520 名前: CASE:Holy Grail 3rd [sage] 投稿日: 2007/05/06(日) 19:03:21

 ――同年1月。ベルリンと呼ばれた都市。


 ベルリン総統府地下にてオットー・スコルツィSS中佐は、頭を抱えるはめになっていた。
 ――あのちょび髭の伍長殿は何を考えているんだ!
 まったくもって度し難い愚か者だが、それを言うならば彼についてきた自分もそうだ。
 そして恐るべきことに、その絵描きを総統閣下と仰ぐ以上、彼はその指示に従わざるを得ない。

「まったく。ちょっと前まではロンギヌスの槍とやらに執心していたというのに……。
 この期に及んで、今度は聖杯ときたもんだ」

 総統府地下の廊下を歩きながらオットーは毒づいた。
 連合軍ばかりかイワンどもまで押し寄せている現状だ。神頼みをしたくなるのもわかる。
 ――が、実際に神に頼ろうとする国家総統がどこにいる?

「ベルリンに、だ。なんてこった」

 だが哀しいかな、彼は自分が総統閣下のお気に入りであることも自覚していた。
 だからこそ絵描きの伍長とジーザス・クライストとの橋渡しを命じられたのだが、
 生憎と彼に宗教者の友人は存在しなかった。
 ローマ・ヴァチカンの方にパイプはあるものの、連中を神の下僕とは思いたくない。

 無論、彼とて曲がりなりにもムッソリーニを救出し、バルジの戦いで連合軍を撹乱した男だ。
 『ヨーロッパで最も危険な男』の二つ名は伊達ではない。
 ヒトラー総統から、連合軍やソ連軍に対しての反抗作戦を考えろといわれれば、喜んで考えただろう。
 だが、よりによって『聖杯の探索』と来たものだ。
 いつからここはキャメロットになったのか、オットーは一瞬真剣に考えてしまう。
 自分たち親衛隊が円卓の騎士ならば、アドルフ・ヒットラーこそは現代に蘇ったアーサー王か。
 笑えない冗談だ。アーサー王の王国が崩壊したように、第三帝国もまた滅びようとしているのだから。

 赤絨毯の廊下を通り、地下通路を何度か曲がったオットーは自分の執務室に辿り付くと、乱暴に椅子に腰を下ろした。
 やれやれだ。本当に。

 オットーは優れた軍略家であったが、オカルトに関しては素人だ。
 ――だが、『だからできません』では地球は廻らない。
 しばし黙考の後、彼は内線電話を取り上げて言った。

「アーネンエルベに繋いでくれ」

 ――自分にできないのならば、できる人間にお願いするだけさ。

521 名前: CASE:Holy Grail 3rd [sage] 投稿日: 2007/05/06(日) 19:06:04

 かくして、彼の執務室の扉を『できる人間』が叩いたのは、それから一時間ほどあとのことだった。
 時は金なりという事場を連中は理解しているらしい。オットーは唇の端を持ち上げて笑う。
 こうすると頬の傷が引きつり、迫力が増える。学生時代の決闘で傷持ちになって以来の癖だ。
「入りたまえ」
「ヤー!」
 敬礼しつつ部屋に入ってきた人間を見て、オットーは驚いた。
 魔術やオカルトなんかに傾倒しているやからは変人奇人の類だろうと予想していたのだが、
 意外にもその男は『まとも』だったのだ。そればかりか彼の襟元には武装SSの徽章が見て取れた。
 怪しげな神秘主義者どもが選んだ『適任者』にしては、いささか奇妙だ。
 ――まあ良いさ。連中が適任だというのならばそうなのだろう。
「ごくろうだったね。こんなご時勢だ、ちょいと奇妙な任務だが、君に頑張ってもらいたくてね」
「…………」
 オットーは自分の心情を隠すようにして笑いかけるが、男はそれにも増して感情が表に出ていない。
 落ち窪んだ昏い瞳。まるで幽鬼のようだ、と思わされる。
 執務机の上に置かれた、本人より数分早く届いた経歴に眼を通す。
 これはパフォーマンスもかねている。書類より眼をあげて、オットーはにやりと笑った。
 ――お前のことなら何でも知っているんだぞ?

「さて。 君には今日からリヒャルトの偽名が与えられたわけで、ぼくもそれに従うことにするが。
 リヒャルトくん。君は――聖杯というものを知っているかね?」

「ヤー・ヴォール。 一応は。騎士達の聖杯探索の冒険を寝物語に育ちましたので。
 キリストの血を受けた杯、という認識をしております」

「うん、ぼくもそう考えていたんだが、どうも違うようだ。
 信じられるかね? 
 聖杯とは全ての願いを叶える代物で、それが極東の辺境の地に眠っているらしい。
 オマケに、それを巡って魔法使いどもが殺しあうんだと。
 ああ、魔術師だったかな。まあ、ぼくらには関係のない区分だ」

「――は?」

 ここに来てリヒャルトが初めて感情を表に出した。呆れ、或いは驚愕。
 具体的に言えば『何を言っているんだこの人は』だ。
 無理もない。自分とて、総統閣下にこういう顔をしてみせたのだから。

「我らが総統閣下は、その《聖杯》とやらをご所望らしい。
 第三帝国の敵を滅ぼすか、自分を世界の王にしてもらうつもりか。
 はたまた何度でも願いを叶えてもらえるようにするかは別としてね。
 ――そして、そこに向かうのに君以上の適任はいないらしいよ、リヒャルトくん」

「……と、言われましても――。
 自分は、その。魔術だのまじないだのは、まったくの門外漢で……」

「それについてはぼくも同じさ。安心したまえ。
 君に命じられるのは、魔女の護衛、さ。そして聖杯を持っての帰還。
 同盟国とはいえ戦場の真っ只中に少数での潜入だ。胸が躍らないかい?」

「そしてシュタイナー中佐のように、ですか」

 リヒャルトの漏らした痛烈な皮肉にオットーは思わず笑った。
 チャーチル首相誘拐のため、英国へ潜入した落下傘部隊の末路は公然の秘密だ。
 『彼は勇気のある立派な軍人だった』そんな言葉が一体なんの慰めになるだろうか。

「大軍を率いて行くわけにもいかないだろう?
 そもそも、そんな大軍があったらヤンキーどもに反撃でもしてやるさ。イワンの方が切羽詰ってるがね。
 装備はある程度融通が利く。偽装輸送船の手配も済んだ。
 君は『彼女』と合流した後、日本へ向かってくれ。途中で船が沈まんことを祈ってるよ」

 リヒャルトは全身に疲れを覚えながら頷き、敬礼をした。
 何もかもが狂っている。世界も、総統も、オットーも。そして自分も。
 ならば逃れる術もないことを、彼はよく知っていた。

 退室していくリヒャルトを見送ったオットーもまた同じだった。
 だが、此方は幾分マシな気分でもあった。
 これで当分、総統の無茶な命令は鳴りを潜めるだろうと思ったからだ。

 ――数ヵ月後に《フッケバイン作戦》の指揮をとるはめになるとは、
 オットーは想像すらしていなかったのだが。


  • アイン:『鷲は舞い降りた』:ドイツ軍サイド
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  • ドライ:『冬木の一番長い日々』:本編開始

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最終更新:2007年05月13日 18:45