390 名前: 僕はね、名無しさんなんだ 投稿日: 2004/11/04(木) 19:42
——何も、できない。
だから、剣の形をした巨岩が火花を上げ、
「ぬ——」
地面を叩き割り、陥没させて土砂が降り注いできて、なのに真っ赤な血も白い肌の欠片も、長く艶やかな髪もそこには混ざってはおらず、
「——誰、貴方」
バーサーカーとライダーの間に気負いもなく、悠々と立つ陣羽織を羽織ったその姿を、
「女子供相手に巨漢が二人して刃を向けるとは——あまり感心できる立会いではないな」
奇蹟としか、呼ぶことが出来なかった——。
「新手のサーヴァント? サムライだったかしら、その格好は。でもセイバーはもう召還されているわ。貴方、何のクラス?」
月夜を隠すほどの巨体を前にしても動じる気配がない男は、確かに武芸者とでも呼べばいいのか、時代劇にでてくるような出で立ちをしていた。女性を見間違えるほど端正な表情が不敵に笑っている。
「——アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎」
更に、場違いなほど落ちついた声で名乗りをあげる。
「佐々木小次郎——だって?」
知らないわけがなかった。実在したかどうかも不明確な、もしかすると架空の存在かもしれない大剣豪。ある小島で最強の名をかけ、宮元武蔵と伝説の一戦を交えたこの国であまりに有名な剣士。
「ふざけないで、貴方みたいなのがアサシンであるはずがないわ。アサシンのクラスに呼び出される英霊は決まっているんだから」
「そう言われても返答の仕様がない。この身はアサシンとして呼ばれ、佐々木小次郎の名を伴って現世に戻って来たのだ。誰が問おうと、こう名乗る他ない————ほう」
轟音が耳を劈いた。もう問答には付き合えないとばかりに、狂戦士が暴風を巻き上げて、巨大な剣を振りまわす。
侍姿のサーヴァント、アサシンは応じて肩に担いでいた刀を持ち上げる。
「駄目だ、あんなのじゃ——」
刀はバカみたいに長い。伝え聞くところにある佐々木小次郎の愛刀、物干し竿なんかよりも更に長身で、どう振りまわせるのか見当もつかない。しかしバーサーカーがもつ剣と比べて、いや比べ物にならない程にちっぽけで弱々しく思えた。
針金みたいなものだ。あの刀では、巨岩の凶器と一合すら斬り結べやしない——
「——名乗り返せる者ではないか、巨躯なる戦士よ」
—— はずだった。思わず目を疑う。今度は恐怖ではなく、畏怖に近い衝撃に身体が竦む。縦横に拭きつける空気の断層に火花が散り、甲高い残響が天を貫く、鳴り続ける。剣戟を目の前にするライダーはもとより、向こうで弓を構えた巨人も、足元にいる銀の髪をした少女もただ呆気に取られている。当たり前だ、誰がこんな光景を想像できるだろうか。バーサーカーの剣は、悉くアサシンを捕らえられず、アサシンの長刀は悉くバーサーカーの剣を弾き返している。いや違う、絶妙と表現するのも生ぬるい、神業に近い速度で刀を振り、まともに食らえば一撃で敵を木っ端微塵に打ち砕く一撃を逸らし続けていた。
391 名前: 僕はね、名無しさんなんだ 投稿日: 2004/11/04(木) 19:43
「なにやってるの、バーサーカー! はやく紛い物のアサシンなんて叩き潰しちゃって! アーチャー、ライダーをっ」
癇の虫が起きたように叫ぶイリヤスィールと名乗った少女。心得た、と巨人の射手が再び矢を番える——。
いけない。今度こそライダーは動けない。アサシンが現れてからまだ数分と経ってはおらず、ライダーの半身は失われたままだ。今度こそやられる。あの微笑を思い出す。ライダーからすれば馬鹿げた、幼稚とすら思われたかもしれない俺の戦う動機を受け止めてくれて、一緒に戦ってくれると応えてくれたあの微笑みが蘇る。今度こそ動かなければ。助けなければならない。それが聖杯戦争なんてものに参加すると決めた理由だったはずだ。助けなきゃ。奇蹟は起こった、二度はない。だからこの時この瞬間、俺は走り出さないといけないんだ——。
「シロ、ウ————?」
ライダーの呆然とした顔が近づいてくる。触れたらひんやりとしそうなくらい白い頬が泥と血で汚れていた。さらに近づく。ライダーが何か言おうとしている。けど聞こえない。周囲は夜よりも暗くなり、傷つき倒れた彼女の姿しか映らなくなる。あと一歩、足を出せ、手を伸ばせ。もう届く。
「いけ、ませ——ん、シロ——ウ」
そう聞いた気がした時、掌がライダーの肩に触れた。全力で押し飛ばす。同時に鼓膜が圧倒的な空気の奔流に叩かれて、世界が断絶した。
「あ、れ——」
どうしてか、宙を舞っている。そう感じたら地面に倒れていた。チカチカと視界が点滅する。おかしいな、と体を起こそうとしても、腕に全く力が入らなかった。辛うじて動く首を緩慢に持ち上げると、どうしようもなく吐気がした。脳髄が灼ける程の寒気と、自分の下半身の有り様に。
どうして腰から下が繋がっているか不思議なくらいだった。左の脇腹が無くなっていた。こんなのは生きているとは言わない。中から鮮血やら臓器——主に大腸だろう——がはみ出して、止めど無くこぼれていっている。悪臭を伴った茶色い糞尿もごぼごぼと溢れてきていた。
「あ、あ、あ——ぁ」
両手が動くのならばかき集めて、ばっくりと開いた胴に詰め込みたかった。けれど指一本動かせないのだ。無くなってはいけない物が次から次へと落ちていってしまう。止めない、と。だれか。それ、ひろって——。
「シ——シロ、ウ!」
滝を打つように血液が流れていってしまうせいで、意識が遠くなってきた。寒い。さむい。視界がぐるりと回って、頭を地面に打ちつけてしまう。けど痛みは無い。そんなものを感じる余裕は、この身体の何処を見渡してもない。凍えてしまう。体温が消えてしまう。そんなとき、熱を感じるものが覆い被さって来た。鼻先をくすぐるように、長い髪が振りかかってくる。細い腕がこちらの頭を抱きかかえてくれる。
「ば、か。ライ、ダー——何、して——早く、にげ——」
「マスターを置いて、逃げられるものならば——もとより貴方に誓いなど立てません!」
392 名前: 僕はね、名無しさんなんだ 投稿日: 2004/11/04(木) 19:45
ライダーはぐっと抱きしめてくる。肢体が強張っているのが肌越しに感じられた。駄目、だ。折角助けられたのに、このままじゃ二人とも殺されてしまう。すぐにでも、諸共にミンチにされてしまう。
しかし、次こそこちらを仕留める筈の魔弾は何時になっても襲い掛かっては来なかった。
「——宜しいのか?」
「…構わないわ。つまらなくなっちゃった。どうせもう死んじゃうでしょう?」
「アサシンとやらが残っているが」
「知らない。どうだっていいわ——もう帰る。いくわよ、アーチャー。バーサーカー」
近くで鳴り止まなかった残響もぴたりと止まる。もう顔を上げて確認することもままならないが、それでも周囲に立ち込めていた圧倒的過ぎる死の気配が遠のいていくのがわかった。
……けど、もう関係ないけれど。
「シロウ、しっかりして下さい——————シロウ——」
ライダーの声がずっと遠くから聞こえる。すぐ傍、互いの息が掛かるくらいの場所にいたのに、既に手の届かない遠方にしか感じられない。身体が溶けてしまったように、今自分が何処に倒れているのかもわからない。そもそも上下の感覚が何処かにいってしまった。ただ暗く冷たい場所にいる。そのくせ、何故だか声だけは良く聞こえる。
「……見逃されたか。こちらも限界だと気付かれたかな——無理にここまで跳ばされたのだから、もう身体が崩れてきている。できればすぐ戻してくれぬかな。——そうがなりたてるな、女狐。驚いたことにまだライダーのマスターは生きている。御主の妖術ならば間に合うのではないのか」
意味までは判らない。ただ音の羅列だけが脳に届いてくる。
「——! 本当ですか、アサシンとやら。シロウを助ける術があると」
「助けるというべきかは解らん。しかし、死なせないではくれるだろうよ。元よりおぬし達を取り込むことが目的で、山門より遠く隔てたここに、無理矢理に送られたのだ。それも終わりのようだが」
その、おとも、きえかかって、くる。
「待ちなさい、まだ消えるな——何処へ行けばシロウを助けられるのですか」
ただ、さいごのことばだけ、は、ききおぼえが、あった。
「————柳洞寺へと向かえ」
最終更新:2006年08月25日 20:08