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飯田哲也 - (2016/04/30 (土) 21:46:30) の編集履歴(バックアップ)


飯田哲也

背番号78 外野守備走塁コーチ

  • 俊足強打の一番打者として、ヤクルト黄金時代を支えた名外野手。
  • 「スポーツマンNo.1決定戦」の常連であったほど身体能力に長けている。特にショットガンタッチでは当時のギネス記録を残した。
  • 応援歌「キャッチャー センター セカンドー♪ どこでも守れる♪ 足なら誰にも負けない♪ 韋駄天飯田ぁ~♪」が、楽天イーグルスへそのまま譲渡されたほどのユーティリティプレーヤーで、ホームランボールを幾度となくキャッチしたり、あの東京ドームでもキャッチしかけたことも。本人は、1993年の日本シリーズで走者の生還を捕殺で阻止したプレーを生涯での自身のベストプレーに挙げている。

  • 1988年のドラフトで捕手としてヤクルトスワローズに入団。が。1990年には二塁手としてレギュラーの座を獲得。しかし1991年に助っ人外国人ジョニー・レイが外野手起用される予定だったものの、当の本人がこれを拒んだため、ノムさんに俊足に注目されたことで白羽の矢が立ち、まさかの外野手に転向。しかもいきなりゴールデングラブ賞を獲得する(しかも、この年から7年連続受賞することに)。
  • その後は故障などに泣かされ、2004年に球団からコーチの打診をされるも、現役を続けるべく、無償トレードという形で球界に新規参入したばかりだった楽天イーグルスに移籍した。2006年に現役を引退してから2013年まではヤクルトスワローズでコーチを務めていたが、2015年からはホークスの一軍外野守備走塁コーチをつとめることが決まった。


エピソード


  • 拓大紅陵高校時代には甲子園に出場。春のセンバツでは1試合に3度盗塁阻止を成功させ、強肩のキャッチャーとして注目された。
  • 誕生日は二保と同じく5月18日。
  • 名前は似ているものの、飯田優也とは特に親類縁者の関係ではない。
  • 自身の引退試合では誰かが出塁すれば打席が回って来るという場面で、前打者のリック・ショートが「イイダサン、ガンバルカラ」と打席に入る前に飯田に声をかけ、思わず涙がこぼれたという話はあまりにも有名。結局リックは出塁できず飯田に打席が回ってこなかったものの、「もし回ってきてもきっと涙で打てなかった」と述懐している。
  • 野球に危険はつきものだが、2015年シーズンからたびたび三塁コーチャーとして時に味方のファウルボールをあわやくらいそうになったり、走者と見間違えたらしい西武・十亀に目掛けて送球されそうになるたび、間一髪現役時代を彷彿させる身のこなしで避けていた。が、2016年4月26日に今宮のファウルボールがついに飯田さんを狙撃!解説の柴原に「飯田コーチも年とりましたね」と言われてしまった。