、譜代家老衆――。
板垣信方、甘利虎泰、駒井高白斎、跡部信秋、原昌俊、浅利信種、今福友清らや、
飯富虎昌、今井信甫、栗原昌清、小山田信有、加藤虎景ら。
( ~゚ー゚~) | `Д′| | ヽ`ー´| (ヾ`ハ') {´賀`} (`´ё`) G,_ゝノ
(`メω・) (▼,'3 ) |(ヽ ̄ 栗 ̄) (-Q∀Q) {´┴`}
この中に、見覚えのある一人の若者がいた。
ハ_ハ
(゚∀゚ )
かつて工藤虎豊と共に油川氏、小山田氏に合力して信虎と戦った秋山信任の子、秋山膳右衛門尉信友である。
( ^ω^)祐長(膳右衛門が家老かお!)
信友は伊奈攻めでの功績により駒井高白斎の寄騎から侍大将に抜擢され、今は伯耆守を称していた。
それから末席に控える足軽隊将衆――。
山本春幸、多田満頼、横田高松、米倉重継、金丸虎義、原虎胤、小畠虎盛、三枝虎吉ら。
(メД゚) (`只´) ( ,,-`+´-) (´ⅴ`) (虎・_・虎) 〔メ`Å´〕 (`日′) (+゚ω゚メ)
彡`Д´ミ <丶´`A´`>
信州攻めで活躍し、これに列した教来石景政や長坂虎房もいる。
そして、
(´∀`)
武田晴信。
5
(´∀`)晴信「大儀じゃ、源左衛門。久しいのう」
( ^ω^)祐長「ははっ。お久しゅう御座いますお!」
(´∀`)晴信「工藤源左衛門! 工藤下総守の跡を襲わせ、譜代家老衆侍大将と致す」
( ^ω^)祐長「!」
破格、である。
一度絶えた家を、未だ何の働きも見せていない遺児にそっくり継がせたのである。
( ^ω^)祐長「あ……、有難き幸せに御座いまするお!」
祐長は、何としても晴信の期待に応えなければならないと決意した。
(´∀`)晴信「今ひとり。教来石民部丞!」
彡`Д´ミ景政「は……はッ、これに!」
(´∀`)晴信「その方、馬場伊豆守の名跡を与え、譜代家老衆侍大将とする。これよりは馬場民部少輔を名乗るがよい」
彡`Д´ミ景政「有難き幸せに御座りまする!」
馬場伊豆守虎貞は、工藤虎豊らよりも以前に信虎に誅殺された譜代家老であった。
これを機に、二人は諱を改める。
彼らの、特に祐長の改名時期に関しては諸説あるが、ここからは工藤祐長を工藤昌豊、教来石景政を馬場信房と呼ぶこととする。
また、この時あるいは後に昌豊は昌秀の名を名乗ったという説が今は有力だが、馴染み深い昌豊の名で最期まで通させて貰おうと思う。
己の郎党を除いて将兵を武田家から貸し与えられる形の足軽隊将と違い、侍大将の配下の同心は自前の家臣である。
また、家老職であるからには、多少なりとも自前の役人衆がつく。
これらを養う為には領地が必要であるのは自明であった。晴信は昌豊に若神子の地を与える。
若神子は工藤氏の旧領ではある。しかし、この時期の武田氏にとっては掛け替えのない直轄地でもあった。
信濃に出陣する際、武田の軍勢は一度若神子に集結し、そこで支度を整えて出征していくのが常である。
若神子は兵站の要であり、諏訪上原と並ぶ中継基地なのだ。
その若神子を領地として与えることは、並みならぬ信頼を得ていた証拠と言える。
若神子城の管理までを昌豊に任せたかどうかはわかっていない。
しかし、信玄の側近と云われながら中央における発給文書は山県昌景らよりはるかに少なく、しばしば甲府から離れて要職を務め、小荷駄奉行としての活躍も残る昌豊である。
少なくとも馬場信房の後を受けて深志城代となるまでは、若神子城代の地位にあったとみてもよいのではないだろうか。
そしてこのような働きに徹したことこそ、昌豊を地味たらしめる原因であろう。
また、このような働きこそが、昌豊にとって何より大事な武者働きであったのだろう。
冗長な駄文が続くが、許してもらいたい。
元旗本とはいえ、一度しか戦陣を共にせず、若くして出奔した昌豊の、何が晴信にそうさせたのだろうか。
一つの説として、この時期の晴信は股肱の臣を重臣層に欲していたのではないだろうか。
国人層や有力国人級の譜代家老の力を減じ、自らの手足となる新生武田氏の中枢となる家臣を。
事実、後に信玄の取り巻きと言われる重臣層のひな型が、形成されつつあった。
信友や昌豊のような若者の家老への抜擢もそうである。
信房の取り立てのような、今までどこか小身・余所者と見下されていた足軽隊将の見直しもそうである。
見込みある少年を近習衆に取り込むのも、やがて重臣に取り立てる布石である。
飯富源四郎は家老の弟だが、春日源五郎は豪農層の出身だ。
他にも、現状においては中堅以下と言える家臣団から人材を抜擢しているような傾向がある。
無論、これらはその後の家臣団の変遷を知っているから言えることであるが。
6
<丶´`A´`>虎房(……悔しいことよ)
長坂虎房は、いささか不満であった。
同じ足軽隊将でも、虎房は板垣衆の寄騎であり、馬場信房はこれまで旗本衆であった。
だから働きが晴信の目に止まりづらいし、板垣信方に気に入られていることもある。
駒井衆寄騎だった秋山信友はまた別格である。その智勇兼ね備えた若武者振りは、家中で知らぬ者がいなかった。
<丶´`A´`>虎房(民部や伯耆の引き立ては当然のことじゃが……)
しかし、どうにも気に食わないのだ。
工藤昌豊の抜擢だけは。
<丶´`A´`>虎房(先代に御手討ちにされた重臣の子とはいえ、あの小童は一度は甲斐より逃亡した輩。まさか、そのままその家を継がせるとはのう……)
<丶´`A´`>虎房(いかん、いかん。儂は我が務めを果たすことよ。諏訪郡代の補佐として板垣様を支えねば)
長坂釣閑斎を、もう一人の内藤修理というのは流石に言い過ぎかもしれない。
だが、この二人に似ている部分があるのは>>570の言う通りであろう。
武勲を上げながら勇名の残らぬ点、地方への派遣、外交官としての働き、勝頼からの信任。
ついでに言えば、領地も近い。境界は不明だが、あるいは接していた可能性すらある。
その事績は跡部勝資の陰に隠れがちであるが、その縁の下の力持ちとしての働きは、昌豊に通じるものがあると言えなくもないだろう。
570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/11(土) 03:22:24 ID:2eRigDGi
>>257殿
続き期待しておりますぞ
長坂がちょこっと出て来てて、抜刀騒ぎがどうなるのか楽しみですwww
そういや長坂って何か地味加減とか、政戦どっちもいけるあたりとか、修理と似てますよね
7
梅雨の明けた頃。
昌豊はおツンとわずかな郎党を連れて若神子にやってきていた。
一通り領地を見分し、代官の人事など事務的な手続きを済ませた昌豊は、再び甲府へ向けて出立する。
楽だから、と言っておツンも馬に乗っていた。
釜無川の河川敷では治水工事が行われている。信玄が派遣した奉行と目付が工事区画ごとについている。
( ^ω^)昌豊(わか……御屋形様の下で、甲斐がまとまっていくお)
先代信虎は治水を奨励し、自らも治水工事を進めたが、大部分は国人達に放任する形だった。
( ^ω^)昌豊(これで甲斐も豊かになっていきそうだお)
昌豊が心中で感動を覚えていると、ぐらり、と馬上のおツンの身体が揺れた。
( ^ω^)昌豊「おツン!?」
ξ(゚、 ゚*ξおツン「だ、大事はないわよ、お前さま」
( ^ω^)昌豊「どうしたんだお?」
ξ(゚、 ゚*ξおツン「いささか、具合が悪いような……」
すぐに輿を用意させるとおツンを乗せ、甲府屋敷まで運ばせた。
( ^ω^)昌豊「どうだお、おツン?」
ξ(゚、 ゚*ξおツン「まだ、少し。特に吐き気が……」
( ^ω^)昌豊「おツン」
ξ(゚、 ゚*ξおツン「何、お前さま……?」
( ^ω^)昌豊「子が出来たかお?」
ξ(゚、 ゚*ξおツン「――?」
翌年、おツンは長女を出産する。
再び始まった甲斐での生活は、順調な出だしだった。
未完
最終更新:2010年06月14日 00:39