26 :ブロードウェイを目指して ◆bvueWC.xYU:2009/07/21(火) 03:42:16 ID:ZRpA.fX.0
歩み寄ろうとするが、何故か足が動かない。
頭で弓塚に触れたいという強い想いと、本能的な何かが触れてはいけないという強い衝動がぶつかっている。
「トオノ、くん?」
未だ表情の見えない弓塚がか細い声を漏らす。俺は応えようとするが、それすらできずに立ちすくむ。
「そっか……やっぱり、あたしじゃ駄目なのかな」
ここからでも弓塚の肩が震えているのが分かる。手を伸ばしたいけど、なぜかそれが出来ない。
一体俺はどうしてしまったんだろうか。
その時だった。
「違うわ。あんた『だから』動けないのよ、志貴は」
「……っ!」
突然の第三者の声に俺の意識は弓塚からそちらに向けられた。凛とした声、暗がりでもはっきりと分かる黄金色の髪。
傍らに先ほど別れたばかりのレンを従えて、そこにアルクェイドが立っていた。
「志貴、早くどこかに行きなさい。でないとあの娘、取り返しがつかなくなるわ」
「な、に……?」
「もしくはあんた、まだ理性が少しでも残ってるならあんたが目の前から消えるでもいいわよ」
俺と弓塚にそれぞれ目配せしながらアルクェイドは告げる。俺はかろうじてアルクェイドの言葉に反応するが、
弓塚の様子は変わることはなかった。
「でないと、この場であんたを殺さなきゃならない」
「っ! アルクェイド、何で」
決定的な言葉を聞いて俺はようやくまともに口が動き始めた。アルクェイドに詰め寄りながら俺は言った。
「志貴。貴方の選択肢は彼女の前から姿を消すか、この場に留まってあたしの前に立ちはだかるかのどちらかよ」
「どうしてだよ! どういうことか説明しろよ!」
「説明? 志貴のことだから分かってたと思っていたんだけど。レンの制止も振り切ったんだから」
アルクェイドの視線が一瞬斜め後ろにいる少女を見やる。
「簡単なことよ。あの娘は今……」
―――――――ああぁぁあぁぁアァあああぁァああああ!!
「ゆみ、づか?」
狂ったような甲高い叫び声が、彼女の口から発せられたというのを認識するのにどれだけ時間がかかっただろうか。
俺は息が詰まりながらも、やっとの思いで彼女の名を呼んだ。だが、それだけだった。
「志貴、下がってて。もう手遅れよ」
言い終わらないうちに俺の前に回り、殺気を込めた右腕が空を切る。
「今死んだ方があの娘も幸せよ」
タン、と軽いステップが聞こえたかと思うと、アルクェイドはたった一歩で弓塚との距離をゼロにした。
「恨まないでね……っ!」
真祖である彼女の右腕が弓塚の心臓めがけてうなりをあげて伸びていく。
「アルク……」
「もう、遅い!!」
言葉通り遅すぎた。ここから見えるだけでもアルクェイドは弓塚の懐に入っていて、がら空きの左胸に彼女の杭と化した腕を突き刺すだけだった。
突き刺す『はず』だった。
27 :
ブロードウェイを目指して ◆bvueWC.xYU:2009/07/21(火) 03:47:58 ID:ZRpA.fX.0
肉や骨が貫かれる音はしなかった。弓塚の胸から血が噴き出ることもなかった。ましてや、アルクェイドの腕が彼女の血に染まっていることもなか
った。
「……な」
一番驚いているのはアルクェイドのようだった。アルクェイドは右腕を掴んでいる弓塚の手をただ凝視していた。
「はぁ……はぁ…………アルクェイド、さん」
荒い息で弓塚は対峙している名を呼ぶ。必殺の一撃を止めた左手と逆の手は、心臓を掴むように服を握り締めている。
「お願い……もうちょっとだけ、待って……ください」
「ふん……どうやら今は正気みたいね」
「必ず、何とか…………してきますから」
相手の言葉を返す余裕もないのか、弓塚はそれだけ口にすると必死にアルクェイドに視線を向ける。
アルクェイドは黙って弓塚の様子を観察していた。弓塚の何を見ているかは分からない。と、しばらくそんな状態が続いていると、
「手を放しなさい」
「…………でも」
「殺すのはやめたわ。とにかく放しなさい」
「あ、ありがとうございます」
弓塚が震える左手を緩めると、アルクェイドは改めて弓塚と真正面に向き合った。
「代わりにいくつか質問するわ。そうなったのはいつから?」
息苦しくて答えることができないようではなかった。弓塚は明らかに答えたくないといった風にうつむいて口を閉ざしている。
「答えなければわたしの気が変わるだけよ」
「今日……稽古に行こうとした時からです」
「第三者は絡んでる?」
「いえ……」
「そう」
それはそれで厄介ね、とアルクェイドはため息をついた。そして、
「これが最後の質問よ。こうなった原因は分かってるわね?」
弓塚の息が止まった。体も一瞬引きつり、明らかに動揺の色を示している。
「イエスかノーか、それしか答えは受け付けないわ」
有無を言わさない高圧的な態度に弓塚はさらに萎縮する。しかしやがて、
「……はい、分かっています」
「なら、どうするか分かってるわね」
「………………はい」
消え入りそうな声で答える。アルクェイドはそれ聞き届けると一歩退いた。
「行きなさい。その様子なら一週間もしないで収まるはずよ」
「……最後に、遠野君と」
「駄目よ。理性が残ってるうちに行きなさい」
弓塚はそれでも何かを言いたそうに口を開くが、何かを諦めるようにして閉ざした。
そして弓塚はアルクェイドに一度だけ軽く会釈をして、音も立てずに姿を消してしまった。
「とりあえずは大丈夫、かな」
しばらくした後、アルクェイドの独り言が俺の耳に響く。
「まだいたの? さっさと帰らないと妹がうるさいんじゃないの?」
「俺のことはいい。弓塚はどうしたっていうんだよ」
気づかないうちに口調が低くなっている。しかしアルクェイドは少しも気にしていないようで答える。
「見て分からない? 吸血衝動よ」
「そんな……昨日までそんな様子はまったくなかったのに」
「でも本人も自覚している。志貴に近づきすぎたせいでね」
「俺に……?」
「お芝居と同じね、これじゃ」
え、とつぶやく俺にアルクェイドは月を見上げながら答えた。
「帝に恋したかぐや姫は自らの宿命により自分の在るべき場所へと帰るのでした、ってね」
「…………それじゃあ、かぐや姫は吸血鬼だったのかもな」
「なるほど、そういう考え方もあるかもね」
アルクェイドは俺の説を笑い飛ばし、俺の横を通り過ぎてレンの所まで歩いていった。と、
「志貴」
「…………」
「安心しなさい。あの娘は帰ってくるわ、必ず。前と変わらない姿でね」
「……どうして」
「根拠はないわ。でも、確信はある」
でもね、とアルクェイドは続ける。
「もしわたしの目の前で同じことになったら、今度は躊躇うことなく殺すわ」
視線だけで俺を殺すように、否、俺の中にいる弓塚を殺すように告げる。
弓塚との日々を大切にしたいのであれば、これ以上弓塚と距離を縮めてはならない。
目の前の彼女が言いたいのはそういうことだ。
俺は弓塚のことを、
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最終更新:2009年12月01日 19:45